第十話 タイマン 聖女ナツメ VS 野生動物エルフ
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さてさて、喧嘩を売ってはみたものの。
――正直とても怖い。
準備運動をする僕を仁王立ちで睥睨するその姿は雄大で。小学生程度の体躯である筈のテュッセなのに、そこから受ける印象はまるで野生の熊にでも睨まれているかのようだ。殺気とかそう言うものは僕にはよくわからないけれど、これが彼女の持つ強者としての圧力なんだろう。
「……ナツメよ、撤回するなら今の内じゃぞ。今なら先程の無礼、許してやらん事もない」
……なんだかんだテュッセは優しいね。おそらく僕をボコボコにするのが嫌なんだろう。一見無表情に見えるけど、よく見ればその瞳は不安そうに揺れている。僕にかける圧力も、半分は降参してほしいという彼女の思いがあるのかもしれない。けど……
「らしくないねテュッセ。エルフの長は矜持を傷つけた相手に情けをかけるの?」
「あくまで挑発を止めぬか……良かろう、その慢心。体諸共粉々に砕いて謝らせてやろう」
僕の挑発にテュッセの圧力が大きく膨れ上がる。どうやら本気で怒らせたらしい。まあ計画通りなんだけど、これ……殺されはしないよね? ウォームアップをして体を温めているはずなのに、体温が下がっていくかのような感覚に襲われる。気を抜いたら膝から崩れ落ちてしまいそうなほど怖い。
――けど後悔はしない。
周りには秀彦と先輩、カツオ達エルフ組。それにアメ爺ちゃんを持ったウェニーお婆ちゃんと、アメ爺ちゃんにしがみついたマウスくんが見守ってくれている。セシルやコルテーゼさんたち王国組は、僕の決闘を断固阻止しようとしてきたので今は部屋の外だ。扉にはおじいちゃんとお婆ちゃんが二人がかりで結界を張ってくれたので、幾らウォルンタースさん達でも簡単には破れないだろう。あーあ、きっと後で怒られるんだろうなぁ。
今も扉からは大きな打撃音と絶叫にも近い声が聞こえる。
「ナツメ様ァー! ここをお開けください!」
「ナツメ様いけません! テテュリセ・ティアテテュリ・イ・リティ=ティリア様は婦女子相手でも手を抜かれるようなお方ではございません!」
皆に心配をかけてしまって少し胸が苦しくなる。
「……外野はああ言っているようじゃが? おいゴリラに勇者よ。貴様らは止めぬのか?」
「ん? そいつがやるって言ってんだから止めねえよ」
「そうだねえ、私は止めたいんだけど、秀彦と棗きゅんがこれだからねえ」
さすが二人は僕の事をよく分ってくれている。
「案外薄情な奴らじゃ。して、ナツメよ。貴様武器は使わぬのか?」
「僕は治癒術士だからね。使えても杖くらいしか無いから一対一の状況ではいらないかな。テュッセだって武器持ってないじゃない?」
「我が武器を持てば貴様如きの命がいくつあっても足りぬわ。この両の拳があれば十分よ」
「なるほどね。じゃあテュッセは拳、僕は法術って戦いな訳だね。さて、そろそろ始めようかテュッセ?」
「ふん、我ら耳長は常在戦場よ、声などかけずにいつでもかかって来るが良いわ。」
「了解、それじゃあ遠慮なくいくよ! 神よ、勇壮たる者たちに祝福を。
「……」
「汝が旅路の終焉、刻まれしその疲労は鉛の如く
まずはテュッセが動き出す前にできる限りの自分の強化と相手の弱体を行う。相手が動き出すまでにどれだけ準備ができるかでこの戦いの勝率は大きく変わってくるはずだから。
でも、通常強化版の
「汝が秘めし力、開放せよ開放せよ。解き放たれしはあるべき姿。内なるケモノを解き放て
「ふんっ! 貴様如きが如何に自己強化しようと我の敵ではない。好きにするが良い。先手も譲ってくれるわ」
「ふーん、常在戦場なのにそれでいいの? まあいいや。
随分舐められているようだけど、先手を譲ってくれるならありがたく。
「ふん、生身に浄化法術など、法術の基礎も知らぬのか……うぉ、眩しッッ!?」
「秘奥の心得、|先制目潰しの術(エクラ・リュミエール)だよ!」
「おー汚い! さすが聖女汚い! 初手目潰しは棗きゅんの十八番だけど、秀彦以外にやるのは始めて見たね。これは全力全開モードだね?」
「俺ん時は砂とかでやるからより悪質だけどな。人様にはやるなと後で叱らなきゃなんねえな」
視覚は完全に奪った。だけどテュッセの表情に焦りはない。大方僕の攻撃では大したダメージは無いと踏んでいるんだろう。けど、それは甘い。無手の戦闘が一般的ではないこちらの世界の人間にはこれが効くのは騎士の皆さんで検証済みさ。
僕は無防備なテュッセの襟を掴み、そのまま背負い投げを放つ。打撃に身構えていたテュッセは受け身もとれずにモロ地面に叩きつけられ、肺の中身をすべて吐き出した。
「カヒュっ! な……なんじゃこれは? 聖女が……ゲホッ……体術じゃと!?」
埒外の攻撃にテュッセが混乱をしている。
今が、僕の最初にして最後のチャンスかもしれない。絶対にここでキメる。
「ぬぅ、なんじゃあ!?」
倒れたテュッセの背後をとり、流れを止めずに襟を掴み腕で締め上げる。
送襟絞、一度極まってしまえば決して解けることのない絞め技。完全に極まってしまえば、どんな人間でもこの技に抗うことは出来ない。
「グ……貴様……なにが法術と拳の戦いじゃ……ぐえっ!?」
拳と法術の戦いではなかったことに不満を言っているけど、こっちは必死なので許してほしい。ていうかどうしてまだ声が出るのか。殆ど完璧に締まっているはずなのに。
「あいつの勝負にかける貪欲さは聖女になっても健在だな。最近妙に女らしくなってて調子狂ったが、こういう姿を見ると逆に安心するぜ……」
「……ほぅ? ソレはつまり最近の棗きゅんにはついつい欲情してしまうということかい?」
「欲情とか言うな」
何やら外野が煩いな。気が散るので今は黙っててほしい。
とは言え、奇襲は成功。すでに頸動脈を締め上げているので、普通だったら降参するか失神するかのはずなんだけど……どうやらそう簡単にはいかないらしい。
何なの、この力。僕が締め上げている腕を無理やり腕力だけで引き離そうとしている!? しかもそのせいで少し隙間が出来ているのか、いくら締め上げても抵抗する力が弱まらない。こっちは腕力強化かけて締め上げてるのに。
「ぐぬ……ぐぬぬ! ぬぅりゃっ!!」
ビリビリィッ!
「嘘でしょ!?」
僕が掴んで締め上げていたテュッセの襟が引きちぎられた。腕力だけで僕の腕が外せないと見るや、逆に僕の腕の力の方向に力を入れて自分の服を破った!? どんだけ強靭な首してるのさ? 信じられない力技だ。胸の部分が大分扇情的な事になっているけど、幸い慎ましやかな|それ(・・)はあまりイヤラシさを感じさせないのが幸いか?
「うっひょおぉぉぅおっぺぇ!! 美少女のおっぺえだよ秀彦!!!!!」
「うるせぇ!!」
前言撤回、変態には貧乳でも喜ばしいご褒美だったみたいだ。
そして、技は外されてしまったけど、この体勢はまだ僕が有利。先程の攻防で確信した。寝た状態での体術なら僕のほうが上。テュッセの腕力は脅威だけど、対処できない程ではない。
まずは抑え込みの形に移行し、テュッセの動きに合わせ関節や首を狙っていく。テュっセはそれを嫌がり、なんとか身体能力で抜けようとするけど、そういう雑な逃亡は逆に寝技の餌食だ。僕は詰将棋をするように的確にテュッセの逃げ道を塞いでいく。
「ぐぬぬぬ、蛇のようにウネウネと鬱陶しい!」
「逃さないよテュッセ!」
「逃げ……我が逃げるじゃと!? な、なめるにゃああああ!!」
しかし、寝技に慣れていないとは言えテュッセの単純な身体能力が高すぎる。僕が技で抑えれば、テュッセは力でそれを跳ね除ける。信じられない事に、これだけ有利な状況でも僕は彼女を攻めきる事は出来ないでいた。
とは言え、短気なテュッセに寝技地獄は有効なようで、怒り狂ったテュッセは怒声をあげつつ暴れまわるが、それを往なし、躱し、なんとか抑え込んでいく。なんとか起き上がろうとすれば、不十分な体勢のテュッセを転ばせ、再び寝技へと引きずり込む。思うように動けないテュッセのフラストレーションはみるみる溜まり、今やその動きは本能のままに暴れる猛獣と言った感じになっていた。この戦いは柔道の試合ではないので、僕が押さえ込むとテュッセは稼働可能な部分を使ってなんとか打撃をいれようとしてくる。だけど、そんな苦し紛れの攻撃はすべてジャストガードで対処可能だ。今の所とても順調に戦いを運べている。
だけど……
「ムッッキイイイイイイ、貴様ァァァ、しつこいのじゃ! 離せ! 離れろ!! くのっ! くのっ!!」
――これである。さっきからずっと暴れているのにテュッセが弱る気配が全くない。普通ここまで不利な状況で攻められたらヘトヘトになりそうなものなのだけど。
今は寝技の攻防だから、テュッセの攻撃の選択肢が少ないのでそれ自体は防げている。状況的には僕の有利は間違いない。
しかし、先程から叩き込まれている苦し紛れの筈の攻撃の打撃音が凄い事になっていた。
見た感じは、小さな女の子が可愛らしくポカポカしてるような光景なのに、響き渡る音は巨大な岩を金属床に叩きつけるような音だ。
これ、うっかりガードし損なったら絶対粉砕骨折するよね……
「ぬあああ!! もう、もう! 鬱陶しいのじゃぁ!!」
「……ッ!」
とうとう痺れを切らしたテュッセに致命の隙が生じた。僕を振り解こうと雑に腕を振り回した為に、首元がガラ空きとなったのだ。
「もらった!」
僕はその隙を逃さず首に腕を回し、袖車の形で頸動脈を締め上げた。先程はテュッセの服を利用したためにちぎられてしまったが、今回は女神様にもらったローブなので、頑丈さも折り紙付きだ。これで僕の勝……
「んぅぅぅっ!!!」
「くはっ!?」
しかし、勝利を確信した瞬間。僕の視界が大きく回り、全身に衝撃が走った。
――いったい何が!?
「すげえ、首の力だけで人一人持ち上げた上に、そのまま投げやがったぞ!?」
「めちゃくちゃだねえ……」
秀彦達が何か言ってるけど、それどころじゃない。僕は痛む体で即座に起き上がり、テュッセの動きを警戒する。しっかりしろ、清川棗。今、重要なのは、何が起こったかじゃない。一番ヤバイのはテュッセに距離をとられた事。つまり……
「どっせぇい!!!」
「く、
どこから攻撃が来るのか予想もできなかったので、アグノスの使っていた全方位障壁
しかし、小柄な少女から繰り出された拳はそれを難なく砕き、勢いを多少弱めた突きが僕の鳩尾に叩き込まれた。まるで体を刺し貫かれたかのような衝撃が走り、次に浮遊感と地面への衝突。胃の中身は逆流し、吐瀉物を撒き散らしながら地面を転がっていく。
だけど、そんなことを気にしている場合ではない。失いそうな意識を辛うじて繋ぎつつ、地面をバウンドしながら
「ギャンッ!?」
クッハァッ……容赦がなさすぎるねテュッセ。普通、女の子の顔面をここまで容赦なく殴るかな?
「でもね……」
こっちだって普通の
「ふん、手こずらせおって。文字通り鼻をへし折った。これで判ったじゃろ、我に勝負を挑むということか……ぬっ!?」
どうやらこれで終わると油断したみたいだねテュッセ。だけど勝負の最中に気を抜くなんてらしくないんじゃないかな? そんな無防備にしてるから。
「捕まえた……」
「き、貴様!?」
離れてしまってはテュッセの猛攻に抗う術はないけれど、ここまで密着すれば僕の距離だ。内股でテュッセを床に倒し、そのまま体をあずけるように上に乗る。三度目の正直そろそろ勝たせてもらうよ。さすがの君も、そろそろ体力の限界だろう?
――だけど、押し倒されたテュッセの表情には焦りはなく、僕を見つめるその目は静謐そのものだった。
「……呆れた奴じゃのう。|女子(おなご)が鼻を折られても戦意を失わぬとは」
「ッ……!?」
それは……追い詰められたものの顔ではなかった。
静かなその瞳に先程までの荒々しさ以上の恐怖を感じ、本能が逃げろと叫ぶ。しかし、テュッセの内から溢れ出す魔力に気がついた時には僕の体は再び宙をを舞い壁に叩きつけられていた。
「誇るがよいぞナツメよ。我に
「び、微妙に多い……ね」
軽口を叩いてみるけど状況は最悪だった。鼻を折られながらもやっとの思いで詰めた距離も失った。もう二度と彼女は油断しないだろう。更にテュッセからは先程まで感じることが出来なかった魔力が溢れ出ていた。あれだけの強さだったのにテュッセはまだまだ本気ではなかったんだ。
「此度の勝負。元々は戯れのつもりであった。よもやこれを使う事になるとは思わなんだ」
「……」
「さて、一応聞いておこうか」
「なんだい?」
「降参する気は……」
「ないよ!」
「……そうか」
――――そこからは痛みと衝撃しか覚えていない。遠くで誰かが叫んでたけど僕にはそれが誰の声なのか判断することも出来なかった。
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