第三話 迷子の長

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 ――居ない……と、いうか。この辺の路地は王都の中でも比較的古い時代の物が多く、王都の発展と共に増築に次ぐ増築で迷路の様になっている。僕らは王都での暮らしもそこそこの長さになってきているので何となく王城の位置などから大体の場所を理解する事が出来るけど、他所から来た人間ではまずこの路地で迷わずに移動する事は難しい。


「不味いな、これは思った以上に入り組んでやがる。俺たちでも迷いかねねえぞ」


「困ったね、これじゃあの娘がどっちに向かったのかもわからないや」


「……いや、まて。なにか聞こえるぞ」


 流石にこれ以上二人での捜索は無理かと諦めかけた時、僕らの耳に聞き覚えのある泣き声が聞こえてきた。


「――う、うぅ。バカァァァ。短耳どもめ。わ、我が何をしたというのじゃ。とつぜん怒り出しおるし。いきなり殴りおるし。街は迷路みたいじゃし。う、うぇ、えぐぅっ。もう帰りたいのじゃぁ!!」


 うん、間違いない。さっきの娘の声だ。どうやら迷子になって途方に暮れてるみたい。誰かに襲われているとかそう言う雰囲気ではないので少し安心した。


「秀彦、こっちだ」


「おう!」


 声の聞こえる方角から大体の見当をつけ進む。いくつかの路地を曲がると徐々にその声がはっきりとして来る。聞こえる嗚咽に確信を持って進むと、そこには泣きじゃくる彼女が立っていた。目元をグシグシと擦っている姿には先程までの尊大さは欠片ほども感じられない。


「見つけた!」


「ほ、ほぇっ!?」


 僕らの声に驚き動きを止めている間に抱き締める。また逃げられたら厄介だからね。


「は、放せ。今さらなんの用じゃ! わ、我は謝らぬぞ。我はなんにも悪くないんじゃからな!!」


 驚きから立ち直った彼女は僕の腕のなかでじたばた暴れだした。先制して捕まえたのは正解だったみたいだ。


「放せ! どうせ我の泣き顔をみてまた苛めるのじゃろう!? 短耳はそうやってすぐ我らを苛めるんじゃ! 我は詳しいから分かるんじゃ!!」


 どうやら興奮して話を聞いてくれる状態ではないようだ。とりあえず気持ちを落ち着かせてもらうため、僕はゆっくりと彼女の頭を撫で付ける。なんだか怯える野良犬の子供を拾った気分だ。


「!? ……ふぁっ」


 ゆっくりゆっくり、サラサラの髪に指を通すように撫でていく。ほーら、怖くない、怖くないよ~? 

 しばらくそうしていると彼女の体から力が抜けていくのが感じられた。しゃくりあげる声も止まり、暴れる事も無くなった。


「……落ち着いたかな?」


「……う、うむ」


「それじゃあ、改めて最初から」


 彼女を捕まえていた腕を緩め、彼女の顔を正面から見据える。深い海を思わせる青い瞳は驚いたように見開かれ、僕の目を正面から見返してきた。頬が真っ赤になっているのはさっきまで泣いていたからだろうか? そんな腫れぼったい瞼をしていても彼女の美しさはまったく損なわれていないのだから驚きだ。


「はじめまして。僕の名前は清川棗。こちらの世界に合わせるなら、ナツメ・キヨカワだね。ナツメって呼んでくれれば良いよ。それでこっちの暴力ゴリラはヒデヒコ・タケハラ。ゴリラって呼んでくれればいいよ」


「……おい?」


「ちょっと顔は怖いし乱暴だけど、すごく優しいやつだから安心して? それで、君の名前を教えてもらっても良いかな?」


「……」


 んー、ダメかな? 耳長、たしかエルフっていうんだったかな? エルフの女の子は俯いてしまって僕から視線を離してしまった。ふてくされたように尖った唇が愛らしい。摘んでみたい衝動に駆られるけど、それをやったら全てが終わってしまうのでここは我慢だ。


「……テュリセ」


「ん?」


「テテュリセ・ティアテテュリ・イ・リティ=ティリア。我の名はテテュリセじゃナツメよ」


「テテュティ……ててぃ」


「……呼びにくいならテュッセでよい。親しきものはそう呼ぶ。特に許す。ちなみにテテュリセが名前でティアテテュリが家名じゃ」


 少し呆れたようなジト目で僕を見つめる彼女から愛称呼びの許可をもらった。テュッセも軽く発音しにくい気もするけど。


「改めてよろしくねテュッセ」


「うむ! よろしくなのじゃ」


 ようやく笑顔と尊大さが戻った彼女、よかった。


「お主もよろしくな、ゴリラよ」


「それ名前じゃねえからな!?」


「それで、テュッセはどこに行きたかったの?」


「うむ、我はセシリア女王に呼ばれたからこの王都に来たのじゃ。じゃが、いつの間にか護衛ともはぐれ、迷路のような路地に迷い混んでしまってのう。帰ることも進むこともできず途方に暮れておったのじゃ」


「途方に暮れてっていってもまだお昼だし、護衛の人もまだ近くにいるのかな? テュッセはどれくらい迷ってたの?」


「うーむ、いつからだったかのう? 確か、十日前はまだ護衛供の姿があった気がするのう?」


「……は!?」


「うむ、数えてみたが、恐らく十日か九日といったところじゃな」


「……えぇ!?」


 どうやらこの娘の時間の尺度はスケールが僕らとは異なるらしい。そんな日数彷徨っていてよく行き倒れ無いねと言ったら、エルフは数日間飲まず食わずでも活動できる種族なのだという。森ではそう言う状況はよくあるそうだ。


「それにしても。セシルに呼び出されるなんてテュッセはひょっとしてエルフの偉い人なの?」


「ふむ……偉いかどうかは分からぬな。一応あれじゃ、貴様らに分かりやすく言うならおさをやっておるのう。我の名前のイ・リティ=ティリアのイは信仰する神の名前でリティ=ティリアはティリアの長という意味じゃな。これが別の部族じゃと信仰する神の名前が変わったりもするが、リティ=ティリアを名乗れるのは我だけと知れ」


「ティリア、確かエルフの国の名前だったね。エルフの国ティリア、獣人国ベスティア。それに帝国エアガイツ。サンクトゥースと交流のある代表的な国の一つだったかな?」


「ふーん。つまりそれってティリアの王様って事か?」


「いや、それにはちと語弊があるのう。我らは王を戴かぬ。故に長は長であって、貴様らの思うようなものではない」


「えぇ、ちょっと意味が分からないなあ。それがつまり王様ってことじゃないの?」


「我の拙い短耳の公用語ではうまく表現できぬ。後にセシリアにでも聞くが良かろう」


「だけど、そんなお偉いさんが行方不明になってるってのに、セシルからは何も聞かされてねえぜ? 普通なら騎士団が出動するような事態じゃねえのか、これ?」


「……? 何を言っておるのじゃゴリラ? セシリア女王は我が王都に来ておることを知らんのだから騒ぎになる訳もあるまい?」


「ええ、なんで知らせてないの!?」


「セシリア女王が来いというから来たが、いつたどり着くかは我もわからぬ故な~」


「普通そう言うのって、先触れとかを出して日にちを決めて行くものじゃないのか?」


「そのような短耳の文化を押し付けられても困るのう。貴様らは時間に煩すぎるのじゃ」


 どうやらエルフと僕らでは時間の尺度があまりにも違うようだ。彼女は悪気があってこの様な事を言っているのではなく。本気でこう思っているらしい。これが異文化交流というやつか……難しい。


「とにかく貴様らに会えたのは行幸であった。ささ、我を案内せよ」


「だからなんでお前はいちいち偉そうなんだよ……」


「まあまあ。悪気があってこんな言葉遣いな訳ではないみたいだし。怒らない怒らない」


「うむ、ゴリラはすぐ怒るのがよくないと我は思うぞ。ナツメを見習い、我の全てを許せ?」


「でも、テュッセ。さっき秀彦の事殴った件はちゃんと謝るんだよ?」


「はぅぅ~!?」


「テュ~ッセ!」


「ごめんなさいなのじゃぁ~」


「……これがエルフの長か~、なんだかなあ」


 取り敢えず護衛と逸れてしまった際には宿で合流するという話になっているそうなので、テュッセが利用している宿を探す事になった。「それって護衛の意味があるの?」と、尋ねると。そもそも自分には護衛は必要ないので一人で来ようと思っていたのだが、なんとなく数人が同行して来たのだという。なので守る側も守られる側も、あまり行動をともにしようという意識すら希薄なのだそうな。


 時間のスケール感も危機感も使命感も、何もかもが僕らの感覚とは違うらしい。エルフ、謎い。


「例えばドラゴンの巣に行くなどという緊急事態であれば流石に護衛も必要であろうがのう。短耳の都に我を脅かすものは無き故にな。危機感など持とうはずもない」


「さっきあんなに泣いてたのにか?」


「あれは再びこの迷路のような路地に迷い込んでしまった心細さの涙じゃ。恐れをなしての事ではないわ」


「何を言ってるのか判るのに、何を言ってるのかちっとも解らねえな?」


「まあ兎に角、テュッセを宿屋に連れて行こう? 護衛の人も心配してるかもしれないし」


「いや、十年二十年迷っていたならまだしも、十日程度では心配せんじゃろ? 恐らく宿で酒盛りでもしていると思うぞ?」


「そう言う尺度なのか……」


 もうエルフの尺度というものにも慣れてきて驚かなくなってきたけど。この感覚の違いでよく国交を結べているなあ。この世界の外交は大変だ。


「まあいいや。取り敢えずテュッセの泊まっている宿の名前か特徴を教えてくれるかな? 知っている場所なら案内するし、分からなかったら一旦王城に戻ってから探してもらおう?」


「うむ、ようやく我を案内するのだな。感謝してやろう。我の泊まっておるのは何やら金の柱が入り口にあるでっかい宿じゃな。確か金のなんちゃら亭とかいう宿じゃ」


「金の……あー、あそこか~」


 僕と秀彦の脳裏に浮かぶのは、王都一有名な高級ホテルという噂の場所だった。絢爛豪華な門構えでとても目立つ建物なので、いつも前を通り過ぎる時には凝視してしまうからよく覚えている。何でも王都に来てあのホテルに泊まるのは庶民のささやかな夢なんだとか。一泊するだけで庶民の給料半年分だとかなんとか。王様ではないと言っていたけど、やっぱり長っていうのはVIPなんだろうね。テュッセ凄い。


 まあでも。僕はああいうゴージャスなホテルは落ち着かないからそんなに憧れないかな。実はお城での生活もちょっと疲れるんだよね。部屋が広すぎて怖いのだ。


 とは言え、この世界でのお勤めが終わったらノンビリ異世界旅行するのは楽しそうだな。

 ちょっとした温泉なんかがある小さな民宿でご飯が美味しい庶民的な宿なんかに泊まって、ちょっとだけお酒なんかも飲んじゃったりして。夜になったらお布団を2つ並べて敷いて。隣同士でお話なんかしつつ見つめ合っているうちに、だんだんといい雰囲気になったりして。そして、そして二人はどちらからともなく……はわわわ!


「おい、ナツメよ。突然呆けてどうしたのじゃ?」


「……はっ!? ななな、なんでもないよ!?」


 危ない、妄想が加速してしまった。うまく誤魔化さなければ!!


「なんでも無いのに涎を垂らして虚空を見つめるのは逆に不安になるのじゃが!?」


「えっと、涎はあれだよ。花粉症っていう僕の故郷の病気なんで気にしないでほしいかな。そ、そそそそ、そんなことより。僕はその宿を知ってるから連れて行って上げるよ」


「本当か! うむ、助かる! それでは案内せよ。感謝をしてやるぞ! あとよくわからんがお大事にな!」


「いや、この世界に花粉症はねえし、そもそも花粉症で涎はたれないからな!?」




 うるさいやい。


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