第三章
第一話 予感 そして始まりの日常
110
――――side セシリア
「――報告は以上となります」
「……ご苦労さま。」
――グレコから聖都での顛末、その報告を受け私は目眩を覚える。
「教皇の崩御。更に聖女アグノス=エフィアルティスの背信……いえ、その話が事実であるなら彼女は元々魔族だった……? いえ、魔族に聖女の奇跡は行使できないはず。人類でありながら魔族に与する者がいると。それも教会中枢の聖女ほどの人物が」
「はい、私の目から見ても、聖女アグノスに魔族の特徴は一切見られませんでした。そも、大聖堂には
俄には信じられない事実。まさかあの聖女が……私も何度か会ったことのある人物を想像し、その慈愛に満ちた笑顔を思い出す。今までも人類に裏切り者や間者が紛れ込むことはない話ではなかったが。それは金に目がくらんだ者や権力欲に囚われた貴族等、目的が分かりやすい愚か者たちであった。聖女アグノスはそれらに対する執着とは無縁の人物だったように思われる。
それに……
「教皇の崩御は信仰の拠り所の喪失という側面だけでなく、純粋に戦力としての損失が痛いですね。相手が聖女アグノスでなければ、あの方が遅れを取る事は無かったでしょうに」
「その件なのですが……」
「ん? どうしたの、そんな変な顔をして。報告を言い淀むなんて貴女らしくないわね?」
「教皇猊下は御崩御なさいましたが。天に召されてはおりません」
「……は?」
一瞬何を言ってるのか理解できず、間抜けな声を上げてしまった。しかし、職務に忠実で生真面目なハーフエルフは私をまっすぐに見つめ真剣な表情をしている。もともと彼女が冗談をいうタイプではないことは知っているが、それにしても言っている言葉の意味がわからない。
「一体どう言う事なのかしら? 言っている言葉の意味が分からないわ」
「は、端的に説明いたしますと、教皇猊下は現在聖女ナツメ様の杖に宿っておられまして。その、なんといいますか、ある意味では御息災であられます」
「は、え? ……はぁぁぁぁぁ!?」
なんでそんな珍妙な事に!? ナツメ様一体何をなさったのですか!?
「そ、それで、教皇は、ナツメ様は今どこにいらっしゃるのですか?」
「それが……どうやら早朝に隙を見てお城を抜け出してしまったようでして、我々も先程から全力で捜索をしているのですが、未だ発見できてはおりません。ただ、マウス君殿も教皇猊下も、おそらくはヒデヒコ様も同行されているようですのでナツメ様の身の安全は保証されているものかと思います」
「何故今まで気が付かなかったのですか! コルテーゼは何をしていたのです!? いえ、そもそも脱走常習犯のナツメ様には、見張りの意味も込めてウォルンタースを警護に当たらせていたはず。騎士団長は何をしていたのです?」
「申し訳ございません。騎士団長とコルテーゼ殿はナツメ様の幻術にかかっておりまして。影武者として部屋に残されていたため、逆に発覚が遅れてしまったのでございます」
「いくら何でも三十路も終わりかけのコルテーゼとナツメ様が入れ替わってて気が付かないなんて。一体何をしているのですか貴方達は……」
「それについては申し開きのしようも御座いません。騎士団長が付いていた事で油断した我々の不徳の致すところでございます。それと……」
「それと?」
「ナツメ様の代わりにネグリジェで寝室に居た影武者は騎士団長の方でございます」
「本当に何をしてるんですかナツメ様はッッ!?」
王族としてありえない乱れた怒声は、静まり返った王城に響き渡りました。が、肝心のナツメ様の耳には届く事はありませんでした。
うう、胃に穴があきそうな気分で御座います。あの方は少々自由奔放が過ぎるでのは無いでしょうか。そこも彼女の魅力ではあるのですが、全く困った御方です。
――ところで、教皇とナツメ様の事も気になりますが、いまの報告には聞き捨てならないものもありましたね。
「――ゴホンッ。それはそれとして、グレコ隊長。魔王軍は
「はい、既に機能を失ったはずの聖遺物を持ち去った魔王軍の真意は量りかねますが、死神と大聖女の二名が女神の聖域の奪取を最重要としていたのは間違いございません。あの戦闘狂の死神が、勇者様方への復讐よりも優先していることからもそう推察されます」
「ふむ……」
結界が解かれる以前であれば女神の聖域の奪取を優先するのも理解できますが、破壊した後に持ち去ったと? そも、あの聖遺物は魔族に仇なす神聖な結界を生み出す物。彼らにとって毒にはなり得ても、得があるとは思えません。
「何が目的か判らないけれど……不気味ね」
「単純に修理されるのを恐れたのではないでしょうか?」
「それならばその場で徹底した破壊をすれば良いと思うわ。あの聖遺物はそれほど頑丈なものではないのですから」
「それは、確かに……」
嫌な予感は拭えないものの、今はここで議論をしても答えの出るようなものではなさそうですね。この件に関しては、教皇やウェネーフィカの意見も聞きたいところです。
……だと言うのに! あの方ときたら!!
「すぐにナツメ様を連れ戻しなさい! 騎士団を動員する事も許可します!」
「はっ!? ……騎士団をですか?」
「それ位しないとあの方を捕縛することは難しいでしょう。最近とみに脱出隠密行動に磨きをかけておられますからね。ナツメ様を完璧な淑女に育て上げようと色々手を尽くしたというのに、何故こんなことになってしまったのでしょう」
「それでは、これより私の隊でナツメ様の捜索を開始します」
「頼みましたよグレコ。ウォルンタースもナツメ様捜索に向かわせて構いません。騎士団長には責任を取っていただかなければ。ですが、くれぐれもナツメ様に傷を負わせるような手荒な真似をするのではありませんよ」
「はっ!」
……――――
「へっくち!」
「……なんだ。風邪か?」
「ズビー。違うね、これはきっと誰かが噂してるやつだ」
「それはそうと俺になにか言うことはないか?」
「……はい、スイマセン」
突然のくしゃみを手で抑えることができなかったため、僕の目の前には不満そうな表情で顔を濡らすゴリラが立っていた。
「でもほら、これって考えようによっては女の子と間接キ……」
「……」
「ハイ、スイマセン。すぐにお拭きします」
おもむろに拾った石を無言で握りつぶすゴリラ=サン。はい、僕が調子に乗りました! すぐにキレイキレイして差し上げますとも。不可抗力なんだよ、突然だったから反応できなかったんだ。僕も悪かったと思っているのでそんな人を殺しそうな目で睨まないでほしい。
「まったく。お前、今日の淑女の振る舞いを学ぶ座学はちゃんと受講しておいたほうがよかったんじゃねえのか? 他の国の御偉いさんにこんな事したら国際問題だぞ?」
「そうは言うけどさー。あれって世界を救うのにあまり関係がない割に、覚えることが法術とかより遥かに多いんだよ。先生もやたら厳しいしさ、ダンスで人が救えるかっていうんだ」
「だからってガサツな聖女は御旗にできねえだろ。俺が騎士だったら、そんな野生児に忠誠誓うのは気分的に乗らねえぞ?」
「大丈夫ですわ、秀彦様。私これでもそれなりに成長をしているのですよ?」
「やめろ、その口調は落ち着かん」
「まあ、酷いですわ。私はただ、秀彦様が望まれる私であろうとしただけですのにアイタタタタ……」
「やめい!」
調子に乗って最近習得した聖女モードを披露していたら唇を摘まれてしまった。地味に痛い。
「それで、聖女様は今日はどういった用があって抜け出したりしたんだ?」
「ん? 別に用事はないけど、最近お前と遊べてなかったからちょっと寂しくてな~。偶には二人で遊びに行きたいって思っただけだよ」
「ッッ……!」
なんだ? 突然顔をそむけて。首のストレッチか? 繋いでいる手がなんだか熱いし耳が赤いみたいだけど、お前こそ風邪ひいてるんじゃないのか? まあ、風邪をひいてるなら僕が看病してあげるのも吝かではないのだけども。うん、それも良い。凄く良いな! おかゆをふーふーしたりとか。それはとても良いシチュエーションだ。
――そんな妄想をしつつ歩いていると、僕の視界の隅にあるものが見えた。
「秀彦、気がついてる?」
「ん、なにをだ?」
「後ろ歩いてる二人、追手だ」
「追手ってお前……しかし、よく分かるな。私服の騎士とか、普通の町人と見分けつかねえぞ?」
「ニ度ほど捕まったことがある顔だ。忘れるもんか」
「お前、普段からなにやってんだ?」
どうやら秀彦は彼らの顔をあまり知らないらしい。秀彦はこう見えて意外と真面目なやつだから、訓練を抜け出したりはしてないんだろうな。追手に対しての警戒心が薄い。そんなことではすぐに捕まってしまうぞ。脱走とは常に緊張の糸を切らしてはならないものなのだ。
ふふふ。ここは経験豊富な僕が、秀彦をエスコートしてあげるとしようか。
「良いか秀彦、振り向かずに聞け。左前方の建物の間にギリギリ入れる隙間があるだろう? あそこの前を通過する時、予備動作無しで飛び込む。そしたら五秒間目を閉じて」
「おいおい、お前何をいって……」
「シッ、感づかれるから黙って。いくよ……一、ニの三! 今っ!」
――秀彦の手を引っ張り路地へと飛び込む。飛び込むまでは全くの自然体で動くのが基本なんだけど、今は慣れない秀彦がいるので感づかれたかもしれない。僕は手にしたアメちゃんに法力を込めつつ、感づかれて裏をかかれた場合のシミュレートも脳内で開始する。
「良い顔してるところ申し訳ないが、お前一体なにをやって……」
「素人は黙ってて!! そこだ!
どうやら今回は素直に僕らを追ってきてくれたらしい。追手は二名、詠唱省略の浄化法術を彼らに向けて放つ。霊体を浄化するこの法術は本来、生者にはなんの効力も持たないが、暗い路地裏からの一瞬の閃光は彼らの目を眩ませるには十分な光量を持つ。
更に、この閃光は彼らの視界を奪うだけが目的ではない。想定外の事態にパニックに陥った人間は、一瞬ではあるが術に対する精神的防御を著しく低下させてしまうのだ。
隣で目つぶっていなかった秀彦も閃光にやられているけど、今はそんなことを気にしている場合ではない!
「汝が肩を並べしは、果たして真に友なりや?
嘗てグレコ隊が山賊相手に使っていた狂乱の魔法。本来であれば王宮騎士に通じるような魔法ではないけれど、不意をついた今、完全詠唱ならば高確率で刺さるはず。
果たして術は成功し、敵と味方の区別が付かなくなった追手の二人は手近な仲間を捕縛しようと試みる。本来ならここで隠者の仮面の隠密を発動するところだけど、今日は秀彦がいるのでそう言うわけには行かない。狂乱は強力な魔法ではあるけど、騎士のお二人であれば術から解けるのは一瞬のはず。ならば……
「汝が旅路の終焉、刻まれしその疲労は鉛の如く
「おいおいおい、棗!?」
鈍足の法術で動きを奪い、即座に路地裏を脱出する。もちろん秀彦を引っ張るための無詠唱
「手慣れすぎだろお前!?」
「そ、そんなに褒めるなよぅ。照れるぜ……」
「褒めてねえからな!?」
後ろから僕らを追いかける声も聞こえてくるけど、既に僕らは次の小道へ逃げ込んでいる。そう簡単にデートの邪魔はさせないのだ。
「おいおい。これ、後で俺も怒られるんじゃねえだろうな?」
「我ら生まれたときは違えど怒られるときは共に!!」
「ふざけんな!」
ギャーギャー言い合いながらも一緒に逃げてくれる秀彦。
ああ、楽しい。今日は良いことがありそうな気がする。
そんなことをその時は思っていたのだけどね……
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます