第六十話 紫石の宿り木と教皇
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――Side 秀彦
――大聖堂の結界が消えた。あのバカに何かがあったのかもしれない。そう思うと、俺の中で何か形容できない胸が締め付けられるような気持ちが膨らんでくる。こっちの世界に来てからあいつには色々調子を狂わされてはいるが、それでも棗が居なくなるなんて事は考えたくもない。これは多分そう云う気持ちなんだろう。
姉貴も俺も、今すぐ棗の所に駆けつけたいと思ってはいるんだが。教皇様に連れられて棗がどこに行ったのかがそもそも判らないし、この場を離れる事も出来そうにない。
「うざってぇ! 姉貴、そっちはどうだ!?」
「うーん、信じられない話だけど、斧を叩き込んでいるのに堪えている様子は見えないね。信じられるかい? ”斧”を叩き込んだのにだぞ?」
一見巫山戯ているような気もするが、姉貴も俺も大マジだ。
そういう意味でも
とはいえ、この場にいる一般の教会聖騎士の人達はこの肉塊と戦えるほど強くねえしなあ。俺と姉貴とどちらかが抜けたら間違いなくこの前線は崩壊するのが判る。グレコ隊長は戦えているけどリーデルさんはちょっときつそうにしてるしな。
「姉貴! いつみたいに出鱈目な方法でなんとかならねえのか? その斧からビームとか出せよ!」
「ふふ、我が弟ながら酷い要求をするもんだね。
姉貴が気合を入れると、その赤い瞳から炎が揺らめくような光を発する。するとそれに反応して姉貴の斧からバチバチと火花が散り、刃の部分から炎が吹き出した。――なんだこれ、かっけぇな!!
「おぉ!? 何か、凄げえな? 魔法剣ってやつか?」
「ふふ、これぞ魔法斧。これから私は勇者だけでなく魔法斧士も名乗れるというわけだよ」
「”まほうおのし”って言われても何の職業かわからんな」
しかし、一見バカな事を言ってるが、姉貴の表情にいつもの余裕はない。結界が消えた事で、姉貴も焦ってる。軽い口調とは裏腹に、いつもと違って動きに遊びがないのがその証拠だ。姉貴はその炎を纏った斧を両手で構え肉塊の群れに突貫し、まるで竜巻のように荒々しく両手斧を振るう。いつも使っている片手斧二刀流と違い、巨大な戦斧に炎をまとって振るう姿はいつも以上に激しい。
「これで効かねえならマジでどうしようもねえな……」
そう言いながら俺も足元まで接近してきた肉塊に杭を打つ。肉を貫き地面を穿つも、肉塊はそれを気にした素振りすら見せずに俺の腕を取り込みにかかる。こいつら進む速度は緩慢なくせに、接近された後の動きは異様に素早い。この緩急差が非常に厄介だ。だが……
「舐めるな!
俺のスキルは盾から衝撃を発することが出来るので、ゼロ距離からでも吹き飛ばしが出来る。この盾撃がなかったら片腕ぐらい失っていたかもしれねえ。
俺は肉塊が吹き飛んだのを確認してから姉貴の方を見た。姉貴は肉塊が最も密集した辺りに飛び込んでいったが、流石というかなんと言うか。その戦いぶりは我が姉ながら異次元すぎると思う。
巨大な戦斧で肉塊共の攻撃を上手くいなしながら炎斧斧を叩きつけ、その動きの流れで次の肉塊の攻撃を回避する。重い斧に振り回される力も利用して一つの行動に繋げるあの動きは一体どうやって身につけたのか。普通の女子高生だったよなあれ?
「どうだ姉貴、効果あるか?」
「うーん、無くはない。無くはないけれど、劇的に効果があるとは言えないね」
どうやら炎で斬りつけた部分は再生が始まらず、たしかにダメージにはなるのだが、他の肉塊がその焼けた部分を取り込むことで再び再生してしまうらしい。火傷は治らないから切り取ってしまえば良いってか? 合理的と言うか滅茶苦茶な体してやがる。
「うーん、いっぺんに焼けるわけではないからな。やっぱりこいつを殺すには教皇様の力がいるんじゃねえか?」
「確かに、もっと広範囲を焼くことができない以上、教皇猊下に頼るしかなさそうだねえ。とはいえ、向こうも何かあったようだし、こちらの手を減らすわけにはいかないし。どうしたものかね……」
「――あら、教皇猊下に御用なの? それでしたらこちらにいましてよ?」
「――は?」
声の方を見ればそこにはぐったりとした教皇様を抱えたアグノスさんが立っていた。
――――……
――暫く何も考えられず暫く呆然としていた。膝をついて震える。さっき見た光景が信じられなくてただただ涙を流していた。そんな事している場合ではないのが判っているのに。
「チュゥゥ……」
僕の意識を戻してくれたのは、床についた手に触れる暖かくてふわふわした感触だった。
「――マウス君」
「チュウッ!」
心配そうに僕を見つめる小さい友達。心配そうに僕を見つめるつぶらな瞳を見ていたら、徐々に頭がスッキリしてきた。そうだ、今は悲しいからってうずくまってる場合じゃない。大聖女とトートが去ったと言ってもまだ外には危険が迫っているんだ。
「ありがとうマウス君。おかげでやらなきゃいけないこと思い出したよ」
「チッチュウ!!」
頼もしい相棒は僕の指にハイタッチをすると、腕をスルスル登っていつもの定位置である僕の懐に潜り込んだ。君、なんか行動が人間じみてきたね……
――ちゃん。
……ん?
――ちゃん。
――ナ……メちゃんや。
なんだろう、何か小さな音が聞こえる。外れたイヤホンから漏れるラジオの音みたいな……?
――ナツメちゃん。ナツメちゃんや……
ん? よく聞くと僕の名前を呼んでいる? か細くて聞き取りにくいけど、今のは確かにそう聞こえた。
――どこから聞こえるんだろう? 僕は耳を澄ませて音の出所を探した。
すると、聖遺物が置いてあった台座、その下辺りから聞こえてくるような気がした。少し怖いけどそこを確かめてみると、台座の下に薄く光る何かが落ちていた。
「……ペンダント? これ、大聖堂とかによく描いてある、女神マディスのシンボルだ」
地球のキリスト教で言うところのロザリオみたいなものだろうか。金色に輝くそれは、金属的な輝きとは別に、明らかにそれ自体が光を放っていた。音はこれから聞こえていたんだろうか? 暫く眺めていると、ロザリオは少し輝きを増しながら、再び声を発した。
「――ナツメちゃんやーい。おーい!」
この距離ならはっきり聞こえる。この声は……
「……お爺ちゃん?」
「お、やっと気がついてもらえたようじゃの!」
そのロザリオから聞こえる声は、間違いなく、先程目の前で殺されてしまった教皇、ツァールトお爺ちゃんの声だった。驚いて固まっていると、ロザリオは更に声を発する。
「ナツメちゃん、ナツメちゃーん? おーい! 儂じゃよ。むぅ、返事がない。ひょっとしていなくなってしもうたかの? そ、それはちと困るんじゃが!?」
「――ここにいるよ。お爺ちゃんなの?」
「ふぉ、そうじゃよ、儂じゃ。ナツメちゃんのお爺ちゃんじゃよ。良かった、不気味がられて捨て置かれたかと心配したぞい!」
何だかさっきまで悲しんでいたのが馬鹿らしくなるくらい元気な声だ。これってどういう事なんだろう?
「なんでそんな所から声がするの? ひょっとしてお爺ちゃん生きてるの?」
「あーいやいや、残念ながら生命活動的な意味で言うなら、儂は殺されてしまったのう」
こんな軽い死亡報告があるだろうかね。お爺ちゃん(?)は呵呵と笑いながら自分は死んだのだと言う。人の死ってこんなに軽いもんだったっけ?
「それで、死んじゃった筈のお爺ちゃんがなんで喋れるの? オバケなの?」
「ふぉ、仮にも教皇である儂をオバケ扱いとは。ナツメちゃんは面白いことを考えるの。うむ、だいたいその認識で間違い無いわい!」
「間違いないんだ!?」
「一応説明をするとのう、あの孫の片隅にも置けぬ不届き者のアグノスめが儂の胸を貫いた際に、何らかの術を使って儂の魂を体に縫い止めようとしてきたのじゃ」
心臓を破られ、意識が薄れたお祖父ちゃん。その時感じたのは、昇天し、神の元へ旅立とうとする魂を、無理やり体に縫い止める歪な呪いの力だったらしい。
「このままでは絶対禄な事にならんと感じた儂は、囚われてしまった魂を一部だけ引き千切って、残りの大部分をこのロザリオに封じ込め。その後、首から外れて地面に落ちたのじゃ」
「落ちたのじゃって、よく咄嗟にそんな芸当を……ていうか、魂って引き千切って平気なものなの?」
「ふぉふぉ、鉤爪で掴まれて無理やり股から二つに裂かれる程度の苦痛じゃったぞ! 二度とやりたくないわい!」
「思ったよりだいぶ痛そうだね!?」
お爺ちゃんが言う事には、魂を捉える呪力はアグノス本人が使ったにしてはあまりにも強大な力だったらしい。恐らく魔王由来の道具を使ったのではないかとの事だった。何が起こるかはよく判らなかったけど、どう考えても嫌な予感しかしなかったので多少の無茶をしたとの事。無茶がすぎる気もするけどね。
魂の一部を残した事で、アグノスには感づかれる事はなかったらしい。何とか体から脱出してみせたお祖父ちゃんは、音だけを頼りに現状を把握。アグノスとトートが立ち去ったのを察して声を出したのだという。
「まあ、そんなわけでの。今の儂はかなりのピンチというわけじゃな! カカカッ!」
「とんでもなく元気いっぱいに見えるけどピンチなんだ……?」
「うむ! このままでは数刻も経たぬうちに儂の魂は昇天する事も叶わずこの首飾りに縛り付けられるじゃろうな。その後はあり余る法力により、過去類を見ない大悪霊となる事じゃろうて!」
「とんでもなく迷惑な存在だね!?」
いけない、お爺ちゃん(?)と話してるとツッコミが止まらない。こんな事してる場合じゃないのに。
「そこでの、儂の魂をナツメちゃんの杖に移らせて欲しいのじゃ」
「――え、アメちゃんに魂を?」
「左様、ナツメちゃんの持つその杖
「そんなに凄い杖なんだ? 確かにお世話になってはいるけど。お婆ちゃんはそんな事一言も言ってなかったよ」
「凄いなんてものじゃないぞい。その杖の素材はこの世界の中心にあると言われる世界樹ユグドラシルの枝でできておるのじゃ。世界広しと言えど、これほどの杖は二つと存在せぬよ」
世界樹の杖!? よくわからないけど響きだけでただ事ではない気がする。ウェニーお婆ちゃん、僕がこの杖選んだとき「ナツメちゃんならそれを選ぶと思ったわい」としか言わなかったから、そこそこ良い杖だとしか思ってなかったよ。
「故に、その杖は世界の中心より神に通じる門にもなっておる。本来、路を見失い現世に留まる羽目になった儂でも、その杖に宿れば神の元に到れるという訳じゃ。儂ほどの霊となると
「つまりこの杖に宿ればお爺ちゃんが成仏できるんだね? うん、ちょっと寂しいけど了解したよ」
「ふぉふぉ、ナツメちゃんは優しいがせっかちさんじゃのう。何もすぐに成仏はせんわい。その杖に宿る事で、儂の力を貸せるのじゃよ。じゃから、すぐには成仏せずに暫くはその杖の中におるわい」
どうやら世界樹の中に留まるなら、長期間現世に居ても悪霊化はしないらしい。神様の力が近いからなのかな。それに力を貸してもらえるということは。
「――お爺ちゃんの力を借りるってことは、お爺ちゃんの法術を僕が使えるようになるって事?」
「うむ、概ねその認識でよいぞ。むろん生前ほどの力ではないし、全てを使える訳ではないがのう。それでも聖女のナツメちゃんと教皇の儂の力が両方使えるなら出来る事もかなり増えると思うぞい。
なんかサラリと言ってるけど、それってとんでもない事なんじゃ?
「さあ、ナツメちゃん。杖をこちらに向けて念じておくれ。”来たれ”と」
「ん。来たれお爺ちゃん!」
「ふおぉぉぉ、キタキタキタ!」
一瞬まばゆい光辺りを照らし、その後室内に静寂が訪れた。もうロザリオからは何の力も感じないので、お爺ちゃんは杖の中へと移ったのだろう。アメちゃんはまるでお爺ちゃんの笑顔のように、優しく静かに紫の光を湛えている。
「――ありがとう、お爺ちゃん。大切に使わせてもらうよ」
もう話す事はできないかも知れないけど、杖からお爺ちゃんの法力を感じる。――もう、何も怖くない。見ててねお爺ちゃん。この力で、皆を守ってみせます。
「よし、行くぞ! 皆を守って見せるよ!」
「うむ、儂に任せるのじゃ! 儂がおれば百人力ぞ!!」
「――杖の中でも喋れるんだ!?」
なんだか妙な相棒(?)が一人増えてしまった気がする……
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