第五十三話 女神の聖域
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部屋を出た後、教皇猊下に連れられて大聖堂の奥へ奥へとただ進む。普段ならハイテンションなアグノスさんも、今日は緊張した面持ちで静かについて行っている。真剣な横顔はどこか青ざめており、いつもとは別人みたいだ。
「あの、アグノスさん。大丈夫ですか? 顔色が悪いですよ」
「あ、えぇ、ごめんなさい。ガラにもなく、いよいよこの時がきたと思ったら緊張しちゃって」
意外だな、いつもニコニコと元気なアグノスさんでもこんなに緊張することってあるんだ。これから魔物を食い止める為に前線に立つリーデルさんやグレコさん達より切羽詰まった表情をしている。それだけこれから見せられる聖遺物は貴重なものなんだろうな。
「ふぉふぉ、アグノスや、随分としおらしいのう。ひょっとしてこの短時間でお孫力をあげたかの?」
「またそれですか、こんな時ぐらい威厳をもって教皇らしくしてくださいませ!」
「ふぉ、やはりお前のお孫力はナツメちゃんには及ばぬのう」
「……もう。ふふ」
そんなやり取りをしているけど、アグノスさんは顔は笑ってはいるものの、その笑顔にはどこか陰りが見える。まあこんな状況なら仕方ないのかもしれない。いざとなったら僕が二人を守ってあげなきゃ。僕は決意を新たにアメちゃんを握りしめる。
「さて、ここじゃ……」
「ここ?」
大聖堂の奥。一見なにもない廊下の隅。そんな場所で足を止めると、教皇猊下は廊下を照らす照明に手をかけ、そのまま右に捻った。すると石臼を引くような音を立てつつ床が開き、そこから地下へ向かう階段が現れた。
「こんな原始的な仕掛けで隠されていたなんて……」
「ふぉ、一見そう見えるかもしれんが、この隠し通路の仕掛けはなかなかのものなんじゃよ?」
「そうなの?」
「うむ、この仕掛け。握った瞬間に人間の意識に干渉する法術がかけられておってな。確信を持ってひねらねば、体が勝手にひねる事をやめてしまうという術が施されておる。故に、賊が侵入したとて、内部事情が知られておらねば、このスイッチをひねることは出来ないのじゃ。これで中々に高度な術が施されておるのじゃよ。単純な命令ゆえ強制力も強いしのう」
「妙に周りくどい仕掛けですのね? それならはじめから隠蔽するなり、もっと複雑な仕組みにするなり色々やり方があったのでは?」
「はるか昔に下賜された聖遺物じゃからのう。元々あった隠し通路に後から術を付け足したせいらしいの。これの他にも色々な仕掛けが追加されておるのじゃよ。まあ先人も色々迷い悩みながら何とかこの聖遺物を守り通そうとしたのじゃろうな。その甲斐あって未だ聖遺物は健在というわけじゃ」
「なるほどー、建物と聖遺物の歴史が古すぎて面倒くさい事になってるんだね……」
その後に出てきた仕掛けの数々も、なんというか色々工夫の跡が見られて妙なところに歴史を感じるなあ。
――そこから更にいくつかの仕掛けを越え最後に通された場所は、地下に作られた別の神殿のような場所だった。大聖堂と違って華美な感じではないけれど、石でつくられたその部屋は独特の荘厳さを感じさせた。
「さて、ここじゃ。かつてマディス教が世界にもたらされた時。最初に建てられた教会の跡地じゃ。どれ、離れてなさい」
そういいながら一歩前に出た教皇猊下が法力を込めると、扉に魔法陣のようなものが浮き上がって重そうな扉が開いていく。開かれた奥の部屋、外観より少し狭く感じるその空間には装飾などは何もなく、中央に台座が一つだけぽつんと佇んでいた。しかし、その台座に置かれた金属製の天秤のような物。薄い光を放つそれは、一度目に入ればもはや視線を逸らす事も出来ないほどの存在感を放っていた。
「これが……
「そうじゃ。これこそが遥か昔よりここ大聖堂地下で安置された聖遺物、
「……これが女神の聖域……遂に」
「ん?」
横でアグノスさんが何か言った様だけど小声でちょっと聞き取れなかった。顔色はさっきより良くなったみたいだね。というか、初めて見る聖遺物に感動しているらしく、その顔には笑みが浮かんでいた。
元気になったようで何よりだね。で、肝心の聖遺物がどんなものかと言うと、思っていたより小さいし装飾とかも地味なんだけどものすごい圧を感じる。まさに神様の力って感じだ……よくわからないのだけど。
「――さて、あまり時間もないので早速使い方を説明するぞい。ナツメちゃん、アグノス、着いてきなさい」
「はい!」
「……はい」
いよいよ聖遺物に触れるのか、なんだかドキドキしちゃうな。
……―――― Side リーデル
――悍ましい、それはまさにそんな言葉がピタリと似合う光景だった。
のたりのたりと遅く、一見して何の脅威もないように見える異形。しかしそれは確実にこちらへと真っ直ぐ歩を進めていた。間違いない、かの森で見た肉塊だ。しかし、あの時とは様子が違い、歪なりに人のような形を取っているようにも見える。ひょっとして時間が経つにつれてこの異形は危険度を増していくのではなかろうか? あの時、無理をしてでも森で食い止めるのが正解だったのではないか?
「……どうしたのかね? 緊張しているのかい?」
「いや、いつもどおりだ。問題など無い」
「つれないね、一緒に戦った仲じゃあないか? ほれ、お姉さんに相談したまえ。事と次第によっては解決することもあるかもしれないよ?」
「お心遣いはありがたいが勇者アオイ。今は無駄口を叩いている時ではないと思うが?」
「ふぅ、君はお堅いねえ。年齢も私達とそう変わらないだろうに、四角四面な生き方をしていては眉間にシワが寄ってしまうぞ?」
「余計なお世話というものだ勇者アオイ。俺は与えられた任務を確実に遂行する。たとえどんな体調だろうが、どんな精神状態だろうが関係ない。俺の剣は教皇猊下の剣。聖都の脅威を消し去ることのみに振るわれる。犯罪者だろうが、謎の魔物だろうが関係ない。いつも通り排除するのみ」
「ふむ、これは重症だねぇ」
私の横でニヤニヤと薄ら笑いを浮かべる美女。妙に人の神経を逆なでするのが上手い。最初の頃こそ勇者然とした猫を被っていたが、どうやら彼女の本性はこちらで在るらしい。しかし、緊張感もなく悪ふざけをする人物にも見えるが、それでいてなんとも近寄り難い迫力のようなものを持っている。不思議な女性だ。しかし見た目と中身の乖離が酷いように思える。
そう言えば、かの聖女も黙っていれば女神のように可憐で美しい容姿だったな。初めて仮面の下の素顔を見たときは驚いたものだ。初対面で逮捕という出会いでなければもう少し外見に騙されていたかもしれない。
どうも女神の使徒は容姿と実力はまさに神の遣いと呼ぶにふさわしいが、人格に関しては随分と特殊な人間が多いようだ。悪人ではないのだろうが、正直あまりお近づきにはなりたくないと思う。
そういう意味ではこの勇者アオイの弟君、聖騎士ヒデヒコは解りやすい。見たままの強者だ。隣に並び立つだけで圧を感じるほどだ。見た目もまるで巌のような体躯に、なんと言えば良いのか、人間離れした面相をしている。が、勇者一行の中では比較的人格もまとものように見える。言葉遣いは山出しなきらいがあるが、その分実直な印象を受ける。
「さて。そろそろ肉塊どもの音まで聞こえる距離になってきたが、結界ってのはまだなんスか?」
「いや、通常の結界は常に展開しているのでとりあえずは問題ない。今、猊下が行おうとしているのは、既に発動している結界の強化のようなものだ。今ある結界はただの壁のようなものだが、発動すれば魔の者を弾くのではなく滅するようになる。その力は上級魔法より更に高い」
「ふむ、そんなに強力なら常に展開しておいたほうが安全なんじゃないかね?」
「いや、強力な力にはそれ相応の代償が必要になる。具体的に言えば、普段展開している結界はマディス教徒の祈りによって法力を集めて発動しているが、非常時のこれは結界内にいる人間から強制的に法力を吸い出して発動することになる」
「おいおい、随分物騒だな? 大丈夫なのか?」
「問題ない。吸われると言っても法力を枯渇するまで吸い上げるような物騒なものではないし、それなりには吸われるが、一日発動した程度では倒れるようなものも居ない」
「なるほどねえ。強いからっていつも使えるわけでは無いんだな……と、来やがったぞ」
聖騎士ヒデヒコが慌てたように盾を構える。しかし、その必要はない。
「お、おぉっ!?」
眼前に迫った肉塊は勢いよく我々の方へ飛びかかろうとしたが、見えない壁に阻まれ動きを止めた。
「すげえなこれが聖遺物ってやつの力か、見えない壁にへばりついてやがる……キモイな!」
「確かに、驚いたね。これは内側からは攻撃できるのかい?」
「いや、攻撃をするなら外に出なくてはならない。恒常的にはられている結界はそれほど強力なものではないので、できれば肉塊を刺激しないでいただきたい。突破されるとも思わないが、何が起きるか判らないからな」
あの肉塊を相手にしたとしても、勇者アオイの常軌を逸した戦闘力であれば或いはとも思うが、ここは確実な安全策をとらせてもらう。彼女もそれはわかっているらしく、障壁にへばりつく肉塊をまじまじと観察するに留めてくれている。
「それにしても、これは確かに醜悪だね。なんというか生命に対する冒涜のようなものを感じるよ。こういった生物はこちらの世界でも珍しいものなのかい?」
「少なくとも俺は見たことはないな。強いて近いものを言うのであれば、肉で出来たゴーレムのようにも見えるが、漂う禍々しさはアンデッドのようにも感じるな。つまりは全くよくわからん」
実際このようなものは見たことがないので俺にも上手く答えることは出来ない。教皇猊下かアグノス様がいれば、これが何なのか解るかもしれないが、俺は所詮ただの聖騎士。それほど魔物や魔術に造詣が深いわけではないのだ。
「どうにも敵を前にただ指を咥えているっていうのは暇なもんだな。なんかやれることはないッスかね?」
「……ない。その元気はいざという時に取っておくといい。ほら、始まるぞ、少し下がっておけ」
「お、おう!」
大聖堂から感じる気配。これはかつて一度だけ見たことのある、聖遺物発動の気配。辺りに緊張が走る。
直後、稲妻のような光がほとばしり、凄まじい轟音を鳴り響かせながら障壁にへばりついていた肉塊が焼け焦げていく。
「す、凄えな」
「こ、これは流石に驚いたね」
流石の二方もこれには驚いたらしい。別に私の力という訳ではないが、この二方の反応は素直に嬉しいものがある。森では彼我の力量差を見せつけられ、少なからず羨望と嫉妬の念があったのかもしれない。俺もまだまだ修行が足りないな。
「どうやらこの肉塊に対しても効果が在るようだな。正直ホッとしている。森で戦ったときは有効な攻撃というものが出来なかったからな」
周りで成り行きを見守っていた騎士たちにも弛緩した空気が流れるのを感じた。本来なら褒められたものではないが、この場合仕方あるまい。森での恐怖は鍛え抜かれた騎士と言えど耐え難いものがあったろうからな。結界の放つ光に照らされた騎士の一人と目があった時、なんとも気の抜けた笑みを返された。俺も思わず笑みを返してしまう。これでやっと終わったんだ。
……次の瞬間、視界が暗転した。何者かの攻撃?
……否、これは光源がなくなっただけだ、しかし一体なぜ……?
そも、先程まで我々を照らしていた光は……。
「リーデル団長!!」
誰かが叫ぶ声に振り向けばそこには信じられない光景が広がっていた。
「な……ぜだ……?」
なぜ、肉塊が大聖堂の敷地内にいる?
結界が。
消えていた……
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