第五十二話 血煙姉弟
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――負傷者を全員治療した後、僕らはリーデル団長たちと共に教皇猊下のもとへ向かった。すでに報告を受けていた猊下は緊急事態を宣言。即座に民衆へ大聖堂への避難を命じた。しかし、避難誘導をしている時、予想外の事件が起きた。最初に気がついたのは街の入口を守護していた騎士だった。
「……なんだあれは?」
はじめ、距離のために見えなかったそれは、徐々に近づくことで守衛の騎士を戦慄させた。報告によれば、それは大量の森に住む魔物たちだった。恐らく例の肉塊に追われて逃げてきたんだろう。件の肉塊でない事に、僕らは少し安堵した。
でも逃げてきた魔物が普通の魔物だからと言って、それらが雪崩れ込めば未だ避難が終わっていない聖都はただでは済まない。僕たちは即座に現場に向かうことにした。
「おい棗、お前さっきので疲れてるだろ? 乗れ!」
「あ、う、うん!」
さっきと同じように秀彦に抱えられて現場に向かう。こんな時に不謹慎だけど、僕を抱き上げるたくましい腕に少しドキドキしてしまった。
しばらく抱えられていると景色が流れ、あっという間に現地に着いた。そこには既に数匹の魔物が到達していて、教会聖騎士団のみなさんの他にも見慣れた緑色の髪の騎士の奮闘する姿があった。彼女の持つ細身の剣では魔物に対しては効果が薄そうだと思うのだけど、的確に急所を突く事で次々と魔物の屍を積み重ねる姿はまるで舞うようで、凄惨な光景だと言うのにとても綺麗だと思った。
「グレコ隊長!」
「おや、ナツメ様、アオイ様! それにヒデヒコ様まで、お早いお着きですね」
笑顔で振り向きつつ、コボルトの頚椎に細剣を突き刺すグレコ隊長。うん、前言撤回やっぱり普通にグロイね!
「グレコ隊長、戦況は?」
「はい、魔物は正面から真っ直ぐ聖徒に向かっているようです。数は多いですが聖都には防護壁がありますので、基本的に門を守れば問題がないはずです」
「ところで魔物の群れの中に、何か変な肉塊のようなものは見てないかい?」
「肉塊……? はい、そのようなものは見ておりませんね」
先輩の短い問に、グレコ隊長は即座に答えている。
凄いな、説明無しで肉塊なんていきなり言われても聞き返したりしないのか。僕だったら、なんだそりゃ? ってなって無駄な問答が始まっちゃうところだったよ。さすが優秀な騎士様は行動に無駄がない。
質問に答えながらまた一匹コボルトが喉笛を切られて絶命する。あまりに自然にこなすものだから、なんだかここが危険な状況だということを忘れそうになるよ。
「どうやら、本命はまだ着いてねえ見てぇだな! よし、とりあえずコイツラ片っ端からやっちまおう」
「あ、待って。今のヒデの動きがどういうものかを見ておきたいから、僕と一緒に戦ってもらっていい?」
「おう、了解だ! それじゃあ久しぶりにお前とヤルか!」
「言い方ッ!!」
相変わらず
「棗きゅぅん? お姉ちゃんはどうすればいいかにゃぁ? おねえちゃんも棗きゅんとぉ、いろんな事・シ・た・い・にゃあ?」
「あ、先輩は適当にやっててください。秀彦のクセとか動きとかをしっかり見たいんで、絶対に視界に入らないでくださいね?」
「酷すぎないかなっ?!」
秀彦とは違って、戦闘を前にしても先輩の顔は緩みっぱなしで変化がない。この人は放っておいても手傷を負うところすら見たこと無いから大丈夫だろう。それに森の中で先輩の動きは割と見ていたしね。だから早く視界から消えてくれないかなぁ?
「むむ、そんなに見つめて、何を考えているのかにゃあ?」
「早く視界から消えてくれないかな? って……」
「ふぐぅっ!!」
あ、泣きながら魔物の群れに突っ込んでいった。相変わらず凄い動きだなあ。ふざけているようでもあの人の戦闘力は一級品だ。本当に小型の台風みたいな動きをする。ジャラジャラと持ち歩いてる斧を使い分けながらどんどん群れの数を減らしていく。あれどうやってるんだろう、目の前でやってるのによくわからない。
「ナツメ様……アオイ様には容赦がないのですね。少々厳しすぎるのではないですか?」
「あの人はあのくらい言っておかないと、魔物そっちのけでセクハラに精を出しますからね。少し泣かせて冷たく突き放して、無視をするくらいで丁度いいんですよ……」
「なんか王都にいた頃より姉貴の扱い酷くねえか? 気持ちはまあ判るけど後でフォローしておけよ?」
「秀彦はこっちに来てからのあの人を知らないからそんな事を言えるんだよ。彼奴の存在しない、ぬくぬくの温室で修行してきた貴様に、我ノ何ガ解ル」
「一体なにしてたんだ姉貴は……」
いけないいけない、危うくダークなサイドに堕ちてしまいそうになった。
――とりあえず気を取り直して僕等も準備をしよう。まずは森での戦いと同じく、周りの人みんなに
「お、何か法術かけたのか? なんか体が軽くなった気がするぜ」
「うん、疲労を回復する法術だよ。これがあれば疲れること無く戦うことができるんだ。で、暫くは他の強化系の法術はなしで行こう。素の秀彦の動きを見せてもらいたいからね。騎士の皆さんには強化法術をかけますので一旦集まってください」
集まった皆さんに法術をかけていると、その間に秀彦は盾を構え、剣も抜かずに魔物たちの前に立ちはだかった。
ん? なんで剣を抜かないんだ?
そんな事を考えていたら、秀彦の眼前に巨大なイノシシのような魔物が突撃してきた。剣も抜いていない状態での遭遇。普通なら危険極まりない状況だけど、秀彦の目を見た瞬間にそれが杞憂だと気がついた。あれはなにか自信があるって顔だ。
「それじゃあいきますか」
凄まじい勢いで突っ込んでくるイノシシ(?)に対し、躱すでも盾を構えるでもなくゆらりと一歩前に出る秀彦。当然魔物との距離は縮み、その体が触れるかと思った刹那。突然魔物の体が宙を舞い、地面に叩きつけられた。
「食いしばれ
秀彦の声に呼応し伸びる杭。まるで破壊処理工事で使われる巨大な重機のような音を響かせ、盾から突き出された杭がイノシシの腹に巨大な穴を穿つ。断末魔の叫びもなく、なにか水っぽいものが潰れるような音を口から吐き出し巨大イノシシの魔物は絶命した……お前のやりかたグロイな!!
次々と襲いかかる魔物を同じように処理していく秀彦。どうにもあいつに触れた瞬間、魔物は前触れもなく宙を舞っていくようだ。何をしてるんだろう?
「不思議そうな顔してんな。そんなに複雑な事してるわけじゃねえよ。これは向かってきた相手に
秀彦の説明によると、相手の動きをよく見て、体に触れる瞬間に下から盾撃で力のベクトルを反らせてるらしい。うん、なるほど。ナニを言っているのかよくわからない。
どうやらしばらく会わない内に、秀彦は色々な戦い方を身につけていたみたいだ。もう今の秀彦から一本を取ることは僕には出来ないかもしれない。ちょっと悔しいけど、この短期間にこれほどのことができるようになるには並々ならない努力をしたんだろう。流石だな。
その後も秀彦は襲いくる魔物を跳ね飛ばすだけではなく、時に躱し、時にうけとめ、次々と危なげなく盾のみで屠っていく。かっこいいのだけど、音と魔物の死に様がひどすぎる……
それから数分間、何があってもすぐ動けるように集中しているのだけど、秀彦がピンチになることがまったくない。凄いんだけど……凄いんだけど……
……これでは僕の出番がない!
「なあ秀彦、僕がやること無いからお前ちょっと魔物に殴られてみない?」
「ふざけんな!」
うーむ、ケチな奴である。これでは本当にやる事がなくて困ってしまう。いっそ僕も前衛をやってしまおうか。
しかし、ケチな奴ではあるけど、秀彦の強さは本当に凄い。次々襲いかかる魔物がおもちゃのように飛ばされて、ゴア映画さながらの凄惨な最期を迎えていく。聖騎士としてその戦い方はどうなんだ? とりあえず秀彦には剣を抜いてかっこよく戦うつもりはないらしい。
遠くでは先輩が血煙をまといながら相変わらずのペースで魔物を狩っているのも見える。この姉弟が日本で生まれ育ったなんて信じられないね……それとも僕の感覚が可怪しいのかな?
やがて、それほどの時間もかからず、コボルトの群れはその殆どが動かなくなっていた。
「――あらかた片付いたかな?」
結局僕は何もせずに秀彦を見ていただけで、あれだけいたモンスターの群れは血の海に沈んでいった。
……文字通り血の海だよ。何なのこの光景! 地獄絵図だよ、阿鼻叫喚だよ、斧も杭も生き物殺すために使っちゃだめだよ。全然正義の味方には見えないよ。秀彦は兎も角、先輩に至っては全身が血まみれだ。怖いわ!
――とはいえ、これで街の皆さんが避難する時間は稼げたはず。そろそろ僕らも大聖堂に戻るべきかな? そんなことを考えていたら、秀彦が険しい顔で遠くを睨みつけた。
「ん? どうやら次が来たみたいだぜ。遠くてよく見えねえが、いま倒した魔物とは別物だな、グネグネ動いてやがる」
「ぅへぇ、私は少し疲れたのに秀彦は元気いっぱいだねえ……聖騎士と勇者ってこんなに体力に差があるのかい?」
「あ、それは先輩にだけ法術かけ忘れたからだよ?」
「えぇ、酷いっ!?」
泣きそうな先輩に
「……さて、どうする?」
「どうするも何も、僕らも大聖堂に避難するべきだよね?」
「まぁ、そうなんだがな。一回ぶつかってみるのも手かなと思ってなあ」
「うーん、私は反対だね。相手の力が未知数すぎる。安全な場所から色々試すのがいいと思うよ」
めずらしく先輩がまともな事を言っている。それだけ今回の相手は得体が知れないって事なんだろう。秀彦もそれを感じたらしく、神妙な顔で頷いている。周りの騎士の皆さんも撤収を始めているので、僕らもそれに着いて大聖堂に向かおう。幸い肉塊の進行速度はそれほど早いわけではなさそうだしね。
だけど、大聖堂に向かっている間もずっと後ろからは嫌な気配がこちらに迫ってくる感じを受けていた。こんな嫌な気配は感じたことがない。
「ナツメ様、そのような心配そうな顔をする事はありませんよ。大聖堂の
「大聖堂の結界ってそんなに凄いんですか?」
「はい。過去、魔物の手で大聖堂の結界を破る事が出来たという話はございません。ナツメ様もご存知のトート=モルテの軍勢が攻め入った際も、トート自らが軍を率いていたにも関わらず、犠牲者は一人も出なかった程でございますから」
「それは凄いですね。教会の門を破った大きな死霊も手を出せなかったのかな?」
「はい。大聖堂には結界以外にも、教皇猊下や、教会聖騎士団、聖女アグノス様も居られましたから。死霊は大きく育つ前に祓われ、トートは結界を前になす術がなかったと聞いております」
すごい。僕が手も足も出なかったトート=モルテ。あの黒い死神のような少女でも歯が立たないなんて。それなら僕の不安なんてものは、ただの杞憂に終わってくれるのかもしれない。
そんな話をしながら歩き、僕らは無事大聖堂へたどり着いた。すぐに教皇猊下の元へ報告へ向かうと、猊下は先程までとは違い、綺羅びやかではあるものの動きやすそうな服に着替えていた。これが教皇の戦闘服なのかな? なんだか白い髭と相まって、ものすごく強そうに見える。手に持っている杖もなんだか凄そうだ。
「ふぉ、お疲れ様。おかげで民を結界内に全員避難させることができたぞい。それではこれより
「……え、私もですか?」
猊下の宣言にアグノスさんは不思議そうに聞き返す。はて? 僕なら兎も角、アグノスさんが何故驚いているのかな?
「うむ、此度の事態、何が起こるか判らぬ以上、儂の後継となりうる二人には
「……まあ、猊下。私の事をそれほど」
「うむ、幼き頃より孫同然に育ててきたお前の事は儂が一番良くわかっておる。儂にもしものことがあったら、この聖都はお主に任せるつもりじゃよ」
「……もう、縁起でもない物言いはやめてくださいませ。でも、期待に添えるようがんばりますわ。お祖父様!」
「ふぉっ! 悪くないの。お前もお孫力を上げたものじゃな」
一瞬怒ったような顔をした後に微笑むアグノスさん。笑い合う二人を見ていると、本当のおじいさんとお孫さんを見ているみたいで微笑ましい。
「それでは参りましょう。勇者様方と教会聖騎士団は念の為、外の警戒をお願いしますわ」
「は!」
「了解だよ、棗君も気をつけてね。外は私達に任せて」
「先輩も気をつけて。秀彦もね!」
「おうよ」
先輩や騎士のみなさんに見送られながら、僕らは教会の通路を奥へと向かうのだった。
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