第五十一話 エキセントリック聖女
92
――彼らがたどり着いた野営地跡。本来そこにある筈の仕留めたコボルト達の死体は無く。代わりにそこにあった物は脈動する肉塊だったらしい。森の深部で見た物との違いは、こちらの肉塊には毛皮のようなものや血液のようなものが付着しており、深部で見たものより、より悍ましい様相であったという。
「つまり、私達が倒したコボルト達が死んだ後、その肉塊に飲まれてしまったという事かい?」
「いえ。最初は私達もそう思っていたのですが、それは違うのです」
「どういう事?」
「そこにあった肉塊は深部にあったものとは違い、まだ新しかった為、
「……原型」
「はい、それを見て理解いたしました。コボルトたちは肉塊に食われたのではなく、今肉塊へと変貌を遂げている最中なのだと。その段階になって、ようやく肉塊の放つ謎の魔力の意味がわかりました。この魔力は肉塊が放っているのではなく、この魔力によって死した者がうごめく肉塊へと変貌させられていたのです」
彼らが見たのは、魔力に寄せられ融合していくコボルトの死骸。まるで咀嚼されるかのように蠢いた後に、徐々に深部で見た肉塊のように変貌していく。その時点で異常繁殖などは比べ物にならない異常事態が発生しているのだと判断し、教皇への報告をするために怪我人を連れて森を脱出したらしい。
「今はリーデル団長と精鋭数名が肉塊の監視を続けておりますが、団長の見解では恐らく今回の異常繁殖はこの肉塊と無関係では無いだろうとの事です。恐らくは異常繁殖したコボルト達は何らかの術を行うための贄、または材料のために召喚されたか誘導されて集まったのではないかとの事でございます」
もし、それが本当なら。途轍もなく悍ましい話だ。魔物とはいえ、命あるものを弄ぶ非道な所業。これを行ったヤツってのはまともな感性の持ち主ではない。
……この話を聞いた時、一瞬だけ漆黒の少女が頭をよぎったけど、彼女は秀彦が入念に頭を砕いて殺害したらしいから、今回の件に関与しているはずはない。
それにしても、コボルトの異常繁殖だけでも充分すぎる異常事態だというのに。次から次に一体なんなんだろう。コボルトの件に関してはシュットアプラー大司教が関与してるのかと思っていたけど、話はもっともっと複雑なのかもしれない。
「まあ何にせよ、尋常な話ではなさそうだね。殿を受け持ったリーデル団長達は大丈夫なのかい?」
「はい、団長は勿論の事ですが、残った騎士は全員我が騎士団きっての精鋭で御座います。彼等であれば心配には及びません」
「ふむ……」
「先輩、僕たちも行ったほうが良いんじゃないかな? そりゃリーデル団長は強いだろうけど、今回のは得体が知れなさ過ぎるよ」
いくら団長たちが歴戦の騎士だといって、それが心配しなくて良いという事にはならない。どんなに強くても人は死ぬのだ。
「いや、どうやら大丈夫なようだよ、棗君」
「……え?」
すぐにも救助に向かおうとした僕の声を遮って、先輩が何も見えない道の彼方を指差した。……いや、よく見ると何かがこちらに向かってきている? 遠くに豆粒ほどの何かが見える。勇者は視力もとんでもないみたいだね。
――やがて、僕でもなんとなくそれが人のようだと認識できる大きさになった時、先輩の顔が強張った。
「まずいね、どうやら団長たちは無傷というわけではないらしい」
先輩が見た鎧は間違いなくリーデル団長の物、彼を含めた数名がおぼつかない足取りでこちらに向かってくるのが見えるらしい。特に団長の様子が可怪しいらしく、一人で歩く事も出来ていないらしい。
「棗君!」
「はい!!」
先輩に言われる前に駆け出す僕。しかし、二、三歩駆け出したところで、突然浮遊感に襲われた。
「わ、ひぇっ!?」
「こっちのほうが早い」
何事かと思ったら、僕の腰と膝裏に逞しい腕が回されていた。何が起こったのかと顔を上げると間近に秀彦の顔が見える……わ、ひゃあっ!? 近い!? なに? どういう状況??
「あぅ、え、えぇ!? ひぎっ!」
「しゃべるな、舌噛むぞ」
――もう噛みまみたぁ!
「むう、お姉ちゃんがやろうと思ったのに。秀彦は女の子に手が早ねえ」
「人聞きの悪い言い回しはよせ!」
「あ、あぅあぅ」
突然の秀彦のドアップに頭が仕事をしてないけど、どうやら秀彦に抱きかかえられているのか僕は? 所謂お姫様抱っこというやつだなこれは!? 状況がこんなじゃなかったらもうちょっとゆっくり味わうところだけど、今はそれどころじゃないよね。うん、ちゃんと弁えているよ!
「むう、絶対私が運んだほうが早いのになあ」
「姉貴が運んだらセクハラしまくって遅くなるだろうが!」
「酷いなっ!? 流石にこの状況でツッコミ入れられる様なセクハラはしないぞ、私は!!」
「セクハラはするの!?」
僕の悲鳴は無視された。葵先輩、こいつ……
「そうは言うけど、傍から見たら秀彦が抱き上げている方が、色々と不味い絵面になっていると思うがね? ”怪奇欲情ゴリラ、美少女を掻っ攫う”みたいなタイトル付きそうな光景だよ?」
「傍からどう見えようが関係ねえよ。今は団長達を助けるのが先決だろうが! 第一、俺がこいつに欲情するわけねえだろ……て、おい、なんで突然密着しやがった!?」
「……いいから早く運べよ。このほうが安定するだろ」
「お、おう!?」
今はこいつの無神経な言葉に一々反応してる場合じゃないからな。僕は何も感じてない。ただ持ち運びやすいように首にしっかりと手を回して秀彦に密着するように抱きついた。顔とか胸とか密着させる事になっちゃったけど他意はない。
……なんだ先輩そのにやけた目は、僕の密着固定フォーメーションに他意は無いぞ。今は緊急の時だからな。
――それにしても、これが上級前衛職か。僕を抱えているのに凄い速さだ。手ぶらの僕が全力で走ってもこんなスピードは出ないだろうな。なんだか悔しいけど、おかげで直ぐに隊長達のもとに駆けつける事が出来た。
「リーデル団長!!」
「……む、勇者アオイ様。それに聖女ナツメ。……と、言う事は。貴方が聖騎士ヒデヒコ様か」
「なんで僕だけ敬称略なんですか! よっと」
相変わらず僕は団長殿には嫌われているらしい。すごいナチュラルに差別されてしまった……まあ、今はそんな事に拘っている時じゃないね。命に別状は無さそうだけど、リーデル団長達は見ただけで判るほど満身創痍だった。鎧はところどころ破損し、中には武器がへし折られている騎士もいる。全身は血糊と泥で赤黒く汚れ、応急処置すらなされていない傷口からは、未だ新たな血が流れ出ている状態だった。
僕は素早く秀彦の腕から飛び降りると早速彼らの傷をみる。どうやら殆どの騎士は見た目ほど酷い状態ではなさそうだけど、団長だけはかなりの重症を負っているようだ。
「……裂傷や打撲が多いですね。リーデル隊長、その足は?」
「少々間抜けな避け方をして肉塊に拗じられた。複雑骨折をしてしまっているので法術での治癒は無理だ。無理に治せば足が曲がってしまう。とりあえず教会に戻り、石膏で固めて戦線に戻る予定だ」
何を言っているんだこの人は、そんな状態でも戦いに出るつもりなのか。とんでもない無茶をしようとしているリーデル団長の事を呆れた目で睨んだけど、この人は何を睨んでいるのかと不思議そうな顔をしている。命がけの職業を生業にしたワーカホリックはとんでもないな、まったく!!
「そんな無茶しなくて大丈夫です、僕に任せてください」
「……何を!?」
何かを言いかけた隊長にアメちゃんを向け、即座に魔力を放つ。万全の状態の団長にアメちゃんの麻酔をかけても抵抗されてしまったかもしれないが、今の団長は気を張ってはいても限界が来ていたのだろう。あっさりとその意識を手放してくれた。
多少強引で乱暴な方法かもしれないけど、団長からの信用がない僕が説明しても聞いた事のない治療に難色を示すと判断したので、先程の手順とは逆にまず隊長の意識を奪う事から開始した。
僕の突然の行為に周りの騎士達がザワついたけど、治療の為なので心配ないと言って制止する。
……よかった、団長以外にはそんなに酷い評価を受けてはいないみたいだ。みんな心配そうにはしているけど僕の静止を受け入れてくれた。これなら集中して治療ができる。
「秀彦、隊長の骨を真っ直ぐにして」
「おう」
さっき一度やった手順なので短い指示でも秀彦が即応してくれる。手早く添え木を当てて足を真っ直ぐに伸ばしてくれた。この後の手順も先程の騎士の皆さんと一緒だ、
「女神よ、その癒しの手よ、傷つきし汝が子等に祝福を!
薄い緑の光が団長の足から放たれ、膨れ上がった足が徐々に正常な太さへと変わっていく。
「お、おぉっ!?」
一度では治りきらないけど何度かかけるうちに他の傷と一緒に骨折が治っていくのを感じる。だけど、
――目の前で人の命が失われていくのを、何も出来ずにただ眺めるだけなんて、味わいたくはないから。
「……ふぅ、骨折はこれで大丈夫の筈です。他に重症を負っている方はいますか?」
何とか団長の治療を終えて、汗を拭きながら周りを見回すと、なんだか騎士のみなさんが驚愕の表情を浮かべていた。なんだろう?
「こ、これが女神の使徒、真の聖女様のお力か。中級治癒術で奇跡を起こされるとは……」
「信じられん」
なんだか僕の治療が凄かったようで、みんなが驚いてしまったみたいだ。とりあえずアメちゃんでリーデル隊長の意識を戻しつつ尋ねると、普通骨折などの重症者は無理に法術をかけず、自然治癒で治すものなのだという。無論全く法術を使わないわけではないが、術者の法力も、怪我人の体力も普通なら持たないのだという事らしい。
確かにこれは僕の法力の総量の多さと、ウェニーお婆ちゃんの秘奥の心得の両方がないと無理な治療だから、普通ではないのかもしれない。もしかしたら、さっきまで僕を侮っていたリーデル団長もこれで僕を見直してくれたんではないかい? えっへん!
「……なるほど、治癒術士でありながら愚かにも最前線で杖を振り回し、町中では軽犯罪を積み重ねる事しかしない粗忽者かと思っていたが、確かに貴女は女神の使徒であったというわけだ。少なくとも治癒術士としての実力は素晴らしい。人間一つは優れたものを持っているのだな」
「頑張って治してあげたのに酷いなッ!?」
あるぇ!? 全然褒めてない!?
「あー、いや、すまない。とても感謝をしているのだ。ただ、普段のどこか頭のネジが緩そうな、違うな……エキセントリックな……とんでもない事をしでかす爆薬……あー、元気溢れる貴女とあまりに印象が違ったものでな。別に悪気があっての事ではない、素直に凄まじい法術だったと思うよ聖女ナツメ」
「フォローどころか重ねてきた!?」
ひどい、別に普段からそんなにひどいわけじゃ、ひどいわけじゃ……うーん心当たりが多すぎて反論できない! でも、今は僕の治癒術の見せ所だからね、その評価ひっくり返してみせるよ!
「さぁ、皆さんの傷も見せてください。全部治して汚名挽回してみせますとも!」
「なんでそこでそんな言葉を……誤用ではないけど君が言うととっても不安になる言葉だよ? 意味は判って使っているかい?」
「……?」
「やっぱり判ってないんだね、良いよ君はそのままの
ぬぅ、なぜかみんなの視線が、尊敬の眼差しから別のものに変わってしまった気がする。なぜだ?
――うぅ、兎に角全員治してしまおう。そりゃ
……なんだよ、みんな何でそんなに目が優しいんだよ!?
うが~~!!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます