第三十四話 なんだこの聖女は……
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―――― Sideリーデル
そいつと初めて出会ったのは裏街道の闇営業酒場の検挙の時だった。初対面の印象は、面妖な仮面を被った怪しい子供だと思った。それが闇酒場で酒を飲もうとして居るのだからとんでもない。服装から察するに恐らくここ聖都の人間ではないようだが、この様な場所にいた以上容赦する訳にはいかない。法を犯した者は、平等に裁かねばならない。そうでなければ人は法を破るようになり、それはやがて堕落につながる。
信仰を失い堕落した人間の醜さを、愚かさを、俺はよく知っている。
たとえ異国の子供だとしてもここ聖都にいる以上、女神マディスを信仰する教徒のはず。その小さな体で罰を受けるのは辛かろうが、何も命まで奪われる訳ではない。ここで痛みを知り、真っ当に生きてもらいたい。
そう思っていたが、いざ捕縛し罰を与える段になって、王都からおこしになっていたカローナ王兄殿下がやってきた。殿下の話によればこの仮面の小僧は、かの女神マディスの使徒、聖女様であると伝えられた。
正直驚いたものだが言われてみればあの少年、いや、少女か。彼女の装備している品々は確かに素晴らしい物ばかりだった。
しかし、聖女か……同じ聖女といえ、あの御方とは随分違うようだな。仮面の下の顔はまだ見ていないが、言動も行動もまるで少年のような荒っぽさだった。
――しかしその後、教皇猊下の前に現れた聖女ナツメはまるで別人の様であった。だが、あの夜の醜態を見ている以上、俺には楚々とした彼女の姿がとても胡乱げに見える。なんとも間抜けな演劇でも見ているような気分だった。
……まぁ、それでも、彼女が真面目に自分の責務を果たそうとしていることは理解できた。そういう事なら俺も彼女らと協力する事はやぶさかではない。
――だが、やはりあの少女はとんでもない問題児だった。まさかその力を使って、我々の行軍について来るとは。今回の一件、あのシュットアプラー=デブラッツ大司教が関わっているのだ。正直な所、大司教に目をつけられている彼女には、宿で大人しくしていてほしかった。
とはいえ……どういう訳か、大司教が何かをやっているという証拠は今まで一度も見つかっていない。しかし、度々教会内などで見かけるかの御人の行動は目に余る。それどころか、明らかに怪しい事は今までにもいくらでもあったのだ。だが、どういう訳か、あれだけ頻繁に怪しい行為をしている割に、彼の
数度いざこざがあった娘達も、数日後には大司教に対して敬愛の念を抱くようになっているのを見かけた事がある。聞けば、大司教の真意を知ることで、より強い信仰に目覚めたとの事だった。たった数日で、蛇蝎のごとく嫌っていた人物の評価が真逆になる事などあるのだろうか? 俺には人の心の機微がわからない。それ故、かの御人に対する疑念は晴れないが、彼女たちが何かをされたという確信は得られないのだ。
そして今、大司教が明らかに意識している聖女はここに来てしまっていた。好奇心なのかなんなのか判らないが、彼女の勝手な行動は部隊を危機に晒すだけでなく、国の至宝ともいえるマディスの使徒である彼女自身を危険に晒してしまう。
俺は聖女と言う職業を尊敬している。アグノス様をいつも近くで見てきたからだ。大規模な戦闘に於いて、聖女がいなければ失われてしまう命はあまりにも多い。
それを、どうやらこの新米の聖女殿は理解されていないようだ。前線に立つのは我らの仕事、戦う力のないものは後方で支援をしていてくれるのが一番助かるというのに。
「――聖女ナツメ。無礼を承知で言わせてもらうが、好奇心を満たすためについてきた貴女のせいで、要人警護の為の人員が割かれる。これで今回の任務における騎士達の危険が上がったのだと覚えていてもらおう」
「……」
「戦場に於いて、守られる人間が勝手な行動をするのが一番厄介だ、ここからは変な事をせず黙ってついて来て欲しい」
力の弱いものは我らの庇護下で大人しくしていて欲しい。そして己の出来ることを全力で熟す事が肝要なのだ。しかし、俺の言葉を聞いた彼女は俺の望む行動とは真逆の行動を取り始めた。
「……ッふざけるな!!」
……またやってしまった。先程も言ったが、俺はどうも他人の心を察する事が出来ない。部下には、団長は空気読めないとよく言われ、過去にそれで何人もの人間から怒りをぶつけられてきた。今回も、俺には分からないが、何かが彼女の怒りをかってしまったらしい。
「黙って聞いてたら言いたい放題だね! 誰が守られる人間だ。逆だよリーデル団長! 僕は皆を守りに来たんだ!」
何を言っている? このまま彼女が喚き続ければ、全員に不安が伝播するかも知れない。一糸乱れぬ行軍こそが生存率をあげるというのに。この少女にはそれすら分からないのか? 本当にいい加減にして欲しい。俺は自分の頭に血が登っていくのを感じていた。
「どういうつもりだ聖女ナツメ。これ以上問題を起こすというのなら、俺も黙ってはいないぞ?」
規律を乱すものは何人たりと許すわけにはいかない。騎士達を危機に晒すわけにはいかないのだ。
「どうもこうもあるもんか! 確かに、勝手についてきたのは僕が悪い、そこは素直に謝るよ。だけど物見遊山で遊びに来たというのは取り消せ! さっきも言ったけど。僕は戦うために、皆を守るためにここに来たんだ!」
戦いの経験の少ない若者が陥りやすい幻想だな。なまじ上級職であるが故に慢心しているのか。俺はこういう輩が一番嫌いだ。理想だけが空回り、周りを巻き込み自爆する。俺の団に所属する騎士であれば、今すぐこの場で打ちのめすところだ未熟な聖女よ。
「戦う力もない弱者が何を言う。そも、我ら騎士は貴様の助けなど必要としない。弱者は何も出来ぬのが”森”という場所だ。大人しく守られていろ、聖女ナツメ。それが今貴様に出来る唯一の奉仕だ。大人しくしている限りは我々が責任を持って守ってやる」
「弱いかどうかは、これからの戦いを見てから言ってもらおうか! その上で役に立たないなら大人しく守られてやるよ!」
「何も出来ぬと分かりきっているものを無駄に遊ばせる余裕など無い。大人しくしていろ」
「そうやって、他人のことを見ようともせず、ただ騎士の使命で無理矢理に型にはめる。そんな事だからこの聖都は見た目だけの禄でもない都なんだ!」
「……なんだと」
聞き捨てならないな。俺への挑発などはなんとも思わないが、教皇猊下の治めるこの聖都を侮辱するとは……
「俺の事だけでなく、この教皇猊下の治める聖なる都を侮辱するのか。流石に看過できんぞ?」
「何言ってるんだ、教皇猊下の話をしているんじゃないよ。僕は街の治安を守っているつもりになってるお目出度い貴方の石頭の話をしているんだ!」
「なんだと貴様……」
これほどの怒りを覚えたのはいつ以来だろうか。法を守らぬ者がどういう末路をたどるのか。信仰無き人間の醜さがどんなものなのか、このいつでも誰にでも愛されていそうな美しい聖女様には理解できないらしい。貴様の言う戯言の果にどれほどの地獄があるのか。――女神マディス、貴女様は何故此の様な浅慮な者に”聖女”などという崇高な祝福を与えられたのか。やはり、同じ聖女とはいえ、アグノス様とは比べ物にもならない。
「――女神マディスの名において、聖女棗は、教会騎士団騎士団長リーデル=ガヴリエーレに勝負を申し入れる!」
俺に決闘だと? 貴様ごときが?
「……勝負だと?寸 止めの加減をした剣を見切ることも出来なかった貴様が俺と?」
この際その増長、慢心、この場でへし折って、大人しく教会で引っ込んでいてもらうとするか……?
「――これから、貴方が弱いと宣った
ふむ、流石に俺に対して武力で決闘を挑むほどの蛮勇ではなかったか。しかし勝敗の判断は俺に委ねるとは意味が分からない。俺が不正するとは思っていないのか?
「――貴方はそう言う不正をする人間ではない。そこは信用しているよ。その四角四面な部分は貴方の美徳でもあるんだと思うしね」
何が言いたいのか全く分からない。こんな時、教皇猊下であればこの頭の可怪しい聖女が何を考えているのかも分かるのだろうか?
しかも勝敗が決した後の条件も全く理解できない。弱い人間の強さを見ろ? 自らの正しさを見つめ直せ? 何が言いたいのか、そこになんのメリットがあるというのか?
しかも聖女の強さを見せるなどと……治癒法術は素晴らしいものではあるが、戦闘中に隊列を崩すことが出来ない以上、治療を受けるためには聖女が前線に走らなければならない。彼女はそんな芸当が本当に出来ると思っているのか? 取り返しのつかない負傷をしたらどうするつもりだ。
「――安心してよ。僕が聖女の戦い方ってのを見せてあげるよ!」
駄目だ、こいつはどうしようもない。己の力を過信しきっている。キースには悪いが、少し彼女に灸をすえる手伝いをしてもらおう。流石に大怪我をさせてはまずいが、それなりに怖い思いをするといい。なに、いざとなれば、俺がなんとしても守りきって見せるさ。
――――……
聖女との話も済み進軍を再開すると、再びコボルトたちの群れに襲われた。俺はキースと聖女をいつでもフォローできるように注視する。今の所、聖女はキースと一緒に杖術でコボルトたちを打ちのめしている。なかなかの動きではあるが、この程度ならばうちの騎士にも劣る戦力でしか無い。これが聖女の戦いというつもりはないだろうな?
それから暫くは前線で戦っていた聖女ではあるが、ある程度戦った後に前線から離れ、キースが一人で戦うようになった。恐らく実戦の緊張と恐怖に、本人が思っていたより遥かに早く体力を奪われてしまったのだろう。まあ、あれだけの啖呵を切っておきながら情けないことだとは思うが、聖女が後ろに下がってくれたのは有り難い。これなら下手に怪我をすることもないだろう。
俺はなんとなく期待はずれな聖女に興味を失い、二人の動きを視界の端にはおさめつつも自らの戦いに集中する事にした。
――何の事はない。やはり経験の少ない若者の戯言、俺のほうが正しかったと言うだけのことだ。彼女もこれで分かってくれただろう。願わくば、今日の出来事が彼女の聖女として成長する糧になってくれたら良い。
それにしても、斬っても斬ってもきりがない。異常繁殖なのだからこれは仕方がないのだが、それにしても数が多い。しかもいくら進んでも奴らの
そんな事を思いながらも、雑兵のコボルトを次々に斬り捨てていく。単純作業に飽き、集中を途切れさせない事の方が辛くなってきた頃、突然左翼から生木をへし折る音と振動が響いた。音の方に目を向けると、そこには大盾を持って丸太のような腕を受け止めるキースとそれに庇われる聖女の姿見えた。
……バカな、あれはコボルトグラップラー!? まさか巣でもないのに上位種が出るとは。キースの腕前では聖女を庇いながら戦うのはきついな。
「キース! 聖女を連れて下がれ」
「……」
なんだ? 俺の指示が聞こえていないのか? キースはその場から下がろうとしない。それどころかコボルトグラップラーに反撃を開始した。しかし、コボルトグラップラーの俊敏さはコボルトの中でも特に高い。いくら教会聖騎士の精鋭とはいえ、盾で受け止めた不十分な体勢からの反撃が当たるわけがない。ゴボルトグラップラーは余裕でキースの攻撃を避けると、その鋭い牙で即座に反撃に移った。まずい……
「キースッッ!!」
あのタイミングでは避けられない、上位種の攻撃、下手をすれば命に関わる。しかし、その最悪の場面が展開されることはなかった。
「神よ、かの者を守り給え
凛とした声が響き、金属同士をぶつけたような音が森に響き渡った。
……何が起きた? 攻撃をしたはずのコボルトの上体が弾かれ無防備な腹をキースに晒している。いや、何が起きたのかは分かる。あれは確か物理攻撃に対しての防御法術だ。しかし、その効果が俺の知っている
しかも、それを唱えたのは”聖女”のはず。聖女は回復特化の上級職。本来ああいった強化系の法術は使用はできても得意な訳ではないはずだ。
「キース、防御は気にしないでどんどんいっちゃって!!」
「お、おう!」
それから繰り広げられた光景は、まるで異次元の、今までの俺の世界を覆す非常識で出鱈目な戦いだった……
「なんなんだこれは……」
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