第三十二話 襲撃

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 森の行軍というのは、僕が想像しているより遥かに困難なものだった。走竜というものは平地だけでなく森、砂漠、山岳、すべての環境で高いパフォーマンスを発揮する騎竜らしい。それでも、深い森というものは密集した樹木や蔦などで、足場自体が少なく、流石の走竜といえど草原を走るようには進めない。それでも、鉤爪を器用に使い、蔦や草を切り拓きながら走ってくれるのは優秀だと思う。


「それにしてもキース、勇者葵……様の走竜はちょっと気性が荒過ぎないか? なんか隙あらば噛みつこうとしてるよな、あれ」


「んー、可怪しいな? 勇者様の走竜は最高の竜を選んでるはずなんだけどな」


 あー、やっぱりあれは竜が悪いんじゃなくて、葵先輩の全ての動物に嫌われるパッシブスキルが発動してるのか。何であの人あそこまで動物に嫌われるんだろう? 大人しい事では動物界随一であろう盲導犬にすら追いかけ回される、先輩特有の動物嫌われスキルは、ここ異世界でも健在らしい。あ、また噛み付いた。


 まあ、それでも一応真っすぐ走っているのだから走竜は優秀な生き物だと思う。葵先輩のバランス感覚も凄いんだろうけど。


 ――暫くそのままの隊列で森の中を進行。騎士の皆さんは、時折襲ってくる魔物を難なく斬り伏せながら順調に行軍する。騎乗した状態でも難なく魔物を切り伏せる動きは、高い練度を感じさせる。流石教会騎士団の精鋭だ。


「――むぅ、やっぱ何か可怪しいな」


「……ん? 何が?」


 僕と並走していたキースが訝しげに周囲を見回す。


「はぁ? 何惚けた事言ってんだヘミング。この辺はすでにコボルトの生息域だろ? あ、お前さては、昨日のブリーフィング寝てやがったな?」


「いやー……ははは」


 寝てたどころか、その頃僕は宿にいましたよー。


「コボルトってのは、犬みてぇな顔してるだけあって縄張り意識が強いからな。本来ならテリトリーであるこの辺まで来たら、結構な数が襲って来るもんだろ」


「――ふむ?」


 そういえば件のコボルトって魔物はまだ見てないな。いや、それどころか、さっきまで疎らに襲ってきていた魔物も全く見かけなくなってる?


 いや、それどころか……


「キース、動物の気配もない。何か変だぞ」


「……確かに、ちょっと団長に報告するか」


「いや、どうやらその必要は無さそうだよ」


 キースの声に前を向くと、リーデル団長のハンドサインで後方の騎士達が陣を組むのが見えた。どうやら団長も異変にはとっくに気がついているらしい。よし、僕らも……


 ……僕そんなサインわかんないんですけどぉ!?


 ヤバイヤバイ! と、とりあえず適当に周りに合わせて僕も動いてみよう。こ、これで良いかなー? 多分そんなに変な動きはしてない自信があるんですけどー?


 暫く周りに合わせて動いていたら、いつの間にかリーデル団長の近くまで来ていた。うう、幻術展開してても近くを通過するのはちょっと緊張するな。しかも、なんかこっち見てる気がするし?え、もしかして正体バレてる?


「……ヘミング、貴様。帰ったら再教育だ。休日などあると思うなよ?」


「ヒェッ!?」


 団長の横を通過する時、小さいけど妙に耳に響く低い声が聞こえた。ごめんヘミングさんどうやら僕のせいでヘミングさんの居残り特訓が決まってしまったみたい……似せて動いて見たけどやっぱり間違ってたかー。キースが慌てて僕の事を定位置まで連れてってくれた。本当にお前はいいやつだなキース。


 葵先輩が僕の方見て肩震わせてる。ちくしょう、先輩だって走竜に噛まれてまともに走れてないくせに。後で何か仕返しをしたい所だな。


 ――ここで再び団長殿のハンドサイン。マズイマズイ、あ、でも今度は陣形ができてるせいか、なんとなく動きが分かるぞ? よしよし、今度は上手くいったでしょこれ?


 ……って、団長めっちゃ睨んでるゥゥゥ!? ごめんなさい練度が低かったですか? ヘヘッ。すいやせん、巫山戯てる訳ではないんでそんな”視線でお前を殺す”みたいな目で見つめるのは勘弁してくだせぇよ……


 これは後日ヘミングさんに何かお詫びをしなくては……ごめんなさいヘミングさん。ちゃんとヘミングさんが怒られないように僕がんばりますね。


 さて、僕の動きは及第点ではなかった様だけど、出来る限り頑張らなくては。周りの騎士の皆さんが走竜から降りて、それぞれの武器を構えた。僕も皆に倣って走竜から降りて幻術で槍に見える物アメちゃんを取り出して構える。先輩は聖遺物アーティファクトの斧ではなく、最近武器屋めぐりで手に入れたという巨大な斧のような槍のような武器を構えていた。ハルバー……ハル、ハルなんちゃらって武器だったかな? 見た目が凄く強そうだけど、あんな重くてかさばる物、普通の人が振り回せるものなのかな。まあ、使うのは先輩だから問題ないか。




 行軍が止まった事で、現状の異様さが際立ってきた。僕達が動いていないと音がしないのだ。鳥も、虫も、動物も、鳴き声はおろか気配すら感じない。兜をかぶっているのに隣の騎士の呼吸が聞こえてきそうなほどの静寂。しかし、何かに見られているような違和感。鎧の内側ではマウス君も何かを感じ取っているらしく、落ち着かない感じで忙しなく動いている。





 ……ガサッ

「ッ!上、構え!!」


 え!? 突然聞こえた草の音。直後響く団長の声と、何かが落ちるような音。音のなった方を見れば、一人の騎士が槍を掲げていた。その中ほどには、少し小柄な人型の何かが突き刺さっている。人ではなく人型と言ったのは、彼らの頭部が人とは異なる姿をしていたからだ。体毛も人のそれと比べると遥かに濃い。


「コボルトだ! 総員気を引き締めろ! 囲まれているぞ」


 団長の声が響くと同時に、森の静寂が破られた。先程までの静寂が嘘だったかのように、次々と茂みからコボルトが飛び出してきた。僕の頭上からも、一匹のコボルトが樹上からのダイブを敢行してきた。


「よっと!」


 掛け声とともに僕の愛杖アメちゃんを振るう。落下の勢いがそのままカウンターの威力に乗り、杖に殴打された犬の顔が、かなりの勢いで折れ曲がる。敵に存在を知られてからの落下なんて、回避もできないしカウンター威力が増すだけだと思うんだけど、そんな事は彼らには関係ならしい。反撃による死を恐れず、次々樹上からコボルトたちが降ってくる。


 落下する、杖で殴打する。落下する、杖で殴打する。落下する、杖で殴打する。……なんだろう、バッティングセンターにでも来た気分だ。単純作業を繰り返して、どんどんコボルトの屍が積まれていく。なんだろう、コボルト退治ってこんなに簡単なものなのかな? 何か違和感があるような……


 半ばルーチンワークのように落下コボルトを処理していく。同じ作業の繰り返しに飽き始めた頃、突然横の茂みが揺れ、そこから凄いスピードで何かが飛び出し、迫ってきた。


「驚いた! 上のは陽動なのか。でも、反応できない程じゃないよ!」


 確かに素早い動きの奇襲だったけど、今の僕なら十分に対処できる速度だ。僕は少し余裕を持ちながら、先程までと同じ様に杖を振るった。


 ――直後、自分の手に返ってきた感触に、自分の慢心を知る。先程までの落下部隊を殴った感触とは明らかに違う、硬質な感触と音。違和感に戸惑った一瞬で、ほとんど勢いを止めなかったコボルトに接近を許してしまった。


「……まずいっ!?」


 強襲してきた主が目の前に来た事で、相手の姿を完全に捉えることが出来た。痩せた犬の顔に、痩せた人間のような体、左手には木の板を蔓で編んだ盾を持っていた。粗雑な作りの原始的な盾ではあるが、僕の杖を受け流すくらいの事は出来る。


 これが、さっきの違和感の正体か……


 そして右手には、石を削って作られた短剣の様な物が握られていた。まずい、鎧の隙間から差し込まれての即死だけはしないようにしないと、それに喉を潰されたら法術を封じられてしまう!


 なんとか被害を最小にすべく全力で頭を働かせ、来る衝撃と痛みに備える。しかし、来るはずの痛みが僕を襲うことはなかった。


「チチチッチ!!」


「ギャゥッ!?」


 いつの間に鎧の外に飛び出したのか、マウス君がコボルトの腕に噛み付いていた。突然の痛みに取り乱したコボルトは、マウスくんに気を取られ、無防備な頭部を僕に晒していた。


「ありがとうマウス君!」


 お礼をいいながら武装コボルトの頭部をアメちゃんで強打し、落ちそうになったマウス君を空中でキャッチする。


「チチチッ!!」


「――もう、ダメだよ、こんな危ないことしちゃ! でも、ありがとう」


「チッチチチ!!」


 マウスくんは任せろとばかりに僕の手の上で立ち上がり、両手を上に挙げて熊の威嚇のようなポーズを取る。今日は随分勇ましいね君。でもあまり危ない事はしないでね?


「おい、ヘミング! ボサッとするな、次、来るぞ!」


「分かってる!」


 さっきは不意を突かれてちょっと焦ったけど、もう油断はしない。それに、どうやらコボルトの作戦はここまでのようだ。数でゴリ押してくるだけになったコボルト達に、最早僕らを脅かすほどの力はなかった。次々正面から襲いくるコボルトを蹂躙し、斬り伏せる。やがてコボルトたちの襲撃には勢いが無くなっていき、とうとう彼らの生き残りは遁走を開始した。もちろんそんな無様な遁走を許すわけもなく、背中を見せたコボルトは次々大量の矢を生やし、絶命していく。


 最後のコボルトが倒れた所で、再び森は静寂を取り戻し、リーデル隊長の声がこだまする。


「総員安全確認の後、構え解け。負傷者はいるか?」


「重傷者おりません!」


 どうやら、騎士の皆さんに負傷した人は殆どいないみたい。うーん、コボルトの戦略にピンチを迎えたのは僕だけだったらしいや。因みに先輩の足元には、持ってる盾ごと粉砕された肉片が散らばっていた。何で槍と斧がくっついた武器で戦ったのにコボルトが粉砕されているんだろう……あれって鈍器なのかな、槍要素は何だ?


「ここより更に深部に向かう。恐らく相当数のコボルトの襲撃が予想される。各員警戒を怠るな」


「「「はっ!!」」」


「さらに、今のコボルト達の動きに明らかな異常、作戦めいた動きが見られた。ただの下級魔物異常繁殖と侮るな!」


「「「はっ!!」」」


 耳が痛い、すいません、油断して攻撃されそうになりました。……あう、リーデル団長が僕を睨んでる。どうやらさっきの醜態は、ちゃんと団長に見られていたようだね、ごめんよ、ヘミングさん。後で僕も一緒に謝りに行くからね。


 コボルトの攻撃を退けた後は再び森に静寂が訪れ、僕らの行軍は再開された。今回の戦闘では怪我人は出なかったから、聖女の出番ではないよね。このまま騎士ヘミングとしてついて行こう。正直誰も怪我しないで、僕はこのまま劣化ヘミングさんとして、一日過ごせたら良いと思うんだよね。近接戦闘楽しいし。


 それに聖女とはいえ、今の僕はそれなりのレベルだから腕力は……うーん普通の男の人よりはある……と思う。だからコボルト相手ならこのままでも足手まといにはならないと思うんだ。


 僕は勇ましく杖を背中に背負い、走竜に跨り前進を再開する。目の前には走竜の背の上で、荒ぶる熊のポーズを取ったマウス君が「チチチッ!」と、勇ましく威嚇をしていた。さっきの戦闘ですっかりバトルモードがオンになってしまったらしい。


 ……君そんなに好戦的な子だったっけ?


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