第十三話 こうして信者は増えていく(聖女の)

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 ――…… side 竜の飼育員




 その日、俺はいつものように厩舎に居る地竜、キラの面倒を見ていた。見渡す限り全ての景色が漂白された聖都に於いて、干し草の色と岩肌のような褐色の肌を持つ地竜の色は良く目立つ。建物は白いとは言え、ここは少々聖都では目立つ建物と言えるだろうな。噂によると教会は”白い干し草”の開発をしているとかなんとか、そこまで白に拘るっていうのは少し気持ちが悪いと俺は思うんだけどねえ。まあ栄養があって害が無ければ俺としてはどうでも良いと思うんだが。


 ――俺が近付く気配に気がついたのか、キラがゆっくりとその巨体を持ち上げ、視線だけでこちらに挨拶をする。巨大な竜という事もあって、この姿に恐怖する人も居るらしいが、毎日顔を会わせている俺に言わせれば、こいつらなどより人間の方がよほど恐ろしい。だってこいつらと来たら、荷物を引くとき以外は、干し草を食むか日向ぼっこをして居るか、うたた寝をしているかのどれかなのだから。人間よりよっぽど平和な生き物だよ。


 しかし、今日のキラは少し落ち着きがないように思う。何やら大道の方をゆったりとしながらもずっと眺めている。明らかにそこを行く何かに興味を持っている様なのだ。こんな事は地竜にしては非常に珍しい行動なので、俺も何があるのかとそちらを注視する。


 すると、道行く人々が一斉に一つの馬車に対して祈りを捧げ始めた。すげぇ、スレイプニルの二頭引きかよ、どこの御貴族様御一行だ!? スレイプニルなんて見たの初めてだぞ。


 ……ああ、そうか、思い出したぞ。今日は女神マディス様に選ばれた聖女様がいらっしゃる日だったか。教会が何かそんなことを言っていた気がする。どれどれ、俺も噂の聖女様のお顔を拝んでみようかね。なんだいキラ、お前も聖女様と勇者様を見たいのか? 珍しく良く動くじゃないか。ゆっくりしているので解りにくいが、今日のキラは大興奮だ。目の輝きかたが違う。


 やがて、件の馬車はこちらへゆっくりと近づき、事もあろうにうちの厩舎の前に停車した。


 おいおいおいおい、こんな場所にいったい何の用があるっていうんだ? こんな所に貴族の喜ぶ物なんて無えぞ。


 停車した馬車から聖女様が出てくるのを期待していたけど、どうやらまずは護衛の騎士様がお相手らしい、厳めしい鎧姿に似合わない美しい声に驚いたけど、どうやら聖女様が俺の地竜に興味を持たれたらしい。俺は内心では御貴族様の戯れに嫌な予感がしたが、さすがに貴族様に逆らう訳にはいかず、渋々聖女様がキラに触れることを承諾する。


 さすがに女神マディス様に仕える御方だし、キラもおとなしく賢い竜だから問題はないと思う。だけど過去にうちではない他の厩舎で、勝手に竜に触れて傷を負った御貴族様がその場で竜を無礼討ちにしようとして大変な災害になった話や、逆に竜を気に入った貴族が無理矢理所有権を買っていった話など、竜と貴族のトラブルの話は意外と多い。もし出てきた聖女様が我が儘そうな娘であったなら注意が必要だ。噂の聖女様が見られるといった、さっきまでの浮わついた気持ちは失せ、俺はどんどん緊張していった。


 ――先程の騎士が馬車に戻り、暫くするとそのドアが開いた。固唾を飲んで見つめていると、中からいかにも貴族然とした美しい男が出てきた。


 ……驚いたな。貴族って言うのは、男でもあんなに綺麗な顔立ちになるものなのかね。という事は、今あの綺麗な男が握っている手が聖女様のものか。


 態々こんな所に馬車を停めて地竜を見たいなんて我が儘を言うお方だ。受け答えに自信は無いけど、最高の礼を以って接するようにしなければ。


「ふぁ、おっきいですねぇ」


 しかし、そんな俺の緊張をよそに、中から出てきた少女は地竜をみると、まるで幼い少年のように目を輝かせていた。そんな無邪気な反応に毒気を抜かれて、俺は先程までの緊張感を完全に失ってしまった。


 ……いや、正直に話そう。そんなのはどうでも良いくらいに、俺は彼女の美しさに目を奪われた。美しくありながら高圧的な所は無く、少年のような表情を浮かべているにも関わらず、どんな女性より可憐で儚い。その白く美しい髪が風に流れるのをみて、俺の思考も髪の色と同じく真っ白になってしまった。


 だが、これは本当に迂闊だった。いくら向こうが望んだこととはいえ、御貴族様が竜に触れるのに、俺はボーッと突っ立っていたのだ。直後、正気に戻った俺は慌てて聖女様のもとへ駆けた。大丈夫、キラはおとなしくてとても賢い。それにのんびり屋でほとんど動くことはない。聖女様が近づいたからといって、何か行動することすらないはず……。


「こんにちは地竜さん、僕は棗っていうんだ。よろしくね?」


 聖女様もニコニコ微笑みながらキラを撫でている。良かった、どうやらなんの問題もなさそうだ、キラもいつも通りのんびりと聖女様の手を受け入れて気持ち良さそうに目を細めて……


 ん? キラ? なんで聖女様の方を見つめているんだ……やめろ、何する気だ!?


 俺の焦りなど完全に無視して、普段はほとんど動かないはずのキラは聖女様に向けて大きく口を開け、そして……。


 ベロン……。


 その太くヌラヌラした舌で聖女様の顔を正面から舐めあげた。小柄な聖女様は顔全体を何度も何度も舐められ、その動きを止めてしまっている、恐らく何が起こったのか理解が出来ていないんだろう。そして、何度も舐められたその美しい顔はキラの唾液でドロドロになっていた。まずい、まずい、貴族様の顔や服を汚すなんて、場合によってはこれだけでキラはもちろん、俺の首も、下手したら家族の命も奪われてしまうかもしれない!


 ……って、うおおおおお、キラ、何してるんだお前!?


 一通り顔を舐めあげ、満足したキラは、今度はそのゴツゴツと固く重い額を聖女様に擦り付け始めた。お前ぇ!? 俺にすら一度もした事無い様なことを、何故、いま、この御方貴族様に!? このままでは不味い!! 今すぐに止めなくては、もう手遅れのような気もするが。


「申し訳ありません! 普段はこの様な事は一切ないのですが、なぜ今日に限って……全ては私の調教が未熟であった為に起こってしまった事で御座います。わ、私はどのような罰も受けますので、どうかこいつの事はお見逃しくださいませ!!」


 とにかく。こうなってしまっては、なんとか御咎めを俺だけにとどめていただくしかない。すまない妻よ、娘よ、父さんはもうダメかもしれないが、お前たちと竜たちの事は何としても守りきってみせる……


 ――果たして、俺が想像したような展開は遂に訪れなかった。聖女様は困ったように微笑んでいたが、キラの頭突きとも思えるじゃれつきに対して優しく接されたのだ。いや、それどころか、聖女様はこんな無礼を働いた竜の飼育をしていた俺なんかに対しても、丁寧に接してくださった。


「お顔を上げてください、今のはこの子の愛情表現なのでしょう? それでしたら何を咎めることがありましょう。好意を向けられる事に怒りを覚えるような者はここにはいません。それ所か、貴方と地竜、種族を越えた絆、素晴らしいものを拝見させていただきました。こんな素晴らしい方に育てられた竜はきっと幸せですね。どうかお顔を上げてくださいませ」


 このとき俺は心の底から女神マディス様に対しての信仰心が生まれた気がした。俺は今までマディス様に対して当たり前だか・・・・・・ら崇拝していた・・・・・・・だけだった。しかし、今目の前にいる聖女様。彼女がマディス様の遣わせた御方なのだとしたら……。


 今まで教会のお偉いさんは御貴族様と変わらないと思っていたけど、本当に御偉い人は、本当に女神様みたいな人なんだな。俺はこれから毎日祈りを捧げるぞ、朝に昼に晩に、暇があったらいつでも祈るんだ。そう決めたね。


 そして、そんな事を考えていたら、今度は馬車から光り輝く金色の髪をした、これまた目が覚めるような美少女が出てきた。すげぇ、聖女様以外にもこんなに美しい人が……聖女様が可愛らしい感じで月を彷彿とするのに対して、この方は美しく、光り輝く太陽の様な印象を受ける。そうか、この方は聖女様と一緒にこの世界に来られたという勇者様か。


 勇者様は聖女様に何かを話され、キラの元へと向かう。お二人が並ばれるお姿は本当に神々しく、これが美というものなのだと、俺に思わせた。学がなくたってこれは分かる。優しい笑みを浮かべていらっしゃる勇者様も女神様に遣わされた御方。きっと聖女様と同じく清楚な方なんだろう。


 やがてキラの元にたどり着いた勇者様は、笑みを浮かべながらキラに手を伸ばし、そのままキラに、



 ……喰われた。



 おいいいいいいい!?



 俺は慌ててキラの元へ走り、勇者様をお救いすべく、キラの口をぐいぐい引っ張ったが、びくともしなかった。聖女様も必死に救出なさろうとしていたけど、結局勇者様が吐き出されたのは、それから数分後の話だった……すまん、妻よ、娘よ、今度こそお父さんは死ぬのかもしれない。


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