第十二話 ムツゴロウ

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 白亜の流血事件を乗り越えた僕らは、一路大聖堂へと向かって……は、いなかった。こちらの世界の連絡手段は手紙が主なので、連絡の速度が現代日本と比べると格段に遅いのだ。しかし、魔法を用いて手紙から立体映像のようなものが出てきて喋ったりするので、文明が進んでいるんだか遅れているんだか、やっぱり判断しづらい所がある。


 郵送手段は長距離であれば伝書鳩ならぬ伝書飛竜、町中であれば、走竜と呼ばれる竜を人が繰り、各家々に配っているらしい。これらの竜は亜竜と呼ばれ、竜の名を冠してはいるけれど、ドラゴンと言う訳ではないらしい。他にも巨大な荷台を引いて、馬車ならぬ竜車を引く地竜なんていうのもいるらしい。こっちはどうやらドラゴンの一種らしく、スピードは出ない代わりに力と持久力が非常に高く、主に土木関係で活躍しているそうな。ドラゴンと亜竜の差は、ブレスを吐くか否かで区別されるらしい。


 ――地竜、吐くのね……ブレス。今、目の前の厩舎にいるんだけど大丈夫なのかな? 三メートルほどある巨体は、正直少し怖いのだけど……あ、欠伸した。岩のように厳めしい顔をしていると思ったけど、こうして欠伸している姿なんか見ると割りとのんきでかわいく見えてしまうから不思議だね。それに良く見ると瞳がつぶらでちょっと可愛らしい。


 と、地竜の欠伸声に反応して、僕の胸元がもぞもぞと動いた。どうやら胸元の子・・・・には竜の欠伸はひどく恐ろしいものに感じられるらしい。まあ大きいものね、仕方ない。


 僕はこっそり胸に手を添えて、落ち着かせるように優しく胸元に隠れてる子を撫で付ける。暫くそうしていると、どうやら落ち着いてくれたらしく、動き回るのをやめてくれた。ごめんね、驚かせちゃって。


「ナツメ様? どうかなさいましたか?」


「あ、いえ。地竜が大きかったものですから、少し驚いてしまって」


「なるほど、私たちからすれば見慣れた光景ですが、確かに初めて見たのであれば地竜は中々に迫力のある生き物なのかも知れませんね」


 なるほど、殿下達にとってみればこれは当たり前の光景過ぎて驚くほどのものではないんだね。逆の立場だったら、殿下達も初めて見た電車とかに似たような反応をするのかもしれない。


「ですが、地竜は非常に穏和な草食の竜ですから安心ですよ。実は走竜や飛竜の方が地竜と比べたら危険なくらいなんですよ」


「そうなんですか?こんなに大きいのに……」


「まだコルテーゼが宿の受け付けに行って間もないですから時間に余裕もありますし、よろしければ触ってみますか? 頼めば触らせてくれると思いますよ」


「本当ですか? 是非触ってみたいです!!」


 あんな大きな動物魔物に触れる!? 是非触ってみたい。僕は少し興奮ぎみに殿下の方を振り向いた。聖女モード? それ所じゃないよ!


「ナツメ様はまるで少年の様な所があるのですね。実に可愛らしい……グレコ、話は聞いていたね?」


「……は、既に許可はとって御座います」


「早っ!?」


 行動が早すぎですよグレコ隊長!? 幾らなんでも優秀すぎやしませんか? 僕が驚いた顔で見つめると、彼女は悪戯が成功した時のような笑みを浮かべながら僕の方を向いてくれた。


「ふふ、驚かせてしまいましたね。じつは先程からナツメ様が地竜の方をじっと見つめておられましたので、多分興味がおありなのかと思い、勝手ながら先に許可を得ていたのですよ」


 ――そうですか僕が分かりやす過ぎでしたか。……いやいや、それにしたって優秀過ぎでしょう。美人で有能で、しかも強いとか、グレコ隊長のスペック高すぎだよね。これが王族付きの近衛騎士の実力ですか……ん? 王族付き騎士……スライム……う、頭が……。


「ナツメ様、どうかされましたか?」


「いぇ、何となく思い出してはいけない記憶がフラッシュバックしかけただけです……お気になさらず」


「はぁ、それでは参りましょうか」


 少し意識が飛びかけたけど、殿下のエスコートで気を取り直し、地竜の元へと向かう。意識が飛びかけたと言えば、武原先輩は白亜の流血事件で意識を失ったまま、今は馬車のなかで安静にしています。あの人に命運をかけているこの世界は、実は非常に危険な事になっているのかも知れない……


「ふぁ、おっきい……」


 地竜のそばによった僕は思わず感嘆の声をあげてしまった。近くに寄ると遠くから眺めるよりさらに迫力がある。見た感じ生き物とは思えない岩のような肌をしており、呼吸で上下してなければ岩の固まりにしか見えない。体高は二メートルほどあり、ずんぐりとした四つの足は、休んでいる今は折り畳まれていて良く見えない。折り畳まれて動かないと、継ぎ目もよく分からないほど岩っぽい。だけど、良く見ると短い尻尾も生えてて、これが岩ではなく竜なのだというのが分かる。


「さ、触っても良いですか?」


「はい、大丈夫ですよ」


 うわぁ、ドキドキするなあ、僕は恐る恐る手を伸ばすと、恐らく地竜の顎?と思われる場所に触れてみる。僕が触れると、今まで岩にしか見えなかった部分が開き、その奥からつぶらな瞳が僕を見つめてきた。こんなに分厚い皮膚をしていても、ちゃんと触ってるのが判るんだね。


「こんにちは地竜さん、僕は棗っていうんだ。よろしくね?」


 添えた手を動かして、竜の顎を撫でながら自己紹介をして見る。竜は気持ち良さそうに目を細め暫くなされるままに顎を見せていたが、やがて僕の言葉を理解したのかしないのか、地竜は撫でていた僕の手から離れると、その口を大きく開いた。目の前で僕の背丈と同じくらい大きな口を開けられ、僕は視界の全てが大きく開かれた地竜の口で埋まってしまい、そのあまりの光景に僕は体が恐怖ですくんでしまう。


「ひ、ひえ!?」


「ナツメ様!?」


 直後、僕の顔面を暖かいものがヌメっと通過した。何が起こったのか分からない僕は、そのまま為されるままに体を硬直させる。


「あわわわわ……」


 それから角度を変え、何度かヌメヌメされて、やっとこれが地竜の舌である事に気がついた。どうやら僕は地竜にべろべろ舐められているらしい。あまりに迫力のありすぎて、じゃれついてくれている事に中々気がつくことができなかった。


「うわっぷ、殿下、こういうことになるなら、あらかじめ、うぷっ、言ってくださいよぉ!!」


 心構えが出来ていたら僕もそれなりの対応ができたのに、こういう大事な事を黙っているなんて。殿下の悪戯好きには本当に困ったものだよ!!


「――はっ!? いやいや、ナツメ様、地竜のこんな反応、私は見たことがないですよ!?」


「恐れながら、私もこの様な地竜を見るのは初めてで御座います。反応できず申し訳ございませんでした。すぐにお助けいたします」


「えぇ!?」


 殿下だけでなくグレコさんがそう言うなら、どうやらこれは本当に想定外の事故だったらしい。何でだか分からないけど僕はこの子に異様に気に入られてしまったのかな? 愛情表現だよね? これ。食べようとしてるわけではないよね? ね?


 そして当の地竜君は、今は舐めるのをやめてくれたんだけど、今度はゴツゴツしたおでこを僕に擦り付けてきている。まるで猫のようで可愛い仕草なんだけど、非常に重い上に、固くて痛い……。


「だ、大丈夫で御座いますか!?」


 ……あ、どうやら地竜を飼育しているおじさんが来てくれたみたい。よかった、害意は全く感じないけど、このじゃれ付きは正直洒落にならない、そろそろ治癒術の出番かと思い始めていたところだよ……多分僕じゃなかったら全身痣だらけになってたんじゃないかな?


 ――あぁ、飼育員のおじさんが青い顔で謝っちゃってる、そうか、そうだよね、どう考えても御貴族様一行だもんね僕たち。そりゃ洒落にならないと思うよね。


「申し訳ありません! 普段はこの様な事は一切ないのですが、なぜ今日に限って。全ては私の調教が未熟であったために起こってしまったことで御座います。私はどのような罰も受けますので、どうかこいつの事はお見のがしくださいませ!!」


 青い顔で震えながら、必死に地竜を庇うおじさん。凄い、こんな状況なのにまずは自分の育てている地竜を庇うなんて。この方は本当にこの地竜を愛しながら育てているんだね。地竜もおじさんの事をじっと見つめている。多分良くは分かってないけど、おじさんが大変そうなのが解るんだね。……大丈夫だよ。


「頭をあげてください、今のはこの子の愛情表現なのでしょう? それでしたら何を咎めることがありましょう。好意を向けられる事に怒りを覚えるような者はここにはいません。それ所か、貴方と地竜、種族を越えた絆、素晴らしいものを拝見させていただきました。こんな素晴らしい方に育てられた竜はきっと幸せですね。どうかお顔を上げてくださいませ」


 必殺聖女モード発動!! あ、必殺じゃだめか。とにかくこの場を早く収めないと迷惑かかっちゃうので、全力で聖女しますよ、ええ。さっきまで青い顔してたおじさんも今は泣きながらお礼を言ってるし、殿下やグレコさんも僕の言葉に否はないらしいのでこれで一件落着だよね?


 ただ、僕の背中をずっとザーリザーリと地竜が頬擦りしてるのがとても痛いのだけども……。


 僕が背中のゴツゴツに耐えていると、停めてあった馬車の扉が勢い良く開かれ、中から綺麗な金色髪が流れ出てきた。


「あぁー、棗きゅんずるいぞぅ! 私が寝ている間に、そんな可愛い子と良い事しているなんてぇ!!」


 あぁ、うるさい人が起きてきたぞ。


「別に独り占めなんてしないですよ! 先輩もこっち来て一緒に遊べばいいじゃないですか」


「ふむふむ、確かに、よぉし、地竜くん! 私は勇者葵だ、よろしく頼むよ、はっはっは!!」


 先輩は病み上がりとは思えないテンションで馬車から飛び降りると、凄い勢いでこちらへ走ってきた。

 僕が譲るように先輩を地竜の前にたたせると、地竜は暫く先輩を見つめ、僕の時と同じく大きく口を開けると……。


「ふぎゃっ!?」


 そのまま葵先輩の上半身を口のなかに入れ、咀嚼を始めた。んん……? なんか僕の時より情熱的? と、言うか舐めてるん……だよね?


「うわぁぁぁ、葵先輩の手がぷらーんとしてる!!」


 結局葵先輩はそのあと暫くモグモグされて吐き出された。数分間モゴモゴされた先輩はドロドロに唾液まみれになりつつ意識を失っていたのだった……


 そういえば葵先輩って猫カフェとか行くと、いつも傷だらけで泣きながら帰ってきてたなぁ……

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