第三十一話 在りし日の思い出

31




 日が暮れる手前、茜色に染まる空の下、はタオルと水筒を入れた籠を持って畑に続くいつもの道を行く。彼は来なくて良いと言っていたけど、これは私の楽しみなのだ。それを邪魔するのは彼といえど許しません。


 鼻歌交じりにあぜ道を行くと、畑で鍬を振るう彼の姿が見えた。逆光になっているから顔は見えないけど、彼の姿を見ると心が跳ねる。もう結婚して一年も経つのに、私は今でも彼に恋をしているんだ。胸いっぱいに幸せを感じながら、足早に彼の元へ駆ける。まるで私の鼓動と連動してるかのように足取りが軽い。


「フリオ!」


 私の声に彼が振り向く、もう少し近づけば、仕事終わりの彼の笑顔が見えるだろう。



 ――――…… 彼?



「よ、アリシア!今日も来てくれたのか。態々来なくて良いって言ってるのに。お腹に響くだろ」


「私がしたいんだから気にしないで。それにこの子だって貴方に会いたいと思っているに決まっているわ」


 彼の笑顔を見ればこの程度のことは何でも無い。私は彼にタオルと水筒を渡し、その姿を眺める。一日働いた彼は土や汗で汚れていたけれど、それは全て私とお腹の子の為なのだからとても尊いと思う。それにこういう時の彼は何ていうか、いつもの三割増で格好いいと思うのよね、私。



 ――――…… 私??



「ん?アリシア、どうかしたか?」


「ん、ううん、なんでもないよ!」


 彼の声にハッとしちゃった、なんで今ボーッとしてたのかな? よく解んないや、えい。


「うお!?」


「えへへ」


 何か変な気持ちになっちゃったから彼の腕にしがみついて誤魔化そう。うん、落ち着く、子供の頃からずっと一緒だったフリオ。彼と一緒にいる時が、 僕が一番落ち着く時なんだ。


 一瞬驚いた顔をしたフリオだったけど、ここは私の定位置なので、すぐに普段の顔に戻って一緒に家路につく。何もないこの村の中で、この帰り道だけが二人きりで居られるイチャイチャお楽しみな時間なのだ。


 家についてしまうのを惜しむように、ゆっくりゆっくり二人で歩きながら今日あった事を報告し合う、特別な事なんて何もない、いつもの当たり前の会話。これが私の一番の時間、もうじき家族が増えたら、こう言う時間が減っていってしまうのだろうけど、その時はもっと幸せな時間を感じられるに違いない。今からその事を想像するだけで楽しみで仕方がない。男の子ならフリオに似てわんぱく、女の子だったら……やっぱりお転婆に育っちゃうかしらね。ふふ……。


「アリシアまた考え事か?」


「ううん、ねぇフリオ」


「ん?」


「私今幸せよ?そしてこれからもきっと幸せ」


「ば、馬鹿、いきなりなんだよ」


「ふふ……」


「変なやつだな、お前は……」


 ――異変に気がついたのはその時だった、それは何の前触れも無く私達の目の前に訪れた。ざわめくような気配、村を埋め尽くし、なお広がっていく黒い影。逃げようと思うより早く、声も何も上げる間もなく、”私”はそれに飲み込まれて行った。


 その黒い何かには見覚えがあった、”悪霊”そう呼ばれるアンデッドだ。これに殺される人間も見たこともある、皆何かを喚きながら発狂して死んでいった。嫌だ、あんなのは嫌だ。私は必死に暴れ、何とか逃れようとしたが、手も足も何の手応えも得られぬまま何かを流し込まれた。突然の寒気、頭が割れるように痛い。気がつけば手足の感覚もなくなっている。


 フリオ、フリオ、助けて!!


 私の、腕が無くなっていくのが判るの、足が無くなっていくのが判るの。――嗚呼、の赤ちゃんが、あの人との……。止めて、止めて、それだけは、お願い、の、大切なものなの。


 痛い、痛いよ。私が、無くなっッテイク……。


 助ケ……ヒデ……。




 ――――……




「うあああぁぁああぁあぁぁぁ!?」


 濃厚なの感覚が流れ込んでくる。辛い、悲しい、こんなの酷い。これからいくらでも幸せがあったはずだったのに。全て無くなってしまった。大好きだった幼馴染との間にやっとできた赤ちゃんも。


 ――今は判る、今のは僕に流れ込んできた悪霊の、いや、悪霊に殺されてしまった一人の女性の体験だ。僕に起きた事じゃない。


 これは一体どういう事なのか?

 涙が止まらない。でも、これは話に聞いていた死霊術とも違う気がする。


 混乱する僕に、再び冷たいものが流れ込む。嫌だ、この感覚はさっきと同じ物……。



 ――――……



 今度の体験は王国の若い兵士の記憶だった。国に残した恋人を想い、いつか結婚をしようと、それだけを胸に最前線で果敢に戦った青年。しかし、彼もまた無情に命を奪われる。彼も悪霊に肉体ごと呑まれ悪霊の一部となり、事もあろうに彼の故郷へと帰郷を果たす、果たしてしまう。


 果たして彼の想い人と彼は一つとなる、余りにも残酷に。



 ――――……



 老人が、子供が、青年が、少女が、次々に非業の死を遂げていく。僕はそれを一つ一つ体験する。もう嫌だ、死にたくない、をもうこれ以上、殺さないで。何でこんな酷い事をするの?


「ひぃ……もう、やだぁ……ゆるしてぇ……」


 泣きじゃくる僕に、容赦なく冷たい物が流れ込んでくる、またが殺される。



 ……――それからも僕は殺され続け・・・・・やがて真っ暗な何もない場所に揺蕩っていた。もう何度も悲しい死を見続けて、涙も流し尽くしたように感じる。それでも、僕のこの胸には無念や寂寥感、そして何よりも強い悲しみが満たされていた。


「……そうか、これが貴方達なんだね」


 僕は涙を拭こうと顔に手を伸ばす。しかし、触れた感触は冷たく硬い。そう言えば僕は仮面をつけていたんだった。


 あ……。


――――――――――


 ”隠者の仮面”


 耐呪(強)

 呪詛返し(強)

 警戒

 隠密 


 スキル 口寄せ


 死者との会話ができる。


 ――――――――――


 ――そっか、僕が彼等の追体験をしたのは仮面のスキルのせいだったのかもしれない。


 僕が”口寄せ”を理解すると、何も無い暗闇だと思っていた空間が僅かに動き始める。どうやらここに居るのは僕だけじゃないらしい。その中の一人がゆっくりと僕に近づいてきた。僕は焦ること無く、彼等が近づくのを待っていた。


「そっか、君はアリシアだね?」


「……」


「そっちの君はフリオだ」


「……」


 揺れるだけで声は出ない彼等だったけど何故か僕には確信がある。言葉はなくても伝わる、僕はその場に居る影に近づいた。アリシア フリオ マイン カタリナ キャミィ……判るよ、みんな辛かったね、僕は一人一人に話しかけていく。


 今、彼等は僕に対して怨嗟の声を上げてはいない。隠者の仮面をつけた状態で精神を犯された僕は、思いがけず彼等と深く繋がる事が出来たらしい。お陰で彼等の思考と行動原理を理解することが出来た。彼等は、あまりに突然起きた死が理解できていないし、認めたくないんだ。


 彼等には生者が明るくて温かいものに見えていた、もしかしたらそれに触れたらまたあの幸せだった頃に戻れると感じていたのかもしれない。いや、ヒトだって言って近づいていたから、本当はそんな事できない事も解っていたのかもしれない。それでも渇望せざるを得なかったんだ。


 涙が止まらなかった、なんて酷いんだ、この人達は何も悪いことなんてしていなかった。ただ、当たり前の幸せがそこにあって、それだけを望んで生きていたんだ。それをこんな……。


「……みんなは僕にどうして欲しい? 僕は何をすればいい?」


 もう僕には、彼等を天光エクラ・リュミエールで強制的に成仏させる気持ちになることは出来なかった。何が”現世に在る事能わず”だ、偉そうに。僕は彼等が同じ人間だったことを全く理解してなかった。ただただ機械的に悪霊を調伏することに何も疑問を持たなかった。彼等が元は何だったのかなんて考えもしなかったんだ。


 暫く彼等の返事を待っていると、揺れていた影の一人が僕に近づいてきた。


「どうしたの?僕になにか言いたいの?」


「……」


「聞かせて、アリシア」


「……ァ、ア、……ワタシタチ ノ タメニ ナイテ……クレテ アリガト」


 アリシアは黒いモヤのような手を動かして、僕の目元をなぞる。

 有難う、アリシアは本当に優しいね。


「アリシア、お願いがあるんだ。僕は皆をここから解放したいと思う。女神様の下に送らせて欲しいんだ。良いかい?」


「……」


 アリシアは何も言わないけど、肯定するように頭が僅かに揺れる。


「解ったよアリシア、僕に任せて。心から祈りを込めて、聖女ナツメが乞う。現世うつしよに穿たれし楔を解き放ち、彼等の心に安寧のあらん事を。女神よ、願わくば彼等に永遠の祝福を。天光エクラ・リュミエール


 頭に浮かんだ真言を機械的に唱えるのではなく、僕の心の底からの願いを法術に込めて、皆さんの来世が幸せに包まれていますように。


「世界は、僕等が平和にしてみせるから、安心して旅立って」


 天光エクラ・リュミエールの光にあてられ、暗闇一色だった世界に光が差し込み、まるで砂のように崩れていく。最後に皆の声で「ありがとう」と聞こえた気がした。



 ――――……



「ナツメ様!!」


「魔女おねえちゃん!!」


「え、グェッ!?」


 視界が開け、元の教会に戻ったと思った瞬間、僕のお腹に小さいものが弾丸のように飛び込んできた。その後もワラワラと小さいのがしがみついてくる感触。その上時間差で何か柔らかいものに顔面が包まれた、この感触は……イラッ! シスター……大きいですね?


「もーう、皆はなれてくださーい!」


「魔女おねえちゃん生きてたぁぁぁぁぁ!! よかったよぉぉぉぉ!!」


 どうやら僕は黒鎌の腕からこぼれた数体の悪霊(今は悪霊とは思っていないのだけど)に飲み込まれるように押しつぶされてしまい、その後数分間真っ黒なモヤの中で姿すら見ることが出来なかったらしい。暫くして光が溢れ出て、その中から僕が出てきたため、感極まって鬼タックルをかましたらしい。うん、生きてるって素晴らしいね。何かがこみ上げてくる。主に口腔内に……。


 ちょっと痛かったけど、僕にしがみついて泣きじゃくるミリィに怒れるわけがない。仕方ないので頭を撫でて上げると、やっと安心してくれたのか、少しだけ手を緩めてくれた。


「あの後、新規に悪霊たちは入ってこなかったんですか? シスター」


「そうですね、この辺りにいた悪霊は、全てあの大型の悪霊に集まっていたようで、もうこの辺には余り残っていなかったようです」


「そう……ですか……」


 彼等の事を深く知ってしまった今、彼等を悪霊と呼ぶことに抵抗はあるけど、仕方がない。取り敢えず当面の危険がないなら。


「後は、お城の人達が来てくれるのを待つだけだね」


「はい、一時はどうなることかと思いましたが、ナツメ様のお陰で何とか……」


「――そう言うハッピーエンドは嫌いなんだなぁ~俺は」


 突然の閃光。崩れ去る教会の壁、僕が咄嗟に張った防御障壁のお陰で、何とか瓦礫に押しつぶされることは回避できたけど、辺りには今まで感じた事もないどす黒い魔力が充満していた。一体何が起きたのか?


「ハァッ! 城まで落とさなきゃ大したタマはいないと思っていたけどさぁ、居るじゃないかこんな所にレア物がよぉ!」


 蓮っ葉な喋り方ではあるが、今この状況では場違いな、年若い可憐さをもった少女の声が響き渡った。


 見上げれば崩れた瓦礫の上、宵闇に紛れるかのように全身黒い服を纏った黒髪の少女は、その可憐な外見と裏腹の獰猛な笑みを浮かべてこちらを睥睨していた。そして笑っているはずのその相貌は、光すら飲み込むようなどす黒い底知れなさを感じさせた。


「ハァッピィィィエンドは許さねえ! この魔王軍不死騎団長、トート・モルテ様の眼の前ではねぇ!」


 黒衣の死神トート・モルテ。死者よりも仄暗い気配をばら撒いて、彼女は舞い降りた。


「異世界の聖女、残念ながらお前の冒険はここで終わりだよぉ……アッハハハハハァ!」


 魔王軍の進行はまだ終わらない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る