第三十二話 トート・モルテ

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 その女はまるで、宵闇の中から突然生まれ落ちたかのように黒かった。髪も瞳も服も手に持つ大鎌ですら黒い。反して、肌だけは白磁のように白く、唇は異様なほどに赤い。まるでそこに顔と口だけが浮いているかのような錯覚を覚える少女だった。


 容姿は整っており、顔には笑みを浮かべているがその瞳はどこまでも暗くよどみ、眼の前で生きて動いているのが信じられないほどに死を連想させる。


「お前、聖女だよねえ? わかるよぉその髪、そんなに聖の法力が詰まった髪の毛、普通はありえないものねえ? 本当に呼びやがったんだアイツラ。今回は勇者は呼べなかったのかなぁ? それとも複数人呼んだか?」


「不死騎団長、トート・モルテ……」


 その名前には聞き覚えがある。確か、セシルが言っていた、唯一その姿を見せたと言われている魔王軍の幹部だ。確かに目の前の少女からはそれだけの魔力を感じる。もし、一人でこの娘と遭遇していたなら、戦う意思どころか僕は立ち上がることも……いや、生きることすら諦めてしまったかもしれない。


 ……でも。


 僕の後ろに不安そうに僕を見つめる瞳がある。

 大丈夫だよ、皆。


「なんだなんだ? 雁首揃えて震え上がって、特にお前だ聖女。何お前まで震え上がってんだおい?」


「……」


 トートが口聞く度に震えそうになる。何故こいつにはこんなに不快感を感じるんだろう。


「お、お前が……」


「ん~?」


「お前がアリシアを、フリオを……皆を殺したのか?」


「あ?」


 僕の問に眉根を寄せるトート・モルテ。その仕草は見た目も相まってとてもかわいらしいのだけど、そんな気持ちは欠片ほども湧いてこない。ただただ、そこに在るだけで生命を冒涜するような、そんな雰囲気だけが感じられる。何故か判る、コイツは僕たちとは決して相容れない存在なんだって。


「そんな奴らは知らないけどねえ。まあどうせ人間の言うことだから何のことかはわかるぜぇ? これだろ?」


「ァ、ア……」


「……ッ!やめろ!!」


 薄ら笑いを浮かべたトート・モルテが掴んでいるのは、さっきまで僕たちを襲っていた悪霊。つまりは、何の罪もない人間だ!


「何怒ってるんだお前? あー、そうか。聖女ってのはそう言うやつだったなあ?」


「良いから放せよ、苦しんでいるだろ」


「うんうん、そうだな、俺が掴んでるせいで苦しんで可哀想だな」


 トート・モルテはニッコリと笑みを浮かべ、そして……。


「ア、ア、ァ、キャァァァァァァァァァッ!?」


「やめろぉおおおお!」


 霊を……握りつぶした!


「うわぁぁぁぁl!!」


 僕は目の前が真っ白になるほどの怒りを手にしたアメちゃんに込め、トートモルテの頭に振り下ろした。


「あはぁ、お前馬鹿だろ?」


「げふっ……!?」


 渾身の力を込めて振り下ろした一撃は、彼女に触れることはなく、逆に僕の腹部に強烈な衝撃が走る。僕の杖が振り下ろされるより先にトート・モルテの蹴りが突き刺さったのだ。


「聖女なんてザコ職が、正面から殴りかかってどうするよ?」


「黙れ!女神よ、その癒しの手よ、傷つきし汝が子等に祝福を!中級治癒術ミドルヒール!」


「お?」


 反撃を食らうことなんて想定内だ、日本男児舐めるなよ! 即座に傷を治癒することで体制を立て直して杖を振るう。しかし、その不意をついたはずの一撃もトート・モルテには届かず、今度は大鎌で肩口を斬り裂かれてしまう。


「あぐぅっ!!」


「んー? やっぱり聖女じゃつまんねえか?」


「くっそ、女神よ、その癒しの手よ、傷つきし汝が子等に祝福を!中級治癒術ミドルヒール


「お? それまだ使えるのか。ふむ、良いな……良いぞ?」


 一瞬退屈そうな表情を浮かべた彼女だったが、僕が傷を癒やすと途端に嬉しそうな表情を浮かべ、手にした大鎌を振るう。何回かはその斬撃を見切って往なし、躱し、隙を伺うが、あまりの猛攻に受けきれずどんどん体に傷が出来ていく。細かい傷は無視して、深い傷を負った際に中級治癒術ミドルヒールでまとめて治療していく。下級治癒術ヒールで刻んでいては法力が足りないと判断しての捨て身戦法だ。


 細かく斬りつけられ、痛みで表情が歪む。大きな傷を受けて悲鳴を上げそうにもなる。でも、皆を今守れるのは僕だけだから、何とかこいつと戦えているのは僕だけ、ならば全力で戦う。


「ふは、ヒヒ、良いな、楽しくなってきたぞ」


「うぐぅっ!!」


「ナツメ様、私も戦います!」


「あぁ?」


 僕と切り結ぶトート・モルテの背後、死角となる位置からシスターリズが短剣で斬りかかった。どうやら確実に一撃を入れられる隙を伺っていたらしい、さすがこの世界の人達は戦い慣れている。僕もその一撃が決まるようにアシストをしようとした、しかし……。


「おい? 邪魔すんなよ?」


「キャァッ!?」


「あぐぅっ!?」


 完全に死角からの一撃を決めると思われたシスターは、先程までとは明らかに違う動きを見せたトート・モルテの鎌に僕共々深い傷をつけられ吹き飛ばされてしまう。


「勘違いするなよ、バカどもが。俺はいまこいつを斬りつけて、その歪む表情を堪能してるんだよぉ。だから態々欠損しないように気を使って斬ってやってるんだろうが。それを、何勘違いして割り込んでやがんだ、そう言うの萎えるからマジやめてくれよなぁ?」


 見えない斬撃、今ので全てを悟った。僕はこいつを足止めしているつもりだったけど、それは大きな勘違いだったんだ。僕はこいつに遊ばれていただけだったんだ。


「さぁて続きをしようか、聖女ちゃん。お前の綺麗な顔がどれだけ歪むか楽しみだよぉ、今度は痛い所を重点的に斬っていくからな。どうやらお前の法術なら、軽い欠損までは治せそうだし、すげえ楽しみだよ。フヒッ……」


「うぅ……」


 そこからはもう地獄だった。先程までと違い、細かい傷なんて無い。気を抜けば即座に殺されかねない斬撃、幾度となく斬り飛ばされる僕の体。内臓に至りそうな一撃はわざと途中で止められ、代わりに刃をひねられる。僕は何度も悲鳴を上げながら懸命に治癒をする。もう反撃どころじゃない、ただただ傷みに耐えながら治癒を繰り返す。


 痛い、痛いよぉ、助けて。


 後ろからミリィ達の声が聞こえる。悲鳴に近いけど僕の事を応援してくれてるのかな? もう何を言っているのか聞こえない。薄れ行く意識の中で、治癒だけは行い続ける。辛いけど、僕を傷めつけることで時間が稼げるなら……。


「五月蝿えな、ガキの悲鳴は好きだけが、邪魔されるのは好きにじゃねえ。後でじっくり遊ぼうと思ってたけど先に殺っとくか」


「なん……だと……」


 殆ど無くなりかけてた意識だけど、今の言葉だけははっきりと聞き取れた。……巫山戯るな、そんな事はさせない! 僕は震える体を奮い立たせアメちゃんを掴み、トート・モルテに向けて振り下ろした。


「おー、まだ動けんのか、大した物だ、そうだな。お前にも飽きてきたし、そろそろ許してやろうかぁ? お前を殺してからガキで遊ぶかね」


「……」


 振り向いたトート・モルテから冷えた殺気が向けられた。今までとは違う。僕を殺そうとする意思、嗚呼、僕はここで死んじゃうのか。悔しいな、セシル、ウォルンタースさん、ウェニーお婆ちゃん、みんな……もう会えなくなっちゃうけどごめんね。葵先輩と秀彦はまた会えるから、少し気が楽かな。でも僕が死んじゃったら、二人は悲しむかな? 向こうに戻ったら、男の子に戻るんだから、秀彦とも元通りだね。


 ……元通り。


 あぁ、そうか僕は……。


 無情に振り下ろされる鎌がゆっくり感じられる、一秒もしないうちに僕は死ぬんだろう。悔しいな、皆を守れなかった……。


 ギャリィッ!!!


 ……僕の頭上で大きな金属音が響く。……そして、来るはずの衝撃は来なかった。


「この馬鹿野郎が!! ボロッボロじゃねえか!」


「……え?」


「だけどよくやった!!ガキども全員無事に守りきったんだな!」


「あ……」


 倒れ込みそうな僕を暖かく大きな手が抱きとめていた。顔を上げると、そこには僕が一番見たかった顔が僕を見つめている。――こんな時なのに凄い安心する。


「ヒデ……ヒデェ……」


「頑張ったな、後は任せろ!」


「……うん、うん!」


「んだ、てめぇ。邪魔してんじゃねえ……うぉ!?」


「わったしもいるよ!!!ナツメきゅうん」


 天井に大きく空いた穴から金色の風がトート・モルテを急襲する。そこには……。


「あぁ、あまり見たくなかった顔だ……」


「こんな時でも酷いな君は!?」


 頼りになる先輩変態が立っていた。


「俺のダチをここまでやってくれたんだ、女だからってただで済むと思うなよ……」


 とても頼りになる二人の声を聞きながら、僕の意識は深く沈んでいった。


 

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