第三十話 震えて怯える暇なんてない
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扉を破った悪霊たちは再び分解する事はなく、巨大な姿のまま教会内を徘徊しはじめていた。
仮面の力で彼らの言葉が理解できる僕は、何とか対話ができないものかと考えた。しかし、彼らの呻く言葉の意味は拾える物の、それはどれも悲しみと怨嗟に満ちており、とてもではないが対話が可能な相手には見えなかった。
僕は慎重に皆の元に移動すると、悪霊たちに気が付かれないように、引き続き幻術を展開し続けた。
回復特化の職である僕の退魔術なんて、基本退魔術の
「シスター、とりあえず状況を確認します」
「はい……」
「もし、
「いえ、それは難しいかと思います。まず一つ、私は扉を死守する戦いで法力をほぼ使いきっています。正直戦闘力としてほとんどお役に立てないかと思います」
そう言って俯くシスター、そんなに申し訳なさそうな顔はしないで欲しい。
「シスターは子供達を守るために死力を振り絞ったのですからそんな顔はしないで。シスターが頑張ってくれたから僕はギリギリ間に合ったんですから」
「そんな……私なんかが」
本当にシスターの頑張りには頭が上がらない。この人がいなかったら孤児院の皆は、あの悍ましい悪霊の仲間になっていたのかもしれないのだから。怯えながらも無傷で僕を見上げる子供達の顔を見渡すと、本当にシスターへの感謝の気持ちが溢れてくる。
階下を見れば、まだ悪霊たちは一階をうろうろしているようだった。
もしかするとこのまま時間を稼げるのではないだろうか? そんな甘い考えが僕の頭を過る。
しかし次の瞬間、僕は自分の迂闊さを痛感させられる事になった。僕はその時、幻術に上手く嵌った悪霊たちが右往左往する様を見て失念していたんだ。
あの悪霊はどうしてこの教会に集まってきたのか?そしてなぜ彼らはここに入って来たのか?
――その答えはすぐに解る事になる。
「アァァァァアァァァ ミエナイ デモ イル ワカル セイジャノ イノチノカガヤキ!!」
「カクレテル デモ ワカルヨォ」
「サムイ サムイ ヨ」
「ア、ア、ア、チカクニ イルゥゥゥ」
「な、なに!?」
静かに徘徊しているように見えた悪霊たちが突如騒ぎ始めたと思ったら、その動きが突然変化した。明らかに何かを探している。
――生者の命の煌き? 彼らは今そう言っただろうか。暫く何かを探すように動き回った悪霊がピタリと動きを止める。
なんだろう、嫌な予感がする。悪霊は動かない、相変わらず呻いている。その異様な姿に恐怖した子供達が僕に集まってきた。みんな少し震えている。大丈夫だよ、彼等にこちらは見えていないはずだから。
……ゾクリ
暫く動きを止めていた悪霊だったが、その顔が突然こちらを向いた。向いたと言ってもそこに顔はなく、黒いモヤのような物があるだけなのだけど。だけど分かる、アイツは間違いなく僕らの方を見ている、その何も宿さない顔は、幻覚に囚われているはずなのに、僕等を見ている様に感じる。
「イタ イタ! ミエタ ヒカリダ イノチノカガヤキ」
「ニクイ、ニクイ、コンナニサムイノニ コンナニカナシイノニ!!」
「……ッ!?」
悪霊たちは明らかにこちらを見つめていた。彼等は確かに幻覚を見せられているはずなのに。
命の輝。
どうやら彼等の物の見え方は僕等とは異なるみたいだ。彼等は視覚情報の他に、生き物のもつ何かが見えているようだ。こうなったら仕方がない。こちらに来る前に、僕がなんとかしないといけない。
――手が震える。情けないけど怖いよ。でも、震える僕の手に温かい何かが感じられた。
「……魔女おねえちゃん」
それは僕に寄り添うミリィの温もりだった。そうだ、僕は何を怖がっているんだ。最悪ここで命を失っても死にはしないはずだろう。巫山戯るな清川棗、この子達は死んじゃったらそれまでなんだぞ! |あいつ(・・・)だったらこういう時に怖気づいたりしないだろ! 何を怯えているんだ僕は。
「シスター、子供達をお願いします。出来れば隙を見てみんなで逃げてください」
「え、な、ナツメ様いけません!?」
僕は身体強化をかけ、二階から飛び降りる。――着地点にも小さいのが数体居るな。
「幽世の住人よ、
これも女神様の加護なのか、頭に浮かぶ聖言を一言ずつ紡ぐ。無詠唱の簡易的な法術では無い一撃。喰らえ僕の全力法術!
「
アメちゃんの宝玉が輝き、いつもより強い光が着地点を包み込んだ。手応えあり、どうやらこの頭に浮かぶ聖言を詠唱をすると、法術の威力が上がるらしい。
「ア、ア、アァ……」
光に包まれた悪霊たちは光に溶けるように希薄になり、やがて霧のように霧散した。
よかった、僕の法術でも十分戦えるみたい。
「ヒト、ヒト、ヒトダ、ウラヤマシイ、アタタカイ、ヨコセ!」
僕が降り立つと同時にこちらに向かって手を伸ばす大型の悪霊、でも動きは鈍い、これなら。
「もう一発!
上手くこちらに注意を引けたみたいだけど距離が近い。聖言を唱える余裕はなさそうなので無詠唱で唱えてみる。狙うは悪霊の伸ばす腕。簡易式なのでダメージにはならないかもしれないけど、何とか方向を逸して距離を……え!?
「アァ、アタタカイ、キイテ、キイテ」
「うぁわぁぁぁぁぁああぁぁ!?」
「ナツメ様!!」
僕の放った無詠唱の
悪霊の触れた僕の腕は、触れた部分からまるで血管の中に氷水を注がれるかのような冷たい不快感が広がり、彼らの声が頭に直接響いてくる。何か引きずり込まれるような感覚に襲われ、その不快感に吐きそうになったけど、何とか意識を保ちつつ全力でアメちゃんを振るった。振るわれた杖を嫌がったのか、悪霊の僕を掴む力が緩み、何とか距離を取ることに成功した。そうか、今のが死霊術、正直思っていた物とはと大分違うな、凄く気持ち悪かった……。
「こんなの何回も体験したくないね……」
先程触られた腕を摩りながら、今の攻防を振り返ってみる。どうやら無詠唱の
悪霊に気取られないように横目で二階を見ると、未だ子供達とシスター達がそこに居る。何とか彼らを逃がさないとまずい。シスターはこちらに何度か来ようとしては逡巡しているみたい、凄く悔しそうな表情をしているけど、それで良い。法力の尽きてしまったシスターでは足手まといだし、殺されても地球に戻るだけの僕なんかよりみんなの命のほうが大事だ。危ない事はしないで欲しい。
「――幽世の住人よ」
詠唱を開始すると、黒い
流石大木を引き抜いて投げる力。死霊術で掴まれなくても殴られたら死ねるね、これは。
思わず震えて硬直しそうになるけど、そんな情けないのはゴブリンの時の失敗で十分だ。震えて固まる前にまず動く。僕は二度と足手まといにはならない。
「
詠唱完了、喰らえ!
「
「アァァアァァァ」
先程より強い光があたりを照らす。流石に今回は中々に効果があったようで、悪霊の体の一部が少し削れていった。いけるかもしれない。このまま逃げ回りつつ戦えば動きの遅いコイツ相手に勝利できるかもしれない。
「よし、もう一発。幽世の住人よ……」
――またしても僕は馬鹿だった。上手く行っている時こそ警戒を解くべきではなかった。僕はこの時、痛いほどそれを思い知らされる事になる。突然悪霊はうめき声を上げるとその体をくねらせ始める。僕が異変に気がついた時にはもう遅く、僕は腹部に謎の強い衝撃を受けて吹き飛ばされていた。
「うげぇっ!」
口から苦いものがこみ上げ、僕は教会の壁に叩きつけられてしまった。全く受け身も取れず、今の一撃で骨も折れたかもしれない。息が吸えないほどの激痛の中、何が起きたのか理解できない僕に、もう一度、先ほどと同じ衝撃が叩き込まれた。
痛い、怖い、痛い、痛いよ……。
「ナツメ様!? 今そちらに行きます!!」
転がる僕に向けてシスターの悲痛な声があがる。
いけない、シスターがこちらに来てしまう。今のシスターが来ても無駄に危険な目に合うだけなのに!
意識を失いそうな激痛の中、僕の目の前で階段を駆け下りるシスターに、歪な形になった悪霊が振り向いた。その時、僕は一体何に吹き飛ばされたのかを理解した。先程まで曲がりなりにも人型のような物を保っていた悪霊だったが、今は細く長い腕のようなものが一本生えただけの、大きな塊のような形状になっていた。
その腕はカマキリの鎌のように折り畳まれていたが、次の瞬間階段を駆け下りるシスターに向けて放たれる。これだ、僕はこれに殴られてしまったんだ。
「キャァッ!?」
上から見ていたお陰で悪霊の攻撃方法が解っていたんだろう。シスターは辛うじてその一撃を躱していた。しかし、空振りしたはずの腕は勢いを失わずにシスターの足元に打ち込まれ、シスターの立っていた階段を破壊してしまった。足場を失ったシスターは階下に落下してしまったが、それほど大きな怪我はしてないように見える。ひとまず安心した。
どうやら悪霊は、あの形状になると歩き回れない代わりに、腕の力と振りの素早さを、より効率的に発揮する事ができるらしい。しかし、死霊術を使ってこなかった所を見るとあの形状では魔法を使う事は出来ないのかもしれない。
「魔女おねえちゃん!」
不味い。倒れ伏した僕を心配した子供の一人が声を上げてしまった。悪霊の腕が、二階を向いた。
「ばっかやろー、させるかよ!
威力なんかどうでもいい、こっちを向け化物、お前を傷つけられるのは僕だ!お前は大人しく僕と遊べよ!
体が軋むように痛いけど、それがどうした。子供達にだけは手を出させないぞ。僕はみんなの魔女おねえちゃんなんだ!
「女神よ、その癒しの手よ、傷つきし汝が子等に祝福を!
僕の使える最高の治癒術を自分にかける。良かった、何とか動ける程度には回復できた。内臓破裂などしてしまっていたら流石に今の僕ではどうすることも出来なかったけど、骨折くらいなら何とかなる。
ゆらゆらと腕を揺らす悪霊、本当にカマキリみたいだ。呼び名が無いと不便だからあいつの事は黒いカマキリで”黒カマ”って呼ぼう。
傷を癒やし、アメちゃんを構えると、黒カマは腕を擡げ、僕に向かってそれをまっすぐに放ってきた。
「なめんなよ、僕だって伊達に訓練していたわけじゃないぞ!」
最初は不意打ちだったから対処できなかったけど、今は違う。こんなまっすぐ飛んでくるだけの腕、しっかり見れば躱せない事はない。ヒデの組手争いはもっと速くて上手いんだからな!
「幽世の住人よ、
「ア、アァ……」
上手く飛んできた腕を背後に往なし、詠唱を完成させる。光に照らされた黒カマはその体を小さく削られていき、遂には体を維持できなくなったのか複数の小さな悪霊へと姿を変えていく。
「……やったか」
僕はそれらの悪霊に無詠唱の
――…… しかしその時、僕の肩口からゾッとする様な冷たいものが流れ込んでくるような感覚が襲ってきた。見ると、先程往なした腕だったものが複数の小さな悪霊に別れ、僕の頭上から降り注いでいた。悪霊の腕はしっかりと僕の方を掴んでいて、どんどん僕の中に入って来ようとしているみたいだった。
「ぅ、あぁ……」
一人目の悪霊に囚われ動きを阻害されていた僕は、次々僕に取り付く悪霊に為す術無く飲み込まれていった。
――意識が、遠のいていく。
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