第十五話 棗の涙

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 ―――― side ウォルンタース




 ……何故、こうなった。




 今目の前には鼻息荒く準備運動をする聖女ナツメ様の姿がある。その姿は愛らしくはあるが、明らかにやる気十分と言った感じだ。正直気負い過ぎな気もする。


「……ヒデヒコ様、私は何をしでかしてしまったんでしょうか?」


「あー、ウォルンタースさんは別に何も悪くないんスけどね。あいつの地雷をピンポイントで踏み抜いたと言うか何というか……」


「地雷、でございますか? それは一体?」


「あ。こっちの世界に地雷はないか。要するに棗の怒るツボを押しちゃったってわけなんスよ。あいつ子供の頃から体小さかったもんで。その上あの顔なんで。割とバカにされたりしてたんスけどね。そう言う奴らを相手にあいつ、全員を腕ずくで黙らせてきたんスよ」


「腕ずくですか!?」


「まあ、ちょっとした理由で今は更に小さくなってるんスけど、あいつにとって”か弱い”とか言われるのは一番地雷なんスよね。他のことは何されても滅多に怒ったりはしないんスけどねえ」


「な、なんと、そうとも知らず……私は何と愚かな」


「あー、いやいや、悪いのはあのバカなんでウォルンタースさんは何もわるくないッス。適当に騎士何人かぶつけて解らせてやって下さい。あいつはか弱い女・・・・なんだって事を」


 どうやらヒデヒコ様はこの展開に思うところは無いらしい。それどころか、何故かナツメ様を叩きのめせと仰る。あんなに仲睦まじいお二人なのに、何か理由があるのだろうか?


「さあ、始めましょう。僕はいつでも大丈夫です。遠慮なく武器木剣も使っていただいて構いません」


 防具のようなものはつけずに勇ましくナツメ様が言う。その立ち姿からは緊張は伺えず、確かにこういったことに慣れているような空気を感じる。


「うわぉ、キリッとしちゃって可愛いなあ、このぅ!」


「あー葵先輩は! くっつかないで下さいぃ!!」


 とは言え、まとわりつくアオイ様を引き剥がせないでもがいているナツメ様が体術で戦う姿など想像もつかないのだが……。





 ――――……





「まぁ、こんなもんだろ」


「ナツメ様、まさかこんな……」


 今、眼の前には息も絶え絶えになって座り込んだナツメ様が居る。その小さな肩を上下して息を整えておられる。だが、何より驚いたのはナツメ様の目の前、2人の騎士も大の字になって倒れている事だ。あの小さな体でよくぞと感心する。しかし……


「う、ふぐぅ……」


「何で泣いてるんだよ、お前……」


 興奮しすぎたのかナツメ様はポロポロと涙を流している。負けてしまわれたのが余程悔しいのでしょうか。とは言え、ナツメ様の体術は予想外の素晴らしい物だったと思う。


 ――開始の合図のあと、流石に可憐な少女を相手に斬りかかるのを躊躇った騎士に向かい、独特な歩法で一気に間合いを詰めたナツメ様は、剣を握る騎士の利き手を極めにかかった。


その不思議な歩法に呆気に取られた騎士だったが、流石に間合いに入られて惚けるような鍛え方はしていない。即座に取られそうになった利き手を引き、極められるのを防いだ。


だが、極めかけた手を外されそうになったナツメ様は迷うことなく技を放棄、そのまま流れを止めずに次の技に移行した。迷いのない技の流れに戸惑った騎士の一瞬の隙を突き、ナツメ様は腰にしがみつくような形で組つくと騎士の足を刈り取りとった。


 か弱いジョセだと思っていた相手に突然腕を極められそうになり、半ばパニックになっていた上流れるように投技をかけられた騎士はこれに全く反応をできず、為す術無く地面に叩きつけられた。しかも、倒した後もナツメ様の動きは止まらずそのまま絞め技に移行。袖と袖を合わせるようにしたナツメ様の腕に首を圧迫された騎士は敢え無く失神。会場内にどよめきが上がった。


ナツメ様の一連の動きは非常に洗練されており、初見であれば私とて防げたかどうか分からない程の技だった。


「次っ!!」


 よく通る凛とした声に、呆気に取られていた騎士達だったが、その中の一人が練兵場中央に歩み出た。


「よろしくおねがいします!」


「よ、よろしくおねがいします聖女様」


 二戦目、先程の騎士にあった油断は最早無く、開始早々裂帛の気合とともに容赦なく木剣が振り下ろされた。


「あ、不味いな……」


「え?」


 鋭く振り下ろされた木剣であったが、ナツメ様はその一撃を半身になって躱すと、そのままの勢いで間合いを詰め、再び騎士の利き腕を抱え込み腕を交差するように十字に極める。騎士が痛みに仰け反ると、その勢いを利用しつつ床に転ばせた後、肩に手を置き、騎士の背後に向けて伸ばしきった腕を固定すると、小さな体を使って体重を乗せつつ手首を捻る。体重も軽く力も弱いナツメ様ではあるが、流石に体すべてを使って手首を極められてしまえば返す事は出来ない。


「ま、参りました!!」


「次っ!!」


「あいつスイッチ入って暴走してやがるな、今の技なんか柔道技ですらねえぞ、何だあれ。しかも割と力が弱くなっても戦えてやがる。まいったな、これじゃ逆効果だ。ウォルンタースさん、申し訳ないけど次はかなり強い人をお願いしていいですか?」


「なんですと!?」


「うーん、ここでアイツ勝たせちゃうとこの先も無茶しそうなんで、ちょっと一発ボコボコにしてほしいんですよねえ」


 ヒデヒコ様の言葉に私は耳を疑った。彼らと出会ってまだそれ程長い時間をともにした訳ではないが、それでも彼がナツメ様をとても大切に思っているのは分かっている。それだけにヒデヒコ様のこの言葉には衝撃を受けた。


「アイツの体、詳しくは言えないんですけど、すっげえ弱くなってるんですよ。だからここらで一回、安全な場所で負けておいて欲しいんですよねえ。とは言え、騎士の皆さんは剣術は強いけど組技にはあまり詳しくなさそうだし、このままだと不味いか。……よっし」


 そう言うとヒデヒコ様は、何か覚悟を決められたお顔で練兵場の中央へ向かわれた。


「おい、棗ぇ! 俺とやっぞ!!」


「むっ?」


 鎧を脱ぎ、中央の試合場に向かわれたヒデヒコ様を見ると、ナツメ様の顔つきが変わられた。いつものほんわかした顔ではなく、野生のネコ科動物のような鋭い印象を受ける笑顔を浮かべておられる。


「なんだよ、秀彦も今の僕の力を疑うのか?」


「なんて凶暴な顔してやがる。お前いつもは大人しいのに、柔道の事だけは本当に沸点低いよな」


「僕の柔道が大人しいだと!?  いくらお前でも許さないぞ秀彦!」


「言ってねえよ、狂犬か!?」


 そしてお二人は開始の合図もなく戦闘に入られた。いや、開始の合図をする前に、ナツメ様が信じられない行動に出られたのだ。


「そりゃあ、先手必勝!!」


「きたねえ!?」


 初手、練兵場の砂をすくい上げ、ナツメ様の目潰しが炸裂する。……えぇっ?


「いいぞ、棗君! 秀彦にのみ発揮するド汚い実戦形式、そんな君も大好きだぞぉ!!」


 試合を見ていたアオイ様からの声援が飛ぶ。それで良いのでしょうか?

 開始早々ナツメ様の奇襲が成功し、試合展開は一方的なものになった、視力を封じられたヒデヒコ様は技をかけては離れるナツメ様の素早い動きに翻弄され、為す術が無いように見られた。


 体格差はあるが、ナツメ様の拳はなかなかに鋭い。的確に急所を狙う攻撃に、さすがの秀彦馬様も守勢に回っている。


 ……はて、お二人の修められた武道は投げと絞め技を主体としたものだと聞いていたが?


「てめぇ、柔道の試合じゃねえのかコラァ!?」


「違いますー、ここは練兵場で、やっているのは実践練習ですぅ!!」


 ふざけあってるようでいて、ナツメ様の攻めはきつい。迂闊に前に出したヒデヒコ様の腕にしがみつくように飛ぶと、そのまま体重を預けて腕ひしぎ十字固に持っていく。


この方は本当にあの聖女ナツメ様なのだろうか? どうにもヒデヒコ様に繰り出す技はどれもこれも、とてつもなくえげつない……。


「わっはっは、その腕もらったぞ秀彦! ……ん!?」


 勝ちを確信したナツメ様、私もそう思った。しかし、倒れ込み極まると思われたヒデヒコ様は腕にナツメ様をぶら下げたまま直立する。


「捕まえたぜ棗。悪いけどな、今のお前は軽い。こんなんじゃ俺は倒れねえぜ!」


「ッ!?」


 そのまま腕を振り上げ、ナツメ様を地面に叩きつけるような動きを見せたのち、左手を頭に回し、ナツメ様のお体を優しく地面に横たえました。……素晴らしい。


 流石ヒデヒコ様、この様な戦いの中でもナツメ様を大事にされておられるのがよく分かる。素晴らしい、騎士道精神にも通じる高潔さ。


 ……しかしその直後、ナツメ様は何かに深く絶望されたような表情を浮かべられ、そのまま涙を流し始めてしまわれた。







 ――そして先程の状況……伸びた騎士と、泣きじゃくるナツメ様。そして困ったように頭をかくヒデヒコ様という図になったのだった。


 だが、負けてしまわれたとは言え、ナツメ様は想像以上にお強かった。なぜあそこまで悔しそうに泣かれているのだろうか? あれだけ戦えるのだから、ナツメ様の強さは証明されたはず。それに、あのお顔は、負けて悔しいと言うより、何か別の……?


 むぅ、ヒデヒコ様も困って居られるようだが、私の方を見られましても何も分かりませぬぞ……。


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