第十六話 エヘヘ……
16
――――side ゴリラ
どうもこっちの世界に来てから棗の情緒が不安定だ。まあ性別が変わっちまったんだからそれも仕方ない。
だけど、体力が落ちている自覚がないのはヤバイと思う。しかしあの脳筋女。小さい体になったのに器用な技で兵士の人達に勝っちまいやがった。正直これには俺も驚いた。あいつがドヤ顔するのも解る。俺も棗の技の冴えには素直に感心した。
――だが、ここで調子に乗せるのは危ない。元々アイツは見た目によらず負けん気が強い。こんな世界でも無茶をするのは目に見えているし、聖女なんて体で強敵相手に近接戦闘なんてさせたら本気で危ねえ。そう思って割と本気で負けさせたんだが……
「……」
「なぁ、そろそろ許してくれよ」
ここまでへそを曲げるというのは想定外だった。俺に負けた後、棗は悔しそうにしていたが再戦を申し込んできたので三回負けさせた。驚いたのは、体力が女子になったくせに意外と苦戦させられた所だったが、なんとか怪我をさせずに負かせる事には成功する。手加減してこいつに勝つのは本当に骨が折れた……
「今日お前が俺に負けたのは仕方ねえ事だ。元々の体で俺たちは同じ位の強さだったんだから、そりゃ女になったら俺のほうが強いに決まってるって」
「……」
いくら三連敗したとは言え、こいつ今日はやたら怒ってるな。頬を膨らませて目線を合わせようともしない。なんだよ、俺たちの勝負はいつもどっちが勝ったってさっぱりした物だったじゃねえか。やっぱり女になっちまった事で感情の起伏が激しくなったのか?
「ぶー!」
……あんまりに無視するから試しに膨らんだ頬を指で潰してみた。ビックリしたような顔でこっちを見たので笑ってやったら、鼻面を本気の拳で殴られた。強烈な衝撃に目がくらんでいる間に棗は立ち上がり出口へと向かう。
「おい棗!負けたからってそんな態度はねえだろ?何か言えよ」
「……違う」
「あ?」
「僕はお前に負けたから怒ってるんじゃない!!」
「はぁ!?」
本気でよくわからないことを言い始めた。どういうことだ? しかもこの顔、本気で怒ってやがる。
「そんな事も分かんないのかよ!!」
なんだ、どう言う事だ? 俺は棗に何か変なことしたか? うーん、訳分からん。まさか理不尽な八つ当たりとかじゃねえだろうな?
「分かるわけねえだろ、何怒ってんだお前?」
「バカ……」
「あぁ?」
「ヒデのバカ!バカゴリラ!!!」
「ぐぁっ!?」
棗は出口横にあった練習用の木斧を投げつけると物凄い音を立てて出ていった……ドアが壊れるぞ。
しかし、なんちゅう物を投げつけるんだあのバカ。でっけえコブができたじゃねえか。
しかも突然怒り出したせいで、兵士さん達やウォルンタースさんが動揺してるじゃねえか。そうだよな、見た目清楚でおとなしそうな棗があんなふうに怒ったらそりゃ驚くわな。まあ、ぶっちゃけ俺もアイツがあんなに怒るのは久しぶりに見たから驚いたんだけどな。
「何なんだよアイツ、意味分かんねえ……」
俺が首を捻ってると、姉貴が少し困ったような表情で近づいてきた。
「うーん、棗きゅんが怒っちゃった理由。ヒデには分っかんないのかなー?」
「なんだよ、姉貴は分かるってのか?」
「もちろんだとも。私は棗君をずっと見つめてきたからね、棗くんが何を考えているか、どこでどうしているか、好きなものは、毎日何を食べているのか、お風呂に入ったらどこから洗うのか、何時に寝るのか、寝る前にすることは何なのか、全て分かっているとも! 私は心の底から棗くんを愛しているのだよ、性的に!!」
「キモッ!?」
知ってはいたが、我が姉は変質者すぎる。弟の俺でもドン引きだ。
「なんだと? こう言うのは昔は純愛で片付けられていたのだから問題ない行動なんだぞ!!」
「今でも昔でも、風呂とか寝室見張ってるのは犯罪者だと思うぞ!」
「ちなみにヒデのも知ってるぞ! 私は弟も愛しているからね、性的に!!」
「やめろ変質者!!」
ドヤ顔で胸を張る
「そ、その、ナツメ様は大丈夫でしょうか? 一応コルテーゼが付いておりましたのでお部屋には戻られると思うのですが」
「あー、すいませんねウォルンタースさん、後で頭冷えたら話聞いてきますよ」
「ナツメきゅんが何で怒っているのか判かっていないのにかな?」
「……」
確かになぁ、何でアイツあんなに怒ってるんだか。
「なぁ、俺何か変なことしたか?」
「……ヒデ、本当の本当に分からないのかい?」
「ん~?」
姉貴は呆れ顔だが、そんな事言われても全く分からん。
「棗君がどうしてお前のことを一番の親友だと思っていたのか? そしてお前は今日、棗君に対して何をした? 分からないかい?」
「……あ」
姉貴の回りくどいヒントに俺は頭をぶん殴られたような気持ちになった。
「うむ、めぐりの悪いゴリラ脳のシナプスに電流走ったようだね」
「そう言う事かよ、無茶言いやがる」
何でアイツが怒っているのかが分かった。仲直りの道筋は見えた。でも、それは……。
「解かったらやる事は決まっているだろうヒデ。お前は良かれと思ってやったんだろうが、あれは傷ついたと思うぞ?」
「うー、マジかよ」
「まぁ、棗君を呼び出すのは私に任せたまえ、お前はそこで覚悟を決めておくが良いさ」
気が進まねえ。俺がガシガシ頭を掻きむしっていると、姉貴が棗を呼びに行っちまった。マジか、時間もくれないつもりかよ。
……―― 程なくして、まだ不機嫌そうに顔を膨らませた棗と、ニマニマ笑みを浮かべた姉貴が帰ってきた。ウォルンタースさんやコルテーゼさんは心配そうな顔をしている。本当に心配なのは俺の方だっての……。
「……何だよ秀彦、僕なんかに何か用?」
あー、すっかり拗ねやがって、面倒くせえ。
「棗、再戦だ、もう一回やるぞ」
「……」
棗は沈んだような、でも少し期待を向けるような眼差しを向けてきた。くそ、正解かよ……。
「手加減なしだ!」
「……ッ!!」
棗の顔色が変わった。少し驚いたような、少し嬉しそうな、でも不安そうな、良く分からない表情だ。恐らくその全てが正解なんだろう。俺たちは無言で対峙し、姉貴の開始の合図とともに構えをとる。
「行くぞオラァ!」
「お、おう!」
俺も棗も一気に前にでる。先程までの戦いとは違い、俺から棗の襟を取りに行った。とっさに反応はしていたが、体が小さく力の弱くなった棗はガッチリと掴まれた袖を切ることが出来ない。俺は、やや力任せに引き手で中襟を握り、半身になりながら引きつけ、棗の体を手前に崩す。そのまま俺が足をかけると棗の体は豪快に宙を舞い、為す術無く地面へと叩きつけられた。
手加減はしない、俺の全力の”大車”だ。
棗はなんとか受け身をとったが、その衝撃は激しかったようで、蹲ったまましばらく動けずにいた。そんな棗の姿を見ると酷い罪悪感がこみ上げてくるが、俺はその感情を気合でぐっと飲み込んだ。そして
「よぉ、大丈夫か棗?」
「痛たた、エヘヘ……やっぱりヒデは強いな!」
俺の声に反応して棗の顔がこちらを向く、その顔は花が咲いたような笑顔だった。
「負けて笑ってんじゃねえよ馬鹿……」
結局の所、こいつが女になったせいで変わったのは俺の方だった。棗は体が小さくて女顔だったから、いつだってバカにされないように必死に体を鍛えていたんだ。それを誰よりも近くで見てたのに、つい女になった棗に怪我させちゃいけないって思って手加減しちまった。対等な友達だと思っていた俺に手加減されて、その事がショックで棗は怒っていたんだな。
「エヘヘ、やっといつものヒデだ。良かった」
「なんだよ……」
「僕はさ、今はこんなになっちゃったけど、ヒデにだけは今まで通り居てほしかったんだよ。ヒデは僕の容姿や体が小さい事を馬鹿にしたりしなかった、たった一人の友達だからさ」
修練場の砂に汚れた顔でヘラっと柔らかく微笑む棗、その顔はいつもの棗なんだけど、何だ?髪が長いせいかどうにも。
……ぐぉっ!?なんだ、何か顔に血が集まったぞ!?何で俺は棗の顔見てこんなにドキドキしてるんだ、やめろやめろ、俺はノーマルだ。そしてこいつはただの親友、
……そんな俺に気がついたのか、姉貴がニヤニヤしながら近づいてくる。くっそムカつく顔してるな!!
「くっふっふ~、ヒデ~顔が赤いぞぉ。どうしたんだい?」
「うるせえ!!」
「本当だ、赤ゴリラだ!」
「お前もうるせえ!」
ケラケラ笑う棗と、ニヤニヤ笑う姉貴。怒ってたときもウザったかったが、機嫌が直ってもウザったいな
「うんうん、お姉ちゃんは棗君と弟が禁断の愛に目覚めても気にせず応援しちゃうぞ! うまく行ったら私も混ぜてくれたまえ!!」
「黙ってろ馬鹿姉!!」
「なぁ棗」
「ん?」
「今回の事で分かったと思うけどよ、お前の体は、前みたいに格闘をするのには向いてねえ」
「むっ」
再び不機嫌な顔になる棗。……でもこれだけは言っておかねえとな。
「そんな顔するなよ、別にお前のこと舐めてるとかそう言うんじゃねえんだ。お前は聖女で俺は聖騎士。この世界では役目ってもんが決まってるんだ」
棗は一瞬驚いた顔をしたが、今は黙って聞いていてくれるみたいだ。
「だからな、前衛で殴り合ったり斬り合ったりするのは俺に任せろ。お前は俺たちを回復して支援するのが仕事なんだ、真っ先に倒れられちゃ困るんだよ」
「う、うん……」
「体鍛えるなとは言わないけどよ、この世界を救うためには俺たちはそれぞれの仕事って物をしっかりこなす必要があると思うぜ」
一瞬何かを言いたそうにしていたが、コクリと頷く棗。コイツもちゃんとやるべき事は分かっていたんだろう。けど、元々男で柔道もやってたから、守られる存在になるってのが我慢できなかったんだろうな。事あるごとに心配する俺に、女になっちゃってもやれるんだって事を見せたかったってのもあるかもしれないな。
「わかった、悔しいけど今はお前の方が強いみたいだからな。前衛は任せるよ。でもな……」
「うん?」
「練習の時は二度とあんなふうに僕に手加減なんてするなよな。僕は確かに回復職になったけど、お前の柔道のライバルまでやめたつもりはないからな!」
「お前、本当に顔に似合わず負けず嫌いなっ!」
ボスボス俺の腹を叩きながら笑う棗。その姿に俺の胸が高鳴……うぉぉぉやめろ、俺の顔!赤くなるな!!
「よし、そうと決まったら早速再戦だ。行くぞ! ゴリラ!」
「お前、本当は俺の話全然理解してねえだろ!?」
――この後、勝つまでやめないと宣う棗を何度も叩きのめした所、10連敗した辺りで涙目になって部屋に帰っていった。結局、手加減されたとか、対等な扱いをしなくなった事とかじゃなく、単純に負けたのが悔しくて泣いてた部分も大きかったんじゃなかろうかあいつ?
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