流れる季節は嘘を付く

涙仙 鳳花

流れる季節は嘘を付く


 いつか居なくなる、結局、離れなくてはいけなくなる、付き合ってしまったら、元には戻れなくなる。

 別れた後に、この人と他のどこか知らない女が、付き合う。この人の身体を知り、中身を知り、キスのしかた、手の繋ぎ方、寝顔、癖、全部を知る。

 私だけが知っていればいいのに。

 愛ゆえに心臓を痛めている私を見て「ざまぁないな」なんて思うんだろう。

 付き合わなければ、ただの友達のままなら、ずっと仲の良い人間でいれる。

 でも私は傲慢だから、欲しくなってしまった。誰かの目線も、投げられる言葉何もかもを無視して、好きだという感情に飲まれて後先考えずに突っ走っていた。


 でも、私は履き違えた。

 愛と依存を。



           ★


 今まで私は、本気で好きになった人間が居なかった。

 告白されれば付き合ったし、どこかに行きたいと言われれば、何も考えずに「いいよ」とだけ言いその子をどこへだって連れて行った。

 恋愛において、好きだという感情を口にはしていたが、それはただの社交辞令でしか無かった。好きだと言えば恋人である存在が喜んだし、私も好きよと返ってくるその簡単な返事に自惚れていた。

 モテている、とは微塵とも、いや、少しは思っていたけれど、それも些細な感情だった。ぶっちゃけ恋愛なんでどうでもよかった。

 簡単に手に入ってしまうから。

 恋の駆け引きやお互いの騙し合いさえ無く、「好き」の一言で男も女も誰だって着いてきた。

 誰も私を疑わない、私の好きは本気の好きだと信じてやまない。それを見る度に馬鹿な人間だなと思っていた。

 性別さえ私は選ばない。落とすのが簡単なのが女だったから女が好きだって勘違いしていたけど、本当は男の方が好きだ。女の面倒臭い束縛、連絡をすぐに返さなきゃ何百と送られてくるメッセージ、毎日寝る前に言う愛してる。全部面倒だった。

 でもやっぱり仮にも恋人である存在に、頓着が無いわけではなくて、その子の連絡が無かったら心配をするし、たまに、本当にたまにだけ可愛いとも思う。

 私も馬鹿で面倒な女だから。

 好きだ、愛してる、可愛い、全部全部嬉しいし、もっともっとって求めてる自分もいた。

 でも、私は人に求める癖に求められたら拒否をする癖がある。「触りたい。キスしたい」その誘い全てを「ごめん今は無理」と言い避けてきた。

 ただ単に恋人同士の行為というものが苦手だった。キスもエッチも許してしまえば、体だけ奪われ、捨てられるという感情に呑まれ、恐怖を感じるのと同時に、こいつに体を渡すなんてという嫌悪感があったからだ。

 ただ、私はその避けるという行動こそが捨てられる原因ということを知らなかった。

 「私たち付き合ってるよね?なんで触れもしないのよ」

 「あれ、もしかしてそういうこと苦手?俺そういう子苦手なんだよね」

 「全然出来なくても、触れなくてもいいんだけどさそれって付き合ってる意味あるかな」

 私の考えは誰にも理解されないということをこの生きた十数年で学んだ。

 人間は触れ合うのが好きだ、触れられ無いものに情は湧かないらしい。

 男は結局女を体で見るし、女は男を金で見る。売春行為で街が埋め尽くされているのがその証拠だろう。体を売ってまで金が欲しい女、金を払ってまで女を抱きたい男。その男女の間ではお互い利益がありwin-winな関係なのだろうが、傍から見て良いものでは無いだろうし、私からしたら好きでもなく、よく知りもしない男に体を開けるという行為自体が理解できなかった。

 それに、一歩外に出てしまえば常にくっつき回っている男女、周りの目も気にせずイチャイチャと二人の世界に入っている男女だらけで、見るに堪えない。

 これを言うと大抵の人間には「ただ羨ましいだけでしょう?」と言われる。でも、大体そう言ってくる人間には恋人という存在がいる。

 恋人がいると知った後にあー、この人もそれをやっている側かと妙に納得する自分がいる。

 やっぱり、やっている側はやっていない側の意見を聞かないし、自分がその立場に立たされている、ということに気が付かない。まぁ、恋は盲目と言うし仕方の無いことなのだろうけど。

 「お待たせウタ!ごめんね急に呼び出して」

 「いや、暇だったし」

 バタバタと走ってきたのは高校で同じクラスの萩原凛はぎわらりん

 昨日の夜、凛から急に相談があると連絡が来て、ちょうど休日だし、暇だからという理由で快く了承をした。

 「今日も暑いね、ここに来るだけでちょー汗かいちゃった」

 「じゃあ、どっか入ろうか。カラオケでもいいしカフェかどっかでも」

 「そうだね、でもあんまりカフェで話すような内容じゃないからさ、カラオケでもいいかな」

 凛は少し下を向き、照れているような、はたまた寂しそうな顔をしてそう言った。

 この子の事だ。きっと恋愛の話だろう、そう思い「いいよ」とだけ返事をし、二人肩を並べ、カラオケまで歩いて行った。

 歩いている道中の会話は、学校の話や人間関係、休日にわざわざ来てくれたという私への感謝など他愛のないものだった。

 


 カラオケに着くと、休日でも意外と空いていてすぐに個室に案内された。

 部屋はクーラーが効いていて涼しい。

 「先に飲み物取ってこよ!あと私アイスも食べたい」

 凛は自分の分と私の分のコップを持ち、ウキウキしながら部屋を出て行った。それに私も着いて行く。

 「何ジュースにする?ウタ確かコーラ好きだったよね!見てこれ、コーラ+グレープだってよこれ美味しそうじゃない?」

 「そうだね、それにする。っていうか、私の選ぶ前に自分の選びなよ」

 「確かに!」

 明らかに、いつもより浮かれていた。今まで沢山の女の子を見てきたから、相当の悩みがあるんだとすぐに分かった。女の子は弱っている時ほど自分を繕うとするから。

 私はコーラ、凛はメロンソーダにアイスを乗せたコップを持ち、さっき案内された部屋へと戻る。

 ドアを閉め、持っていたコップをテーブルに置き、ソファに二人横並びに座った。

 「ねぇ何歌う?」

 凛はソワソワとして落ち着かない様子だった。そのソワソワに終止符を打つのもまた、私の仕事。

 「話をするために来たんでしょ?なら先に話しをしよう、歌はそれから」

 スマホを置き、淡々とした声でそう言う。凛は「んー、」と少し唸りながら恐る恐る声を発した。

 「私さ、彼氏出来たって前言ったじゃん?とても良い人だし、頼れる人なの。でも……」

 「うん」

 「たまーにね、本当に偶にだけ凄く嫌いだなって思うことがあるの。喧嘩した時、私が泣いちゃったのに気にしないでゲームしてたり、どこかに出かけちゃうの。凛を置いて」

 今にも泣きそうな、震えた声で彼女はそう言う。顔は俯いていて見えなかったけれど、必死に涙をこらえているのはひしひしと伝わってきた。

 まぁ、私の回答はただ一つだけなのだけれど。

 「別れなよじゃあ」

 「でも!好きなのよ?凛は本当に好きなの!たまに少しほんの少し嫌いになるだけなの」

「確かに、全てを好きでい続けなければならないって事は無いよ。でも、現状嫌いなんだったらこれからも変わらないし、定期的に大嫌いになって喧嘩になるよ。それに耐えられてかつ、誰にも不平不満の一つも漏らさずに居られるなら勝手にすればいいと思うけど」

 「それは違うじゃない!確かに凛は彼氏を嫌いになるよたまにね。でもそれに対して不満の一つさえ誰にも話しちゃいけないって言うの?悪魔でしょ」

 「凛みたいな女は、どれだけこっちが意見を言おうとそれを素直に聞こうとしない。それなのに、不満や意見だけは一丁前に求めるでしょ。それに振り回されるこっちからしたら、ただ疲れるだけだし見てる側は自業自得としか言いようがない」

 畳み掛けるように言ってしまったせいか、凛は目から涙を流しただ俯き静かに泣き出した。

 何を言おうにも「だって……」としか言わなくなり、最終的にはもういいよとだけを言い残し部屋から出て行ってしまった。

 何より私が不満に思ったのは、ただ正論を言いそれに対して逆ギレをされた事でも取り残されたことでもなく、二人分のカラオケ代を払わされた事だ。

 はぁ、とため息をつき会計を済ませ店を出た。結局、カラオケに居た時間は精々一時間程度だろうか。

 こんなにすぐ話が終わるなら電話で済ませておけばよかったと、信号を待ちながらそう思った。まぁでも、電話をすれば余計にヒートアップして長くなっただろうし、何より、対面で意見を言われた方がダメージも多いだろう。

 今回の話で彼女が諦めるとは到底思えないけれど。

 だけど、何度も同じ話をされ、何度も同じ言葉を言い、何度も同じ結末を繰り返す日々を今日で終わりにできたのは、私の中で大きい成長にはなった。

 そこだけは感謝する。

  少し歩くと、交差点の先にある本屋が目に付いた。丁度ノートを買おうとしていた事を思い出し、ついでにとその本屋に寄ってから帰ることにした。

 店の中は涼しく、沢山並べられている本の匂いで充満していた。

 はぁ、やっぱり本屋は落ち着く。

 基本的に同学年の子たちは本屋に来ないし、騒がしい人も居ないから、静かで穏やかに自分の時間を過ごせる。

 ノートを探すついでに色々と本を手に取り表紙を眺めたり、あらすじを読んで回った。毎度小説を読む度に、「私ならこう書くのに。」「この文章、読みにくいな」など、誰にも言わない感想を心の中で述べてしまう。。私は文を書き、それを仕事にできている人間がただただ羨ましいのだろう。

 自分より歳が下の人間がテレビに紹介されたり、フォロワーが沢山いるのを見ると、大人気ないのだけれど何かしらで炎上すればいいのに、なんて思ってしまう。私は傲慢だ。

 そうこうしている内にノート売り場に着いた。赤や青などカラフルなノートがずらりと並んでいる。

 その中から一番シンプルな青のラインが入ったノートを手に取り、他に何か必要なものがないかを探す。そういえば、消しゴムも小さくなっていたなと思い、近くにあった小さめの消しゴムを手に取った。

 欲しい物は見つけられたので、手に持っている文房具をレジまで持って行った。

 ピッピッと店員さんが一個一個レジに打っていく。

 「袋どうなさいますか?」

 「あ、ください」

 「かしこまりました。お会計、三百二十五円になります」

 丁度が無かったので五百円玉を店員さんに渡す。

 「五百円、お預かり致します」

 会計をしている最中に店内で流れているアナウンスが気になった。

 『中学校一年生の○○ちゃんが書いた小説が、本屋大賞を受賞したことを記念して声優の‪‪‪▲▲さんが朗読劇を……』

 中学一年生、か。しかも、有名な人気声優に朗読して貰えるなんて。

 私がずっと夢みていることを意図も簡単に成し得てしまう。私はずっとここにいるのに、どんどんと先を越されて行く。悔しいな。

 「百七十五円のお返しになります」

 「ありがとうございます」

 ありがとうございましたー、という声を後にして急いで店から立ち去った。

 外は気付かない間に夕方になっていた。お店に入ってから知らぬ間に何時間か経ってしまっていたようだ。

 少し肌寒くなった街は冬の匂いがした。

 あと数ヶ月も経ってしまえば、私は次の学年に上がって後輩ができ、本格的に進学の話や就職の話で持ちきりになる。現状やりたい事はあるが確定した未来は無いし、先生や親も許してくれない。仕事をしながらやりたい事を少しずつ進めるにしても時間はかかるし、仕事に手一杯になって、できることもできなくなっていく。やるとしたら今年中、少し時間が経ったとしても来年には一歩を踏み出したい。

 なんて、夢ばかりを語ってそれに向けて頑張ろうという気には未だなれてはいない。今まで頑張って来れたのは理由があったからで、その理由が無くなった今、私は何を目指し何を求め夢を追えばいいのだろう。

 

          ▲


 大通りの信号。横断歩道の先が私の帰りのバス停。 

 確か、ここの信号は長いんだっけ。

 車通りが多いからか、通常の信号より少し長めに設定されているこの信号は数分待たないと次へと変わらない。

 それがカップルには好都合なのだろう。ほら、よく恋人が出来たらやりたい事ランキングとかにも載っている信号待ちでキスをする男女や、完全に二人の世界に入り他人の目も気にせずイチャイチャする男女やらが、この横断歩道にはよくいる。

 わざわざ外でしなくたっていいだろう。

 写真を撮られたら?動画を撮られ、ネットに上げられ一生の傷を負ったら?別れたあとが地獄だろうな。世界の玩具にされるのもそれはそれで、こっちとしたらただ面白い為いいのだが、本人からしたら溜まったものでは無いだろう。

 まぁ、そんなことを考える暇がないからやっているのだろうけど。

 パッと信号が変わり青になった。信号待ちをしていた人達が一斉に歩き出す。

 人が人の横を通り過ぎて行く。幼い子供、学生、老人、仕事終わりのサラリーマンにカップル。

 みんなそれぞれの時間を過ごし、ここにいる。一瞬だけれど人は人とこの瞬間に関わりを持つ。急に喧嘩を吹っ掛ける人、重い荷物を背負っている老人に手を貸す人、同じ推しのグッズを持っている人に話しかける人もいるだろうな。やっぱ人間って楽しいななんて、そう思い自然と口角が上がってニヤつく。

 「良い面でも悪い面でも人間は人間で、善人も悪人も生きてきた時間も道も大して変わらないんだよ。それに姿形が変わらない限り、悪人も善人も見かけだけじゃ分からない。僕も悪人かもしれないよ」って笑いながら三影みかげが言ってたな。

 初め聞いた時は意味がわからなかったけれど、今になってやっとわかった気がする。

 すれ違う人の中にはきっと悪人もいるだろう。けど、見た目じゃ分からないし、人間の勘なんて当てにならないし、善人だと思って知らず知らずの内に離れたり近付いたりしている。見た目だけで分かったら人生つまんないしね。

 三影の言葉を思い出したら無性に三影に会いたくなった。二十歳、歳が離れている三影は小説家だった。凄く売れている訳ではなかったけど、楽しそうに本を書いて、小さな狭い部屋で日々を綴っていた。本を愛し、自分の作品を愛していた三影は私の憧れだった。 

『三影はさ、なんで本を書いてるの?』

『なんで、か。僕もあまりよく分からないけど、多分好きなんだと思うよ。本を書くのも、自分の手で生み出された作品も。まぁ、一番は読んでくれた人が泣きながら共感してくれたり、作品を読んで救われましたって言って貰えるのが何か嬉しいんだよ。だからかな』

 幼い私には分からない、大人の言葉だと当時はそう思った。屈託の無い三影の笑顔はキラキラしていて、嘘はなくて。

 多分、私は三影が好きだった。私だけを家に上げ、書斎を見せてくれ沢山話をしてくれていたあの三影が好きだったんだ。

 窓際に置いていた机に夜風が当たり、開いたまんまの小説が一枚ずつペラペラとめくれていく。その風に当たりながら二人で食べるアイスが、この世の何よりも大好きだった。

 でも、中学に上がった辺りに三影は忽然と私の前から姿を消した。

 毎日通っていた部屋のベルを鳴らしても、ピーンポーンとなるだけで、部屋の中から人が出てくることは無かった。

 毎日来ている私を不審がり話しかけてきた人もいた。

 『あのー、どうされましたか。最近ずっとここへ来るもんだから気になってしまって』

 お姉さんだったか、お婆さんだったかは憶えていないけれどそう言われた気がする。

 『ここに住んでる三影に会いに来たんです。でも、何日経っても出てくれなくて』

 『あー、仁さんのことですか?仁さんなら、随分前にここを出て行きましたよ』

『え、』

 あまりよく理解できなかった。三影が出て行った?私に何も言わずに。

 なんで、なんでよ。酷い、嫌い。三影なんて知らない。

 その時はそう思い酷く三影を恨んだ。でも、私はその時スマホを持っていなかった。だからきっと、言うタイミングが無かったのだ。私は三影の家を知っていたけど、三影は私の家を知らなかったから手紙も送れなかったのだろう、と今は思っている。

 あの時は三日三晩泣いていた。置いていかれた、嫌われたと勝手に脳で変換をし事実の無い言葉に苛まれ、一日中泣き喚いていた。

 今、三影は何処にいるのだろう。三影のミドルネームを聞かなかった為名前を調べることさえできない。

 「久しぶりに会いたいな」

 口から吐き出された言葉は人混みに掻き消されていく。

 どこかで会わないかな、この人混みの中に居ないかな。まぁ人混みが嫌いな三影が居るはずがなくて、結局探せないまま信号を渡り切った。

 ちょうどバスが来て、それに迷わず乗り込んだ。後からゾロゾロと人が乗り込みバス車内は一気に人で溢れかえり、パンパンになった。

 私は運良く一人席に座れたため目的地に着くまで眠りにつく事にした。


次に目を開けた時には、もう降りるバス停の一個前だった。その頃には車内にいた殆どが降りていて、車内は寂しいほどに人が少なくなっていた。

 バスが目的地に一歩近付いた時に降車ボタンを押した。ポーンっという音がなり、バスに停車アナウンスが流れる。

 それから少しして、バスが停車した。一人掛けの椅子から立ち上がり、定期を使いバスを降りた。

 外はすっかり肌寒くなっていて体が震える。もう冬に近付いている。進級したくないなー、なんて考えながら家までの道をゆっくり歩いて行く。

 街灯が少ない家までの道は冒険をしているようで、昔から大好きな道。だったはずなんだけど。

 「お、ウタちゃん。随分帰んの遅いのな」

 「帰り外で待つのやめなよアキ。ただでさえガラ悪いのに余計悪く見えるよ」

 「家居ても暇だしなぁ」

 これは、咲島暁仁さくじまあきひと。名前が長いのでいつもアキって呼んでて、私の隣の部屋に住んでる言わば隣人。最近は仕事が夜遅くにあるらしく、その時間まで暇なため外で私の帰りを待っているらしい。

 「別に、部屋で話せば良くない?わざわざ外出ないでさ」

 「いやぁ外で待ってた方がなんか良いやん?俺、ウタちゃんに「待ってた」なんて言われたらキュン死する」

 なにそれとアキを軽くあしらい隣に座った。隣に行こうとすると、アキは持っていたタバコの先端を潰し、携帯用の灰皿にいれた。

 「今日確か友達と遊びに行ったんだよね。どうだった?」

 「カラオケで恋愛相談聞いてたんだけど、拉致あかなくて、別れたらって理由付きで言ったら帰られた」

 そう私が言うとアキはあっはっはと大笑いをした。

 「そりゃ傑作だわ!ウタちゃん!置いてかれたんかぁそうかぁ」

 ニヤニヤとツボに入っているのか下を向きずっと笑っているアキになぜか腹が立ち、頭を軽く叩く。

 いってぇー、と言いながらアキはまだ笑っている。少し、気が晴れた気がした。

 「流石に俺でも友達は置いて帰らんわ、おもろい友達持ったなぁ」

 「もう友達じゃないよ。多分あの子は肯定して欲しかっただけなんだろうけど、私嘘つくの苦手だから全否定しちゃったし。きっとあの子はもう私の事嫌いだろうし、私もあんまり好きじゃない」

 「ええねぇちゃんと自分の意思持っとるってのは。ウタちゃんはやっぱちゃんとしとる女の子やねぇ」

 「そうでも無いよ」

 「いいや、ウタちゃんはええ子や。誰がなんと言おうがちゃんとしとぉし」

 「そう。ありがとう」

 アキは会うと毎度の事のように私を褒める。悪い所も良い所も全て「大人に近付いてる証拠やで」と、全く理由になっていない事を言われる。

 「今日も母さんは仕事か?」

 「うん。明日も明後日も仕事で帰れないって」

 私の家は母子家庭で、私の学費や生活費を稼ぐために毎日朝から晩まで働き、基本家にいない。

 その事はアキも知っていて、たまに心配してくれているのかご飯を作りに来てくれる。

 「一人で寂しいやろ。うち来るか?なんてな」

 「行っていいの?」

 「冗談やよ。高一が二十何歳の一人暮らししてる男の家に上がり込むなんて危険やで」

 「私、小学生の時二十歳差の男の家によく行ってたよ。でも、何も無かった」

 「二十歳差の人間とどうやって出会うんよ。やっぱウタちゃんは歳上にモテるんやね」

 「お母さんの知り合いの知り合い?みたいな感じ。ちょくちょく預けられてたんだよ小さい頃から。それで仲良くなった」

 「ほー、今でも仲良いん?」

 「今はどこにいるか分からない。私が中学生の時、何も言わずに引っ越したらしくて。探そうにも探せないから半分諦めてるよ」

 色々、あの頃を思い出して俯いてしまった。私の様子に気付いたのかアキはすかさず言葉を紡いだ。

 「その人が良くたって、俺が安全とは限らんよ。ウタちゃんはもう高校生だし、俺も一人の成人男性。手を出さない保証はないよ」

 アキは真剣な声でそう言う。目を見るとさっきのお兄さんのような優しい目ではなく、一匹の獣のような目をしていた。

 「脅しても無駄よ」

 「脅しじゃないよ。男はどこまで行っても男なんよ。なんなら、今このままウタちゃんにキスできるよ俺」

 「馬鹿にしてる?」

 「いいや、これは本当に思っとる」

 そう言いアキの唇が私の唇に近付く。拍子に目を瞑る。

 その時、おでこに衝撃を感じた。

 「なーんてね。大事なウタちゃんを失うような真似はしないよ、あとウタちゃん無防備すぎるで。そんなんやったらすーぐ男に色んなもん奪われるで」

 衝撃の正体は、アキのデコピンだった。

 さっきの獣のような目とは違って、優しい目に戻っていた。

 びっくりした。キス、されると思った。

 「こんなんするのアキくらいだよ」

 「俺はウタちゃんに男として男の色々を教えてるだけよ。周りの男が常に安心安全なんて保証はどこにもないからね」

 少年のようにニヤニヤと笑いながらアキはそう言う。その瞬間、子どもの私の世界と大人であるアキとの世界の狭間に境界線が見えた気がした。この線から先は大人の世界で、片足さえ踏み入れてしまえば後戻りなんて出来ずにソッチの世界に呑まれてしまう。

 アキは誰にでもこれをするのだろうか。同世代の女で遊び、あわよくばなんて、そう思いながら異性の傍にいるのだろうか。三影もアキと同じように思っていたのだろうか。

 一人暮らしの男の家。何をしようとも口外をしない限りその箱の中の出来事は誰にも分からない。

 「あ、俺そろそろ仕事に行かなきゃ。ちゃんとお家帰って良い子にしとるんよウタちゃん」

 「子ども扱いしないでよ」

 ごめんごめん、と笑うアキを見てから座っていた場所から立ち上がる。

 アキは「またね、おやすみ」と言い私の頭を撫でた。去っていくアキを見送って上の階に上がるためのエレベーターに乗り込む。

 部屋の前に着きガチャりと鍵を開けた。

 開いた扉の先の空間は嫌に静かで、一人ぼっちという現実を突き付けられる。部屋に響くのは私が動き回る音と時計のカチカチとした音だけ。さっきまで人と話していたから余計、寂しさを感じた。

 なんとなくベランダに出てみようと思い、鍵を開け外に出た。隣と隣を隔つ薄い壁は、少し塀から身を乗り出せば無いに等しいものだ。この場所で、アキに会った。

 確か中三の春くらいだったかな。お母さんが帰ってくるのをこのベランダで待ってた時、声を掛けられた。

 『そんな身乗り出したら危ないよ』

 低い男の声と微かなタバコの匂い。あと、女の人の高い声。

 『ねぇーアキ戻ってきてよ。煙草くらい部屋で吸っても問題無いしー』

 『俺が嫌なんや』

 私は未だにあの女の人との関係性を知らない。知ろうともしなかった、アキと関わる事なんてないと思ってたから。

 『ごめんねお嬢ちゃん騒がしくて。落ちたら危ないから身あんま乗り出さないようにしなね』

 『お母さんを待ってるんです。いつ帰ってくるか分からないけど』

 その時、アキはまだ標準語で話していた。後から理由を聞くと、私が少しでも怖がらないように頑張っていたらしい。

 『そうかぁ、寂しいな』

 『別に寂しくなん……』

 私がアキの言葉に反論しようとした時、一瞬だけどアキの背中に抱き着く女の人が見えた。その瞬間、乗り上げていた塀から体を離し、隔たれた壁に身を隠した。

 『誰と話してたの?』

 『んー、お化け』

 『えー、なにそれー』

 何かをされたわけでも、怒られた訳でもないけれど、心臓がドッドッと強く動いた。壁の先で起こっている現実は、中学生には十分理解出来た。

 そして、これから箱の中で何が起こるのかも全て推測できた。震える身体がそれを示している。

 その日はすぐに部屋に戻り、布団に身を隠し震えて眠った。

 そういえば、いつの間にか見なくなったな女の人。部屋からの声も、知らない間に聞こえなくなっていた。聞こえるとしたら、タバコに火をつけるカチカチといったライターの音だけ。

 大人はよく分からない。いや、そもそも恋愛自体よく分からないのだけれど。都合が良くてもいいから、本命じゃなくて体だけでもいいからってセリフをよく見たり聞いたりするけれど、ただ虚しさが増すだけの行為にしか思えない。これは私が子どもだからなのだろうか、私も大人になれば変わるのだろうか。

 好きって感情ってなんなのだろう。

 もちろん、友達としての好きなら分かるのだけど、恋愛は好きの定義があやふやでよく分からない。昔、三影にその時になれば分かると言われたことがあるけど、もしその時が来ても私は私の感情に気付かないだろう。

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