岩魚ヶ姫

邑楽 じゅん

横浜から来た「よその子」

2023年の夏

第一話

「全校の皆さん、おはよう。こうして今日、無事に一学期の終業式を迎えられたことを嬉しく思います。この三年間、三密回避やマスクの着用、手洗いうがいの励行など、長い長い自粛期間が明けての初めての夏休みとなりました。皆も心待ちにしていたと思われます。しかし日常が戻ったと言って羽を伸ばすのも結構ですが、くれぐれも山や川の事故には注意してください。そして三年生の諸君は就職活動や大学入試受験が迫ってきました。この夏休みの間も抜かりなく準備を怠らないようにして欲しいと思います」


 校長のスピーチの間も逸る気持ちを抑えきれず、こそこそと雑談をする生徒達。

 講堂内を歩き回りながら静粛を要求する教員の指示があっても、また時間が経てば、そこかしこで囁き合う声が聞こえた。

 マイクを通して講堂に響く校長の声が途切れるたび、外からは雨音がする。

 曇天模様の薄暗い屋外に対して、照明が灯された講堂では床のフローリング材に光が乱反射して、その空間だけを明々と浮かび上がらせる。


「あと今年は皆さんも知っての通り、四年ぶりに大祭が行われることとなりました。そこで我が校としても協力を惜しまず、お祭りの成功を願っております。是非、皆さんにも参加していただき、青春の輝かしい記憶の一頁としていただきたい」


 それを皮切りにまた色めきだつ生徒達。

 些細な会話はもちろん、ある少女の後方からも。


「ねぇ、めぐはもう諦めたの?」


 仲の良いクラスメイトが前方に立つ少女に声を掛けた。『めぐ』の愛称で呼ばれた彼女は後ろも振り返らず肩越しに小声を返す。


「何が?」

「お祭りに参加することだよ。面倒くさいって言ってたじゃん」

「うん、今でもそう思ってるよ。莉緒りおは?」

「あたしもぶっちゃけ、面倒だなって思ってるんだけど親の顔もあるし、ずっと伝統でやってきたから、しょうがないかなって」


 そんな話題で盛り上がる級友の女子達の声が届いたのか、同じ列の数人先の男子は怪訝そうに後方に振り向いた。

 すると生徒の雑談を諫めに来た担任が、彼の肩を叩く。


「こら、校長先生のお話に集中しなさい」

 慌てた少年は口元をぱくぱくさせながら、後方の女子と担任を交互に見た。

 明らかな冤罪に彼は無実を訴えずにはいられない。


「ひでぇ、俺なんにも喋ってないっすよ! だってあいつらがずっとお喋りするからっ……!」

 思いのほか大きな声が出た彼は途端に背を丸めて周囲を見る。

 まるで自分が会話の張本人で先生に叱られたと勘違いして、クスクス嘲笑う者達の姿が目に入って仕方ない。

「……です。すいません」


 いつも間が悪く幸薄い彼の姿に、クラスメイトはまた声を殺しながら笑い合う。



 福島県南西部の山間に位置する、南会津郡田ノ原町。

 山形県と栃木県を結ぶ大きく拓けた北部バイパス道路と、東京都内から会津若松市までを走る鉄路を中心としたこの町は、四方を山々に覆われた盆地ゆえに冬は氷点下十度以下になることもあるし、積雪は二メートルに及ぶこともある。

 逆に夏は山から吹き下ろす風が低地に澱み、蒸した空気が町を包む。

 それでも浜通りや中通りのような高温湿潤でコンクリートだらけの市街地と比べたら快適だし、突き抜けるような空の青や湧き立つ白い雲は、まるで我が手に届くかのようだ。

 夏の夜には満天の星空を眺めることができるため、天体観測を趣味とする者達が集う場所でもある。


 全校生徒が二百人にも満たない、ここ会津田ノ原高等学校にも先に校長が触れた通り、町を鎮守する神社で催される例大祭への参加要請が来ていた。



 未知の流行性ウイルスによって、外出も登校もままならなくなった二〇二〇年春。

 数百年以上に及ぶ伝統あるこの町の祭りも、多くの行事を中止せざるを得なかった。それでも規模を縮小し、形式を変えながらも懸命にその歴史を繋ぐ町の人々。


 それから三年。

 政府通達によってようやく世間は日常を取り戻す。

 だがそれよりも少し早い二〇二二年の暮れには、来年の然るべき時期には概ね以前の形式に則って祭りを開催できるであろうという方向で議論が行われていた。

 


 始業式の最中に随分な恥をかく羽目に遭ったクラスメイトの少年は、担任のホームルームを経て一学期の授業を全て終えた教室で、会話の主であった女子の一人に向き合う。


「おい、めぐみ! お前が喋ってるせいで俺が叱られただろうが、ふざけんなよ!」

「あ~さっきのはなんか残念だったね。お気の毒さま」

「学校で祭りの話したり、わざとやってるだろ?」

「校長先生や悠亮ゆうすけが祇園祭の話を言い出すとか、分かる訳ないでしょ?」

「俺は一ミリも雑談してねぇけどな」


 両親が既知であり両家の付き合いも深い彼らの、いつもの丁々発止のやり取り。

 他の級友がその様子を見てニヤニヤと眺める姿が視界に入ったのか、悠亮少年は声を抑えて恵に囁き出した。

 彼にしてみたら今の恵は充分に異常であり、周囲が思う程には発言の切れ味も突っ込みの鋭さも、そして彼女らしい元気――言い換えれば能天気さまで失われている。


「お前あんまし余計なことばっか言うなよ。まさか例の『アレ』を見たの、よそで喋ってねぇだろうな?」

「『アレ』って、あれのこと?」

「そうだよ『アレ』に決まってるだろ」

「誰にも言ってないよ」

「そうか。それならいいんだけどさ、俺やっぱ恵のこと心配だよ。あんまし無理に『アレ』について……」

「あたしのことは気にしないで。じゃあね」


 そう言い残すと、恵は通学カバンを肩に掛けた。

「おい、どこ行くんだよ!」

「悠亮には関係無いの。莉緒と一緒に帰るから」


 つい先日まで、共に『アレ』の話題に盛り上がった時とは打って変わってつれない返事に、悠亮は何も言えず口を半開きにさせていた。

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