第31話
刹那、僕の体は何かに引っ張られるように地面から離れた。
伊勢真の手刀が地面を切り裂いている光景を俯瞰しながらも、僕の体を動かしたのが国王丸だと理解する。
「国王丸!」
『しばらく私に身を預けなさい。機を見て奴の体に私を刺し込め』
続く連撃。伊勢真が振るった手刀は空気を切り裂き刃溶かした風が僕へ迫ってくる。
空中では躱せないような攻撃も、僕の体はひとりでに動き間一髪のところで躱す。
「ほう? 国王丸がお前を引っ張っているのか……なんとも、情けないな」
着地に生じた隙に対しても刃と化した風が僕の目元へ迫る。
上体を反らし、躱しきれなかった僕の前髪が少し散っていく。
「なぁ、上ヶ丘……お前の心変わりを俺はいつでも待っている。どのタイミングだ? 右腕を切り落とした後か? 目を潰した後か? 時間には困っていない。ゆっくり考えてくれ」
言いつつも、伊勢真は僕へ目掛けて手刀を振り抜いてくる。
国王丸に引っ張られながらも、伊勢真の猛攻を躱し続ける状況が続いた。
これでは勝機が見えない。間合いに入ったとしても、反応速度で負ける未来が見える。
『これほどまでとは……』
奴の周囲を死の壁が覆っている。
近づけば確実な敗北が待っていた。
さらに、僕の中では国王丸が立てた作戦に対して根本的懸念があった。
そもそも国王丸の吸欲能力が伊勢真に通用するかどうか怪しいのだ。
仮に国王丸が弱点なら、鬼月さんと戦った時に、満身創痍の鬼月さんをいたぶる事よりも、自身の敗北につながりかねない国王丸の破壊を優先するはずだ。
伊勢真はまだ遊んでいる。
だが、裏を返せばこれは油断だ。
国王丸の言葉が正しく、国王丸が伊勢真にとって決定打になるのであれば、奴は唐突な死を迎えることになる。
恐らく、国王丸はこの可能性に掛けているのだろう。
誰かが悟られれば瓦解する。
「どうしたぁ? 国王丸。その男を守りたいなら向かってこい」
違う。考え無しで向かえばこちらの考え、希望を悟られる。
半々だ。僕らが見せて良いのは迷っている様子。国王丸が通じる可能性とそうでない可能性を示唆することで伊勢真の気を散らす。
次第に伊勢真の攻撃は苛烈さを極めていく。
徐々に間合いが離されてしまう。
「国王丸っ!」
『もう少しだ! もう少しだけ耐えてくれ!』
ふと、伊勢真の笑顔が視界に入る。
勝利を確信している顔だ。
これから起こることは全て奴の想定内。
少しずつ、一歩ずつ、僕と伊勢真の間合いが近づいていく。
右手の甲、右太もも、左頬を鋭い風が掠めていった。鋭く刺すような痛みを中心にじんわりと熱くなる。
「おいおい、手が滑って殺しそうになるから慎重に動いてくれ」
怖い。
無意識に腹に力が入ってしまっている。
目が潰れたらどんな痛みだろう。腕が切り落とされたら? 脚が無くなったらどうすればいい……様々な妄想が脳に纏わりついて離れない。
それでも国王丸に操られるこの身体は伊勢真へと向かっていく。
『あと少し……!』
次の瞬間、左足を丸太で叩かれるような強い衝撃が襲う。
「――っ!」
転びそうになった僕の体を国王丸が支え、勢いを殺さぬように空中で半回転をして伊勢真の間合いに飛び込んだ。
眼前には怪物の形相をした伊勢真、背後に迫る死の風。
僕の左足は痺れてしまって感覚が分からない。
まだ左足は付いているのか確認することすら怖くて出来なかった。
僕の恐怖をものともせず、国王丸に操られた右足が地面を蹴り飛ばす。
「――お?」
国王丸が風を切り、伊勢真のキョトンとした頭部を刎ね飛ばした。
鈍く嫌な感覚が右手の先から肩まで伝わってくる。
拒絶しようにも、僕の体は勝手に動き、右足を軸に回転すると、頭部を失った伊勢真の胸部へと刺突する。
「―――っ!」
刀を握る指先から全身へ、肌を這うような寒気が駆け巡った。
――あぁ……我が天下は斯くも遠く……
――否、我が時代は永劫なり……
――此度は……笑うがよい……汝等覇者の時代は疾く過ぎ去るであろう……
誰の声だ。
国王丸から悍ましいほどの生への執着が伝わってきた。
悔恨、慚愧、未練、野心、憎悪……。荒々しく燃え盛る炎のような負の感情から来る「生きたい」という願い。
これは一時の人生で感じるような欲求ではない。もっと大きく、一人で受け止めるにはあまりにも器が足りないものだ。
渦巻くような『生欲』は容赦なく僕の内臓を抉り、掻きまわし、貪った。
『――上ヶ丘瑛太! 引くぞ!』
ぼんやりとする意識を国王丸の声が稲妻のように駆け巡った。
すぐさま右足を地面に突き立ててその場を飛び退き、崩れ落ちる伊勢真の体から離れた。
十メートルほど離れた場所まで跳躍した僕の体は着地の瞬間、バランスを崩して盛大に転ぶ。
「あ……足が……っ!」
直視たわけでは無い。だが、視界の端に写る僕の左足は膝から下が無くなっているように見える。
だが、不思議と想像していた痛みは襲ってこない。
『安心しなさい、私が痛覚を遮断している』
「だ、大丈夫じゃないだろ……!」
痛みは無いが、人の首を刎ねた感覚と足が無くなったという恐怖から胃の中で何かが蠢くような不快感が襲ってくる。
いや、それよりも先ほど伊勢真を突き刺した時に流れ込んできた禍々しい感情が三半規管を乱す。
「おえぇ……! かはっ!」
耐え切れず、空っぽの胃の中から得体の知れない何かを吐き出した。
口の中に嫌な臭いが充満し、涙目になりながらも、僕は頭部失ったまま膝立ちをしている伊勢真の身体を見つめた。
「はぁ……はぁ……倒せてない……だろ!」
『あぁ……困ったことにな』
伊勢真はゆっくりと立ち上がり、足元に転がっている自分の頭部を持ち上げて元の位置へ戻した。
「ふぅ……死ぬかと思った。やるじゃないか」
「っ!」
「これで分かっただろ? 隼人ならまだしもお前らの速度じゃあ俺の意識からは逃げられない……でも、空っぽになった楓彩では切れなかった俺の首を切るとは……よほどの欲求を持ってきたらしいな」
伊勢真は余裕そうな笑みを浮かべて一歩ずつ僕の下へと歩み寄ってくる。
「で? どうするんだ? その足じゃあこの後は不利になる一方だろう。潔く諦めて俺と一緒に来いよ……今ならまだ左足だけで済む」
哀れむような視線から、伊勢真は未だに本気を出しておらず、僕で遊んでいることが伺える。
絶望的な状況だ。なのに、僕の頭は妙に冷静だった。
国王丸が僕の体を動かしてくれているからだろうか? いや、それでも安心感とは程遠い。
「はぁ……」
「ん?」
この男が、伊勢真がなぜか哀れに見えたのだ。
「お前も、人間なんだな。それも人間の中の人間だ」
「どうした? 気でも触れたか?」
「お前はただ泣くほど死ぬのが怖いだけなんだよな」
無くなった左足の先が少し熱くなった。
「お前は夢半ばで死にきれなくて自分が居なくなるのが怖かっただけなんだよな」
「……」
「なぁ、
伊勢真、いや北条家四代目当主、北条氏政は不快感を露わにして足を止めた。
「……ち、国王丸から流れ出てしまったか……相変わらず下らない刀だ……」
「ただ生きようとするだけのお前なんかが今の世界を統治できるわけ無いだろ!」
「……吠えて満足か? どの道お前には何もできない。あと数秒もあれば口もきけなくなる。俺の真名を看破したところで俺は何も変わらない。お前の声はどこにも届かない」
再び、北条氏政の足は動き始める。
「もっと豪快にお前の心をへし折るんだったな。おめでとう上ヶ丘。少なくとも俺を不快にさせることは成功したな」
ゆっくりと鼻で呼吸をする。
「例えば、お前の目の前で楓彩を犯してみたらどんな反応だったかな……」
国王丸を握りしめる手にゆっくりと神経を通していく。
「あぁっ! 失敗だったな、やればよかった! お前の目の前で楓彩に凌辱の限りを尽くせばお前の青臭い心を簡単に踏みにじれたな!」
切断された左足が痛む。痛む。熱い熱い熱い熱い。
『上ヶ丘瑛太……!』
「―――国王丸……全部、寄越せ……!」
国王丸が支配している全神経を強奪する。
切り裂かれた肌も、打ちつけた骨も、断裂した筋繊維に至るまですべて僕の体だ。
「あ?」
感覚だけじゃない。
『よせ! 上ヶ丘瑛太!』
「うるさい……! 全部……」
『人間を捨てる気か! いや身体が壊れるぞ!』
「この際いらねぇよ! そんなもん! 僕にあいつを越えるための力を全部っ!」
国王丸が長きにわたって吸い取ってきた人々の欲求のすべてが右腕を伝って全身へ流れ出す。
食べたい、寝たい、女が欲しい、金が欲しい、誰かに認められたい、自分の存在意義を見出したい、誰かの上に立ちたい、死にたい、殺したい……――
「へぇ? 国王丸の欲求エネルギーを我が物とするか……いいぜ? 試してみろよ。そのまま死んでくれるなら手間が省ける」
頭が壊れる。苦しい。
視界も思考も定まらない。まるで自分以外の大勢が僕の脳みそを鷲掴みにして弄んでいるかのようだった。
騒めくような欲求の嵐に意識が遠のく。
楽をしたい、生きたい、犯したい、自分の物にしたい、快楽を得たい、戦いたい、輝きたい、知りたい……。
―――た――い。
「え?」
幾星霜を越えて僕の体へ満ちていく欲求という名の『願い』が空っぽだった僕の心を模っていく。冷たくて暖かくて、鋭くて柔らかい。
その中で一際僕の心を掴んだまま離さない小さくて幼い欲求を抱きしめる。
――瑛太さんと一緒にいたい。
「――!」
刹那――北条氏政の手刀を切り上げる。
「な……」
「――ふぅ……人間のアンタに出来たなら、同じ人間の僕にもできる……」
全身が熱い。切り落とされた左足に感覚が戻る。すべてが聞こえるし、全てが見える。
渦巻いていた五百年分の欲求が僕の体の中で一つの塊となって胸に納まった感覚がした。
ただ「ありがとう」と優しさに溢れた言葉を僕の胸で笑う顔へ落とす。
濁り切っていた欲望の海が一滴の「ありがとう」で澄み渡る。
ただ一つの欲求へとろ過されていく。
「いや、逆だな……人間の心を持った半端なお前に……僕を越えられるか」
「それほどまで……そこまでして求めるか! 亡者め!」
「どこまでも求めるよ……愛しているから―――」
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