第30話

 

「――瑛太!」


 肩を揺すられ、意識が浮上する。

 全身の感覚はハッキリしているのに視界が涙で滲んで良く見えない。


「瑛太! 大丈夫か!」

「……あぁ……」


 亮平の声が先ほどよりも大きく聞こえた。

 僕は力強く僕の肩を掴む手を握り返して立ち上がる。


「……ありがとう亮平……」


 亮平、カナメ、磯崎さん、そして里美沢の視線が僕へと集まっていた。

 依然として目頭が熱く、少しでも気を抜くと涙が溢れ出しそうになる。

 いや、今も僕の視界を滲ませている。


「カナメ……僕はカナメの気持ちを分かろうとしないで、酷いことを言ってしまった……本当にごめん……」


 僕はカナメへ向けて頭を下げた。

 謝罪を半分、もう半分は今の情けない顔をあまり見られたくなかった。

 しばらくの沈黙を挟んで、僕の顎は無理矢理持ち上げられると、目の前にカナメの涙をこらえるような笑顔があった。


「怒ってないよ……むしろウチの方こそ空気読めなくて本当にごめんなさい」


 唇を震わせながらも続けるカナメ。


「自分が辛いからって無理やり明るく振舞って……瑛太くんが目障りだって思ったのも無理ないと思う……」


 僕は首を横に振った。


「でも……瑛太くんとまたこうして話せてよかった」


 カナメの笑顔に、自然と僕の方まで表情が緩んでしまった。

 何より、もらい泣きしている磯崎さんが視界に入ってツボだった。


「なんで磯崎さんまで泣いてんだよ」

「なんでだろ……状況全くわかんないのに……なんだか安心しちゃったんすかね」


 謎の涙を流す磯崎さんに対して、亮平や里美沢も笑い出す。


「でもま、これで元通りになったのか?」

「いや、やることが出来た」


 各々が顔を見合わせた後、頭に疑問符を浮かべて僕へ視線を戻す。


「鬼月さんを迎えに行く」

「てことは、鬼月ちゃんは無事なんだな?」


 亮平の問いに対して僕と里美沙は目を伏せた。


「鬼月さんは僕を庇って死んだ」

「は……?」

「だから、僕は今から死ぬよりも無謀なことをしようとしている」


 唖然としている皆に対して、僕は続けた。


「一人ではできない……みんなの力を借りたい」


 僕はまたしても自分の都合を押し付けている。だが、今回だけは大目に見て欲しい。


 どんな暴言を吐かれて拒絶されようとも、僕は――。


「オッケー。俺でも出来ることあるんだよな?」

「ま、アタシが居ないと上ヶ丘くん犬死しそうだしね。カナちゃんは?」

「え、あ、うん! ももももちろん協力する! ね! 臨ちゃん」

「わわ、わたしもっすか⁉ え、えっと……」


 返答を渋る磯崎さんに他の面々の視線が集中する。


「わかったっすよ……というか、楓彩さんに恩返ししようって言ったのわたしでしたし!」

『役者は揃ったということでいいのかな』

「あぁ……え?」

「い、今、喋ったっす……」


 聞き間違えかと思ったが、磯崎さんの反応が国王丸が声を発している事実を確定させた。


『喋ったが、騒いでいる暇は無い』

「マジでどうなってんだこれ……」


 亮平と磯崎さんが喋る刀に対して怯え切っているのに対し、カナメは少し興味ありげに刀を覗き込み、里美沢は訳知り顔で腕を組んでいた。


『素人同士が組んでもあの化け物は倒せない。ここは私が君らの指揮をとる』

「国王丸……さん?」

『その呼び方は正しい』

 


 街を支配しているのはバケツをひっくり返したような豪雨だった。

 時間的には夕日が沈み始めるころだろう。だが、陽光はおろか空の色さえうかがえない程の分厚い雲が小田原市を閉ざす。


「ふ、不安なんすけど」


 助手席に座る僕の後部座席で磯崎さんが震えた声で言う。


「誰の運転が不安だって? 磯崎ちゃん」


 僕の隣でハンドルを握る亮平は得意げに後部座席へ振り返って、磯崎さんへ引きつった笑顔を返す。

 後部座席には磯崎さん、間にカナメを挟んで里美沢が据わっていた。スリムな三人なのでスペース的には割と余裕そうった。


「いや、亮平先輩の運転が不安なのはもちろんなんすけど……この作戦が本当にうまくいくか不安で」

『私の作戦が上手く行くかは君たち今を生きる人間に掛かっている』


 膝の上の国王丸が磯崎さんの不安を煽ったところで、亮平はアクセルを踏んで車を発進させる。


「掛かってるって、ほぼアタシの肩に掛かってるんじゃないの~?」

『そうだ、夢路の少女が死んだらこの作戦は破綻する。下野カナメ、頼むぞ』

「は、はーい」


 思いのほか亮平の運転は安定しており、一定の速度を保ちつつ、路上に放置された車両の合間を縫って国王丸が示した小田原城へと向かっている。

 最初の五分くらいは順調だった。

 だが、目的地が近づくにつれて、周囲を徘徊していたタマホウシたちの視線が僕らの車へと集まっていることに気が付いた。


「な、なぁ瑛太……」

「みたいだな……頼む里美沢!」


 僕は後部座席で退屈そうに窓の外を眺めていた里美沢に声を掛けた。


「はぁ、はいよー」


 力無い返事をした里美沢は走行する車のドアを開き、何のためらいもなく外へ飛び出し高と思えば、軽やかな身のこなしで車の上に乗った。

 僕は窓を開けて上の里美沢へ声を掛ける。


「行けそうか!」

「一体一体がアタシより強い感じがする! だから出来て時間稼ぎだよ! てか、パンツ見んなし!」

「意外と子供っぽいの履いてんだな」

「みんなごめーん、上ヶ丘くんのせいで作戦失敗しそー」


 里美沢の声は言葉とは裏腹に楽し気だった。どうやら調子はいいようだ。


「来るぞ! 止まるなよ! 亮平!」

「おう! ……え、マジかよ! 何だこれ!」


 ゾンビ映画の比じゃない。

 もはや人の津波だった。


「止まるな!」


 後部座席で悲鳴が上がる。だが、僕は決して前から目を逸らさず、国王丸の柄を握りしめた。

 生の亡者が徒党を組む壁へ車の鼻先が怨嗟を纏った手指に触れたその時、


「――退け!」


 車の前に降り立った里美沢が有象無象を一蹴した。

 どうやったのかはよく見えなかった。吠えて退かしたようにも見えたし、何か手からビームを出したようにも見えた。


「ふいーっ、疲れたぁ」


 と、里美沢は驚愕している僕らの意識を裂くように車内へ戻ってきた。


『まだ来るぞ』

「分かってるって……結構渾身の一撃だったんだけどなぁ……一体も倒せなかった」

『下野カナメ、補充』

「は、はい」


 カナメは国王丸の指示で深刻そうな顔をしている里美沢の左手を握りしめた。

 補充。タマホウシである里美沢の動力源は欲求だ。それも強烈な独占欲のタマホウシだ。


「京ちゃん……」


 カナメは、静かに囁きながら、里美沢の顔に近づいていく。

 何やら色っぽい雰囲気に、運転している亮平以外が気まずい空気に襲われた。


「え、ちょ、キスすんの⁉」

「え、し、してもいいけど……してもいいけど!」


 間近で見せられている磯崎さんが途切れ途切れに戸惑いの声を上げている。だが、それ男w知る由もない二人は自分だけの世界に入り、後部座席でおっぱじめた。

 僕と亮平は決して見ないように、目の前で生成されていくタマホウシの壁を眺めていた。

 精神衛生上、目の前の地獄を見るのは良くない気はするが、後部座席を見るのはもっと良くない気がする。


「……さんきゅ、カナちゃん」

「う、うん……す、寸止めでよかったの?」

「それが良いんだって……ちょっと暴れてくる」


 と、里美沢は再び車外へ飛び出していく。

 時速六十キロを悠々と追い抜いたかと思えば、彼女の足元から二本の茨の束が現れては、群がるタマホウシの雑踏を薙ぎ払っていく。


「マジかあいつ」


 里美沢の協力もあり、車はいよいよ小田原城外周の道路に入った。

 本丸を囲うのは石垣ではなくタマホウシで組みあがった魑魅魍魎の外壁だ。里美沢が振るう茨の柱に抉られてバラバラと人が散っていく。

 里美沢の力は強大だ。

 さすが、新たな世界を別に創ってしまっただけはある。


「これなら突破できるぞ!」


 亮平が声高らかに言う。


「いや」


 里美沢の攻撃により、外壁が虫食い状態になりはしたが、ほんの数瞬で修復され、里美沢に対して反撃が繰り出された。

 亮平の言葉はすぐさまかき消さされ、不穏な空気が漂い始める。


「マジで無理ーーーっ! 援軍お願いぃ!」


 里美沢の叫び声が聞こえてきた。

 このままでは焼け石に水だ。 

 再度補充したとしても、いつか里美沢が力尽きる。


『キリがない。爆弾で突破口を開く』

「爆弾なんて持ってきてないけど……」

『後ろに乗っているだろ? 腹ペコ爆弾が』


 僕とカナメの視線が磯崎さんへと向かった。


「え、それってわたしの事っすか?」


 困惑する磯崎さんをよそに、僕の頭の中で国王丸が磯崎さんを抜粋して無理やり気味に同行させた理由が見えてきた。


『私を彼女へ渡してくれ』


 指示通り僕は剥き出しの刀身に気を付けながら後部座席の磯崎さんへ国王丸を渡す。

 受け取った当人はキョトンとしている。


『私に意識を集中しなさい』

「う、うっす」

「なるべく急いでくれよー」


 亮平は引きつった笑顔で言った。

 確かに、精神統一している余裕はない。今にでも里美沢が攻防に敗北して僕らへタマホウシの魔の手が届くかもしれない。

 僕は磯崎さんの様子が気になり、身を捻って真後ろへ視線を送る。


「磯崎さん?」

「臨ちゃん……大丈夫?」


 磯崎さんは泣いていた。


「……うん……ありがとう、国王丸さん」


 磯崎さんが深呼吸をすると、彼女の頭部から二対の小さな炎が現れた。


「臨ちゃん、お尻……!」


 頭だけではない。磯崎さんの腰の辺りからも紐のような細長い炎が伸び、尻尾のような形を成していく。


「ふぅ――」

「なんか、猫みたい?」


 確かに、頭に現れた二対の炎も見方によっては猫耳に見えるし、腰から伸びた細長い炎も尻尾みたいだ。

 磯崎さんは自身に溢れた眼差しで、僕へ国王丸の柄を差し出してきた。


「じゃあ、一発ブチかましてくるっす」

「お、おう……」


 磯崎さんは勢いよくドアを開けると、車外へ身を乗り出した。


「ね、ねぇ、国王丸? 磯崎さんの恰好って」

『彼女の欲求を具現化しただけだ。特に意味は無い』

「そ、そう」


 まぁ、見た目的にも悪くは無いので何も言うことは無いが。

 恐らく、国王丸は磯崎さんへタマホウシの力を返したのだろう。

 これが一時的な物なのか、彼女を変容させてしまう物なのか、僕の中では磯崎さんによる二次災害が懸念点だった。


「瑛太先輩!」

「ん?」

「楓彩さん、絶対助けましょう!」


 まっすぐな瞳。

 僕は磯崎臨という女子を見くびっていた。彼女を支配している欲求は食欲なんかじゃない。鬼月さんと同じような果てしないお人好しの精神だろう。


「心配いらないな」

「うっす! 亮平先輩! アクセルは踏んだままで!」

「おうさ!」


 亮平は更に車を加速させる。

 合わせて磯崎さんは車外へ飛び出していった。

 里美沢にも劣らない超人的な脚力で駆けていく磯崎さんは地を這う流れ星のように燃え盛り、一筋の光となって小田原城を囲う蠢く外壁へ伸びていく。


「伏せろ――!」


 目が眩むような閃光の瞬間、僕は咄嗟に叫んで自身も身を屈める。

 直ぐに轟音と凄まじい突風が吹き荒れ、車体が大きく揺らされた。


「亮平!」

「分かってる!」

「違う! 血!」


 亮平は額から血を流していた。

 今の衝撃をもろに食らいながらも、こいつはハンドルから手とアクセルから手を離さなかったのだ。


「今だろ!」


 亮平は急ハンドルを切って小田原城へと続く赤い学橋へと入っていく。

 カナメは何かを察したのか、窓の外へ身を乗り出し、息を大きく吸い込んだ。


「京ちゃぁぁぁぁんっ!」


 直後、進行方向の地面が盛り上がり、巨大な茨の束が僕らの道となって現れた。

 里美沢が生成した茨の道は磯崎さんが切り開いた大穴を通って、数多の外壁を飛び越え本丸へと到達する。


「瑛太!」「瑛太くん!」


 亮平とカナメの声が僕の背中を押す。


「「絶対に二人で帰ってこいよ!」」


 僕は国王丸の柄を握りしめた。

 そして反対の手でドアを開き、二人の声を胸に走行する車外へ飛び出す。



「――」


 身体能力似合わない無茶な飛び降りに当然綺麗な着地など出来る訳もなく、僕の体は固い砂利の上を盛大に転がった。

 五メートルほど砂利を慣らしたところで、全身の激痛に耐えながら立ち上がる。


「……っ」


 小田原城。以前までは自然豊かな木々が城内を彩っていたのに、今では焼け残った灰ばかり。

 虚しい景色に佇む戦国最強の城。その天守閣に見えるは半髑髏の異形のタマホウシだった。


「伊勢先生」

「ん? あぁ……上ヶ丘か」


 伊勢真は僕の存在に気が付くと、不敵な笑みを浮かべて、天守閣から飛び降り、、ゆっくりと下降してくる。


「どうした? 謝りに来たなら先生はいつでも歓迎だぞ」

「鬼月さんを取り戻しに来た」

「……は?」


 伊勢真は眉をひそめて素っ頓狂な声を上げる。


「いやいや、そこの地面に楓彩ならこびりついてるだろ。取り戻すって……あぁ分かった、ならそこの土を持って帰っていいぞ? 甲子園で負けた球児みたいに」


 国王丸を握る手に力が入る。


『乱されるな。君は一つのことに集中すればいい』

「分かっています」

「あ? 誰と話している……まぁいい。さっさと里美沢を差し出して失せなさい。忙しくは無いが、お前ひとりに構っている時間は無いんだ」


 僕は両手で国王丸を握りしめて上段へ構える。


「おいおい、冗談はよしてくれ……人間を殺すのは楓彩で最後にしたいんだよ。上ヶ丘、お前を殺したくはない」

「なら里美沢を狙うな」

「里美沢はもう人間じゃないだろう? そんなことはどうでもいい。俺はお前ら理解ある人類を救済したい。もう死への恐怖に怯えなくて済むような世界になるんだよ」


 伊勢真はまるで自分のしている事が潔白化のような表情で宣う。


「死が無ければ争いなんて生まれない。不死を手に入れた人類はいずれ気が付くさ。だからお前も、俺と争う必要なんて無いんだよ。先生と一緒に来い」


 確かに、僕のようなんの取柄も無く、ただ毎日を呆然と生きるだけの人間は伊勢真のような全人類の救済を掲げるような偉大な人間に付いて行った方が幸せなのかもしれない。

 死の恐怖から解き放たれ、発展していく人類の一員として未来永劫、生を謳歌する姿は生命体として完璧なのかもしれない。

 だが、僕はそんな理想を歪だと否定する。

 だって、僕や亮平、カナメや里美沢、磯崎さんは――


「――アンタの支配欲に付き合っていられるほど、中身のない人生は送っていなんだよ!」


 いつ何をしようと、いつ死のうと僕らの大切な人生だ。

 誰かに与えられて支配される不死なんて死ぬより怖い。


「……どの口が……いや、今のお前は少し違うな」


 伊勢真の視線が鋭く、冷たくなる。


「雑念を持っちまったか……なぁ、どうしても断る気か?」


「あぁ、僕は自分のやるべきことをする。じゃないと鬼月さんに顔向けできない」


「そうか、ならお前の目を潰す。耳を潰す。声帯を潰す。手足を切り落として不死にしてやる。お前だけは生き地獄を味わえ――」

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