第28話


「っと……ここなら大丈夫かな……」


 ここは確か校舎内の三階、被服室の前だったか。


「だから言ったじゃん、伊勢先生には気を付けろって」


 そんなことを言っていたような言っていなかったような。夢の中の話なんて今になって覚えていない。


「ねぇ、上ヶ丘くん……辛いのは分かるんだけどさ、アタシはまだ状況が呑み込めてないって言うか、ガチで殺されかけてビックリしたというか」


 里美沢は覗き込んできた。


「……おけ、じゃあここにいてよ? 周りを見てくるからさ」


 里美沢が離れていく。

 遠くから見て初めて気が付いたが、なぜ里美沢は日本刀なんて手にしているのだろう。

 廊下の角で消えたかと思ったら、頭だけ出してきた。


「本当にどこにもいかないでよー、探すの面倒だから!」


 と言って消えた。

 なぜ生き延びたのか。

 ここまで要らない奇跡があるとは思わなかった。

 どうせ救うのなら鬼月さんを救ってあげれば……いや、彼女もこんな救済は願わなかったかもしれない。


 静まり返った校舎内に打ちつける雨の音は賑やかだった。

 里美沢が忙しく校舎内を走る音も雨の音に紛れつつ良く聞こえる。

 足音が近づいてくる。

 今は一人にして欲しい。いや、このまま世界の終わりまで一人にして欲しい。


「え、瑛太くん⁉」

「え、マジ? ほんとだ! 大丈夫か! 瑛太!」


 見覚えのある二人が懐中電灯を手に駆け寄ってくる。


「おい、瑛太、生きてんのか? お前」


 亮平は力強く僕の両肩を掴んで揺らしてきた。

 少し痛い。


「……瑛太くん」


 カナメは続ける言葉に困っていた。

 なら何で駆け寄ってきたんだ。


「背負うぞ、いいな?」


 亮平は僕の返答も聞かずに介護士顔負けの手付きで背負った。


「一人で来たのか? 鬼月ちゃんは?」

「……っ」


 なぜだろう、今となってはもうどうでもいいのに、鬼月という名が僕の胸をきつく締め付ける。吐きそうだ。


「あれ、話声が聞こえると思ったら……」

「うお、ビックリした!」


 亮平は前方に現れた気配に、驚きの声を上げた立ち止った。


「京ちゃん……?」

「カナちゃん……えっと、久しぶり?」

 


 ここは手狭な科学準備室。

 埃っぽく、電気が通ってない今、この部屋の光源はアルコールランプの火だけとなっている。

 カナメと亮平、そして里美沢は部屋の大部分を占めている長机を囲んで丸椅子に座った。

 僕は窓際の角に敷かれている体操マットの上に下ろされる。

 里美沢は自分が見てきた状況をカナメと亮平に話し、日足は深刻そうな顔で聞いていた。


「なんで伊勢先生が?」

「原因は分からない……けど時間の問題だったんだと思う」

「京ちゃんは知っていたの?」

「まぁ」


 重要なことを黙っていた里美沢を糾弾することなく、話題の矛先は僕へと向かってきた。


「で、瑛太はどういう状況なんだ?」

「分からない。アタシが駆けつけた時には既にこんな感じだったよ」

「鬼月ちゃんは?」

「それも分からない……ごめん」

「いやいや、今は人が増えただけでも心強いって。しかも知り合いで良かった」


 亮平は「腹減ってるだろ」と言って席を立ち教室から出ていく。

 残されたのは終始無言のカナメと場の気まずさを感じ取っている里美沢、そして何もない男だけだった。


「……」

「……じゃあまずはアタシからだね」

「?」

「えっと、ごめんね。色々迷惑かけて」

「ううん、うちの方こそ、何もしてあげられなくてごめん」

「でも、生きていてくれてよかった」

「京ちゃんも……やっと起きてくれた」


 カナメの声が震えた。


「ちょっと、何で泣いてんの」


 熱く抱擁を交わす二人はしばらくしたところでもう一人いたことを思い出して離れる。


「てか、カナちゃんと上ヶ丘くん、なんかあった? 喧嘩でもした?」

「す、鋭いなぁ……まぁ少しだけ……何言えば良いか分からないかな」

「そっか」


 二人の会話が終わったところで、教室のドアが開き、亮平が戻ってくる。

 手には五つのカップ麺が抱えられていた。


「お待たせい」


 二人にカップ麺を渡し、最後に僕の下へとやってくる。


「瑛太は食えそうか?」


 手を伸ばさずに視線を逸らしていると、微笑んだ亮平は「そっか」と言って抱えた三つの内一つを机の上に置いた。


「あれ、一つ多くない?」

「あぁ、もう一人がそろそろ帰ってくるよ」


 里美沢へ返答したそばから、教室のドアが開き、ポニーテールの少女が姿を現す。


「ただいま戻ったっす」

「お帰り、磯崎ちゃん」

「色々探ってみたっすけど、購買部に甘食が少しと、部室等に持参されたお弁当を幾つか見つけたっす」

「お疲れ、こっちも収穫があるぞ」

「……ほんとだ! 人増えてる!」


 磯崎さんは里美沢に驚いた後、窓際の無気力な男に対して二度驚く。


「え、瑛太先輩どうしたんすか?」

「さぁ、でも辛いことがあったんだよきっと」


 磯崎さんが席に着き、各々が亮平が持ってきたカップ麺を食べ始める。


「よく分からないっすけど、街中の人が急にゾンビみたいになっちゃったのは伊勢先生のせいってことっすか?」

「そうだと思う。アタシがやったことと同じだけど、スケールが違い過ぎる。まさか小田原市全域かそれ以上を洗脳するなんてね」


 里美沢の言葉に、他三人の空気が重くなる。


「だけど、なんでウチらは大丈夫なんだろ」


 カナメの質問に里美沢が答えることは無かった。


「……まぁ、起こったことを議論していても仕方ないし、これからどうするか話し合おうぜ?」

「そうっすね、皆のお弁当だってすぐに腐っちゃうだろうし」

「俺の運転で食い物捜索行くか?」

「「却下」」


 前向きな亮平と磯崎さんに釣られて里美沢とカナメも意気揚々と談義に参加した。

 どうやらこのまま居たらお荷物になってしまうらしい。

 四人の意識がテーブル上のノートに向かっている中、立ち上がって、静かに教室の外へと向かう。


「瑛太くん、どこ行くの?」


 里美沢に気が付かれた。


「てか歩けるなら自分で歩けし」


 里美沢の言葉を無視してドアに手を掛ける。


「死ぬ気?」


 ここ一番の鋭さを見せた里美沢へ自ずと視線が向かう。


「あのさ、上ヶ丘くんのせいで伊勢先生に殺されかけたんだけど」

「ちょっと京ちゃん」


 別に助けなんて求めてない。


「上ヶ丘くんの面は好みだけど、今の顔は最悪。失せるなら失せたら? こっちだって食料に限りがある訳だし」


 里美沢から視線を外したその時。

 立ち上がった里美沢に押され、薬品が入った棚に追いやられる。


「アタシはね、鬼月楓彩がどうなったのかなんて心底どうでもいい! あいつのことで上ヶ丘くんがどれだけ心に傷を負っているのかもどうでもいい! でも上ヶ丘くんが、好きな人が辛いまま死ぬのは見過ごせない!」


 少し、肩に力が入った。


「少しはアタシらも頼ってよ……やることが無いならアタシらのためでもいい、死ぬ以外の行動をしてよ……」


 里美沢は力強い眼差しで僕の両肩を掴んできた。


「……僕は……」


 僕の声は酷く掠れていた。


「もう誰かが僕の目の前で死ぬのは見たくない……怖いんだよ……! 僕には何もできない……いても皆を危険に晒すだけだ……」


 里美沢は震えあがる僕から両手を離して、窓の方へと歩いて行った。

 視界の外で何かを持ち上げて戻ってくる。


「はいこれ」

「……え」

「この刀、触った瞬間から上ヶ丘くんの名前を呼んで煩いから」

「……あ……」


 国王丸だ。


「重いんだから早く持ってよ」


 僕はゆっくりと国王丸の柄を握った。

 見れば見るほど何の変哲もない刀に見える。鉄の塊だけあって片手で持つには些か重い。


『上ヶ丘瑛太だな』

「え」


 突如として柔らかな男性の声が脳内に響いた。

 僕が驚きながら里美沢に視線を送ると、訳知り顔でドアに背を預けて腕を組んだ。


『見せたい物がある……目を閉じて私に集中してくれ』

「……」


 言われた通り、目を閉じて左手の柄と右手のひらに乗る刀身に意識を向けた。

 左手はほんのり温かく、温もりを感じる反面、刀身に触れている右手のひらはどんどん冷えていく。良くないものに触れているかのように悪寒が右手を登ってくる。


『目を開けてくれ』

「……?」


 深く意識したわけでは無い。思いのほか早い指示に戸惑いつつも僕は目を開けた。


「――え?」


 目を開けると、そこは科学準備室では無かった。

 望む限りの水平線。

 夜空と、その夜空を映し出す水面はまるで宇宙の中に放り込まれたかのような壮大さだった。


「ここは……」

『欲望の世界だ』


 背後からの声に、僕はゆっくりと振り返った。

 水面に立っていたのは、和服の男性。だが、顔から上がよく見えない。認識しようとしても彼の特徴を掴めなかった。


「あ、あなたは……」

『私の名は国王丸だ……上ヶ丘瑛太、君に見せるものがある』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る