第25話

 伊勢先生は鬼月さんから離れ、切り落とされた右腕を拾い上げ、肩へ付け直した。

 次いで、鬼月隼人から投げつけられた日本刀を拾い上げ、対峙する。


「やれんのか? そんな死に体で」

「お互い様だ……」


 鬼月隼人の体は穴だらけだった。

 どういう原理で立ち上がって刀を構えているのか理解できない。

 僕は二人の大人が放つ膨大な殺気を前に、鬼月さんの背中を握りしめる。

 ここにいたら死ぬ。離れた方が良い。


「上ヶ丘瑛太!」


 鬼月隼人の呼び声に全身の筋肉が脈打つ。


「斬るぞ」


 不思議とその一言で全身の主導権が戻った。

 急いで立ち上がり、鬼月さんを背負うと、脇目も振らずに二人から離れた。

 伊勢先生が僕の背中へ何かしてくるかに思えたが、走り去る僕らへは見向きもしない。

 具体的な確証は無いが、今なら遠くへ逃げられる。

 僕はひたすら走りづらい土砂の上を走った。


「――あ」


 僕の背中で鬼月さんが小さな声を上げた。

 直後、背後から閃光が僕を追い越していく。次に僕の両足は地面から離れ、宙を舞った。

 最後に、凄まじい突風が僕の全身を押し出し、空中で鬼月さんが背中から離れてしまった。

 遅れて雷鳴のような轟音が辺りに響き渡った。


「―――は?」


 空中へ吹き飛ばされる刹那、僕が目にしたのは二人の侍が鎬を削り合う光景だった。

 互いの一刀が血を抉り、降りしきる雨を弾き飛ばす。

 やがて、僕の体は固いコンクリートの上に落下し、二回ほどバウンドをして小田原駅の外壁の衝突する。


「――がはっ!」


 全身が痛い。

 頭がクラクラする。

 地上から放たれる雷光が何度も僕の視界を刺激した。

 立て続けに重々しい雷鳴が空気を震撼させ、僕の内臓を揺らす。


「お、鬼月さん……!」


 ふと、鬼月さんが左わき腹を抱えながら、超人たちが繰り広げる死合いの方へと歩いていくのが見えた。

 全身の痛みに耐え、僕は立ち上がって鬼月さんの右肩を掴んだ。


「ダメだ! 巻き込まれる!」


 僕の頬に刺すような熱が触れた。


「?」

 その正体を探るために視線を上空へ向けると、僕らの街に雨と共に降り注いでいたのは火の粉だった。

 この世の物とは思えない光景に絶句する。

 死の気配がそこら中に転がっていた。たった二人の侍が打ち合っているだけで、ここまで僕の世界が壊れているなんて信じたくも無かった。


「鬼月さん……もっと離れた方が良い」


 数秒前までは光と音と振動が来るだけだったこの場所も、熱を感じるようになってきた。

 僕は鬼月さんの右手を取って、小田原駅内へ入っていく。

 構内は自我を失ったと思われる人々が生気の無い顔で伊勢真がいる方角を見つめている異様な光景が広がっていた。

 こちらへ襲い掛かってくる気配は無く、駅の反対側へ走っていく僕らを気に留める者はいない。

 小田原駅東口に出ても尚、街には火の粉が降り注いでいた。

 逃げ道なんてあるのか。

 右を見ても左を見ても正気を失った人々と火の雨が視界を支配している。


「――」


 模索をしていた次の瞬間、一際大きな振動と共に、目の前に広がるバスロータリーへガラス片が降り注いできた。

 ガラス片だけではない。コンクリート片や西口で見かけた建物の一部、自動車やバスと言った物まで雨と共に降ってくる。

 自然災害でもここまで悲惨な光景にはならない。

 何をどうやったらビルが飛んでくるんだ。

 臆する暇もなく、逃げられそうな道を探して瓦礫の中へ駆け込んだ。


「鬼月さん! 頼むからしっかりしてくれ!」


 僕はなるべく周りを見ないように走った。

 瓦礫の下から出ている手も、水たまりに溶け込む赤も、燃えながらも彷徨う何かも……。

 意識したら心が壊れそうだった。

 今はただ、人形のように僕に引かれる鬼月さんのことを気に掛けている方が楽だった。


「はぁ……はぁ……マジかよ」


 しばらく走り、小田原駅から随分離れたところで安全確認のために振り返った。

 そして後悔した。

 小田原駅の上半分が消えている。駅だけではない。周りの賑やかさを支えていた建物の全てが上半分を失っていた。


「お父さん……」


 鬼月さんがか細い声を上げたその時、熱風が吹き荒れた。

 肌を焼くような熱さに、思わず身を覆う。


「なんだ……! これ!」


 辛うじて腕の隙間から見えたのは赤熱化していく小田原の街並みだった。

 後は直視すれば目が焼けてしまう気がしてみることが出来なかった。


「あ……上ヶ丘さん! 危ない!」

「――へ?」


 唐突に僕の後ろ襟が引っ張られ、視界が宙へと向いた。


「あ」


 梅雨雲に覆われていた空に直線的な晴れ空が見えた。雲の境目はどこまで続くのか一瞬では見切ることは出来なかった。

 やがて、吹き荒れる熱風に僕の意識は攫われていく。



 目を覚ますと、快晴の空が広がっていた。


「……あれ」


 まだ夏には早いはずなのに酷く暑い。

 日差しだけではなく、僕の背中に面している地面も火傷しそうなくらいには熱かった。


「あっつ!」


 飛び起きるように上体を起こし、目を見開いた。


「なんだ……これ」


 気が付くと、小田原駅が無くなっていた。

 軒を連ねていた駅前の街並みも何かに削り取られたかのように跡形もなく荒野と化している。

 小田原駅があった場所には巨大なクレーターが出来上がっており、中心部には青白い光の様な物がいくつも浮いて見えた。

 何より目を引いたのはクレーターの中心から北の方角へ広がっている地割れだ。

 終わりが見えず、割れた空と対を成すかのようにどこまでも続いている。


「……まだ生きてたのか……」

 声がした方を向くと、上裸で足を伸ばしながら座っている鬼月隼人の姿があった。

 古代の彫像のように無駄のない筋肉質な身体の各所に裂傷や火傷を負っている。

 注意深く観察することは出来なかったが顔面の左半分が赤黒く染まっているのが見えた。


「は、隼人さん……」


 鬼月隼人の傍らで横たわっている女子高生は鬼月さんで間違いなさそうだ。


「な、何が起こったんです?」

「見ての通りだ。少しやり過ぎた」

「少し……」

「お前らは早くこの場から離れた方が良い。恐らくここの空気は身体によくない」

「隼人さんは……どうするんです?」

「まだやる事がある」

「やる事?」


 聞き返しながら、鬼月隼人が答えてくれないことは予想できた。


「一つ……オレは不器用過ぎただろうか」

「ありえないくらい」


 正直、今でも何が狙いだったのかよく分からない。ただ、鬼月さんを守りたかったのだという心意気だけは見受けられる。

 街は半壊してしまったが……。


「ははっ……オレは楓彩が恋した奴がどんな男なのかずっと気になっていた」

「どんな奴でした?」

「頼りない奴だった……少なくともこれくらいはやって欲しかった」


 と、鬼月隼人は地割れを指さす。

 僕はツッコみを入れずに苦笑いした。

 多分冗談じゃないからだ。


「見ろ……」


 そのまま、僕は鬼月隼人が指さす地割れを見つめた。


「……伊勢先生」


 遠目で、尚且つ僕が知っている伊勢先生とは大きく異なる姿になっていたが、その場の空気で察する。

 黒かった髪の毛は白色となり、皮膚の大部分が黒く焦げ切っている。さらに、今の伊勢先生を怪物足らしめているのは、右半身の骨格が剥き出しになっているにも関わらず、憎悪を孕んだ視線で僕らを見つめている事だろう。


「あの攻撃でも倒せないんですか?」

「奴は生存欲求のタマホウシだ。死の気配を感じれば感じるほど力が増す……」


 恐らく、鬼月隼人は先程の一刀で倒し切る算段だったのだろう。

 だが、結果として力及ばず、目の前にいるタマホウシは正真正銘、最強のタマホウシとなってしまった。


「国王丸……起きてるか?」


 鬼月隼人は徐に立ち上がり、国王丸の名を呼んだ。当然だが返答などは無い。


「……あぁ、それが今だ」


 だが、鬼月隼人は確実に誰かと話している。


「……悪いな、最後の命令だ」


 鬼月隼人は僕と鬼月さんを見た。


「この二人を生かせてくれ」


 一呼吸を置いて、鬼月隼人は空中へ国王丸を投げた。

 またしても不可思議な力が働き、国王丸は一人でに宙を移動し、横たわる鬼月さんの制服を刺して持ち上げる。


「は、隼人さん!」


 勝ち目なんかない。

 ましてや国王丸を手放してしまえば戦いにすらならなだろう。

 だが、鬼月隼人の目は何故か死んでいなかった。


「……全うしろ」


 鬼月隼人はその一言を残すと、丸腰の状態でクレーターの中心へ飛んでいく。

 再び死闘が始まろうとした直後、僕の背中が引っ張られ、空中へ持ち上げられた。

 クレーターから離れていく最中、見えたのは決死の覚悟を決めた一人の父親の背中だった。

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