第24話
「――隼人から離れろ! そいつは国王丸に触れることが目的だ!」
静寂を伊勢先生の声が裂いた。
これまでにないほど張り詰めた声に僕は正気を取り戻し、鬼月隼人の間合いに入っている鬼月さんの背中へ叫んだ。
「鬼月さん! 早く!」
だが、声は届いていない。鬼月さんは父親の虚ろな顔を見上げるばかりで動こうとしない。
かと言って、僕が動いたところで何かが出来るとは到底思えない。引きはがそうにも鬼月隼人に接近する必要があった。
思案を巡らせていると、鬼月隼人が手にしている刀が持ち上がる。
「だ、ダメだ……やめろ……やめてくれ!」
僕のどんな感情が訴えかけているのか分からない。ただ、自然と大声が出た。
今鬼月さんが切り捨てられれば、僕の心は持たない。もう立ち直れない。
「楓彩――!」
伊勢先生の声の直後、鋭い風切り音を立てて鬼月隼人が刀を振り下ろした。
だが、一向に血しぶきは上がらない。
鬼月隼人から伸びた残光は降りしきる雨を切り裂いて、僕の右側を通り過ぎていった。
「――え?」
飛来した銀色を追いかけるように僕は背後へ視線を送った。
「――は」
予想外の投擲によって、伊勢先生の眉間に突き刺さった刀。
身近な人間の死を実感するよりも早く、伊勢先生の身体は無気力に土砂の中へ落ちていった。
「伊勢……先生……?」
動かない。
さっきまで死地を共にした、言葉を交わした、頼りにした人間が動かなくなった。肩より上は怖くて見れない。
「マジで……何なんだよ……!」
鬼月隼人は依然として鬼月さんに胸を刺し貫けれながらも鋭い眼光で僕を見つめていた。
僕の怒鳴り声に一切の反応を示さず、鬼月さんの両肩に手を置き、引きはがす。
開いた胸の切り傷からは太い帯のように出血し、鬼月さんが手にする国王丸を濡らした。
「お父……さん……私……」
「……はぁ」
重く、苦しそうなため息。
鬼月隼人は僕から視線を外し、眼前で硬直する自分の娘を見つめた。
そして、殺気だった表情を依然として、ゆっくりと鬼月さんの頭へ右手を伸ばす。
「ごめ……ごめんなさい……お父さん……!」
震える鬼月さんの頭頂部を優しく撫でるように触れると、何かに反応したように目を見開いた。すぐに鬼月さんの頭を激しく掴んだ。
「――あがっ!」
悪寒が僕の全身を駆け巡り、次の行動を予測する暇もなく、鬼月隼人はその場で一回転して鬼月さんの矮躯を軽々と僕の方へ投げ飛ばしてきた。
「え」
高く舞い上がった鬼月さんの身体はそのまま僕の腹へと突っ込んできた。
予想外の行動に反応できなかった僕は鬼月さんの体を支えることが出来ず、そのまま仰向けに押し倒された。
だが、雨に濡れた土砂がクッションとなり、大きなけがにはならなかった。
直ぐに上体を起こし、膝の上に横たわる鬼月さんを見た。
「う……ぐ……!」
「鬼月さん! 大丈夫⁉」
「……」
鬼月さんの背中に触れて声を掛けるが、反応は無い。
彼女の右手には国王丸がしっかりと握られており、強く握りしめられた手の甲が微かに震えている。
「なんで……こんなこと」
鬼月さんは今にも消えそうな声を上げる。
怒りと恐怖、それと微かな悲しみを込めて今一度鬼月隼人を視界に捉えた。
そして、目を疑った。
「な、なん……」
先ほどまで圧倒的威圧感を放っていた鬼月隼人の右肩、右太もも、左わき腹、左太もも、左前腕が鉄棒の様な物に串刺しにされていた。
完全に固定されているのか、鬼月隼人は虚ろな目をしたまま地面を見つめていた。生きているのかも怪しい。
いつ、だれが?
そもそも、先ほどの特殊部隊の兵器だとは考えづらい。鬼月隼人は串刺しにしている物体は近代兵器のような複雑さは無いにしても、もっと原始的で洗練された人殺しの道具に見えた。
「あーあ……あと少しだったんだけどなぁ。今ので一気に二人とも消えてくれたら良い絵になったんだが……」
聞き覚えのある、もう聞こえないはずの声が僕の背後で上がった。
「いつから気付いてたんだ? 隼人」
そんなはずない。そんなことはあり得ないと頭では理解しつつも目の前の光景が脳に叩きつけられる。
伊勢先生が眉間に刺さった刀を自力で抜いている。
「伊勢先生?」
何事も無かったかのように抜き取った刀を投げ捨てて、僕を通り越して鬼月隼人の下へと向かっていく。
「どこで俺の尻尾を掴んだ?」
「一年前……お前が上ヶ丘瑛太に固執し始めた時からだ……」
鬼月隼人は掠れた弱々しい声で返した。
「お前には……意識外の死しか通用しないことも……」
「マジか、そこまでバレてんのかよ」
伊勢先生は左手で頭を掻くと、我慢しきれなかったと言わんばかりに吹き出した。
「遅いなぁ……あまりに遅い。俺の計画は七年前、お前が鬼月家を滅ぼした時に既に終わっている。お前が下らん家族ごっこをしてる時に日本は堕ちた」
伊勢先生が何を言っているのか、何をやっているのか全く持って理解できなかった。
「あとはお前ら二人の鬼月の生き残りを消すだけで完遂だったんだが、あまりにあっけなくてな。楓彩で色々遊ばせてもらったよ」
僕の頭の中で何かが音を立てた。
人として壊れてはいけない大事な何かが音を上げて軋んでいる。
「人として育てられなかった鬼月の子がいっちょ前に恋なんかして、人間であろうと努力して……ただの傀儡がおままごとに興じている様は実に片腹痛いものだった」
「い、伊勢先生……」
違う。音を上げているのは僕の心じゃない。
今まさに僕の腹に横たわって起きようとしない鬼月さんから聞こえていた。
「隼人、お前の娘は最っ高だったよ! 実に俺を楽しませてくれた! 欲を言えば信じ続けてきた上ヶ丘瑛太に裏切られる所までこの目で見たかったが――」
「――伊勢先生!」
聞くに堪えなかった僕は声を張り上げた。
言葉を止めた伊勢先生は心底詰まらなさそうに僕を見下ろした。
「上ヶ丘……お前は空っぽなんだからもう黙ってろよ……」
「……っ!」
「お? 俺がお前らガキを騙してたとか、腑抜けたこと言うなよ? 俺はお前ら人類を救ってやったんだ。むしろ感謝しろ」
「何が……何が救いだ!」
「いいね。質問をしてくる生徒は好きだぞ、バカっぽくて」
伊勢先生の悪意ある嘲笑に僕は土を握りしめた。
「タマホウシは人間の無駄な欲求を喰らい成長する……確かにこんな説明では我々タマホウシは敵に見えてしまう。だが、考え方を改めてくれ。我々タマホウシはお前ら人間の余分な欲求を消してくれているのだと……欲求が無ければ争いなんて生まれない、お前ら人類が争い合って勝手に滅んでいくのを我々は止められる」
伊勢先生の話の途中、周囲に気配が生じる。
僕は得意げに持論を展開する伊勢先生から目を離して周囲に視線を配った。
先ほどまでは野次馬として土砂を囲っていた人々が僕らを取り囲んで虚ろな眼差しで見つめている。
まるで里美沢に魅入られた人間たちのように。
『我らは亡者にあらず』
「⁉」
何の示し合わせもしていないように見えたが、数瞬のズレも無く大勢の人たちが声を揃えた。
「それにだ、我々タマホウシは生きていたいだけだ……お前ら人間も俺らと足並みを揃えてこの地球で生きようじゃないか」
伊勢先生はにこやかに笑った。
『我らは亡者にあらず……生を全うする凡人なれば、万人平等也』
声の壁が周囲を取り囲む。
「だがな、上ヶ丘……その鬼月は我々が作り出す楽園を否定した。ただ、生命体が命を全うしようとする理想を否定し、牙を剥いた」
『憤、憤、憤』
「だから生かしちゃおけない……だから殺す。安心してくれ、これが地球上で起こる最後の殺生だ」
徐に伊勢先生が僕の下へ歩み寄ってくる。
「まずは壊れてしまった楓彩から行こうか……隼人、お前の壊れる表情を見せてくれ」
伊勢先生が手刀を作り、掲げた。
「これも生存競争だ。俺は否定された、だからお前らの在り方を否定する」
伊勢先生の手刀が無慈悲にも僕の膝の上で横たわっている鬼月さんの背中へ突き出された。
庇うか否か。庇えば僕が先に殺される。僕が終わる……いやだ。生きていたい。
妙な欲求が僕の全身を縛り付けて離さなかった。
目の前で僕を守ってくれた大切な人が殺される。
僕の膝の上で殺さる。
見たくないのに、目を離せない。
ただ、頭が真っ白になり、目の前の時間がゆっくりと過ぎていく。
「―――来い……国王丸」
意識外から鬼月隼人の声がした。
冷徹で、殺気だっているのにどこか温かく荘厳な声。
直後――鬼月さんの右手に握られた国王丸が震えだし、弾けるように舞い上がり、迫りくる伊勢先生の手刀を切り落とした。
「なにっ!」
上空で回転を続ける国王丸は何かに引っ張られるように空を駆け、鬼月隼人の下へと向かった。
雨の音が、超常現象の後の余韻を埋める。
「おいおい……そりゃあもうバケモンの技だろ……!」
国王丸の柄は血塗れの鬼月隼人の右手に納まっている。
やろうと思えば、今のようにいつでも鬼月さんの手から国王丸を奪えたということだろうか。
「その男を殺せ!」
伊勢先生の一言で周囲を取り囲んでいた人々が一斉に槍に貫かれた鬼月隼人へ襲い掛かった。
次の瞬間、鼻先に温かい空気が触れた。
やがて突風が吹き荒れ、鬼月隼人へ襲い掛かっていた人々が虫のように吹き飛ばされる。
「……なんだよ……やる気か? 俺を殺してももうこの国は終わってるぜ?」
「関係無い……オレの娘を不幸にする奴は彼氏だろうと化け物だろうと……例外なく殺す」
「
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