第23話
隼人さんの右胸に咲く赤い花、空気を震撼させる乱暴な破裂音。
「――」
雨の音に紛れた銃声は立て続けに響き続け、隼人さんの胸へ一つ、また一つと赤い花が咲く。
耳鳴りと鉄の臭いが、雨の音と匂いを上書きしていく。
「え、なんで……」
「くっ……」
続けざまに放たれた凶弾は僕の耳元の髪の毛を掠め、隼人さんの足元に着弾した。
「ま、待って―――」
話が違う。
僕は捕縛作戦だと聞いていた。だが、放たれた弾丸は全て隼人さんを仕留めるための殺意を孕んでいる。
「撃て!」
誰かが声を上げた。
隼人さんはいち早く地面から刀を引き抜くと機敏な足さばきで僕の周囲を回るように動いた。
隼人さんが動いたのを皮切りに雨音を凌駕するほどの銃声が降り注ぐ。
「―――」
僕が流れ弾の危険に晒されていることに気が付いたのは隼人さんが三発ほどの弾丸を切り伏せてからだった。
「邪魔だ!」
隼人さんが僕のことを弾丸から守ってくれたと気が付いた次の瞬間、風を巻き上げるような蹴りが僕の腹部をすくいあげた。
「――うぶっ!」
僕の体は大きく吹き飛ばされ、一気に茂みを抜けて砂利が川を成している庭園へ飛ばされる。
クッションとしては心もとない砂利に不時着し、全身を痛みが襲う。
親子して足癖が悪い……などと思っていると、茂みの向こうで行われている銃撃がさらに苛烈さを増していく。
「上ヶ丘! 大丈夫か!」
片耳を塞いだ伊勢先生が背後から現れた。
普段は気だるげない伊勢先生が声を荒げている。
「楓彩は!」
僕も銃声に負けじと声を張り上げる。
「分かりません! まだあの中に―――」
次の瞬間、茂みから何かが上空へ舞い上がるのが視界の端に写った。
何か丸まっているように見えたそれは中空で頭を抱えている鬼月さんだった。
「マジかあの親父!」
僕はフラフラな足で立ち上がって、鬼月さんをキャッチすべく落下地点と思われる場所へ向かう。
だが、鬼月さんは空中で右手を広げて胸を張ると、僕を見つめてきた。
「鬼月さん!」
両手を前へ突き出し、衝撃に備えて腰を落とす。
後は鬼月さんから目を離さずに両手で受け止め――ようと重心を移動させたが、鬼月さんは僕の真右に片足で音もたてずに着地した。
「……」
「お父さん……!」
僕のことは気にせず、鬼月さんは踵を返して茂みの方へと向かった。
だが、茂みの中へは一歩踏み出さず、どうすればいいか分からないと言った視線で茂みを見つめる。
「鬼月さん、行こう!」
「で、ですが……」
「楓彩! 早く山を下りるぞ! ここも危ない!」
伊勢先生の声は鬼月さんに届いていないのか、茂みを見つめたまま動こうとしない。
「鬼月さん」
僕は鬼月さんの右手首を掴んだ。
「なんで……こんなことに……」
今の僕に正しく説明できる自信は無かった。だがら強引にでも鬼月さんの腕を引っ張る。
半ば強引に動かすと、意外にも鬼月さんはすんなりと動いてくれた。
銃声が鳴り響く中庭から離れ、家の中を通って玄関で靴を回収して鬼月邸を後にする。
「伊勢先生! 隼人さんを捕縛するだけじゃないんですか!」
「教え子が殺されかけてんのにそんな悠長な事言ってられるか! お前もお前で隼人を挑発しやがって! マジでビビったわ!」
興奮しているのか、伊勢先生の言葉が若い。
などと話していると、山を登っていく特殊部隊とすれ違った。
恐らくは増援だろう。
「楓彩! 国王丸は持っているか!」
僕に手を握られて走る鬼月さんは何も言わない。
だが、鬼月さんの右手にはしっかりと国王丸が握りしめられている。
「大丈夫そうです」
「よかった。隼人の手に国王丸が渡る事だけは絶対に避けろ」
「なぜです?」
国王丸は欲求を持つ人間には触れない。
ましてや、タマホウシが触れば致命傷になりかねないというのが鬼月さんの説明だったはずだ。
「国王丸の本来の持ち主は隼人だ。憶測ではあるが、奴がタマホウシだった場合、国王丸を克服し、その力を最大限に引き出すことが出来る最悪のタマホウシになる」
国王丸が効かないタマホウシ……現れれば人類に勝ち目はない。
「いいか、くれぐれも――っ! 伏せろ!」
伊勢先生の叫び声に反応し、鬼月さんを抱きかかえて地面へ転がる。
轟音と共に飛んできたのは一本の大木だった。
木の根元からへし折られた大木は僕らの行く手を阻むように降りそそいだ。
「マジかよ……」
来た道を振り返る。
兵士の胸ぐらを掴んで引きずる鬼月隼人は僕らを鋭い眼光でもって射止めていた。僕の記憶が正しければ、彼は胸を三発撃たれている。それだけではない。身体の各所に傷を負った鬼月隼人は見た目だけで言えばほとんど虫の息のはずだ。
だが、彼が放つ重圧な覇気が勝利の気配を踏みにじる。
「まずいな……」
鬼月隼人は徐に兵士を地面へ投げ捨てると、懐からスマホほどの大きさの何かを取り出した。
「―――っ! お前ら! 今すぐここから――」
伊勢先生が何かを言いかけたところで、地面から殴り上げられるような衝撃が襲う。
両足が地面から離れ、内臓が浮くような感覚に陥言ったかと思えば、次の瞬間、僕らは落下した。
いや、滑り落ちたというのが正しい。
何メートル滑落したか分からないが、僕らの落下を止めたのは山に生い茂っていた木々だった。
「な、何が……」
自分の目を疑った。
先ほどまで地面だった場所は壁となり、空を覆いつくしている。
「は?」
現実離れした光景に見惚れている場合ではない。
重力に負けた木々や土、岩が雨のように僕らへ降り注いでいる。このままでは地面に押しつぶされる。
「鬼月さん!」
「……」
僕に右手を掴まれた鬼月さんは今だに上を向かない。
「上ヶ丘! 下の方に地面が見えるか!」
僕に土壇場で鬼月さんを気に掛けている暇は無く、比較的頭が回っているであろう伊勢先生の方へ意識を向けた。
「怪我を覚悟で地面へ跳べ!」
伊勢先生は躊躇うことなく足場にしていた木から飛び降りた。
命が惜しくないのかと思ったが、ここに立ち止まる方が自殺行為であることも確かだ。
「い、行くよ! 鬼月さん!」
飛ぼうとしたが、足元の景色に吸い込まれるような錯覚が全身に纏わりつき、僕は足を滑らせるように落下した。
すると、鬼月さんは僕の左腕を絡め取り、突如として密着する。
「鬼月さん⁉」
「喋らないで……舌を噛むから」
鬼月さんの横顔からは感情が読めなかった。
鬼月さんは僕の体を右脇腹へ抱えると、垂直になっている地面を走った。
何度も木に衝突しそうになるが、その悉くを躱していく鬼月さん。
動体視力と呼ぶには超人的過ぎるし、これが山走りの成果なのだとしたら、どれほど過酷な鍛錬を積んできたのか改めて想像が膨らむ。
鬼月さんのお陰で、無傷で山の麓まで下ることが出来た。
「あ、ありがとう、鬼月さん」
「まだです」
「へ?」
鬼月さんの言う通り、安心したのも束の間、轟音と共に背後から泥の津波が迫っていた。
再び走り出した鬼月さんは、泥まみれになった白衣の男を僕に拾わせ、男二人を抱えても尚、自動車よりも速いスピードを出した。
結局、僕と伊勢先生が下ろされたのは小田原駅の西口と思われる場所だった。
というのも、小田原駅の半分ほどが土砂に埋もれてしまい、僕らが経っている土の上がどこなのか分からなかった。
街は突如として起こった土砂災害に騒然としており、何台もの緊急車両が現れては、一般人の立ち入りを拒んでいる。
泥まみれになった小田原駅西口は人々の阿鼻叫喚に覆われ、雨の日の閑静な朝はとうに失われていた。
「なんで土砂崩れが……」
「鬼月邸の仕掛けられた爆破装置です。タマホウシを地下牢ごと埋めるための」
鬼月さんは淡々と説明した。その声音は子供っぽさを持つ鬼月さんからは想像もできない程落ち着いており、悲しげだった。
「真さん……説明していただけますか?」
「あ、あぁ……そうだな……その前に国王丸はちゃんと持っているな?」
「はい」
伊勢先生は酷く国王丸のことを気に掛けている。
「ならすぐにここから離れるぞ、自分が起こした土砂崩れに巻き込まれるほど、隼人もバカじゃない」
僕らがその場を去ろうとしたその時、土砂崩れの残骸の方から金属音混じりの轟音が鳴り響いた。
不意に視界の上を影が遮る。
「め、滅茶苦茶だ……」
空を飛んでいるのは馴染み深い伊豆箱根バスの車両だった。
不気味な軋み音を上げながら正確に僕らへと降ってくる。
僕と伊勢先生は鬼月さんに突き飛ばされ、間一髪のところで車両の下敷きにならずに済んだ。
一息つく間もなく、見ずとも分かる夥しい殺気が崩れた山の方から現れた。
「まずいな……SATが全滅しやがった」
僕らと鬼月隼人との間にはかなりの距離がある。だが、距離があったとしても一秒後には首が刎ね飛ばされている想像がついてしまう。
あの男ならそれが出来る。
「伊勢先生……どうするんです!」
伊勢先生に視線を送っても鬼月隼人を睨むばかりで答えは返ってこない。
鬼月隼人はゆっくりと土砂の上を歩いてくる。
土の中から伸びた誰とも分からない腕を踏みつけ、自分が切り伏せた特殊部隊の亡骸を蹴り退け、無残な姿となってしまった罪のない家族の早朝を我が物顔で闊歩する。
「……お父……さん……どうして」
鬼月さんが今にも消えそうなか細い声を上げた。
「なんでこんなこと……」
聞こえるはずもない。
鬼月隼人は血塗れの足で僕らへ突き進む。
「どうして!」
娘の丸裸な感情にさえも、父親は顔色一つ変えない。
「信じてたのに! こんなのって酷いよ!」
鬼月さんは手にしていた国王丸を太ももに挟み、勢いよく抜刀した。そして上段に構え刀身越しに父を睨む。
激しい怒りと哀愁が漂う親子の間合いが出来たところで、土の中から今にも消えそうな声が耳に届いた。
「た……す―――」
助かる命。助かったはずの命を、鬼月隼人は「黙れ」と言わんばかりに刀で断った。
「―――!」
一人ではない。
鬼月隼人へ向けて伸ばされる乞う手は何人かいただが、その悉くを無情にも刈り取っていく。
「や、やめ……」
人の所業ではない。
僕らの目の前にいるのは悪魔に最も近い存在だ。
「やめてぇぇぇぇっ!」
叫び声と共に鬼月さんが土砂を蹴り上げた。
突風を巻き起こして突進する鬼月さんの瞬足を、鬼月隼人は完全に見据えている。
娘の刃が届くよりも一瞬早く、父親が手にしている日本刀が宙へ掲げられた。
刹那の結果が目に見えた瞬間、僕は口から這い出てくる不快感を抑えようと口を押え、下を向いた。
人と人の体が強くぶつかる音を最後に、雨の音がしばらく続いた。
「……」
頭の中で意味のない試行錯誤をした後、僕は視線を持ち上げて身を寄せ合う親子へ視線を向ける。
「―――え?」
他人を惨殺するよりも、街を滅茶苦茶にするよりも、見知らぬ誰かの幸せを奪うことよりも……僕が目の当たりにしたのはあってはならない悲しい現実だった。
「お父……さん……? どうして……」
鬼月さんが手にした国王丸の真っ赤に染まった刀身は鬼月隼人の背中から突き出ていた。
血塗られた親子の足元へ真っ赤な帯が伸びていく。
湿った土に飲まれ、雨は惨状を洗い流す。
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