第22話

 翌朝。

 今朝も小田原市は雨に見舞われ、今年の梅雨は例年の降水量を上回るとの予想が立てられていた。


 僕は伊勢先生の指示通り、隼人さんの命令に従っている体で鬼月邸に訪れた。

 鬼月家に訪れたのは僕だけではない。今は目視できないが、茂みには大勢の特殊部隊の方々が隠れており、虎視眈々と鬼月隼人の出現を待っていた。


 大掛かりだとは思ったが、伊勢先生曰く、鬼月隼人は鬼月家が始まって以来、最強の剣士として数々の武勇伝を立てた人物らしく、僕が目の当たりにした風格とイメージが合致したため、この大層な作戦にも納得した。


 戸を叩いてから三分前後、制服姿の鬼月さんが姿を玄関に現れた。


「あ、おはようございます。お待ちしておりました」


 鬼月さんが何かを察しているような気配は無い。

 僕は気取られないようになるべく表情を変えないように鬼月さんに挨拶を返した。


「来たか、上ヶ丘くん」


 鬼月さんの背後、仄暗い廊下の向こうから影のように姿を現したのは鬼月隼人だった。

 藍色の浴衣に身を包み、上がりかまちから僕を見下ろしている。


「どうも……」


 伊勢先生や特殊部隊の人からインカムなどは貰っていない。些細なことが作戦の露呈に繋がりかねないという理由で、僕は完全に単独行動を命じられているのだ。

 僕は傘を玄関の壁に立てかけ、玄関を上がった。

 隼人さんを前方に背後を鬼月さんに挟まれて廊下を進む。


「お、鬼月さんは何をするとか聞かされているの?」

「さぁ? 何を聞いても答えてくれなかったんですよね」


 今日はやけに鬼月さんの機嫌がいい。

 原因は恐らく昨日の告白だろう。重荷が降りたという顔をしている。


「楓彩、国王丸とオレの部屋にある刀を一振り、持ってきなさい」

「はい」


 隼人さんの指示により、鬼月さんが道半ばで消え、僕と隼人さんの二人きりの状況になってしまった。


「……」

「緊張しているのか?」

「……えぇ、まぁ」

「別に取って食おうってわけじゃない。むしろ緊張されると困る」


 隼人さんはただの冗談のつもりで言ったのだろうが、僕を脅すには十分すぎた。


「雨が降っているが、少し我慢してくれ」


 隼人さんはそう言って中庭へ通ずる窓を引いた。

 傘も差さずに、草履をはいて庭園に敷かれた飛び石を踏んで茂みへと向かう。

 僕もサンダルを履いて後を追い、飛び石を踏んだ。


 以前は風流だと感じた花々も今の心境だと更なる恐怖へと続く道のように思えて仕方が無かった。

 程なくして現れたのは以前訪れた時にはたどり着かなかった茂みの最奥にある東屋あずまやだった。

 静寂の中にひっそりと佇む三角錐の洋風な屋根は僕の気持ちを紛らわすような優し気な気配を纏っていた。


「ここは?」

「心を落ち着けたいときに来る場所だ」

「じゃあ、隼人さんも緊張して……」

「あぁ」


 声にはしなかったが、驚いた。

 同時に悪寒が全身を駆け巡る。

 気取られた?

 いつ?

 何が原因で?


「お待たせしました」


 何も知らない鬼月さんが元気な声で静寂を乱した。


「来たか」

「これから何をするんです?」

「黙って指示通りにしてくれ……どうやら――時間が無いらしい」


 僕は静かに辺りを見回した。だが、特殊部隊が近くにいる気配は無い。いや、いるかもしれないが雨の音が邪魔をして確認できない。


「そうですね、学校に遅刻しちゃいますし」


 見当違いなことを言っている鬼月さんは隼人さんの指示通り、国王丸を抜き、僕の前に背を向けて立った。

 鬼月さんに対面する隼人さんはもう一振りの刀を抜いて上段に構えていた。


「真剣での稽古ですか? でしたら上ヶ丘さんが近くにいるのは危ないのでは?」


 隼人さんは鬼月さんの問いに答えることは無く、無言で僕を見つめていた。

 視線の所在に気が付いた鬼月さんは何かを察したのか、慌てて刀を上段へ構える。


「……ま、待ってください! 説明を――」


 刹那、白刃が垂直に雨粒を両断しながら僕の首へ迫った。

 次いで目の前で火花が散り、隼人さんは退く。


「―――」

「どういうことですか! お父さん!」


 続けざまに、けさ斬りが鬼月さんの言葉を裂くように振るわれた。

 受けることが無理だと悟った鬼月さんは僕の体へ体当たりをしてこれを躱す。

 一切の容赦が無い。

 二撃目は鬼月さんごと僕を切り裂こうとしていた。

 その証拠に、僕を庇う鬼月さんの背中に一筋の赤が入っていた。


「責任の話だ、上ヶ丘瑛太」

「え」


 鋭い眼光が僕の目を刺し貫いた。


「オレは今から君を本気で殺しにかかる。立ち向かった楓彩は当然死ぬ。それでも君は楓彩の傍に居ようと思うか? 君が死ぬか、楓彩が死ぬか……どちらかを選べないのであれば、オレの娘に近づくな」


 僕は震える唇を開いた。だが、声が出なかった。


「お父さん……意味が……意味が分かりません。私は私の意思で上ヶ丘さんを守っているんです!」


 鬼月さんは震える声で叫んだ。


「私は上ヶ丘さんを守るために辛い稽古にも耐えた! これまで一切泣かずに堪えてきた! お父さんに否定なんかされたくないっ!」


「――それが呪いだというのだ」


 娘の我儘を父は冷徹に一蹴した。

 鬼月さんが動揺した一瞬の隙を突いて、隼人さんは地面を蹴った。

 水平に振られた刀は寸分違うことなく僕の首元へ伸びてくる。遅れた鬼月さんは刀のみねを左肩で支えるようにして防御姿勢を取った。

 だが、刃が触れた瞬間、鬼月さんの矮躯わいくは右側の茂みの中へと吹き飛ばされる。

 臆した僕の足腰は地面へと落ち、本能で後退った。


「ほ、本気なのか……」

「あぁ、オレは楓彩を守るために家族を何人も殺してきた。ただの他人一人くらい、わけ無いさ」

「それなのに鬼月さんを傷つけるのか! 矛盾してる!」


「楓彩を生かすためなら、このくらいはするさ」


 鬼月隼人は刀を両手で握りしめて、その切っ先を頭上高く持ち上げた。

 逆光となり、鬼月隼人の顔色が伺えない。

 僕が頭から両断される光景が容易に想像できた。頭ではすぐに飛び退けと命令を出しているのに体が縛り付けられたかのように動かない。


「――瑛太さん逃げて!」


 鬼月さんのつんざくような叫び声が聞こえた。だが、もう遅い。

 僕の手足はとっくに命を諦めている。

 自分が死ぬ瞬間なんて見たくない。

 僕は目を閉じた。


「……っ」


 だが、いつまで経っても死は来ない。痛みは来ない。


「え」

「……」


 鬼月隼人は刀を振り上げたまま、微動だにしていない。

 何をしているのか理解に苦しんだが、蔑むような視線に、先ほどまでの殺気は無いことを察した。


「呆れた……この期に及んでも見つからないか」


 鬼月隼人はため息を吐きながら、刀を下ろし、僕の足の間へ突き刺す。


「な、何が」

「君はどう足掻いても答えにはたどり着かない。きっと全てを失う。友達も家族も大事な人も……オレはそういう奴を見てきた」


 不思議と、鬼月隼人の言葉はストンと胸に落ちてきた。


「全部は無理だ……上ヶ丘瑛太。だが、一つだけなら確実に手に入る……もしも君が本当に望むのであればだがな」


 雨が恐怖に囚われてた意識を呼び覚ます。ふと冷静になった。


「答えは示したはずだ。我ながら不器用な方法でな」

「隼人さん……僕は」


 大事な友達。生かしてくれた家族。僕の道を示してくれた先生……そして、これまで片時も離れず動き続けた僕自身。

 得たい物なんて挙げればきりがない。

 それでも、


「僕は……鬼月さ―――」


 何か、何か良くない音が僕の声を、意思をかき消した。

 隼人さんの右胸に咲く赤い花、空気を震撼させる乱暴な破裂音。


「――」


 雨の音に紛れた銃声は立て続けに響き続け、隼人さんの胸へ一つ、また一つと赤い花が咲く。


 耳鳴りと鉄の臭いが、雨の音と匂いを上書きしていく。

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