第21話

 隼人さんの横顔を数度見てから、言を切った。


「鬼月さんと仲が良いんですね」

「君は家族とは仲が悪いのかな?」

「悪いというほどでは」


 話すにつれて隼人さんの優し気な口調に、僕の緊張が解けていく。


「俺も楓彩のことは信頼している。鬼月家は少ないから、喧嘩なんてしている暇は無いよ」


 確かに、鬼月親子の信頼関係は僕なんかとは比べ物にならない物だろう。だが、隼人さんの言葉からは奥行きを感じなかった。


 隼人さんが鬼月さんの左腕を切り落としたという噂のせいもあるだろうが、まるでロボットと話しているかのような温度の低さを覚えた。


 なら、僕が気を遣っているのはおかしいんじゃないか……そんなことを思った僕は思い切って本題を切り出す。


「……鬼月さんの左腕を切り落としたのはなぜなんです?」


 僕の質問に対し、隼人さんは一瞥を寄越して、ため息を吐いた。


「……予想外だな……てっきりでも聞いてくるものかと思ったが……真から聞いたのか?」

「……」


 情報源を言う必要は無いと思い、僕は黙り込んだ。

 あたかも御家の破滅がどうでもいい事かのような発言も聞き逃せなかった。


「悪いが、それに答えるには君の理由が欲しい」

「理由……」

「ただの興味本位なら聞くのはやめておいた方が良い」


 隼人さんと目が合ってしまった。

 途端に呼吸が浅くなる。


「……鬼月さんに頼まれたから……じゃダメですか?」

「答えになってないな。そこに君の意思は無い」


 困ったことにもう手札が無い。

 僕が隼人さんから情報を引き出すには致命的に足りていない物があった。


「それに、君は楓彩に興味が無いだろう」

「……!」

「それは優しさじゃない、ただの無責任だ」


 返す言葉もない。


「ぼ、僕は……鬼月さんのことは」

「まぁいい、言わせたいわけじゃない。それよりも、これからのことが気になるんじゃないのか?」


 僕は立ち止まって隼人さんが手にする傘から出た。


「僕は……」

「大丈夫だ。今は虚無感に苛むだろうが、それも時間が解決してくれる」


 違う。僕が聞きたいのはそんな事じゃない。

 だが、否定の言葉は終ぞ口から出ることは無かった。


「僕は、もう関係無い……ですか」

「あぁ、君はこの山道を抜けたら一般人だ」

「でも……僕の知らないところで鬼月さんが身体をボロボロにしながら戦ってると思うと……何か、言葉には出来ないけど、苦しいんです」

「?」


 隼人さんは目を大きくして僕へ振り向いた。

 目の色から感情を読み取ろうとしたが、一向に隼人さんが何を考えているのか分からない。

 怒っているかと思えば、視線を泳がせて何かを思案しているような表情に変わる。

 そして、僕を再び見つめなおした時にはにやけ顔になっていた。


「そう言うなら、オレに一つ使われてくれるか?」


 隼人さんは僕の方へ戻ってくると、傘の中には入れないような間合いを取ってきた。


「明日の午前六時、家に来なさい」

「え?」

「君と楓彩で一つ試してほしいことがある」


 今、理解した。僕がなぜ隼人さんをここまで恐れているのか。なぜ僕は隼人さんの事を良く思えないのか。


「手伝ってくれたら、少しは楓彩のことについて教えてやってもいい」

「っ! あなた、鬼月さんをどうする気ですか」


 隼人さんはまだ女子高生である自分の娘が日夜血を流しながら戦っている現状を看過している。いや、彼自身、鬼月家の使命だ何だと言い訳をつけて正当化しているに違いない。


「あなたもタマホウシと戦えるんじゃないんですか? なら片腕の鬼月さんが戦う必要なんて無いはずだ!」


 隼人さんの表情から笑顔が失せた。

 相変わらず表情の起伏が浅く、何を考えているのか分からないが、少し開いた口元を見ると、怒りが伝わってきた。


「君は何かを勘違いをしているな」

「え?」

「楓彩に呪いをかけたのは―――」


「―――

 

 日も暮れ、雨足が強くなった街の中を傘もささずに歩く。

 鬼月さんが助けてくれたにも関わらず、僕はまた一人で歩いている。

 思考が頭の中をグルグルしていた。自分が帰路を歩いているのかさえ定かでは無かった。


「……?」


 一台の車のエンジン音が僕の意識に切り込んできた。

 僕の傍らに停車すると、ウィンドウが下ろされる。


「上ヶ丘、何してる」

「伊勢先生……」

「乗れよ」


 伊勢先生の言葉通りに助手席に乗り込み、受け取ったタオルで最低限身体を拭いた。


「たく、何やってんだか」

「ですよね」

「……上手く行かなかったのか? 楓彩の誕生日は」

「僕のせいで」

「そっか」


 伊勢先生が深く詮索してくることは無かった。


「……何か相談したいことはあるなら少しドライブでもしよう」


 僕は頷いた。

 伊勢先生なら僕の心に掛かった雲をどうにかしてくれるかもしれない。


「僕は、鬼月さんに呪いをかけていたみたいです」

「お前そんなことできたのか」

「いや、そういう意味じゃなくて」


 伊勢先生は鼻で笑ってハンドルを右へ切った。僕の家がある方向とは違う道へ入っていく。


「隼人さんがどういう意味で僕に指摘したのか、完全に分かったわけではありません」

「隼人め、俺の教え子に変な事吹き込みやがって……」

「僕が鬼月さんに戦う理由を与えているんじゃないかって思ったら何だかモヤモヤして」


 車は赤信号で止まった。

 何とも優しいブレーキが伊勢先生の人柄を現していると思った。


「楓彩が戦うのはこの街の住人のためだ。お前ひとりのためじゃない……前にもそう言っただろ? そんなに気にすることじゃ」

「鬼月さんは僕の事が好きらしいんですよ……それでも違うって言えますか?」

「マジか、ついに告白したのかよ。あいつ」


 伊勢先生は嬉しそうに言った。


「前から知っていたんですか?」

「まぁな。あいつがガキの頃から知っているぞ。長い片思いだな」


 信号が青になり車が発進した。目の前を横切る国道一号線に入り、国府津方面へと進んでいく。


「なるほどな、そういう意味での呪いなら納得だ」

「何かできますかね」

「んーそうだなぁ……よし、楓彩のために何かすることでお前の心が晴れるんなら、一つあるぞ」


 伊勢先生は前方から目を離さずに、運転席の脇に差さっていたファイルを持ち上げて僕へ差し出してきた。


「お前に話すかどうか悩んだんだがな、欲求やが戻った後のお前には出来ないだろうから、今話すことにした」


 どこか含みのある言い方に、僕は首を傾げながらもファイルを受取る。


「中身を見てみろ。ただ、誰にも言うな」


 僕は言われた通り、中に入っていたプリントを取り出した。

 上から順に目を通してみたが、ぱっと見ではない陽の意味を理解するのは難しかった。


「三枚目だ」


 上から二枚のプリントをめくると、真っ先に目に飛び込んできたのは「」という大見出しだった。


「これって……」

「明日、鬼月隼人を逮捕するために国が動く」

「ちょ、ちょっと待ってください」


 急な展開にぼやけていた頭がたたき起こされた。


「た、逮捕? 隼人さんを?」

「あぁ、詳しいことはその資料を見て欲しいんだが、簡単に言えば、隼人はタマホウシである可能性が非常に高い」


 突然のことで言葉も出ない。

 隼人さんがタマホウシである可能性の事も、伊勢先生が僕になぜそんなことを話したのかも、この会話の行く先が全く想像できなかった。


「俺としては、実の父親が逮捕される瞬間を娘である楓彩に見せたくはない」


 まだ話についていけては無いが、もし本当なのだとしたら、伊勢先生の意見には同意だ。


「明日の早朝、何か適当な用事を作って楓彩を家から遠ざけて欲しい……出来るか?」


 明日の早朝と言えば、隼人さんに呼ばれた時間に近い。


「も、もしかしたら……」

「どうした」


 隼人さんが指定した時間は正直言って不自然だ。試したいことというのがどんなものかは知らないが、何かを見透かしたかのような指示に思えてならなかった。


「実は、隼人さんも早朝に僕を呼びつけているんです」

「なに?」

「何か試したいことがあるとか何とか」


 伊勢先生の顔は険しくなった。


「分かった……早速、役立ってるぞ上ヶ丘」


 伊勢先生は手を伸ばしてきて僕の濡れた頭を撫でまわした。

 身体が冷えているせいか、伊勢先生の大人の手は凄く温かくて、蚊帳の外にいた僕を許しているような気がした。


「……ありがとうございます、先生」

「礼を言うのはこっちだ。お前は楓彩を頼む。俺ら大人は命を張ってお前らガキンチョを守ってやる」

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