第20話
鬼月さんと共に買い物を終え、下野家の邸宅に訪れる。
玄関を潜った瞬間、クラッカーが鳴らされ、驚いた鬼月さんは姿勢を低くした。
「いやいや、臨戦態勢に入らなくて大丈夫だから」
「な、なんですか? これ」
「「「誕生日おめでとーー!」」」
「……え?」
三人からの突然の祝福に鬼月さんは分かりやすく驚きの声を上げた。
混乱する鬼月さんを強引にリビングまで押し込み、すぐに鬼月さん誕生日会兼、感謝の会が執り行われた。
「あ、あの……皆さん? これは?」
「日頃お世話になっている楓彩さんへの感謝の気持ちっすよ」
リビングの中は飾り付けと呼ぶにはお粗末で、方向性がバラバラな折り紙や垂れ幕、ミラーボールに至っては床に転がっている。
だが、鬼月さんはそんなこと気にもせずに嬉しそうに目を輝かせていた。
「みんなでプレゼント用意したから、順番に渡してこっか」
カナメの合図で各々が用意したプレゼントを鬼月さんへ渡していく。
亮平はホールケーキや、各種スイーツを。カナメはなんだか高そうなバスボム。磯崎さんは僕には良く分からないスキンケア用品。
どのプレゼントにも鬼月さんは笑顔を浮かべて祝われることに喜びを感じているようだった。
楽しげな雰囲気。何が楽しいのか、どこで笑うべきなのか頭では理解しているのに、僕の口角は固まったまま、ただ僕以外の四人が楽し気にしているのを遠くから見ているような感覚だった。
「ほら、瑛太くんのプレゼントは?」
「あ、そっか」
「いや忘れんなし」
僕は鬼月さんの隣に移動し、テーブルの上に正方形の比較的小さな箱を置いた。
「よかったら」
鬼月さんは一変して口元に緊張を滲ませた。
なぜ警戒されているのか分からないが、鬼月さんは僕が差し出した小箱のフタを持ち上げる。
「これって……」
箱の中から出てきたのは青いレザーを三つ編みにしたブレスレット。
「へぇ、良いじゃん!」
横からカナメが口を出してくる。
「……良かったら着けようか?」
「ぜ、是非!」
僕は差し出された鬼月さんの右手首にブレスレットを着けた。
「……」
鬼月さんは何かにとりつかれたようにブレスレットを目線の立場まで持ち上げて見つめ始めた。
「ま、気に入らなかったら――」
「ありがとうございます! 上ヶ丘さん! すっごく嬉しいです!」
これまで見たことのないほど嬉しそうな笑顔……だが、少し悲しさを感じるのはなぜだろう。次に僕が何か声を掛けたら、鬼月さんは鳴きだしてしまうのではないだろうか、そんな予感が僕の胸を締め付けた。
「お、今日一番の笑顔」
「瑛太くんに持っていかれたかー」
何かを競っていたらしいカナメと亮平、磯崎さんは残念そうに笑った。
団欒に混じった瞬間、強烈な気持ちの悪さを感じた。
「あ、姉貴が選んだやつだけど……」
「「「うわ、その一言マジで余計ーー」」」
三人から非難の視線が飛んでくると、僕は何故か耐えられなくなり、立ち上がった。
ここにいちゃいけない……空っぽな僕がみんなと同じようにしてはいけない。
僕はもう、関係無いんだから。
「……? どうした? 瑛太」
僕は何も答えずにリビングを飛び出た。
残されたみんなの空気がどうなるかなんて何も考えずに玄関へ向かった。
ただ、あの空間に居たくなかった。
「ちょっと瑛太くん?」
僕の背中に声を掛けてきたのはカナメだった。
「ごめん、帰る」
「どうしたの?」
咄嗟に自分の感情を返す言葉が見つからなかった。
無言で靴紐を結んでいると、カナメの手が僕の左肩を掴んでくる。
「ちょっと、マジでどうしたの?」
「……離してくれ……」
「いやいや、ホント意味わからないから。事情を説明して――」
「鬱陶しいんだよ、お前」
分からないままにひり出した言葉がこれだった。
「は?」
カナメの手から力が抜けた隙を突いて立ち上がった。
これ以上何か言葉をかけられる前に玄関を開いて出ていく。
全身に雨が打ちつけてから玄関に傘を忘れたことに気が付いたが、今戻る勇気は無い。
「……くだらない」
酷い雨だ。
悪気の無い僕の言葉を断罪するかのように雨は僕を責める。
今ならハッキリと分かる。僕の体には何も入っていない。何をどうしたいのかも分からないし、何より他人に興味が無い。
鬼月さんだけではなく、カナメにも亮平にも……雨に打たれる僕を見ていく街の人々にも。
僕の精神は見上げる曇天のように濁り切っている。
「風邪、引きますよ?」
見覚えのある黄色い傘が、僕の視界を覆う。
傘を握る手を視線で辿っていくと、目新しいブレスレットが見え、やがて隻腕の少女が視界に入る。
「なんで……」
「あ、ごめんなさい、傘一本しか持てなくて……上ヶ丘さんの傘を持ってこれませんでした」
「そうじゃなくて」
「……言ったはずです。私が上ヶ丘さんを助け出して見せるって」
屈託の無い笑顔を浮かべる鬼月さんを僕は直視できなかった。
「だけど、僕は……もう助かってる」
「こんなにずぶ濡れなのに?」
「僕の中にはもう何もいない……」
「上ヶ丘さんの中には瑛太さんがいます」
「僕は! 鬼月さんには何もできない! 鬼月さんを気に留めることは出来ない!」
鬼月さんの傘が少し揺れた。
「はい……それでも、私は上ヶ丘さんの胸を埋めたいんです……ずっと傍で。あの時、瑛太さんがそうしてくれたように」
鬼月さんが話している僕は僕じゃない。それなのに、どうして納得してしまうのだろう。
知らない図書館で、知らない女の子の手を引いた記憶なんてないのに。
「ごめん……僕は、今の僕じゃ、鬼月さんの気持ちには答えられない」
「はい、それで結構です。もう待つのは慣れていますから」
「……?」
「私の家に行けば傘をお貸しできますけど、どうします?」
「……下手な誘い文句だね」
「はい、誕生日パーティを台無しにされた恨みを晴らしておかないと」
「……鬼月さんがそう言うなら」
◇
正直、濡れて家に帰った方が疲れなかった。
雨でぬかるんだ山道を二人で身を寄せ合って歩くのはかなり面倒だ。
だが、これが鬼月さんの恨みなのだと思うと、逃げ出すのは忍びない。
「カナメさんたち、すごく怒っていましたから、明日にでも謝っておいてくださいね」
「簡単に言うね」
カナメが怒る姿は想像するだけでも少し怖い。というか、面倒くさいという感情が先に来る時点で僕は終わっている。
「私も一緒に謝ってあげます。パーティを抜け出してきちゃいましたから」
鬼月さんは申し訳なさそうに笑った。
程なくして鬼月邸が姿を現す。
「あ」
これまで落ち着いていた僕の脈がとある人影を目の当たりにして跳ね上がる。
「お父さん……」
玄関の前で黒い傘を持って立っていたのは鬼月隼人さんだった。
「どうしたんです? こんな雨の中」
「いや、楽し気な会話が聞こえてきたからな」
そんなに大きな声で話していたわけでは無い。
「上ヶ丘くん、いつかの約束をここで果たそうか」
「え、あ、はい……」
勢い任せでした二人だけでの話。
咄嗟のことで何を話せばいいのか、必死に記憶の中を漁る。
「楓彩は入っていなさい」
「え、でも」
「今度はオレが上ヶ丘くんと話す番だ。それに下り道は誰かが送らないと危ない」
「そ、それもそうですね……」
鬼月さんは僕の方へ深くお辞儀をすると、玄関を潜って中へ入ってしまった。
傘が無くなった僕へすかさず隼人さんが傘の中に入れてくれる。
「では行こうか。歩きながら話そう」
先ほどまでとは打って変わって雨の音がより大きくなった。木々の騒めきも激しく聴覚を塞ぐ。
すごい圧迫感だ。
「オレの方からも、君には少しだけ話がある」
「ぼ、僕にですか?」
「だが、先は譲ろう。どうせ行きつく」
今すぐにでも逃げ出したいほどの重圧が右肩に圧し掛かる。だが、逃げればぬかるんだ山道に足を取られて大惨事になりかねない。
決して肩は組まれていないのに逃げ出せない。
だが、時間は限られている。僕が消化しなければいけないのは夢の中の鬼月さんがどうして僕と父親を合わせたかったのか、という問題だ。
隼人さんの横顔を数度見てから、言を切った。
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