第19話

 

 定例会議から三日が経ち、土曜日になった。

 僕は鬼月邸での暮らしを終えて自分の家で久しぶりの朝を迎えていた。

 家族は何事も無かったかのように普段の生活を送っている。


「お、瑛くんデートぉ?」


 鏡の前で髪の毛を整えていると、鏡越しに姉貴に話しかけられた。

 メガネをかけたウルフカットのダウナー女。「寿司食べたい」とプリントされた黒のTシャツを着ており、僕を揶揄う気満々の笑みでこちらを見ている。


「いいねぇ春だね」

「もう夏だけどな。それにデートじゃない」

「あれ、違うの? オシャレしてるからてっきり……」

「友達に言われたんだよ。ダサい服着てきたら殺すって」


「ねぇ、瑛くん? なんか危ないことに巻き込まれてない? それ」

「もう巻き込まれてない」

「もう?」



 姉貴との会話を切り上げて僕は家を出た。最寄りのバス停からバスに乗り込み、雨に降られている小田原の街を窓の外に眺めていく。歩道を歩く人々の手にした傘によって彩られていた。

 僕がたどり着いたのは付近では一番大きな駅として市民の足となっている小田原駅だった。

 バスロータリーから歩道橋へ上がり、小田原駅二階の入り口前にある二宮金次郎像へ向かう。

 待ち合わせの時間まであと五分。


「上ヶ丘さん?」


 時間にはまだ早いはずなのに鬼月さんの黄色い傘は待ち合わせ場所で待っていた。


「鬼月さん、早いね」

「早起きしてしまって……」


 鬼月さんはあからさまに視線を逸らして服の裾を気にし始めた。

 確かにいつもの鬼月さんにしてはスカートの丈が少し短い。いつもは隠れている膝が出ている。


「えっと……」

「ごめんね、面倒な事に巻き込んじゃって」

「あ、いえ……その……」

「じゃあ行こうか。手短に済ませよう」

「……は、はい……」


 正直、今日は鬼月さんが少し気の毒だ。

 僕と鬼月さんがなぜ小田原で待ち合わせをしていたかというと、話は二日前に遡る。



「それじゃあ、会場はウチの家でいいよね? パパとママいないし」


 二回目の定例会議ではすでに鬼月さんの誕生日パーティの詳細について話し合っていた。

 僕としては鬼月さんの忙しさを知っているのであまり乗り気では無かったが、今から話しを戻すのも野暮なので静観することに決めた。

 料理や遊び道具など、あとは鬼月さんへのプレゼントなどなど……磯崎さんとカナメを主導に着々と決まっていく。


「なぁ、瑛太?」


 蚊帳の外にいる僕に話しかけてきたのは亮平だった。


「俺さ、楓彩ちゃんの趣味嗜好とか知らないんだけど、プレゼント何にすればいいと思う?」


 問題があるとすれば、プレゼントは各自一つずつ、自分で考えて見繕わなければならないところだろう。亮平の悩みは僕も抱えている。


「それは……亮平の方がセンスあるだろ。無難で良いんじゃない?」

「瑛太くんは無難な物じゃダメだからねー」


 カナメは地獄耳を発揮して僕の言葉を咎めてきた。


「なんで僕だけ……」


 カナメは僕の方へウサギのように跳び寄ってくると、亮平と並んで嫌な笑顔を浮かべて僕を見てきた。


「楓彩ちゃん、瑛太くんの誕プレメめちゃくちゃ楽しみにしてると思うよー?」

「な、なんで僕」


 カナメは困惑する僕に対して目を丸くした。


「夢の中で楓彩ちゃん言ってたじゃん……瑛太くんのことが大好きだって」

「何で知ってんんだ」


 鬼月さんがトンチキ発言をした瞬間、僕の記憶が正しければカナメは居なかったはずだ。


「え……確かに……あれ? んーーー、あんまり定かでは無いけど、夢の中で楓彩ちゃんが叫んでた気がするんだよねぇ」

「気のせいだろ」


 という言葉で片づけたが、夢の中の鬼月さんのことだ、里美沢がどんなに世界を制限していようとも、そのくらいのトンデモ現象が起きるかもしれない。


「で? 当日の動きは決まっているのか?」

「それはー」


 カナメは磯崎さんへ視線を送った。


「はい、会場の準備はわたし、カナメ先輩、亮平先輩で行います。瑛太先輩と楓彩さんは当日の買い出しをお願いしたいっす」

「その振り分けの意味は?」

「それはカナメ先輩の一存で」


 カナメはピースサインをしてきた。

 恋愛脳になったカナメは少し面倒くさい。


 

 そんな面倒くさいカナメのせいで鬼月さんと僕は雨の中外へ駆り出されている。

 僕と鬼月さんは小田原駅から再びバスに乗り、街で一番大きいショッピングモールへと向かった。


「えっと、カナメさんからのお使いですよね? 何を頼まれているんですか?」


 鬼月さんには誕生日パーティのことは伏せられている。今回の買い出しはカナメ主催の打ち上げ会だと伝わっているはずだ。


「えっと飲物とお菓子……かな」


 このくらいの買い物だったら近所のスーパーでいいのではないか。などとツッコミが飛んできそうだったが、鬼月さんは楽し気に窓の外を眺めている。


「貧乏くじだなぁ」

「え?」

「いや、なんでもない。嫌な天気だなって」

「そうですね、でも私は梅雨、そんなに嫌いじゃないです」

「そうなの?」

「はい、山走りが中止になりますから」

「……そ、そう」


 僕はスマホを取り出してカナメに頼まれた物を確認する。

 適当なお菓子、適当な飲み物、適当なゲーム……要するに何も決まっていない。僕の使命はおもに時間稼ぎということだ。


「あ、あの上ヶ丘さん?」


 スマホに意識を向けようとすると、横から鬼月さんに声を掛けられた。


「何?」

「えっと、差し支えなければで良いんですけど……夢の中で私とどんな話をしたのか教えていただけないでしょうか」

「忘れて欲しいんじゃないの?」

「ね、念のために聞いておきたいだけです……」

「じゃあ遠慮なく」

「て、手加減はして欲しいです……」


 この数日間で気でも変わったのか、覚悟を決めてきたのか、頬を隠しながらも真っ直ぐな目で僕の目を見つめてきた。


「まぁ、会話をしたというよりは一方的に鬼月さんの方から気持ちをぶつけてきたというか……」


 鬼月さんは少し話しただけで僕から顔を逸らしてしまった。

 別にここで鬼月さんが僕に好意を抱いていたことを話す必要は無いだろう。鬼月さんを困らせるだけだ。


「あとは……」


 父親と話してほしいという内容だが、話そうとした僕の脳裏に過ったのは父親と仲睦まじく話す鬼月さんの姿だった。

 今のところ、隼人さんに対しての印象は鬼月さんの左腕を切り落とした人物。ただその一つだった。

 困った。勿体ぶっておいて意外と話せることが無い。


「んー……あとはよく覚えてないなぁ。鬼月さんの本音が強烈で」

「本音なんかじゃ……」

「鬼月さん?」

「その、何か余計な事とか話してないなら良いです」

「だーいぶ余計な事話してたけど」

「……」


「あ、一つだけ気になったことがあるんだけど」

「な、何ですか?」

「鬼月さんが度々、要求してくるハグやキスってどんな意味があるの?」

「キキキキキス⁉ 夢の中で何をやらかしてるんですか私!」

「未遂に終わったから、安心して」

「そ、それは……良かったです」


 ホッとしたような残念そうな複雑な表情をする鬼月さん。


「……タマホウシとの戦いにおいて欲求というのはすごく大事だというのは上ヶ丘三もご存じですよね?」

「まぁ、うん」

「そして国王丸は欲求の強さや量がそのまま出力に変わるんです……ですので……」


 鬼月さんの顔がみるみるうちに赤くなっていく。


「その……性欲を強めるために……協力してもらっていると言いますか」

「なるほど」

「……」

「……」

「あ、あの……ごめんなさい」

「なにが? 鬼月さんは最善の手段をとったってだけでしょ?」

「そうです……けど」

 


 道半ばで鬼月さんとの会話が持たなくなり、互いに沈黙したまま目的地であるショッピングモールに到着した。

 雨にも関わず、屋内は家族連れで賑わっており、早くも鬼月さんが人の多さに圧倒されている。


「ひ、人が多いですね」

「鬼月さん?」


 僕の背後に隠れるような位置取りの鬼月さん。


「大丈夫?」

「大丈夫……です」

「はぁ……手短に済ませよう」


 鬼月さんは僕の服を掴んで密着して後ろを歩いた。

 特段、会話などはせずにカナメの注文の品を揃えていく。

 食品コーナー、多種多様の雑貨屋……店の数こそ多いが買う物が決まっていればそれほど時間のかからない買い物だった。

 だが、鬼月さんは少し疲れた様子でベンチに腰掛けた。


「あれ、そんなに体力無かったっけ?」

「あはは……なんだか疲れちゃいました……」


 僕は鬼月さんの隣に腰掛け、スマホを取り出す。買い忘れが無いかを確認しつつ、カナメのことだから追加の注文をしてくるだろうなぁなどと考えていた。


「……私、苦手なんです。知らない人の視線」

「?」


 鬼月さんは垂れ下がっている左袖を見つめた。


「私がこんなオシャレな服を着て、男の人と一緒に歩いて……すれ違う人がなんて思うか……考えちゃうんです」


 言われて初めて、今日の鬼月さんがいつもとは雰囲気の違う服を着ているのに気が付いた。

 髪の毛だっていつもより毛並みが綺麗だ。良く分からないがメイクもしている?


「……何も思わないでしょ」

「……そ、そうですよね。何も思わないですよね」

「怖いなら早く帰ろう」


 僕は立ち上がって、荷物を左手にまとめた。


「え」


 背後で鬼月さんが困惑したような声を上げたので振り返る。


「どうかした?」


 鬼月さんは丸い目をして僕のことを見上げていた。意図が分からず首を傾げていると、悲し気な表情になり、顔を隠すように俯いてしまった。


「……鬼月さん?」

「あ、あの、もう少しだけお話しませんか?」

「大丈夫なの?」


 鬼月さんは笑みを浮かべて頷いた。

 まだ約束の時間まで少しある。バス一本ぐらいなら乗り過ごせるだろう。

 僕は断る理由が無いので再び鬼月さんの隣に腰を下ろした。


「上ヶ丘さん、覚えていますか?」

「何を? あれ、何か買い忘れでもした?」

「そうではなく」


 一見すると楽し気な鬼月さんの表情も、良く見ると唇が震えている。


「私たち以前に一度だけあったことがあるんですよ?」

「え?」

「タマホウシ事件よりも前?」

「はい……私が小学校一年生、上ヶ丘さんは小学校二年生の時です」


 お、覚えてるわけねー。

 と、口に出してしまいそうになったが、鬼月さんの話を遮ってしまうだけなので口を閉じた。


「八月の三日、十一時二分頃です」

「細かいな」

「今はもう無くなってしまった図書館で、私、迷子になっていたんです。とはぐれちゃって」


 鬼月さんの口から「お母さん」という単語を聞くのは恐らく初めてだろう。だが、詮索する間もなく鬼月さんは続けた。


「寂しくて、怖くて……泣きそうな私の手を、見ず知らずの男の子が握ってくれたんです。もう泣くなって……」


 言われてみて、微かにそんなことがあったような記憶が過る。


「後になって、その男の子の名前が上ヶ丘瑛太さんだって知ったんです……」

「へ、へぇー」


 話されても反応に困ってしまった。「あ、あの時の!」となれば会話は弾んだのだろう。だが、懐かしむほど濃密な記憶は無い。


「じゃあ、鬼月さんは名前も知らない男の子に恋しちゃったんだ?」

「はい……」


 今、ナチュラルに認めたな。


「なるほどね、何となく夢の中での鬼月さんの言動が理解できた」


 それと鬼月さんの性格も。


「……?」

「そろそろ行こうか。カナメたちが待ってる」

「……あれっ!? 私、今!?」


 鬼月さんが己の失態に気が付いて赤面しているのを尻目に荷物をまとめて立ち上がった。

 さて、困ったことになった。

 ここまで鬼月さんの好意があからさまになったというのに僕の心は微塵も揺れ動いていない。タマホウシによる後遺症なのか、そもそも鬼月さんに興味が無いのか……。

 いや、鬼月さんに興味があったら今頃僕の中に巣くっていたタマホウシは消失なんかしないで大暴れしている。


 ……困ったな。


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