第11話


 僕と鬼月さん、そしてカナメはひとまずの避難先として下野家に訪れていた。

 立派な正門を通り、手入れされた芝生の庭を抜けて三階建ての家屋に入る。

 鬼月邸もそうだが、二人の家に入ると僕の実家が少しみすぼらしく思えてしまう。まぁ、両親には申し訳ない限りだが。


 足を負傷した鬼月さんを居間のソファで寝かせ、僕とカナメは医療品を探しに別の部屋へ向かう。

 僕の家のリビングくらいはあろう物置に入り、四方の棚を手分けして探す。


「確か、お父さんの医療箱があったはず……」

「ご両親、医者なんだっけ?」

「うん。面白いよね、娘も両親もほとんど家にいないの」

「笑える。この豪邸もったいなくないか?」

「瑛太くん、ほしい? この家」

「欲しい」

「即答かよー」


 僕は探す手を止めてカナメへ振り返った。


「……大丈夫か?」

「……うん、ちょっと辛いかも……でも、ありがとうね、瑛太くん」

「鬼月さんにもちゃんとお礼言っておけよ。鬼月さんがいなかったらこんな話できなかった」



 程なくして、カナメが医療箱を見つけ、居間に戻った。

 直ぐにカナメは慣れた手つきで鬼月さんの患部に触れ、湿布や包帯を取り出しては応急処置を始める。


「多分だけど、捻挫だと思う。しばらくは動かない方が良いよ」

「さすが医者の子」

「ネットに書いてある」


 自信満々にスマホの画面を見せてきた。


「こういう時お父さんかお母さんがいれば良かったんだけど……ごめんね。楓彩ちゃん」

「いえ、カナメさんが謝ることではありません。治療してくださりありがとうございます」


 鬼月さんはカナメに対して微笑むと、ゆっくりと上体を起こしてソファの上に足を伸ばす体勢をとった。


「さて……困りましたね」

「うん」


 僕と鬼月さんが深刻な顔をすると、カナメは状況が呑み込めていない様子で僕と鬼月さんの顔を交互に見た。


「だ、大丈夫でしょ? 警察に任せておけば……京ちゃんだってきっと元通りに」

「そうもいかない……でしょ? 鬼月さん」


 鬼月さんは首肯した。


「ひとまず真さんに連絡します」


 時刻は午前零時を回っていた。だが、鬼月さんは何の躊躇いも無しに伊勢先生へ電話を掛けた。

 こんな時間に電話しても出るかどうか……。


『はい……伊勢ですが』


 と思ったのも束の間、明らかに眠そうな声で応答してくれた。


「真さん、緊急事態です」

『楓彩、頼むから二分寝かせてくれ』

「ダメです。急を要します」


 二分くらい良いじゃんと思ったが、そんなことが言える立場ではないので、伊勢先生には悪いが黙っておくことにした。

 鬼月さんは問答無用でこれまでの経緯を説明した。

 話していくうちに、伊勢先生も意識がハッキリしたようで、あくび混じりではあるものの、とある可能性を示唆した。


『そいつはかもしれん』

「夢路?」


『以前、が相手をした厄介なタマホウシだ。他人を眠らせ、眠らせた人を使役してネズミ算式にタマホウシの繁殖を拡大させていく……今街中で起こっている失踪事件とも一致する』


「じゃあ、あの操られている方々は」

『手遅れとまではいかないが、危うい状態だろうな』


 家族や亮平の顔が脳裏にちらつく。


『危ういのはお前らもだな。今夜は寝るな。寝たらゲームオーバーだ。いいな?』

「真さんもご用心を」

『あぁ……お互い今夜は長いな』


 深夜テンションであろう臭いセリフの後に伊勢先生を通話を切った。というか、鬼月さんの方から切っていた。


「ということなのですが……大丈夫でしょうか」


 僕はカナメを見た。依然として状況が呑み込めていない様子。


「ごめん、説明求む」


 と、カナメは小さく挙手した。

 鬼月さんは何度目かのタマホウシの説明をし、最後に里美沢は既に手遅れであると付け加えた。


「どうにもならないの? 京ちゃんは……た、助かるんだよね? 瑛太くん?」


 カナメの悲し気な視線が向けられたが、僕からは何も答えることは出来なかった。

 そんな僕を見かねた鬼月さんがカナメに答える。


「残念ですが、彼女は完全にタマホウシと同化してしまっています」


 遠慮のない言葉にカナメは黙り込み、重苦しい空気が流れ始めた。

 鬼月さんがきつく言うのは、里美沢に潜んでいるタマホウシは孵卵状態、索餌状態のさらに先、最終形態である成体として完成してしまっているからだ。


「里美沢京香さんを元に戻すということは、生物としての彼女を否定することになります」

「でも、磯崎さんの時みたいに何か糸口があったりととかは……」


 僕の言葉に、鬼月さんは渋々首を横に振った。


「正直、磯崎さんがどうしても戻ってきたのかも理解していません……これ以上奇跡に頼ることはできません」


 まだ悪食のタマホウシを倒せた理由を知らないのは僕にとっては都合がいいが、この話題はこれ以上広げない方が良いかもしれない。


「……」

「? どうかされましたか? 上ヶ丘さん」

「な、何でもないです……」


 とは言え、対策を講じるにも鬼月さんからアイデアが出てくることも無く、下野家の居間には静寂が訪れた。

 カナメは何を考えているか分からない無表情でテーブルの上に置かれたスマホのケースを見つめている。


「ごめん、ちょっとトイレ……行ってくるね」


 カナメは無感情な声で立ち上がり、居間から出ていく。

 鬼月さんはカナメが出てから少し間を空けて僕に話しかけてきた。


「あの、カナメさんと里美沢さんって」

「確か幼馴染だったかな。僕も詳しくは知らないけど少なくとも、どうでもいいなんて冷たい言葉を吐くような間柄では無かったと思う」

「……そうなんですか? 私から見た印象だと、お二人は犬猿の仲のように感じましたが」

「犬猿の仲? あいつらが?」


 僕が抱いていた印象とは真逆の意見だ。


「はい、里美沢さんがカナメさんと話している時の感情は殺意に近い物でした」

「それって、鬼月さんの直感?」

「いえ、首を切り落とした際に国王丸から伝わってきました」

「そんな事も出来るんだ……すごいな」

「あまりいい気持ちではないですけどね」


 鬼月さんは国王丸が入ったバットケースを撫でながら微笑んだ。


「里美沢さんは、私に対しては明確な殺意を、上ヶ丘さんに対しては強い興味をいだいていました。とても複雑で、とても多くの方の劣情が渦巻いているような感覚です。思い出すだけで吐きそうになります」


 鬼月さんは不快感を表情に現した。


「大丈夫?」

「はい……ただ、里美沢さんは私が出会ったどんなタマホウシよりも歪で、怖かったです」

「鬼月さんでも、怖いと思うことあるんだね」

「そうですね……割とありますよ? 怖いもの。それこそお化けとか無理です」


 鬼月さんはゆっくりと辺りを見回して言った。

 あんな化け物に臆さず立ち向かっているのに存在自体があやふやな幽霊が怖いとはこれ如何に。

 だが、同時に少しほっとした。

 いつもは俗世離れしている鬼月さんが女の子らしいことを言ったからだ。


「この家、お化け出るらしいけど、大丈夫?」

「大丈夫ではないです」


 表情には出していないが。幽霊に怯える鬼月さんで少し楽しめそうだと思ったが、ふとカナメのトイレがやけに長い事に気が付いた。


「じゃあ、僕はカナメの様子を見てくるよ」

「え」

「頑張って」

「がががが頑張りますとも、ええ」


 僕は居間を後にし、廊下の奥にあるトイレを見た。僕が廊下に出ると自動照明が付き、トイレまでの道を照らしてくれた。


「あれ?」


 トイレの明かりは付いていない。


「カナメ?」


 僕は緊張感を胸に感じながらゆっくりトイレの方へ歩いていく。

 右手の階段を過ぎ、先ほど入った物置も過ぎた。次の部屋何かと覗き込んだその時。


「わっ!」

「―――っ!」


 カナメが飛び出してきた。

 全身の神経が敏感になっていた僕は猫のように跳びあがり、そのまま尻もちをついてしまった。


「え、ごめんごめん! 大丈夫?」

「いってぇ……お前、状況考えろよ」

「まさかそんな驚くとは……大丈夫? どこか打ってない?」

「大丈夫だ」


 カナメは僕を立ち上がらせようとはせず、そのまま壁を背に僕の隣へ座ってきた。


「カナメの方こそ大丈夫か?」

「何が?」

「目、腫れてんぞ」


 僕の指摘にカナメは慌てて目元を拭った。


「べ、別に大丈夫だよ……ちょっと頭の整理をしてたからさ」

「そうか」


 強がるカナメだが、僕の横で仕切りに鼻をすする。


「……ウチさ、京ちゃんに嫌われてるの、気付いていたんだよね」

「意外だな、そう言うのは分かるんだ」

「え~? どういう意味~?」


 と、半笑いで肘を刺してくるカナメ。


「幼馴染なんだろ? 里美沢と」

「うん、小学校の時からずっと一緒。高校選びだって二人で話して決めたし」

「まさかトイレも一緒に行ってるとかじゃないよな」

「さすがに毎日は無理だったけどね」

「行ってたのかよ……」


 カナメは声を上げて笑った。かと思えば、ため息を挟んで天井を仰ぐ。


「でも、私がモデルの仕事やるってなった時、大喧嘩したなぁ。はじめての大喧嘩」

「そこは相談しなかったんだな」

「うん、なんかタイミングが合わなくて……。結局、京ちゃんは賛成してくれたんだけどね。そこから少しづつ会話が減ったのかも」


 カナメの横顔はまたしても泣きそうだった。

 いつも一緒にいるだなんて家族でも叶わない。

 どんな友達でも些細なキッカケがあれば簡単に疎遠になる。

 僕だって何人の友達と疎遠になってきたか覚えていない。

 結局、人は一人なのだ。

 カナメはその一人として自分の道を進もうとした。


「カナメは間違ってない。けど、何かが違う気がするんだよな」

「何かって?」

「上手く言葉に出来ないけど、人との付き合い方というか、距離感というか」

「まさか遠回しにコミュ障って言ってる? 傷つくなぁ。ウチ友達は多い方なんだけど」


 カナメはそう言って頬を膨らませた。


「じゃあ、そのコミュ力で亮平とも話せばいいだろ? あいつも困ってたぞ」

「……意地悪だなぁ……瑛太くん、恋のキューピットになってくれるって言ったじゃん」

「一年間務めましたが……お前ら不器用過ぎてお手上げ。なんで作戦立てるだけ立てて何もしなかったんだよ。まぁ亮平もだけど」


 僕がカナメと知り合ったのは今から一年前の春。亮平とも同じタイミングで知り合った。

 正確には、亮平と友達になった翌日から、カナメに話しかけられるようになった。

 なんでもカナメと亮平の間で恋に発展するような何かがあり、カナメは僕を踏み台に選んだ。

 僕がなんでそんな面倒な役を買って出たのか……あれ、何でだっけな……。


「まぁ、感謝してるよ。瑛太くんには」

「なら、さっさと付き合え、お前ら」

「うん……でもまず、やっぱ京ちゃんと話がしたい」


 ようやく、カナメの言葉に芯が入った。

 里美沢からタマホウシを取り除けなくとも、理性があるのであれば話は出来る。

 実際、今晩だって言葉を交わせた。

 問題なのは、いかにチャンスを作るかだ。

 対タマホウシの柱である鬼月さんは機能しない。

 おまけに、眠れば一発で里美沢の手中に落ちてしまうという縛りまで課せられている。


「出来ると思うよ、話」

「うん、今度こそ」

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