夢路

第8話

 悪食のタマホウシを討伐してから日付は進み、六月へと移り変わった。

 未だに春の陽気は続いており、梅雨の気配はまだ感じない。

 テスト明けの受けれ具合が抜けない生徒、次の期末テストへ向けて勉強をするもの、どちらでもなくただボーっとした毎日を過ごす者など、様々だった。

 だが、その日の教室は少し静けさが漂っていた。

 静けさの要因は僕の友人である中崎亮平がここ二日間休んでいるためである。

 亮平だけではない。教室の席には所々空きがあった。


「ふつう逆だろ?」

「何が? てか急にどうしたの? 上ヶ丘くん」


 亮平の代わりを里美沢さとみさわ京香が担当していた。

 里見沢は昼休みになると、何も言わずに僕の机に菓子パンを広げてきたのだ。


「いや、皆が休んでるのに、里美沢はなんでここ最近は皆勤してんの」

「えー? だって学生の本分じゃん。それともアタシが教室に来たら迷惑とか? ひっどいーい」


 まったく気にして無さそうな口調と表情で抗議してきた。


「上ヶ丘くんが寂しそうにしてるから話し相手になってあげてるのになぁ」

「それは、まぁありがたいけど……」


 素直に喜べない理由があった。

 というのは鬼月さんとの約束だ。一、なるべく性欲を感じるような状況や行動は避けること。二、なるべく一人にならず、性的対象にならない相手と一緒にいること。

 普段から守れているかは怪しいが、自分の事なので気にしないわけにはいかないのだ。


「ふーん、てか話し変わるんだけどさ」

「んー?」

「最近、一緒にいる片腕の女の子、どういう関係ー?」


 やっぱり一緒にいたら目立つよなぁ。だが、なんて答えるのが正解だ? などと悠長なことを考えていると、真っ黒な里美沢の目と視線がかち合った。

 瞬間、言おうと思っていた誤魔化しの文言が失せる。

 なんか……怒ってる?


「え、いや、そんな関係というか……別に……」


 回答に困っていると、教室内が騒めいているのに気が付いた。

 クラス中の視線が向かっている先を見てみると、珍しい女子生徒が教室に顔を見せていた。

 艶やかな黒髪をなびかせて、羨望の眼差しを集めながら僕へ近づいてくる女子生徒は目が合うと微笑みながら駆け寄ってきた。


「久しぶりー! 元気にしてたー? てかきょうちゃんと瑛太くんの組み合わせ珍しくない?」

「カナメが学校に来る方が珍しいって」


 下野しものカナメ。

 僕と同じクラスの女子ではあるが、モデル業が忙しく、ほとんど学校にはクラスを現さない。だが、現した時はクラスをはじめ学校全体がちょっとしたお祭り騒ぎになってしまう。

 長い黒髪の毛先をウェーブさせ、鼻筋の通った顔立ちと、足長の長身も相まって高校生にはとても見えないが、列記とした十七歳である。


「あれー、カナちゃん? お仕事はいいの?」

「うん、今週の撮影は終わったんだ。来週から一足早い水着の撮影だよ?」


 カナメのワザとらしい発言にクラスの男子たちがどよめいた。

 そしてなぜか僕に殺気立った視線が向けられが、今の僕はカナメに対して一切魅力を感じていない。

 無論、性欲が無いというのが大きな理由だが、カナメは一年生の頃からの友人であり、彼女の裏の事情を知っている身からすれば下野カナメを欲しがるだけ無駄だと分かっているからだ。 


「あれ、瑛太くん? 反応薄くない? もっと鼻血だして失神するとかしてよ」

「オーバー過ぎる」


 不機嫌そうに口を尖らせるカナメだったが、彼女の一挙手一投足にクラスの男子たちが僕を睨んでくるので早々に離れたい。さもなければタマホウシではなくサルどもに殺される。


「あ、カナメー、久しぶりー」


 別の女子の声が教室の外から聞こえた。

 カナメは即座に声の方へ振り向いて、笑顔で走っていった。


「ユンちゃん、マイちゃん久しぶりー! 元気ー?」


 残された僕と里美沢は今まで何の話をしていたのか思い出せず、妙な間を感じていた。


「あいつ、マジで忙しいな」

「さすが人気モデルだよねぇ」


 僕は横目で里美沢の表情を盗み見た。

 退屈そうにカナメのことを目で追っている。僕の認識が正しければ、里美沢とカナメは普段から仲が良かったはずだ。四月から始まったこのクラスも、はじめのうちは下野と里美沢という美人二人がいるクラスとして、全校から羨まれたのを今でも覚えている。

 だが、カナメがモデル業で忙しくなり、学校に来なくなってから里美沢も学校を休みがちになった。今では保健室の番人となっている。

 美人が二人の教室……僕からすればツチノコが二匹出没する教室にしか思えない。



 里美沢とは昼休み以降、一言も会話せずに放課後を迎える。代わりに、僕の隣を歩いていたのは大人気モデル様、下野カナメだった。


「なんで、僕に付いてくるんだ」


 カナメは昇降口へ向かう僕の半歩後ろをついて来ていた。


「えー、酷い。話があるからに決まってんじゃん」

「なら手早く済ませてくれ」

「何か予定でもあるの?」

「予定は無いけど、カナメと二人でいると、いつか男子に背中を刺される」

「あはははっ、それは面白いね」


 なに笑ってんだ。


「いやいや、ウチが聞きたいのはさ……その……」


 一変して、言い辛そうに口淀んだ。


「亮平くん……今日休んでたじゃん?」

「あー、知らん」

「え⁉」

「自分で連絡してくれ」


 話が読めた僕は会話を両断して歩幅を広げた。


「待って待って!」


 そんな僕の両肩を思いきり掴んでくるカナメ。


「いつからそんなに冷たい男になったのさ! もっとまごころがあって優しくて都合のいい男だったじゃん!」

「失礼な認識だな!」


 逃げようとする僕の肩を全体重をかけて引っ張るカナメ。思いのほか体幹が強く、ピクリとも動かない。


「いつもの瑛太くんに戻れぇ!」

「離せ、バカ! お前はもっと自分の立場を自覚しろ!」


 このまま廊下のど真ん中で綱引きを続けていれば、変な噂が立ちかねない。そうなれば僕の命は無くなり、カナメは自分の目的から遠ざかる。


「か、上ヶ丘さん?」


 進行方向から、馴染み深い声で呼ばれた。

 スクールバックとバットケースを右肩に提げた鬼月さんがキョトンとした顔で僕のことを見ていた。


「お、鬼月さん! 助けてくれ!」

「ま、またですか」


 鬼月さんはため息を吐きながら、近づいてくる。

 思えば、こういった状況は以前にもあったような気がするな。


「あれ? 瑛太くん、この可愛らしい女の子は?」

「鬼月楓彩さん」


 鬼月さんは僕の紹介に合わせてお辞儀をした。


「ふーん……」


 カナメは鬼月さんの顔を見て、一瞬だけ左袖を見た。すぐに僕の方を向いて固まる。


「……あ、え、マジで? そういうこと?」

「なんだ」


 僕の疑問を無視してカナメは鬼月さんの目の前で両手を合わせて頭を下げた。


「ごめんね! 別にウチは瑛太くんを盗ろうとしたわけじゃなくて少しお話をしたかっただけなの!」


 豪快な誤解に鬼月さんも理解が追い付いてない。


「おいカナメ、僕と鬼月さんはそう言う関係じゃ」

「わわわわ私と上ヶ丘さんはべべべべべ別に付き合っているわけでは、でも、あれ、一緒に暮らしてるし、そう言うこと? あれ? 付き合ってましたっけ?」


 あ、めちゃくちゃテンパってる。

 珍しい鬼月さんの顔を見ることが出来たが、このままだと収拾がつかないので、カナメの襟を掴んで無理やり鬼月さんから引き離す。


「もういいか? 僕は鬼月さんと話があるんだ」

「えぇー……分かったよぉ。また今度にする」

「悪いね」


 無事にカナメと別れ、鬼月さんと共に校舎から出ることが出来た。季節は春と夏の中間、そろそろ梅雨に入ろうかという頃だ。


「鬼月さん。今日なんだけどさ、テストも終わったことだし一度家に帰りたいんだけど」

「そうですね。ご家族の方も心配されているでしょうし、今日はご自宅に戻った方が良いと思います」

「よかった。それじゃあ――」

「なので私も付いて行きます」

「は、はい?」


 まだ、テンパりが抜けていないのかと思ったが、、本人はいたって真面目な顔をしている。


「いつ危険が襲ってくるか分かりませんから」


 冷静に考えて、僕のタマホウシが家族を襲ってしまう危険だってある。鬼月さんからしたら、僕の動向を把握できないのは危険なのだろう。

 諸々理解した僕は仕方なく首を縦に振った。

 僕の家は鬼月さんの家が山にあるのに対して酒匂川沿いにあった。


「わぁ、おっきいですね」


 鬼月さんは僕が住んでいるマンションを見上げて言った。


「二十階建てだからね」

「二十階! それは凄いですね。小田原市を一望できるんじゃないですか?」

「それはさすがに無理でしょ……あ、でも屋上なら少し遠くまでは見通せるのかな」


 僕の発言に鬼月さんは更に目を輝かせた。


「上ヶ丘さんは何階に住んでいらっしゃるんですか?」

「一階」

「……」

「一階」

「……えっと、行きましょうか」


 鬼月さんの顔から笑顔は消えたが、決して落胆の表情は見せなかった。別に困らせるつもりは無かったが、鬼月さんが反応に困っている様子は少し面白かった。

 普通の人ならツッコミを入れたりバカにして笑ってくれるのだが、それをしない辺り、鬼月さんの真面目さが伺える。

 エントランスから入り、階段やエレベーターを素通りして長い廊下を進んでいく。角部屋の一つ手前で止まり、スマホをドアノブに近づけ解錠する。

 鬼月さんは解錠の動作を興味津々で見ていたが、ドアが開いた瞬間、背筋を伸ばして緊張を表情に浮かべた。


「友達ってことで紹介するけど大丈夫だよね?」

「は、はい」


 玄関に入って靴を脱いでいる最中、違和感が視線を引っ張った。

 僕以外の家族全員分の靴が揃っているのだ。


「あれ、みんないるのかな」


 だが、家の静けさから父、母、姉の三人が帰宅しているとは思えない。

 リビングまでの廊下を進み、ドアを前にするとようやくテレビの音声が聞こえてきた。


「ただいまーって……誰もいないじゃん」


 無人のリビングには報道番組の音声だけが流れており、強烈な違和感が漂っていた。

 ダイニングキッチンで出しっぱなしになっているフライパンや、中途半端に現れた食器類、リビングテーブルの上に置かれた飲みかけのコーヒー、ソファの足元に脱がれたモコモコのスリッパなど……まるで忽然と人が消えてしまったような痕跡が散見された。

 家族の生活行動を把握している身からすれば、導き出される答えは一つだけだった。 


「どうしよう、鬼月さん……家族が消えちゃった」

 

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