第7話

 事件から四日後、無情にも定期テストは予定通り行われた。

 テスト終了のチャイムが鳴り響いた瞬間、解放された生徒たちの詰まった息が一斉に吐き出された。


「お疲れ、瑛太」

「ん」

「久々にカラオケとかどうよ。野球部連中も来るから激しくなるけど」

「あー、どうしようかな」


 テストから解放された亮平とは違い、僕はテストともう一つ、悪食のタマホウシの脅威から解放され、完全に気が緩み切っていた。


「上ヶ丘」


 思考を放棄していた僕を担任教師、伊勢真が呼びつけた。


「この後、物理準備室に来い」


 げんなり顔をしたのは僕では無く、亮平だった。


「悪いな、亮平。また今度にしてくれ」



 伊勢先生の言いつけを守り、僕は寄り道することなく物理準備室に訪れた。

 部屋の中は物が散乱しており、少しホコリ臭かった。


「なにか用ですか?」

「用があるのはそっちだろ? 色々聞きたいんじゃないかと思ってな」


 伊勢先生は窓際のデスクで優雅に缶コーヒーを飲んでいた。

 僕を横目で見るなり、デスクの上に置いてあったもう一本の缶コーヒーを差し出してくる。


「無糖だが」

「あ、苦いの苦手で……」

「お子様だな。そんなお子様が今回はお手柄だったな」


 と、微笑みながら代わって一つの茶封筒を差し出してくる。

 半ば押し付けられるように受け取った封筒の中身をその場で確認すると、中には一万円札が二枚入っていた。


「え、お金? なんで」

「報酬だ。タマホウシ討伐には国から報酬が出る。今回、タマホウシにとどめを刺したのは上ヶ丘だが、一般人が関与したことはあまり公にはしたくない鬼月家への配慮で、討伐補佐ということになった。すまないが我慢してくれ」


 僕の手柄がショボくなったこともそうだが、それよりも伊勢先生が国と繋がっていることに驚きを隠せなかった。


「伊勢先生って、何者なんです?」

「ただの教師だが? と言いたいところだが、お前に隠しても意味がないな。俺は鬼月家のタマホウシ退治を陰から支えてきた伊勢家の人間だ」

「じゃあ、鬼月さんの親戚みたいな?」

「近からず遠からず。特に楓彩に限っては血の関わりは無いな。脱線したが、伊勢家はタマホウシ退治の後始末を請け負っている。この前の三階の空き教室だって隠匿し、修復手配をしたのは俺だし、今回だって被害者の治療と説明も俺が行った」

「だからそんなに眠そうなんですね」


 伊勢先生のことが少しわかったところで、僕は肝心なことを聞きだすことにした。


「あの、伊勢先生?」

「なんだ」

「磯崎さんは……どうなったんですか? 鬼月さんは無事なんですか?」


 僕の心に引っかかっていたのは磯崎さんだった。

 結局、僕と鬼月さんが磯崎さんの安否を確認する前に伊勢先生が磯崎さんの体を移動させてしまい、その後の関与を一切許されていなかったのだ。

 なのに僕の身は鬼月さんが居ないにもかかわらず鬼月邸に軟禁されていたのだ。


「安心しろ、二人とも命に別状はない」

「会えないんですか」

「なんだ、意外と情に篤い奴だな。だが欲張るな? どっちかにしろ磯崎と楓彩、どっちが好みなんだ?」


 伊勢先生は嫌な笑みを浮かべて冗談ぽく言った。


「真さーん、来ましたよー」


 このタイミングで部屋の扉が開き、聞き馴染んだ声が入ってくる。


「あれ、上ヶ丘さん……どうしてここに?」


 鬼月さんはいつも通りバットケースとスクールバックを右肩に提げて現れた。


「鬼月さんこそ、身体はもう大丈夫なの?」

「はい、おかげさまで!」


 という鬼月さんの頬には未だに絆創膏が貼ってあった。


「無理しないでね」


 鬼月さんは嬉しそうに微笑むと、伊勢先生へ視線を移し、真面目な表情を作った。


「真さん、お話というのは何でしょうか?」

「あぁ、なんだ。もう少しイチャついててもいいのに、もう俺に話しかけんのか」

「余計なお世話です。早く本題を済ませたいだけです」


 二人のやり取りを横から見ていて、少し胸の辺りがモヤっとした。意外な二人の繋がりもそうだが、なんだか僕が蚊帳の外なきがしたのだ。


「取り合えず、今回の報酬だ。受け取れ」

「ありがとうございます」


 伊勢先生が鬼月さんに渡したのは僕が貰った封筒よりももっと分厚い物だった。


「お、鬼月さん? 因みにいくらもらったの?」

「えーっと……真さん、たくさん入ってますけどいくらですか?」


 鬼月さんは封筒の中身を見た後、首を傾げて伊勢先生を見た。


「三百万だな」

「さっ⁉」

「うーん、いつもより多くないですか?」


 僕が固まっているのに気が付く様子もなく、鬼月さんは呑気なことを言う。

 三百万って……そこら辺の年収並みの金額だ。


「ホント、無欲な奴は……お前が倒したのは悪食のタマホウシだ。放っておけばそのまま日本だけでなく世界を大混乱に堕としかねない危険な個体だぞ? 三百万じゃ安いくらいだ」


 鬼月さんは興味無さげに「ふーん」と言って封筒をカバンの中へしまった。


「……倒したの僕だけどね……」

「ん、なんか言ったか? 上ヶ丘」

「ナンデモナイデス」


 なんだ、この胸が張り裂けそうな気持ち。


「それと、楓彩には追加で仕事を頼みたいんだが、良いか?」


 伊勢先生は消沈する僕を尻目に話を続けた。


「はい、何でしょうか?」

「お前、よく料理するのか?」

「え? まぁここ最近ですが、するようになりましたね」


 三百万を手に入れた鬼月さんは恥ずかしそうに言った。

 なぜか二万円しか手に入れてない僕を見て微笑む。


「その料理、大量生産できるか?」

「大量生産……ですか? そうですね、多分できると思いますけど、なぜです?」

「それは……」


 伊勢先生は二万円を持った僕を見た。

 鬼月さんの料理を兵器として利用しようとした考案者も実行犯も僕だが、今の気分だったら別に打ち明けても良いかな、と思っている。


「まぁ、有志だと思ってくれ。お前の料理を必要としている人たちがいるんだ」


 これは、報酬二万円の僕と伊勢先生しか知らないことだが、鬼月さんの劇物、もとい手料理には食欲を急速に消滅させる効果がある。よって、磯崎さん以外にも食欲に魅入られ、タマホウシの被害に遭っている人々からタマホウシを排斥させることが可能となったのだ。


「ですが……少し大変そうですね」

「安心しろ、手伝いも派遣する。上ヶ丘にも手伝ってもらえ」



 翌日、半ば押し付けられるように僕は鬼月さんの料理の梱包を手伝わされていた。マスクを着用し、暗黒物質から放たれる悪臭を直接吸い込まないように細心の注意を払いながら作業を進めていく。


「あと二つ行きまーす」


 ウキウキで調理している鬼月さんの後ろには僕と、あと一人、手伝っている人物がいた。


「楓彩さん、ペースあげたっすね」


 磯崎さんは僕と同じくマスクをして暗黒物質をタッパーに詰めていた。


「なんだかお弁当屋さんみたいでワクワクしますね」


 背後の詰め係の苦労を知る由もなく、鬼月さんは能天気なことを言う。

 片腕の鬼月さんが料理をするのは器用だが、やはり見た目と味は重要だと思い知らされた。


「それよりも、お二人ともマスクをしていますけど……風邪ですか?」

「う、うん、そんなとこ」

「気を付けてくださいね」


 気づけ。少しは自覚してくれ。と心の中で悲痛な叫び声を上げた。

 僕は二度も鬼月さんの料理を食べた猛者だから良いが、心配なのは磯崎さんだ。常人がこの匂いに長時間あてられたら体調を崩しかねない。


「磯崎さん、無理しなくても良いよ? 病み上がりなんだから」

「このバイト、自給が良いんすよ」


 と、こちらへピースサインを出してきた。


「相変わらずだね」

「そんな事ないっすよ。この前バイトの数を減らしてもらうよう、各バイト先の店長に話してきたっす」


 磯崎さんは楽しそうに言った。

 言葉を交わさずとも、彼女の中で何かが変わったのは明白だった。


「先輩、楓彩さん」


 僕と鬼月さんは同時に磯崎さんを見た。


「二人には色々お世話になったんで、何かご飯でも奢らせてほしいっす」


 僕と鬼月さんは顔を見合わせ、再び磯崎さんへ視線を戻して一言。


「いらない」「いらないです」


 キッパリと断られた磯崎さんは分かりやすくギョッとした。


「僕らにお礼するより、もっと感謝した方が良い人がいるんじゃない?」

「私たちではなく、ご家族を優先した方が良いと思います」

「じゃ、じゃあ二人にはどうやって恩返ししたらいいんすか……」


 鬼月さんは「うーん」と首を傾げて考え始めた。対して僕の方では既に答えが決まっていた。


「じゃあ、僕らの友達になってくれ。これからはバイトだけじゃなくて僕らにも時間を割くっていうのはどう?」


 僕の提案に鬼月さんは顔を明るくして「それです!」と歓喜した。


「よかったら私とも仲良くしてください」

「え、えへー? 楓彩さんはいいけど、瑛太先輩はどうしよっかなぁ。抱き着いてきたのまだ許してないし」

「だから僕じゃないって」

「冗談っす。それに……今なら先輩だったとしても、別に良いかなって思うっすよ」


 磯崎さんはマスク越しでも分かるほど清々しい笑顔を浮かべた。

 ようやく磯崎臨は青春のスタートを切った。

 思い込みによる焦燥も、立場による責任も、一人の少女が背負うには重すぎた。逃げることは許されない。なら、友を頼ればいい。

 磯崎さんはこれからも頑張るのだろう。そんな彼女が少しでも立ち止まって休憩できるように、自分を大切に出来るように、僕らは彼女の青春に介在させてもらうのだ。

 大人は青春を羨む。ならその真っただ中にいる内は急いだら損だ。

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