第7話 懐古

迷宮内に轟音が響きわたる。先程と違う点と言えば叩きつけられている者が逆となっている所であるだろう事である。

轟音と共に聞こえるのは哄笑であり、その哄笑には微かな憐憫が混じっていた。


イタカの意識はとうに呑まれていた。今イタカの肉体を動かすのは黄衣の王であり旧支配者である。

ただ、イタカは手放した意識の中、本能的にブレーキに手をかけていた。


旧支配者は笑う。眷属の裏切り者と出会えたのだ、面白くない筈が無い。

この世の運命のいい加減さに感謝しつつ、旧支配者は腕を振るう。

突貫してきたバイアクヘーロードを羽虫の様に払い除けながら。


決着は近い



彼女は彼女がリュカだった時の記憶を懐古する。


なぜ、今になって、過去を思い出すのか分からない。


彼女のリュカと言う名は

本当は人間には聴き取れない音を無理矢理聴いた時に人間にはリュカと聞こえたらしい。

そう、彼は苦笑していた。

私は何故、命を賭してまで戦っているのだろうか。

勝ち目など無いというのに。

目の前の黄衣の王は外なる神や旧支配者を一時的に降ろした生物を超えた存在。

言わば亜神だ。

それに今降ろしているのは我が種族の支配者である旧支配者

血と肉を貪り、贅を尽くし、死に生きた空喰い “ハスター”

そんな格の違う相手に何故私は…


そうだったな

トリスタン、お前の為だった。

年を取るとは嫌なものだ、物忘れが激しくなる。

待ってろよ、今助け出してやる。

あの量の魔力があれば可能な筈だ。


リュカは立ち上がる。

いつの間にか、目の前の亜神に叩きつけられたみたいだ。

歴然とした実力差に苦笑する。


心の中で誰かが叫ぶ。  何故立ち上がるのか、諦めろと

彼女は答える。     愛に殉じる為だ


今や愛した男の顔も朧げになり、彼と磨いた技は廃れたというのに彼女は立ち上がる。傷つき、弱々しく、化物に相応しい姿の筈のその姿はどこか神々しかった。


目の前の亜神となった存在が命を賭して奥の手を使ったのだ、自分もそれに応えなければならないだろう。


彼女の奥の手

彼と磨いた技、彼女が「星震」時、空の貴婦人と呼ばれ恐れられた理由となった技。


愛した男の名を冠した技。

「風に乗りて進む者、円卓に殉じし騎士、騎翼一体となって万敵を穿たん」

技の名を“空の騎士トリスタン“という。


トリスタンとリュカ、同族に裏切られ同族を嫌悪した先に出会った両者。同族以外しか愛せない異端者の馴れ合い。互い以外の全てを裏切り、互い以外の全てを恨む、自己欠陥のなれの果て。

唯、愛だけは裏切らなかった空の騎士と愛以外の全ての鏖殺を望んだモンスターの愛


それはこの残酷な世界に似合わない初々しいしさと、この世界らしい残酷な別れを伴っていた。

最後に騎士が望んだのは己の事を忘れて欲しい、それだけだった。

彼女はそれを裏切る、彼の事を幾星霜経とうが忘れる事は無かった。

だが、今彼を救い出せるかもしれない希望が見えたのだ

立ち上がるしかない、諦められる筈がない。


一対の翼が宙空を叩く。彼女は深淵の大穴に流れるあらゆる風を味方にし、急上昇する。彼女はダンジョン上層まで飛び上がり、深淵の亜神に向かって急降下する。


亜神、いやハスターはそんな彼女を見やると薄く笑い、自らそのものである深淵に手を入れる。その深淵を結晶化し名状しがたき、複雑な立体として放つ。立体は急激に巨大化し、大穴の4割を塞ぐ程になる。


それは彼の別名を冠した技。彼が旧支配者たり得た理由。



“空の騎士トリスタン”

“Him who is not to be Named”(名付けられざりし者)


両者が交錯する。

意識が途切れる。


リュカはいつの間にか空を飛んでいた。自らの姿も多少、小柄になっている。恐らくは全盛期の姿だ。ただ彼女はそれに気付かなかった。


彼女の、バイアクヘーの瞳の無い目に涙が溢れる。


彼女の背には愛しい人の感触があるのだ。手綱を持つ愛しい人の温もりで分かる。


「嗚呼、私は負けたのだな。」


トリスタンは何も言わず、リュカの首に腕を絡ませる。当たり前の様にリュカは翼を畳む。

リュカが翼を畳んだ事で二人は自由落下を始める。


自由落下の最中、リュカとトリスタンは身を寄せ合い涙を流す。

その姿は冬に身を寄せ合う水鳥の様であった。


リュカが愛を囁く。

「トリスタン、お前を愛してる」


トリスタンが返す。

「あぁ私もだ、これ以上なにもいらない」


二人は落ちていく

深い、深い、暗い地底へと





意識を取り戻したイタカはバイアクヘーロードのもとまで歩いていく。

バイアクヘーロードの全身は傷だらけだったが素材はいくらでも取れる、そう判断したイタカはバイアクヘーロードを取り込んでいく。

イタカはバイアクヘーロードの背に何かを見つける。

バイアクヘーロードの背にはポーチがあった、随分と古ぼけているが手入れは入念にされている様だった。

ポーチの中には一本の蜂蜜酒が入っている、それだけだ。大穴から眺められる太陽に翳すと蜂蜜酒は黄金に光り輝く。一日中走り回っていた、疲れているんだと思ったイタカは喉の潤いを蜂蜜酒で癒そうとして手を止める。バイアクヘーロードがハスターの眷属であった事が原因か、脳内にはリュカの記憶のほんの一部が流れ混んでくる。


イタカは苦笑する。折角上質の蜂蜜酒を手に入れて、カッコつけながら酒を飲む事が出来そうになったのに、これでは無理ではないか。


「こりゃあ、暫くの間は非売品だな。本当に商人としては嫌な物だ。」


そう嘯くと黒山羊軒への帰路に着く。

その背中は悲しき物語を読んだ後の人の俗世的な悲しみに暮れながらも希望を見出したかの様な嬉色を含んだものであった。



黄金の蜂蜜酒

いつともとれぬ古き時代、星に覇を唱えようとした空の騎士とその騎竜が飲む蜂蜜酒光に翳すと黄金に光り、飲んだ者を一時的に不死にする。全てに裏切られ、全てを裏切った二人はそれでも、互いを信じ続けた。


黒山羊軒非売品棚、説明文より





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