第5話 煤けた金の瞳
深淵第一層
地獄絵図の中、一人の男が走っている。
周囲には大量のバイアクヘーが舞っており、その原因が自分達である事を知っている。
(どうしてこうなった!?クソッ、田中の野郎全部分かって、これを仕組んだのか!!)
年の頃は40〜50であろうか。彼は兎に角恐怖し、逃げている。
死神の鎌は男の首筋まで迫っており、その鎌を砕くすべを男は持ち合わせていない。
仲間も武器も更には自分のプライドすら捨て去ってまで男は走る。ただの命惜しさではない、家族を路頭に迷わす訳にはいかないという意思で男は走っている。こんな事ならこの仕事を受けるんじゃなかった、そう思う。
男の脳裏に最近反抗期を終えたばかりの息子の言葉が響く
(父さんはなんでもかんでも抱え込み過ぎるから少しは人に頼ってよ。)
息子は自分の事をカッコいい冒険者だと幻視しているらしいが自分はそんな事はない。国の命令とあればどんな事でもするような汚い大人なのだ、すまない。
そんな取り留めの無い事ばかり脳内に響く。
ここで自分が死んでしまったら抜けている所がある妻は心配だ、最近は忙しくて家族での時間を取れていない。帰ったら、久しぶりに二人遊びに行こう。いやここは三人でと言うべきーー
急に世界が廻る。地面に顔を擦り付ける。
ん、なんかへ ん。な にもきこえ な い。しず かだ。
いやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだ い、やだ
死にたくない…
瑠花、陽太
かみさまはきいろだったよ。
男が、最後に見たのは暗闇に光る一対の
黄土色と呼んでも構わない程
煤けた金の瞳だった。
意識が途切れる。
彼がこんな職に付かず良き社会人として生きていれば死ぬ事は無かったのだろう。
しかし良き社会人と良き家庭人が共存していない事もままあるのだ。
この世は残酷だ。
いや残酷なのは月面で笑う運命そのものであろう。
イタカは腹が立っていた。
苛立ちのまま転がっている頭を蹴り潰す。
頭は派手な音を立てて砕け散る。
イタカは考える、どうしてこんな事になったのかと…
後味の悪さに舌打ちをする、自我同一性と記憶を手に入れた代償に思考が大分人間に寄っている事が苛立ちを加速させる。
時は遡る
イタカの機嫌はかなり良かった。
イタカは通常、人間ではない方の客に金の代わりに素材で物々交換を行ってる。今日は深淵のかなり下を縄張りにしているクトゥグアが来ていたのだ。
クトゥグアは黒山羊軒の常連で頻繁に家具等を買っていく、彼自身には自我が存在しそれにそこそこ善良な為、いい関係を築けている。
彼(性別が分からないが)は極楽鳥の羽毛で作った枕を買って行き、代わりに禁忌級の存在である。「白痴の魔皇」の肉片を頂いたのだ。
肉片は容器の中に満たされた特殊な液体に浸されている。
液体自体が魔力を封じる力を持つのにも関わらず蠢いている。この液体はイタカですら手に入れる事のない貴重なものである。一度容器が割れれば魔力に反応した深淵の化物どもがこれ狙いで上がってくるだろう。
白痴の魔皇の肉片は爪先程の大きさしかないのにダンジョンのフロアボスを超える程の膨大な魔力を秘めており、その力を全て活かしたアイテム、そのアイテムを扱える存在がいれば、世界征服も夢では無い程恐ろしい遺物である。
クトゥグアはそれを何個も持っているというのだから驚きだ。
彼は「悪友が嫌がらせに大量に押し付けて来る」といっていた。悪友が誰かは知らずその悪友とやらを聞きたい所であったが、嫌な予感がしていた為イタカは聞かなかった。
早速肉片にスキルを付与しようとし、驚く。余りにも魔力の質が高すぎてスキルを受け付けないのだ。
数時間苦闘したが進展は無くイタカは諦める事にした。
単体でも自らの強化手段としては良いだろう、まぁ耐性の低い者では一瞬で破裂するだろうが。恐らくイタカ自身すらもかなりの代償を支払う必要がある為、暫くはインテリアとして店内を飾る事が仕事になるだろう。
突如、イタカの索敵に反応が来る。
普段は気付く距離だったが今回はスキル付与の為に最低限しか入れてなかったのだ。
反応は人間の物のように見えるためイタカは自らの姿を人型に変える、そうでもないとモンスターと捉えられて、殺し合わなければならない。普通に負ける事はないが。
イタカは隠密を使用している〝お客様〟の前に現れる。お客様は動揺している様なのでイタカは声をかける。
「お客様、どの様な物品をお求めで?」
お客様達は瞬時に気を取り直し返答をする。
恐らくここに来れている事もあって相当に鍛えられた連中だ。黒山羊軒の武器を買っていない志島達よりも格段に強い。
「イタカ…さんでよろしいですかね?我々はダンジョン省の者でして…先程の話ですが、商売だけではなく私達は交渉をしに来ました。我々ダンジョン省とイタカさんの黒山羊軒とで。」
イタカは少しばかり考える素振りを見せ、答える。
「分かりました。それでは店にお入り下さい。」
ダンジョン省の男達を応接室に案内し、茶を出す。勿論深淵産だ。相手の目的がなんであれこちらを害する気は無いと見える。
(交渉内容次第で受け入れつつ、かっこいい商人ムーブをする、よし決まった。)
そんな心の声が顔に反映されていたら、イタカは相当だらしない顔をしているだろう。
そんなイタカの内心を露程も知らない、迷宮省の男達は何やら機材を取り出し、通信を行う。取り出されたモニターには男が映り込んでいた。
男は銀髪オールバックの壮年程の男だった。
画面に映り込む男は口を開く。
「さて、はじめましてイタカ君、私の名は日本第三ダンジョン対策部長、田中波流だ。今日は我々ダンジョン省とイタカ君とでよりよい社会を作る為に話をしようと思ってね。」
胡散臭いと感じたイタカは怪しむ表情を隠そうともしない。そしてしゃがれた声で返す。敬語は勿論使わない。
「そうかい、あんたは出来るだけ俺にはあんた達だけと商売して、利益を絞り取りたい訳だ。俺に拒否権を与えていいのかい?政府のお役人さん」
田中の目が怪しく光る、数瞬逡巡した後答える。
「いいや、君に拒否権は無い。ダンジョンで適応される法律において無許可での持続的に設置される建築物は全てダンジョン省の許可を得ねばならない。」
イタカは心の中で毒づく。
(記憶には無かったぞ、そんなもん。恐らくハッタリを掛けているか、記憶の主が知らなかった。最後は5年の間に制定されたか。この内のどれかだ。)
そんなイタカの心情を知ってか知らずか田中は熱弁を振るう。
「商売についてもそうだ。最悪こちらの提案を呑んで貰えないというのなら没収しなければならない。こちらとしてもそんな非文明的な事はしたく無いのでね。それに我々は偉大なる種族なのでね。」
たっぷりと皮肉に浸された言葉によって嘲笑している様に見える田中の目は冷静だった。
イタカは皮肉の意味に気付く。
「人じゃねぇのがもうバレましたか…それでどうするんですかい、俺は人間じゃあねぇんで、その法に従う必要はねぇんすよ。」
そしてイタカは田中に聞こえる様に呟く。
「それに商人を縛る事なんざ出来ねぇんすよ。」
その呟きを聞いた田中は苦笑し、こう返す。
「強行突破だ」
瞬間冒険者達は武器を構える。幾人かは謎の機材に魔力を注ぎ込む。
冒険者達は数瞬の間に武器を振るう。並の冒険者なら此処で何も動けていない。
だがイタカの手には、どこからともなく現れた大鉈とクロスボウがあった。
大鉈で第一陣を弾き返し、ローブから生えた黒い腕がクロスボウに矢を装填する。
イタカは自身の最高傑作である、アヴェリンの矢に結晶属性を纏わせ、乱射する。
結晶属性矢は刺さった部位から、結晶の花が咲き傷口を抉り、広げる。
当たれば悲惨な事になり、傷口によっては治療魔法が受け付けない。
応接室には朱色と空色の花が咲き誇る。
最初の犠牲者は20代の魔術師の女性だ。彼女は機材に魔力を注ぐ事に集中しており、意識外から来た矢に気づかずを鎖骨付近に受けた。数瞬遅れて結晶の薔薇が咲き誇る、薔薇は更に数瞬遅れて赤く染められる。
彼女は矢を抜こうとした手ごと結晶の花に貫かれそれに飽くことのない結晶の花は彼女の喉すらも貫いていた。
次々と薔薇が咲き誇り、それに怯えた冒険者の幾人かが逃げ出す。いかに堅固な精神を持とうが、圧倒的な実力差の前では、逃げる以外の判断は無い。
惨劇の犯人であるイタカは気付く謎の機材は転移門を作るための物で幾人かは地上に逃げ切ったであろう事を、そして奴らは何かを盗んでいった事も。
視界に映る割れた容器、漂う濃密な魔力、答えを導き出したイタカは吠える。
「奴等、白痴の魔王の肉片をッ!!」
(なんと言う事だ。気を抜きすぎた…奴等、最初からこれを…いや何故肉片の事を知っている?)
「まさか、な…」
イタカは店外に逃げた冒険者達を追いながら考える。
冒険者を狩る
血しぶきが舞う。
逃げる者達は陣形も何もなく、ただ恐怖の赴くままに逃げ続ける。
「嫌だぁ…死にたくないぃ」「すまない、命だけはいのちだけはッ」「おがねあげましゅ一杯あげまじゅだから…」「俺には家族が」「なんでだよなんで俺なんだ死にたくない死にたくなー」「ハハハッハッハハこれは夢だ夢だ嘘だ嘘だ嘘だうそだうそだ」「かあざん」「あぁ畜生やってやるさ、俺にはー」「たすけてたすけてたすけて」
冒険者達の反応は様々だった。
命乞いをする者、恐怖に立ち向かい抗う者現実逃避をする者。
全員何かしら背負う物があって此処に来たのだろうが、それだけではイタカに敵う筈がなかった。
イタカは自身の闇商人としてのロールプレイとして万引き犯は絶対に許さないと決めているのである。
それに、彼はモンスターである。
創造主から与えられた使命にして欲求。脳内に響く呪詛
「人を殺せ人を殺せ人を殺せ人を殺せ人を殺せ人を殺せ人を殺せ人を殺せ人を殺せ人を殺せ人を殺せ人を殺せ人を殺せ人を殺せ人を殺せ人を殺せ人を殺せ人を殺せ人を殺せ人を殺せ人を殺せ人を殺せ人を殺せ人を殺せ人を殺せ人を殺せ人を殺せ人を殺せ人を殺せ人を殺せ人を殺せ人を殺せ人を殺せ人を殺せ人を殺せ解体して並べて犯して晒して揃えて煮て焼いて喰らって刻んで砕いて縊って抉って甚振って挽いて潰してそして…憎悪の果てとなれ。」
意外にも殺戮は快楽を伴うのである。
冒険者が残り4人程になった所で探知になにかが掛かる。
大穴から、何かが駆け上がってくる。恐らく肉片の濃密な魔力に惹かれて来たのだろうその姿を確認し、舌打ちをする。
昇って来たのは翼長40mを超える巨躯を持つ
深淵の大穴における絶対的捕食者。
バイアクヘーの群れを統べる者
バイアクヘーロード
深淵の頂点の一角であった。
バイアクヘーはこちらを敵と認識して、吠える
「Gyaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa」
それを見たイタカは自分の不幸を恨みつつ、初手から奥の手を繰り出しながら叫ぶ。
「クソッ垂れ、運命め!!」
その頃月では運命と旧支配者がイタカの惨状を見て笑い転げていた。
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