17


 瞬きを繰り返しながら、「志乃、何言ってんの?」と、困惑の声を出して近付いてくる彌の表情は、本当に困惑してた。



 でも彌以上にわたしは困惑してて、「彌、何言ってんの?」と同じ言葉を返してしまった。



 何がどうなってるのか分からないのはお互い様。



 何を言ってるのか分からないのもお互い様。



 だけど彌はわたしよりも立ち直るのが早くって、



「志乃がそんな事言う理由は何?」


 わたしを促し、ベッドの上に座らせると、落ち着いた声でそう聞いた。



 だけど彌が落ち着いていられたのは、ほんの短い時間だけだった。



 わたしの隣に腰を下ろした彌は、高校生時代に駅で聞いた彌とタナキ君の秘密の会話の話をするにつれ、青くなったり赤くなったりした。



――ただ。



「それ違う! 志乃、勘違いしてる!」


 それは秘密を知られた後ろめたさの所為じゃなくて、わたしがその内容を勘違いしてる事に大いに焦っただけ。



 彌いわく。



「志乃の事、駅でよく見掛けてて、ずっと前から可愛い子だなって思ってたっていうか、片想いしてたっていうか……」



 彌曰く。



「んでも無理だろうなって諦めてたんだよ。話した事ないし、志乃の事殆ど知らなかったし。それであの時、もう諦めて『誰でもいいから付き合おうかな』って言っただけだ」



 彌曰く。



「だから、タナキが言ったのは誰でもいいって思うくらい自棄やけになってんなら、好きな相手に告白しろって意味。誰でもいいって思うのは告って振られた後でいいだろって」



 彌曰く。



「俺、マジで志乃に惚れてんだぞ?」



 彌曰く。



「今はあの頃より好きなんだけど」


 放心状態のわたしに、そこまで一気に捲し立てた彌は、



「だから俺、志乃と別れるつもりないから」


 はっきりとその意思を示してくる。



 でも、いくら彌がそう言っても、2年間そうだと思ってた事はくつがえらなくて、



「な、何か信じられない」


 わたしの口から出ていくのは、疑念の言葉。



 だってそれじゃ都合がよすぎる。



 おかしな点だっていっぱい残る。



 彌の態度やタナキ君の言葉に辻褄つじつまが合わない。



「何で信じられない?」


「だって、おかしいでしょ」


「何がおかしい?」


「彌が言う通りだとしたらおかしいじゃない」


「何が?」


「仕事が忙しいってわたしを避けてたり」


「それは、」


「今日だって、わたしに会えないって言いながら、あの子と一緒だったじゃない!」


「あれはあの子が勝手に待ってて――」


「タナキ君の言う事だって!」


「タナキ……?」


「いつもいつも意地悪ばっかり!」


 揃えた膝頭ひざがしらの上で拳を握り、ヒステリックに叫んだわたしを、彌は驚くように見つめ、半身を乗り出してわたしとの距離を詰めると、



「タナキに何された?」


 今日一番の真剣な声を出す。



 それまでの雰囲気を変えて、目の色も真剣なものに変えた彌は、わたしを見つめた視線を決して逸らさなかった。



 タナキ君にされた事は色々とある。



 言われた意地悪はいっぱいある。



 数え切れない意地悪は、わたしの中に蓄積されて、ヘドロのように腹の底に溜まってる。



 だけど今は、つい2時間ほど前に言われた事に凄く腹を立てていて、



「わたしが終わらせろって! わたしから彌に言えって! じゃないと相手の子も可哀想だからって! いつまでもこのままでいい訳ないだろって!」


 投げ付けるように、彌に向かって言葉を発した。



 それを皮切りに次々と出ていった言葉をはっきり覚えてない。



 プチ同窓会でのタナキ君の言動や、繁華街での出来事を、事細かに彌に投げ付けた。



 どうしてわたしがあんな言い方されなきゃいけないの。



 どうしてわたしがあんな事言われなきゃいけないの。



 いっつもわたしをバカにして、いくら彌の友達だからって許せない。



 溜まりに溜まって溜まりきっていた鬱憤うっぷんを吐き出し終わった後は息が切れてた。



 ゼェゼェ言って、肩で息をしてるくらいだった。



 自分でも驚くくらい溢れ出てきた言葉は、彌にとっては相当のダメージだったらしい。



「ごめん」


 項垂れるようにしてそう言った彌は、



「全部俺が悪い」


 それでもこのに及んで、友達をかばう。



「ごめんって何!? どういう意味!? やっぱりさっき言った事は嘘だったって事なんでしょ!?」


「違う!」


「そうやって、彌とタナキ君はいっつもわたしをバカにする! あんた達はそれで楽しいのかもしれないけど、わたしは全然楽しくない!」


「そうじゃなくて、」


「嘘なんか吐いてないで、さっさと言えばいいじゃない!」


「志乃!」


「別れようって言えばいいでしょ!」


「志乃!」


「あんたがそれを言ってくれたら、わたしはすぐに――」


「タナキは俺に怒ってんだよ!」


「――は!?」 


 言うだけ言って、ガクンとこうべを垂れた彌は、「本当、ごめん」とか細い声で囁くように呟く。



 それが一体何に対しての謝罪なのか、わたしにはさっぱり分からなかった。



 けど。



「タナキが言ってる、『終わらせろ』ってのは、志乃と俺の関係じゃなくて、さっき一緒にいたあの子との事……」


 言い辛そうに言葉を紡ぐ彌の姿に、何に対してなのか分かってくる。



「ってか、マジであの子には彼女いるって言ってんだぞ!? でもしつこいっていうか、押しが強いっていうか……」


 それが分かってくるから、全体的にも分かってくる。



「あの子、営業部の事務員してるんだけど、実は部長が可愛がってる親戚の子で。適当にあしらえないっていうか、強く言えないっていうか、どう扱っていいのか分からないっていうか……」



“彌の性格上、無理だと思うんだよな”



「俺、まだ営業部に行って1年で、あんま仕事も出来ないし、下手に部長に目ぇ付けられるのも困るっていうか……」



“志乃ちゃんから彌に言って、終わらせてやってくれない?”



「だから最近、とりあえず仕事で文句言われないようになろうって頑張ってんだけど、それでもやっぱまだまだで。それで色々タナキに相談してて」



“俺も見るに見かねてさ。いつまでもこんな状態でいい訳ないだろ?”



「タナキには散々怒られた。つーか、今も怒られてる。その子にはっきり言わないと志乃が可哀想だって」



“彌が言い辛いって思う気持ちも分からなくもないけど、やっぱそこは早くはっきりしないと、志乃ちゃんにも向こうの子にも悪いじゃん?”



「でも、あの子に告られた訳じゃないから断るにしてもどう断っていいのか……」



“まぁ、彌は志乃ちゃんが気付いてる事に気付いてないから、そこに甘えてる部分があると思うんだよ”



「何かそんな事を色々考えてたら、結局何も言えないままこんな感じになって……」



“だって志乃ちゃんも、このままっていうのはどうかと思うだろ?”



「それでタナキ、俺にすげぇ怒っててさ。俺がはっきりしないのが悪いって。だから同窓会の時も、わざとあんな事言いやがった」



“なぁ、彌! 志乃ちゃん、俺にちょうだい”



「そういう事だからタナキが志乃に言ったのは、志乃が思ってるような意味じゃなくて、全部俺が悪い事で、俺がはっきりしてればこんな事にならなかったっていうか――」



“一発くらい殴ってやればいいよ”



 トンッと背中を押してくれる、タナキ君の声が頭の中に響いた。



 直後にわたしは腕を振り上げ、彌の頭にゲンコツを落とした。



 ゴンッと鈍い音がして、彌が「痛ぇ!!」と頭を押さえる。



 驚きと痛みでわたしを見上げる彌の目はほんの僅かに涙が溜まってた。



 そんな彌を指差して、笑い転げるわたしはまだ彌を「嫌い」じゃない。

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