15


 わたしは彌を好きでも嫌いでもない。





 高校は違うけど高校の最寄りの駅が同じ彌を、好きになったのは高校2年の時だった。



 それでも告白するつもりはなくて、ずっと片想いをしてた。



 告白してもどうせ無理だと思ってたし、見てるだけで十分だった。



 なのにあの日、彌とタナキ君の話を聞いて、好きって気持ちがどこかに行った。



 消えてなくなってしまったのか、何かに埋もれてしまったのか、自分じゃよく分からないけど、感じなくなってしまった。



 それからずっと。



 今日までずっと。



 わたしは彌を好きでも嫌いでもない。



 何をされても、何を言われても、仮令たとえ他に女がいようとも。



 どうしても「嫌い」になれない。



 好きでもない彌と付き合ったのは、付き合ったらまた「好き」って気持ちが戻ってくるかもしれないと期待したから。



 だけど「好き」って気持ちは2年を費やしても戻ってこなかった。



 それならいっそ嫌いになれたら、どんなに楽だっただろうかと思う。



 彌の事を嫌いになれたなら、面倒なんて思わずにいつでも別れを切り出せただろうと思う。



 なのに「嫌い」になれない。



 何故か「嫌い」になれない。



 好きにもなれないし、嫌いにもなれない。



 その事に、察しのいい千石さんは気付いてた。



“あぁ、そうか。そういう事なのか”



「嫌い」になれないわたしの気持ちに気付いてた。



 だけどいくら経験豊富で察しのいい千石さんでも、どうすればいいのかは教えてくれなかった。



 どうすれば彌を嫌いになれるのか分からない。



 嫌いになって楽になりたいのに、その方法が分からない。



 分からないから願ってしまう。



 わたしを振って、嫌いにさせて――と。





「この2年間が無駄だったってわたしに思わせないで! そんな事思わせないで! どうやったらあんたを嫌いになれるか分かんないの! 2年も付き合ってたのに好きにも嫌いにもなれない! 言うだけでいいんだから! 別れようって言えばいいんだから! わたしを振ってくれればいいんだから! そしたら、嫌いになれるかもしれないから! お願いだから言ってよ! あんたが振ってよ! わたしの最後のお願いくらい聞いてくれてもいいでしょ!」


 冷たい空気に響く声は湿ってた。



 悲しいのか、悔しいのか、情けないのか、惨めなのか、原因が分からない涙の所為で湿ってた。



 そんなわたしを見つめる彌は、少し驚いたように目を見開き、口を半開きにさせたまま動かない。



 驚いてるっていうよりは、呆気に取られてるのかもしれない。



 もしかしたら泣いてるわたしに呆れてるのかもしれない。



 でもそれでいい。



 それくらい思ってくれた方がいい。



 そう思ってわたしを振ってくれるなら、それでいい。



――のに。



「早く言いなさい!!」


「あ……ごめん、びっくりして……」


 この場に似つかわしくない、緊張感の欠片もない声を出した彌は、やっぱりまだ半分驚いたような表情でわたしを見つめ、



「志乃ってそんな喋るタイプだったんだ……?」


 すっ呆けた事を言う。



 そしてようやくハッとして、



「ちょ、ちょっと待ってて」


 自分を取り戻した声を出すと、わたしに背を向けて通用口の方に戻っていく。



 それが余りにも予想外の行動だったから、わたしは動く事が出来ずに彌の姿を見つめるしか出来なくて、彌が通用口の前で待ってる女の子に駆け寄るのを眺めてた。



 女の子に駆け寄った彌は、わたしの方を指差しながら何かを言う。



 それを聞いた女の子は首からマフラーを外して彌に渡す。



 マフラーを受け取った彌は、すぐに踵を返してわたしの方に戻ってきて、



「俺の家行こう」


「……は?」


 困惑するわたしを連れて歩き始めた。



「な、何でよ!?」


 次々と予想外の言動を繰り出す彌に、わたしの頭は混乱してる。



 だけど彌は物凄く冷静で、



「寒いから」


 なんて答えてくる。



 そんな場合じゃないのに。



 寒さなんてどうでもいいのに。



 とにかく「別れよう」って言ってくれればいいだけなのに。



「ってか俺、志乃と別れるつもりないから」


 真剣な声でそんな事を言う。



 冷え切ったわたしの肩を抱き寄せて表通りまで行った彌は、ちょうど通りかかったタクシーを止めて、わたしを押し込んだ。



 何が何だか分からないまま乗せられたわたしの後から、彌もタクシーに乗り込んで行き先を告げる。



「あの――」


「家で話そう」


 わたしの言葉を制した彌は、窓の外に目を向け、今は話すつもりはないと態度で示す。



 その横顔を見つめるわたしは、未だ彌を好きでも嫌いでもない。

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