13


“それってどういう意味?”


 口から出そうになったその言葉を何とか呑み込んで、



「うん」


 だから何?って雰囲気ありありの言い方をした。



 自分で聞いても嫌な返事に聞こえるそれに、タナキ君は相変わらずニコニコ笑ってる。



 ただその瞳の奥は笑ってなくて、どこか冷めてるような、どこか探ってるような、どこかいぶかしんでるような感じがある。



 そしてそれは、



「俺らの商売って、それなりに横の繋がりってのがあるんだよ」


 決して気の所為なんかじゃない。



 意味深な言葉を吐いたタナキ君が、何を言いたいのか何となく分かった。



 何でもないって顔してタナキ君を見つめてた。



 ううん。見つめてたって言うと語弊があるかもしれない。



 睨んでたって言った方が近い気がする。



 それでもタナキ君はニコニコと笑ったまま、その瞳の奥に何かしらの光を抱き、



「だから『陽炎』の旦那さんは知り合いで、俺もよく行くんだ」


 底意地の悪い言い方をする。



「だから、何?」


「一昨日、いたよね? 店の前から駅に向かって歩いて行くとこ見たんだけど」


「だから、何?」


「一緒にいた男、誰?」


「タナキ君には関係ないでしょ」


「見ちゃったからには知らん顔は出来ないし」


 横の繋がりがどうとかって遠回しな言い方しなくても、最終的にそうやって聞いてくるなら、最初からそう聞けばいい。



 後ろめたい事があるのは彌だけで、わたしは何を見られたって平気。



 彌がそうだからってわたしもそうだと思わないで欲しい。



 そっち側が後ろめたいからって見るもの全てをそう思わないで欲しい。



 でも、もしかしたらそれは期待なのかもしれない。



 わたしもそうだったらいいのにって、彌やタナキ君は思ってるのかもしれない。



 そうだったら、彌だけが悪者にならずに済む。



 そう思って、期待してるのかもしれない。



「彌に言いたいなら言えばいい」


 睨み上げてそう言ったわたしに、タナキ君は「うん」と笑う。



 意地の悪い笑い方をして、



「もう言った」


 意地の悪い声を出す。



「あっ、そう」


「弁解はしないの?」


「何でタナキ君に弁解しなきゃなんないの?」


「まぁ、俺にしなくてもいいけど、彌には?」


「タナキ君に関係ないでしょ」


「うん。関係ないね」


「なら放っておいて」


「んー、そこは微妙なとこだよな。俺、彌の友達だし」


「そんなのわたし、関係ない」


「俺にはある」


「何でわたしだけが悪者扱いされなきゃなんないの?」


「ん?」


「彌だって、他の女と一緒にいるじゃない」


 険のある声で言い放ったわたしの言葉に、タナキ君は一瞬目を見開いて驚いた顔をした。



 その表情のまま、ほんの数秒固まったタナキ君は、ゆっくりと顔に笑みを作っていく。



「あー、志乃ちゃん気付いてんだ?」


 意地悪な笑みに、意地悪な声。



 スゥと遠くに向けられる視線。



 一旦わたしから逸らされたその視線は、遥か遠くの何かを見つめ、またゆっくりと戻ってくる。



「それなら話が早い」


 にっこりと笑ったタナキ君の目がわたしを見据える。



 そして悪びれる様子を一切感じさせないで、その目を逸らさずに口を開く。



「彌の友達として俺からお願いがあるんだけど」


「……」


「志乃ちゃんから彌に言って、終わらせてやってくれない?」


「……は?」


「俺も見るに見かねてさ。いつまでもこんな状態でいい訳ないだろ? だから、志乃ちゃんから言ってやってくれない? それが手っ取り早いと思うんだ」


 本当に、よくもまぁこんな事を、さも当然って感じで口に出来ると思う。



 いくらタナキ君が彌の友達だからって、そんな事言う権利なんてないのに、よく言えたもんだと逆に感心する。



 その話の中には、わたしの気持ちなんて完全に無視で、わたしへの配慮なんて一切ない。



――高校生の頃から変わんない。



 成長しないタナキ君を根限り睨み付け、



「何でわたしがそんな事しなきゃなんないの。それをするのは彌の方でしょ」


 吐いた言葉は喧嘩腰。



 ここで派手な言い合いになったって構わないってくらいに思ってた。



 けど。



「うん。志乃ちゃんが怒る気持ちも、その言い分も分かるんだけどさ」


 タナキ君は涼しげな――というよりは、むしろ気温よりも寒いと感じる声を出し、



「彌の性格上、無理だと思うんだよな」


 わたしの気持ちが分かると言いつつ、彌の味方を貫く。



 確かに友達って存在はそういうものなんだろうけど、これは余りにもあんまりだと思う。



「類は友を呼ぶ」って言うけど、これはやりすぎ。



「俺も彌にはっきり言えって散々言ってんだけど、分かってるって言いながら全然だしさ。彌が言い辛いって思う気持ちも分からなくもないけど、やっぱそこは早くはっきりしないと、志乃ちゃんにも向こうの子にも悪いじゃん?」


「彌の性格上って何よ」


「ほら、彌って優しいから」


「だから、何?」


「だからはっきり言えないんだよ」


「そんなの優しいんじゃなくて、ただの優柔不断じゃない」


「確かにそうなんだけど、それが彌だし」


「わたしの知ったこっちゃない」


「まぁ、彌は志乃ちゃんが気付いてる事に気付いてないから、そこに甘えてる部分があると思うんだよ。だからここは志乃ちゃんがはっきり言ってやってくれないかな?」


「……」


「だって志乃ちゃんも、このままっていうのはどうかと思うだろ?」


「わたしは――」


「もしかして、このままでいいって思ってんの?」


 まるで脅しだと思った。



 そんな言い方卑怯すぎると思った。



 悪いのは彌の方なのに、どうしてわたしがこんな言い方をされなきゃいけないのかと、顔がカッと熱くなるほどムカついた。



 足や手の指先は寒くてジンジン痺れてるのに、顔だけが物凄く熱くて変な感じがする。



 ムカつく。



 ムカつく。



 物凄くムカついて、はらわた煮えくり返りそうなくらいムカついて、



「一昨日男といたのって、まさか当て付け?」


「……」


 ムカつきすぎて言葉が出ない。



「志乃ちゃんはそんな子供じみた事しないよな?」


「……」


「って事はマジであの男に乗り換えるつもり?」


「……」


「まぁ、そうなったらそうなったで、俺にとやかく言う権利はないけど」


「……」


「でも俺としては早く彌に言ってやって欲しいんだけど」


「……」


「言い辛いならさ? 今から彌の会社に乗り込んだらどう?」


 タナキ君はそう言って懐手を解くと、着物姿には似合わない腕時計にチラリと目をる。



 そしてすぐにその視線をわたしに戻し、



「さっき彌と電話してたんだけど、あいつ9時に会社出るって言ってた」


 お節介な事を言う。



「今から行けば、そう待たなくて済むと思う」


「……」


「あいつの会社の前で待ってりゃいいよ」


「……」


「相手の女と一緒に出てくるだろうから、そこ捕まえればいい」


「……」


「そこまでされたら彌だって腹決めると思うし」


「……」


「志乃ちゃんが彌の事をどう思ってるのかは知らないけどさ」


「……」


「彌にも、それくらいする価値はあるだろ?」


 嫌みな言葉をいっぱい吐かれて、それでも尚何も言えなかった。



 人間本気でムカつくと、声も出せないんだって初めて知った。



 こんな経験、二度としたくない。



 こんなにもムカつく出来事になんて、もう二度と遭いたくない。



 処理しきれない怒りに、自分でも凄いと分かるくらいに目尻が上がる。



 それでもタナキ君には何も言わずに、わたしは勢いよくきびすを返した。



 面倒だとか、願望だとか、もうそんな事言ってられない。



 この怒りを処理するには、彌と対峙たいじするしかない。



 相手の女がいようがいまいが、そんな事関係ない。



 端からわたしには、相手の女なんてどうでもいい。



「一発くらい殴ってやればいいよ」


 彌の会社に猛然とした怒りを抱いて歩き出したわたしの背中を、楽しげに笑うタナキ君の声が追ってきた。

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