12


 一人暮らしをしないで実家に住んでるっていうのは、凄く楽な面もあるし、そうでない面もある。



 会社に持っていくお弁当は自分で作ってるけど、それ以外の家事――晩ご飯や洗濯や掃除――は、お母さんがしてくれるから凄く楽。



 でも。



「あんた、イブなのに何で家にいるの?」


 こういう時は凄く嫌。



 12月24日。



 朝から家のリビングでゴロゴロしてるわたしを、お母さんは掃除機片手に見下ろしてくる。



 放っておいて欲しいって思ってても、そうはいかない。



 2年も同じ相手と付き合ってると、当然親もその相手を知ってる。



 その上わたしのお母さんは、何度か家に遊びにきた事がある彌の事を気に入ってたりする。



“あんなイケメンな彼氏、あんたには勿体もったいない”


 彌と会ったばかりの頃、お母さんはよくそんな事を言ってた。



“あたしが代わりに付き合いたいくらいだわ”


 そんな恐ろしい事もしょっちゅう言ってた。



 そこまで気に入ってるからこそ、



「あんた、昨日もうちでゴロゴロしてたけど、まさか彌君と別れたの?」


 余計な詮索をしてくる。



 その「まさか」って言葉が物凄く面倒。



「まさか」って言葉の中には明らかに「あんないい男と別れてないでしょうね?」って意味が含まれてる。



 しかもその「別れてないでしょうね」には、「フラれてないでしょうね」と、わたしがフラれる側確定な雰囲気がある。



 無駄むだ過ぎるくらいに彌がお母さんに気に入られてる事も、自分から別れを言い出すのが面倒だって理由の一つにある。



 お母さんに「別れた」なんて言ったら、何があったんだって詮索されまくるに決まってる。



「どうせあんたが悪いんでしょ、謝ってきな」ってわたしが悪者になる可能性が大いにある。



――面倒臭いったらない。



 お母さんの問い掛けに、「まだ」って答えても、先走って「うん」って言っても面倒臭い事になる事請け合いの状況に、



「今日土曜で、彌仕事だから」


 とりあえずこの場だけでも収めるつもりでそう言っただけだったのに、それがわざわいを呼んだ。



「あぁ、そうだね。彌君の会社は土曜も仕事だったもんねぇ」


「うん」


「じゃあ、会社終わってから会うんだね?」


「え?」


「あんたの晩ご飯いらないんだろ?」


「えっと……」


「帰ってくるの? って、まぁ聞くだけ野暮やぼだね。クリスマスイブだしね。じゃあ、あんたが出掛けたらもうドアチェーン掛けちゃうよ」


 ベラベラと一人で喋って、一人で納得した顔をしたお母さんは、掃除機のスイッチを入れ、



「帰ってきたいんだけど……」


「え!? 何!? 何か言った!?」


 もうわたしの言葉は聞くつもりはないらしく、音に邪魔され声がちゃんと聞き取れなくても、掃除機を止めたりはしなかった。



 そんな、不可抗力的な事情があったから、夕方になると行く当てがなくても家を出なきゃならなくて、しかも一応「イブのデート」風に見せなきゃいけないから、無駄に服装がお洒落になった。



 誰に会う訳でもなく、一人で時間を潰すしかないのに、そんな格好をしてる事が情けない。



 だからって今更「本当は予定がない」なんてお母さんに言ったら、あれこれしつこく聞かれるに決まってる。



 これ以上嘘を吐くのは面倒だし、説明するのも面倒だから、出掛ける事が最善な気がした。



 いつかは話さなきゃいけない時がくるけど、今は面倒。



 話すって事はそれなりに気力や労力を使うから、今は勘弁して欲しい。



 それに言うっていったって、何をどこまで言えばいいのかも分からない。



 どこまで本当の事を“告白”すればいいのか分からない。



 そういうのを考えるだけで面倒だから、とりあえず家を出た。



 バカみたいに寒い外を駅に向かって歩きながら、何時くらいに帰ればいいのか計算してた。



 いくら何でも誤魔化す為に外泊までするのは情けない。



 何時間か外で時間を潰して、「彌が明日も仕事だから泊まらなかった」って家に帰るしかない。



 時計を見ると、まだ5時過ぎ。



 せめて5時間は時間を潰さなきゃ嘘っぽい。



 時間を潰すなら繁華街に出た方がいいと、電車に乗りながらふと思う。



 こうして誤魔化す為だけに出掛けて時間を潰すのと、お母さんに本当の事を話すのとどっちが面倒なんだろう。



 出掛ける方が面倒もマシだと思って出てきたけど、本当にこっちの方がマシだったんだろうか。



 こんなにバカみたい寒い中、一人でウロウロするなんて、面倒の極みな気がする。



 その思いは、繁華街に着いて更に濃くなった。



 クリスマスカラーに彩られ、どこもかしこも浮かれたような雰囲気と、いつもより5割増しのカップルの数に、選択する方を間違えたと心底思った。



 だからって今更引き返すのも無理。



 それはそれでまた面倒。



 面倒な事がいっぱいあって、楽しい気分になんて微塵みじんもなれやしない。



 元々楽しい気分じゃなかったけど、更に気が滅入る。



 すれ違うカップルたちの楽しげな笑い声を聞いて、自分が置かれてる立場の情けなさを痛感する。



 やっぱりわたしから言うべきなのかもしれない。



 それを彌が待ってるなら、そうすべきなのかもしれない。



 いつまでもこの状態でズルズル時間を費やしたって、わたしは彌を好きになれる訳じゃない。



 彌だって、わたしを好きになれる訳じゃない。



 面倒だけど、そうせざるを得ないところまで来てるんだと、つくづく思って溜息を吐き、近くにあった喫茶店に足を入れた。



 小洒落た喫茶店は、時間が中途半端な所為かお客もまばらで、2時間くらいは潰せそうな感じ。



 案内された窓際の席で温かい珈琲を頼んで、それを飲みながら、窓から見える通りをぼんやり眺めてた。



 本当にぼんやりだった。



 何も考えないで眺めてた。



 窓の外の出来事を、まるで映画を観てるような感覚で眺めてて、だからクリスマスイブの浮かれたような雰囲気さえ、妙に現実味がなくて何にも思わなかった。



 時間が経つにつれ、カップルが増えてくる。



 それはクリスマスイブ本番って感じで、その感じが喫茶店にまで入り込んできたから、場違いなわたしは結局1時間半で喫茶店を出た。



 クリスマスソングがそこら中から流れてくる繁華街を目的もなくブラブラと歩く。



 お腹は空いてるけど食べる気にならなくて、どの飲食店にも入らなかった。



 後2時間。



 覗きたい店もないし、凍えそうに寒いからブラブラするにも限界がある。



 もう一度、どこか喫茶店にでも入った方が賢いかもしれない。



 ブラブラしてたって、わびしくなる損はあっても何の得にもならない。



 そう思ったから周りを見回し喫茶店を探し始めた時、



「志乃ちゃん?」


 人混みのどこかから声が聞こえた。



 聞こえた途端に体感してる寒さ以上にゾッとした。



 背筋がスゥと冷たくなった。



「やっぱ、志乃ちゃんじゃん!」


 斜め前方から人を掻き分け、こっちに近付いてくるタナキ君の姿を見た時には、逃げ出したくなった。



 どうしてもタナキ君を好きになれない。



 2年前のあの会話を聞いてから、タナキ君がわたしに話し掛けるたびに、わたしをバカにしてるような気持ちになる。



 どうして彌がわたしと付き合ったかを知ってるだけに。そして今の現状を彌から聞いてるだろうだけに、わたしをバカにしてるんじゃないだろうかと思ってしまう。



 むしろあわれんでるように思えるのかもしれない。



“彌は志乃ちゃんの事を好きな訳じゃないんだよ”


“志乃ちゃんはそんな男と付き合ってるんだよ”


“彌は軽い気持ちで言っただけ”


“でも志乃ちゃんは好かれてるって勘違いしてるんだろうな”



 そんな哀れみを受けてる気分になる。



 久しぶりにわたしと会いたいと、タナキ君は彌にどんな顔で言ったんだろうかと思う。



“まだ付き合ってんのかよ”



 そう言わんばかりの表情で、笑って言ったんだろうか。



 それとも、あんな始まり方をして、今じゃ彌に裏切られてるわたしの顔を見てやろうとほくそ笑んでたんだろうか。



 会って、その腹で何を思ってたんだろう。



 あんな始まりだったわたし達が、まだ続いてるのを見て笑ってたのか。



 長い間、わたしが彌に好かれてると勘違いしてると思って笑ってたのか。



 宙ぶらりんのわたしをのちの笑い話のネタにしようと思ってたのか。



 高校を卒業してから会わなくなってホッとしたのに、どうして続け様に、しかもこんな日に会うんだろうとムカッ腹が立つ。



 もう二度と会いたくないと思ってただけに、余計に腹が立つ。



「志乃ちゃん、何してんだ?」


 器用に人波をすり抜け、目の前まで来て足を止めたタナキ君は、お店を抜け出してきたのか、縦縞たてじまが薄っすら入った鈍色にびいろの着物に羽織を着た姿。



 それがやけに目立ってて、その容姿以上に人目を惹く。



「俺、ちょっと得意先に届け物があってさ」


 聞いてもいないのに自分の事情を話し始めたタナキ君は、懐手ふところででわたしの前に立ちはだかる。



 さっさと消えて欲しいと思うのに、そこから一歩も動こうとしないで、



「志乃ちゃんは?」


 話し掛けてくる。



 何も言うつもりはなかった。



 言える事なんて何もなかった。



 一人でブラブラしてたなんて口が裂けても言いたくない。



 それを後で彌に報告されると思うと余計に言いたくない。



 侘しいイブを過ごしてたって笑い話のネタにされると思うと絶対に言いたくない。



 だから頑なに口を閉ざし、ニコニコと偽善的な笑みを浮かべるタナキ君を黙って見てた。



 そんなわたしを、



「今日は一人?」


 タナキ君は意地悪く、「は」の部分を強調して見下ろした。

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