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 奢ってくれるという千石さんの申し出を、彌の時のような抵抗も感じず受け入れられたのは、千石さんが年上だって事もあるけど、その言い分に納得したからで、



「これからの事もあるし、賄賂わいろだと思ってよ」


 そう笑った千石さんに、「ご馳走様です」と頭を下げたわたしは、先に店を出て店先で待つ事にした。



 路地の一角にある『陽炎』の周りには飲食店が並んでる。



『陽炎』は店構えからして和風だから敢えて飾られてはなかったけど、周りの店はクリスマスの飾りがされてある。



 いまわしいくらいにキラキラと輝くクリスマスネオンが、目の前でチラつく。



 吹き込んでくる冷たい風さえ、どこか浮かれてるように思えた。



「お待たせ。――って、どうした?」


 支払いを済ませて店から出てきた千石さんは、向かいの店を真っ直ぐに見つめるわたしを見下ろし不思議そうな声を出す。



 わたしはそんな声を出させるような顔をして輝くネオンを見つめてたらしい。



 そしてそれは見てみないと分からないけど、十中八九「いい顔」ではないだろうと思う。



「クリスマスだなと思って」


 答えながら千石さんの顔を仰ぐと、千石さんは「だな」と小さく笑って、「彼と予定はあるの?」と聞いてきた。



 悪気はなく、興味本位という訳でもなく、ただ単純に聞いてみたってだけの感じだった。



「予定はないです」


「3日間ずっと?」


「3日間?」


「クリスマスは、明日のイブイブと、明後日のイブと、明々後日のクリスマスがあるだろ? その3日とも予定ないの?」


「多分」


「多分?」


「イブは会えないって言われました」


「なら他の日は会うつもりなんじゃ?」


「それはないと思います」


「何で?」


「今までイブ以外は会ってなかったし、それに――」


「……」


「――連絡、ないですから」


 取り出した携帯の画面を見せるように向けると、千石さんは「そっか」と小さく答えた。



 だから最後まで説明しなくても分かってくれたんだと分かった。



 23日のイブイブに会うつもりなら、もう連絡があってもいい。



【明日会おう】って、メール1通で事足りる。



 でもメールはない。



 もちろん、電話もない。



 夜の10時を過ぎたこの時間に連絡がないなら、彌は会うつもりなんてない。



 そんな事、イブに会えないと言われた時から分かってた。



 だから別に何とも思わない。



「彼、他の人と予定があるんだと思います。思いますっていうか、確実にそうでしょう」


「他の女って事?」


「はい。クリスマスって女には特別だったりするでしょ?」


「でもそれは志乃ちゃんにとっても、だろ?」


「わたしは別に。でも大抵の人が特別だと思うクリスマスに、彼が誰と過ごすのかっていうのが答えになってますよね」


「……」


「彼、本気なんですよ」


「家、行ってやれば?」


「家?」


「クリスマスに彼の家に押し掛けてやればいいじゃん。女と一緒にいる時に志乃ちゃんに会えば、彼も腹括ってくれるだろ」


「修羅場ってやつですか?」


「そうそう。クリスマスに修羅場。相手の女もダメージ食らうだろ?」


「修羅場なんて面倒」


「面倒?」


「凄く面倒。っていうか、鉢合わせしないと言えないなんて、それはまた違う気がする」


「まぁ、意思は無視だな」


「それに彼、実家に住んでるから、いくら何でも連れて行ったりはしないんじゃないかな。実家のご両親、わたしと付き合ってるの知ってるし」


「親には別れたって言ってるかもよ?」


「あぁ、そうですね」


「なぁ、一つ聞いてもいい?」


 話しながらまた向かいの店のネオンに目を向けたわたしに、千石さんの声が落ちてくる。



「何ですか?」


 わたしは千石さんに視線を戻さず、そう聞き返した。



「何で彼と付き合った?」


「はい?」


「好きでも嫌いでもなかったんだろ?」


「はい」


「じゃあ、どうして彼と付き合った? 断る事も出来ただろうに」


「期待したんです」


「期待?」


「好きになれるかもって」


「……」


「付き合ったら好きになるかもしれないって、期待したんです」


 無理でしたけど――と、小さく笑って付け加えたわたしに、千石さんは「うん」と曖昧な返事をした。



 そして、



「あぁ、そうか。そういう事なのか」


 謎かけを解いた時のような表情でそう呟いた。



 その表情を見て、流石さすが千石さんだな――と、感心した。



 経験が豊富な人は、年齢は関係なくとてもさとい。



 それがどんな経験なのかは分からないけど、千石さんは少なくてもわたしや彌の何倍もの「経験」をしてる。



 全てを言わなくても察してくれる人。



 こういう人と一緒にいればきっと幸せになれるだろうと心から思った。



「彼と別れたら言って。なぐさめるから。一晩中でも付き合うよ」


 薄く笑った千石さんに、「慰めはいらないです」とクスクス笑ったわたしは、千石さんに促され、駅へと向かった。





 家に帰っても彌からは何の連絡もなかった。



 翌朝になっても連絡はなかった。



 2年目の聖夜は、もう目と鼻の先。

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