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すれば
お返しに――って言うのもおかしいけど、千石さんが本音で話してくれたからこそ、わたしも話そうと思ったんだと思う。
隠し事ばかりの彌とは違う千石さんだから、話したいと思ったのかもしれない。
でも、今まで誰にもした事がない昔話は、話そうとするだけで少し惨めな気分になった。
「彼ともうすぐ丸2年の付き合いになるんですけど、わたし彼に告白された事がないんです」
飲み干したチューハイのグラスを置いて出し抜けにそう言うと、千石さんは「え?」と目を
それは余りにも唐突な話だったのと、内容が内容だったかららしく、
「告白って……え? 好きって言われた事ないって事?」
千石さんはパチパチと何度も瞬きを繰り返しながら、
そこ表情が「鳩豆」みたいで可笑しくて、思わずプッと吹き出してしまった。
「それは何度かあります。『志乃ちゃんのそういうサバサバしたとこ好きだな』とか言われた事あります」
「じゃあ告白って何?」
「男の人って……って、女も変わらないですけど、同性の友達といる時、たまに酷い事を話したりするでしょ?」
「酷い事?」
「本音っていうのかな? 例えば、誰かの悪口だったり、言いすぎだって思うくらいの愚痴だったり」
「まぁ、あるね」
「わたしも女友達とそういう話したりするし、それが悪い事だと思わないっていうか、同じ事をしてる人を責める権利はないんです」
「まぁ、そういう言い方するなら俺にもないよ」
「それで、聞いちゃったんです」
「聞いた?」
「2年前の今日」
「何を?」
「彼が友達と話してる内容を」
「え?」
「彼とは駅が同じだったんです」
最寄りの駅が同じ高校に通ってて、通学でよく見掛ける事があった彌たちは、それでも上りと下りで方向は違って、いつも線路を挟んだ向かい側のホームにいた。
上りも下りもホームに行くには改札を入って長い通路を歩き、上りは右、下りは左の階段を上がる。
でも彌たちと通路で会う事は滅多になかった。
見掛けるのはホームばかりで、ギャーギャーと騒がしい声が聞こえて目を向けると、そこにはいつも楽しげに笑う彌たちがいた。
なのにあの日は違った。
2年前の今日。
学校を出た時には無かった尿意を駅に着く頃
改札を入ってすぐの場所にあるトイレ。
トイレの前には目隠し用の高い
その衝立の通路を挟んだ反対側に、ジュースの自動販売機。
そこに彌たちがいた。
用を足してトイレから出ようとしたわたしの耳に最初に入ってきたのはタナキ君の声。
“
その、渦中の人の名前はいまいちはっきりとは覚えてなくて、もしかすると「守山」じゃなかったかもしれないけど、一度も話した事のない彌たちを、声で誰なのかを分かるくらいには覚えてた。
3年間同じ駅で会ってて、名前も覚えてた。
向かい側のホームから聞こえてくる、やけに木霊する会話に、いつの間にか覚えてしまってた。
“マジかよ! 残ったの俺だけじゃん!”
彌のその言葉に応えるように聞こえた笑い声はタナキ君だけのものだった。
いつも4、5人で一緒にいる彌は、その時タナキ君と二人だけだったらしい。
結局最後までその姿を見る事はなかったけど、聞こえてきた会話からして他に誰かがいた感じはなかった。
“童貞もお前だけになるな”
“うるせぇよ”
笑ったタナキ君に、拗ねたような彌の声。
“お前、高校入ってから3人くらい付き合ってたよなぁ?”
“あぁ”
男の子特有の下世話な話。
“なのに何で誰ともヤらなかったんだよ”
“なぁんかタイミングがなぁ”
“タイミングなんか気にしないでチャチャッとヤりゃよかったのに”
“んでも女って、まだ早いだの、本気で私の事が好きなのってゴチャゴチャ言うじゃん”
“んなもん、早くねぇ、本気で好きだって言ってりゃいいんだよ”
“そんなもんか?”
“そんなもんだ”
“守山、ヤる気満々か?”
“そりゃそうだろ、クリスマスだしな”
“クリスマスか”
“俺もクリスマスは予定ある”
“店の手伝いか?”
“バーカ。女だ、女”
“マジかよ?”
“引く手
“みんな友達より女かよ”
“冬だし特にじゃね? 寒いと人肌恋しくなんだよ”
“だなぁ”
“お前も早く女作れ”
“だよな。もう誰でもいいから付き合うかな”
“誰でもいいのかよ”
“誰でもいいよ”
“なら、あの子でいいじゃん”
“あの子?”
“同じ駅の、あの子”
“あー…”
“誰でもいいって思ってんなら、あの子に言ってみろ”
笑いを含んだ二人の話し声は徐々に小さくなっていった。
聞こえる会話は
その会話に出てきた「あの子」がわたしの事だと分かったのは、二日後の事。
“彼女になって欲しいんだけど”
彌はわたしにそう言った。
「彼もわたしが好きだとかそういう気持ちはなくて、ただ彼女が欲しいってだけでたまたまわたしを選んだだけなんです」
わたしの言葉に千石さんは、ただ黙ったままだった。
何を言っていいのか分からないというよりは、下手な事を言ってわたしを傷付けたくないと思ってるようで、
「でもそれ自体はどうでもいいんです。そういうのは珍しい事ではないと思うし、わたしだって彼を好きでも嫌いでもないのに付き合ったから」
続けてそう言ったわたしに、小さく「うん」とだけ答えた。
「でも未だに彼はその事をわたしに言わない。丸2年も一緒にいてそれを言わないんです」
「わざわざ言う事じゃないからだろ?」
「そうかもないけど、わたしには未だ笑い話に出来ない事なんだと思えるんです」
「笑い話?」
「実は本当は最初は誰でもよかったんだって。たまたま駅で見かける女の子に言っただけだって。そんな風に笑い話に出来ないんだって」
「わざわざ話して嫌な気持ちにさせたくないと思ってるんじゃないか?」
「そう思ってるのかもしれないけど、逆にそうやって笑い話に出来るって事は、今はちゃんと気持ちがあるからでしょ? 始まりはそんな風だったけど今はちゃんと気持ちがあるよって事でしょ?」
「あぁ……なるほどな」
「でもそれに関しての彼からの“告白”は未だにないんです。そして、今回の事に関しての“告白”もない」
「……」
「言い辛い事だっていうのは分かってるんです。『別れよう』『好きな女が出来た』って言い辛いんだと思う。でもその“告白”はして欲しい。付き合った2年間で少しでもわたしに情を抱いてくれたなら、言い辛い言葉でも彼から言うべきだと思う」
「……」
「いつまでもズルズルとこの関係を続けていくってわたしをバカにしてると思いません?」
「……」
「だから待ってるんです」
「……」
「彼が誠意を見せてくれるのを」
「……」
「わたしに申し訳なく思って、わたしが可哀想だと思ってくれるなら彼から言ってくると思うから」
「……」
「望んでるのはそれだけです」
「……」
「でもそろそろ――」
「……」
「――そろそろ待つのも疲れてきました」
千石さんは声は出さず、コクンと小さく頷くと、何かを言おうと口を開いた。
だけど丁度そのタイミングで、障子の向こうが騒がしくなって、千石さんは言い掛けた言葉を呑み込んで口を閉じた。
団体客が来店したのか、障子の向こうから何人かの話し声と足音が聞こえる。
通り過ぎるその音は、すぐに消えてなくなった。
戻ってきた静けさは、さっきまでよりその場の空気を重く感じさせる。
その空気を拭い去るように、
「そろそろ出ようか」
千石さんは穏やかな声でそう言うと、静かに腰を上げた。
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