「酔った」


 はぁ――と、大きな溜息と共に言葉を吐き出し、ベッドの上に仰向けで倒れ込んで足を投げ出した彌は、その格好でネクタイを緩めた。



 ラブホテルの一室。



 同窓生たちだけは大いに盛り上がったプチ同窓会は0時を過ぎても続き、終電がなくなった所為で、着替えも用意してないのにラブホテルに泊まる羽目になった。



 随分と飲んだらしい彌は、うつらうつらと今にも眠ってしまいそうな感じで、



「スーツ、しわになるよ」


「んー」


「お風呂は?」


「先に入っていいよ」


 わたしの問いに普段よりスローな口調で答える。



 珍しい――と思ったけど、よくよく考えてみればこうやって、わたしと二人きり以外で飲んでる彌を見るのは初めてだから、いつも友達や会社の人と飲んだ時はこうなのかもしれない。



 丸2年も付き合ってて、案外知らない事もあるんだと、妙に納得しながらコートを脱いだわたしは、「ねぇ、彌」とそっちを見ないで声を掛けた。



「ん……?」


 半分寝惚けた声を出す彌の、ゴソゴソと体勢を変える音がする。



 その音は、



「明日、日曜だけど仕事あるの?」


 わたしのその問いにピタリと止まり、



「……うん」


 代わりに後ろめたさを含む返事が聞こえる。



 後ろめたく思うなら、嘘を吐くのをやめるか、別れを切り出せばいいのにと思うけど、彌にもまだそれをする覚悟が決まってないらしい。



 やっぱりそれには相当な覚悟が必要で、彌の立場からすれば特に言い辛いものなのかもしれない。



 気付いてるならそっちから言えよ――くらいに、彌は思ってるのかもしれない。



「なら、始発で帰る?」


「いや、昼から出勤すればいいから……」


「じゃあ、何時にココ出る?」


「……何で?」


「目覚ましセットしなきゃいけないから」


「あー…、俺がしとく」


「分かった」


「志乃は何時でもいいのか? 明日、何か予定ある?」


「別に」


「んじゃ、チェックアウト30分前でいいな」


 声の直後にピピピと電子音が聞こえ、彌がベッドの枕元にあるパネルを操作してると分かったから、わたしはバスルームに向かった。



 バスルームに入り、シャワーのお湯を出しながら、この間に彌が眠っててくれればいいと思ってた。



 やむを得ずに泊まりには来たけど、ヤる気分じゃない。



 だからってラブホテルまでついて来ておいて、そういう風になった時に断っていいのか悩む。



 断った後の事を考えると色々面倒で仕方ない。



 それなら来なきゃいいじゃんって顔されるのも腹が立つ。



 その後気まずい感じになって、一緒に一晩過ごさなきゃいけないって思うと、気分じゃなくてもヤった方が気が楽かもって悩んだりする。



 だからいっそ眠ってて欲しかった。



 それなら悩む必要はない。



 なのにバスルームから出ていくと、彌はまだしっかりと目を開いてた。



「お風呂は?」


「入ってくる」


 なんて言って入れ替わりにバスルームに向かった彌は、出てきた時には程良くお酒が抜けていて、ベッドの上でテレビを見ていたわたしの隣に腰掛けると、当たり前みたいにわたしをそこに押し倒した。



「志乃とこうすんの久しぶりだよな」


 薄暗い部屋でわたしを組み敷き、笑顔でそう言う彌に、



――誰となら久しぶりじゃないの?



 言ってやりたい言葉はあったけど、「そうだね」とだけ答えておいた。



 ゆっくりと近付いてきた唇が重なり、そこから侵入してくる舌を感じ、ふと思った。



 キスって行為はいつから性行為をする時だけするようになったんだろうと。



 セックスの時以外にキスをしなくなったのはいつからだっただろうと。



 でもそこまで思ってすぐに考えを改めた。



 それは最初からだったんだと思う。



 ただ付き合いが浅い頃は性行為まで持っていくのが無理だっただけで、彌がキスをする時は常にその先には性行為があったんだと思う。



 何も彌が特別って訳じゃないのかもしれない。



 どんな男の人だって同じなのかもしれない。



 わたしは彌としか付き合った事がないから、彌だけがそうな気がするだけで、本当はただの一般論に過ぎないのかもしれない。



 そうだと思ったけど、何だか少し気分がえた。



 もうわたし達は行き着く所まで行き着いてしまったような気がして萎えた。



 これ以上一緒にいても意味がないと強く思って、彌も同じ気持ちなんだろうと深く悟った。



 ただ。



 備え付けのバスローブを慣れた手付きで脱がしていく彌の動きに体の熱が上がる。



 触れられた体がジンッと熱くなる。



 胸に触れる唇の柔らかい感触や、舌独特のザラリとした感触に、自然と体は反応してピクリと震える。



 心と体は一体のようで、その実バラバラなものらしい。



 気持ち的には萎えていても、体は勝手に反応する。



 これまでも、気持ちはなくてもセックスだけはしっかりヤってきて、どこをどうすればイイのか知ってる彌の動きは、わたしの全てを湿らせていく。



 触れられる度に口から出ていく湿った声は、わたしの気持ちとは裏腹で、



「もっと?」


 耳元で囁かれる、かすれた声の問い掛けに、無言で何度も頷くのも、心の奥底にある思いとは裏腹。



 ももの内側をなぞるように滑る彌の指先に、



「彌っ、」


 その名を呼ぶわたしの声は、普段決して出す事のない、吐息を含む甘い声。



 こんな声を出すようになったのはいつからだっただろう。



 初めの頃は緊張で声も出せなかったのに。



 でもその緊張は、きっと世間一般でいうところのものとは違った。



「初めての行為」に対しての緊張だけで、相手がどうこうってものじゃなかった。



 ドキドキと高鳴る胸に気持ちよさはなく、目がグルグルと回って吐き気すらした。



 初めてがどんな風だったのか覚えてない。



 記憶にあるのは緊張と痛みだけで、終わった後にどんな気持ちになったのかさえ覚えてない。



 彌との行為が記憶に残るようになったのは、痛みがなくなった頃からだけど、その頃はまだ気持ちいいって感覚はなくて、何が目的でヤってるのかさえ分からなかった。



 回数を重ね、少しずつ変化してきた彌の動きは、今ではわたしを快楽の世界に連れていく。



 体の相性がいいとか悪いとか、経験不足できちんとは分からないけど、わたしと彌のそれは悪い方ではないんだろうと思う。



 だからなのかもしれない。



 だから「言い辛い」のかもしれない。



 気持ちはなくてもセックスが出来るのは、その所為なのかもしれない。



 心から随分と遠く離れたところに行った体がする反応に、彌は満足そうな笑みを作り、わたしに静かにキスをする。



 その直後、わたしの中に入ってきた彌は、一番深い所で止まり、この行為の時にだけ見せる切なげな表情をした。



 なまめかしい水音と、二つの荒い息遣いが部屋の中に充満する。



 腰を打ち付けられる度に条件反射のように声が出ていく。



 それと一緒に裏腹な気持ちが口から吐き出され、吐き出された気持ちはどこか遠くに行ってしまう。



 その存在が消えたその瞬間、わたしは快楽の世界にいざなわれる。



「志乃……?」


 遠くから聞こえたように思える声に、ギュッと閉じていた瞼を開くと、額にわずかに汗の玉を作った彌の顔。



 その顔を見上げたわたしに、



「気持ちいい?」


 問いに答える余裕はない。



 何度も頷き、シーツを逆手で握り締めたわたしは、理性と気持ちを完全に体から切り離した。





 彌が“それ”を言ったのは、その翌朝の事。



「クリスマスイブ、会えそうにない」


 プレゼントを買うべきなのかをこれ以上悩みたくなくて、「もうすぐクリスマスだけど、どうする?」と聞いたわたしに、彌は後ろめたそうにそう口にした。



 仕事が忙しくて何時に終わるか分からないからと、後から言い訳をしていたけど、その言い訳は右から左へと流れていき、わたしの頭の中にはとどまらなかった。



 わたしの中にあったのは、わたしがこの質問をしなければ、彌はいつそれを言うつもりでいたのかという疑問。



 もしかして、ずっと言うつもりなんかなくて、最初から会うつもりはなかったんじゃないかという確信。



 穏やかな笑みを浮かべる、見た目だけは優しそうな彌の、その本性は酷くずるい。

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