プチ同窓会の日は、風が強くてやけに寒かった。



 土曜も仕事がある彌が、【ごめん。遅れる】とメールをして来たのは、わたしが家を出た後。



 どれくらい遅れるか書いてなかったから精々10分くらいだろうと高をくくって、待ち合わせの駅前まで行ったのは失敗だった。



 1時間遅れて彌が来た時には、寒さで足の先の感覚がなくなってて、両手はコートのポケットに突っ込んでたけど、指先はジンジンとしびれてた。



「志乃、ごめん!」


 改札から出てくる人の波をすり抜け、走って近付いてきた彌が申し訳なさそうな顔をするから、



「ううん。いいよ」


 仕事だったんだから仕方ないって思ったからそう言ったけど、直後に言わなきゃよかったって後悔した。



「取引先に急に呼ばれて」


 そう言って、目の前で両手を合わせる彌から、微かに香る甘い香水の匂い。



 強風に運ばれてくるその匂いに、帰ればよかったと心底思った。



「寒いよな? マフラー貸そうか?」


 自分の首からマフラーを外す彌の言動が、本当に寒さを気にしてるのか分からない。



 わたしと同じように「言い辛い」と思ってるから、わたしに気付かせ言わせようとしてるのかもしれない。



 別れよう。



 たった5文字のその言葉がとても言い辛い。



 好きでも嫌いでもない相手なのに言い辛い。



 付き合う前はそんな言葉いつでも言えると思ってたのに、実際そういう状況になってみるととても言い辛い。



 言った方が悪者になる気がするからかもしれない。



 その一言を言った後、色々話すのが面倒なのかもしれない。



「別れよう」「分かった」だけで済むとは思えないから、それを口にするのにはそれなりの覚悟がいる。



 言ってくれたらいいのに――と、相手が言うのを待ってしまう。



「きっかけ」はあるのに、「度胸」がない。



 でもそれも――時間の問題。



「マフラー、好きじゃないからいらない」


 そう断ったわたしの言葉を、彌がどう受け取ったのか分からない。



 本当にそう思ってると思ったか、気付いてるからこそ断ったと思ったか。



 分からないけど彌は「そうか」と小さく笑って、「行こうか」とわたしをうながし、歩き始めた。





 彌達がプチ同窓会をする場所は、タナキ君の家族がいとなむ料亭だった。



 話では聞いた事があったけど行くのは初めてだったタナキの料亭は、店構えもどっしりとしていて、見るからに高級で、若いわたし達には敷居が高い。



 こんなお店にはこういう機会でもないと来る事はないだろうとしみじみ思いながら、立派に構えられた門から料亭に伸びる石畳の上を歩いた。



 石畳の周りには、松や竹が植えてある。



 その向こうには庭園もある。



 廊下に面してある、手入れの行き届いた庭園の、数ヵ所に設置されてる灯篭とうろうが、料亭の上品な雰囲気をより一層濃くし、鹿威ししおどしの音が情緒を深める。



 大手企業の社長なんかが好んで来店すると聞いた事があったけど、なるほどその気持ちも分からなくもないと妙に納得してしまった。



 仲居さんに案内され、彌の後ろについて庭を眺めながら長い廊下を進んでいく。



 通りすぎる障子の向こうにどんなお客がいるのか分からないけど、どの部屋の前もとても静かで、お店同様来店するお客も上品なようだった。



――けど。



「失礼致します」


 廊下の一番奥にある部屋の障子を仲居さんが開けた途端に、この上品なお店には似つかわしくない、ドッとした笑い声が飛び出してきた。



 彌の同級生たちは、どんな場所であろうとも、普段と変わりない振る舞いをするらしい。



 座敷を覗くと、きっと最初は卓の上にきちんと並べられていたであろうお膳もてんでばらばらになっていて、そこにいる15人ほどが、畳の上に並べられた座布団を無視していくつかのかたまりになって座っていた。



「おぉ! 彌! 遅かったじゃん!」


 既にワイワイと宴会を始めていた同級生たちの中心にいたタナキ君の声に、みんなの視線がこっちに向けられ、



「彌じゃん!」


「何でスーツ!?」


「久しぶりだな、おい!」


 その楽しげな笑い声の音量が更に増す。



「おぅ」と答えながらズカズカと座敷の中に入っていく彌の後ろで、「ごゆっくり」と丁寧に頭を下げて下がっていく仲居さんに対して、何だか申し訳ない気分になった。



 コートを脱ぎ、手の付けられていないお膳がある、手前の卓に座った彌は、まだ入り口で突っ立ったままのわたしに振り向き、「おいで」と目顔で言う。



 言われるままに彌の隣に腰を下ろすと、タナキ君が近付いてくる。



 それを視界の端で捉えたわたしは絶対にそっちは見ないと心に決め、座ったままコートを脱ぎ、それをたたんで隣に置いた。



「コートお預かりします」


 わざとらしく丁寧な口調でそう言ったタナキ君に、



「頼む、若旦那」


 彌は笑いながらコートを渡す。



 わたしは座敷の中を見てる振りをして、二人がいるのと反対方向に視線を向ける。



 話し掛けないで欲しいと思う。



 放っておいて欲しいと願う。



 けど。



「志乃、コートは?」


 そういう訳にはいかない。



「あ……うん」と返事をしながら畳んだコートを手に取って、彌の方に差し出すわたしは、決してタナキ君を見なかった。



 話したくないどころか顔も見たくないって思ってるから、意地でもそっちを見なかった。



 なのにタナキ君は、全くそれに気付かずに、



「久しぶりだね、志乃ちゃん」


 話し掛けてくる。



 よくもまぁそんな風に普通に話し掛けてこれるものだと、むかっ腹が立ったけど、それを顔に出すのは何とかおさえ、



「うん。久しぶり」


 自分でも素っ気ないと思うほどの口振りで答えた。



「元気してた?」


「それなりに」


「事務員してるんだっけ?」


「そう」


「俺、若旦那」


「らしいね」


「周りにはバカ旦那って呼ばれてるけど」


「……」


 ぎゃははは――と笑いながらされた話に、愛想でも笑う事は出来なかった。



 学生の頃から、この人達が笑ってする話が、わたしには何一つ面白くない。



 何も笑えない。



 クスリともしない。



 愛想でも笑う気にもならないから、無表情になる。



「あれ? 志乃ちゃん、機嫌悪い? どうした?」


 面白くないから無言になっただけのわたしに、笑い声を継続したままタナキ君は聞き、



「俺の所為せい


 面白くないから無言になっただけなのに、彌がしゃしゃり出てくる。



 何にも分かってないくせに、分かってる風に言うからシラけてくる。



 だから何も言う気にならなくて、そう思うならそれでいいんじゃないってくらいに思って、視線を逸らしそっぽを向いた。



「俺の所為って、彌何したんだよ?」


「仕事終わるの遅くなって待ち合わせに遅れた」


「どんくらい?」


「遅れたのは1時間だけど――志乃、どんくらい待ってた?」


 もうそっちを見てなかったから、向けられた目には視線で気が付き、



「10分くらい」


 1時間待ってたって言ったら騒々しくなると思ったから適当に答えてそっちを見なかった。



 なのに。



「このクソ寒い中で10分も待たせるって最低だな!」


 折角の嘘もタナキ君の騒々しさを止める事は出来なくて、タナキ君は不必要だって思えるくらいに騒ぎ立てる。



 その所為で、そうはなりたくなかったのに、タナキ君の声に釣られて、他の人達が「何だ」「何だ」と集まってくる。



 あっという間に彌の周りは、彌の同級生たちでいっぱいになって、結局わたしは居心地の悪さにその場から少し離れた。



 ひと塊りになってる彌の同級生たちの、わたしは全員を知ってる訳じゃない。



 知ってるのは電車通学だった人達だけで精々5人くらい。



 後の人は顔も見た事がなくて、名前を聞けば話で聞いた事があるくらいには思うかもしれないけど、もしかしたら名前すら聞いた事がない人もいるかもしれない。



 そんな状態だから当然その人達が連れて来てる「彼女」も知らない人ばかり。



 彼女同士仲がいいって人達もいるみたいだけど、わたしはその中の誰も知らない。



 だから必然的に彌達から離れたわたしは一人になって、何が楽しいのか分からない事に笑ってる彌達を眺めてるだけ。



 それでよかった。



 気が楽だった。



 わたしの存在を忘れてるって感じがよくて、このままこのプチ同窓会が終わるまで誰も話し掛けてこなきゃいいのにと思ってた。



――のに。



「志乃ちゃん」


 陽気な声と共に塊から抜け出し、りにもってタナキ君が、ひざで歩きながら近付いてくる。



 タナキ君は当たり前にわたしの隣に納まって、わたしと同じように彌達の方を眺める。



 一緒に騒いでくればいいのに、何故かそこから動こうとしないで、



「最近、彌とどう?」


 意地の悪い事を言う。



「上手くいってる?」って言いながらこっちに向けられたタナキ君の顔は笑顔。



 わたしに何を言わせたいのかと思う。



「彌と話してるんじゃないの?」


「ん?」


「電話したり会ったりしてるんでしょ?」


「うん。してるよ」


「なら、最近どうかなんて彌から聞いてるんでしょ?」


「うん」


「じゃあわたしに聞くまでもない」


「だね」


 屈託のない笑みを浮かべてそう言ったタナキ君から、スッと目を逸らして手元を見つめた。



 昔からそう。



 タナキ君はこうやって、罪悪感は微塵もないって笑みを浮かべて酷い事を言う。



 本当に罪悪感がないのかもしれない。



 何をしてもいいと思ってるのかもしれない。



 見てくれがいいこの人達は、何をしても許されると――人を傷付ける事さえお遊びの一つだと思ってるのかもしれない。



 だって。



「志乃ちゃん、そろそろ彌に飽きたりしてない?」


「……は?」


「もし彌と別れる事があったら、俺と付き合おうか」


「……」


「今すぐでも俺は全然いいよ」


 だって、こんな笑えない事を冗談めかしに笑って言う。



「なぁ、彌! 志乃ちゃん、俺にちょうだい」


 笑いながら塊に向かってタナキ君が大きく声を掛けると、塊の会話が一瞬ピタリと止まる。



 同級生たちの隙間からチラリとこっちを見た彌は、何も言わず笑っただけで、すぐに視線を隣に動かし、また同級生と話し始めた。

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