「あたし、聞いちゃいました!」


 高校を卒業してすぐに事務員として就職した運送会社で、仲の良い女の同僚は二人。



 一人は同じ事務員で2年先輩の渡辺わたなべさん。



 もう一人は半年前に派遣会社から倉庫の作業員として派遣されてきた、1つ年下の桐子――通称キッコ――ちゃん。



 お昼休みは第一倉庫の脇にある外階段の踊り場に3人で集まって、他愛もない会話をしながらお弁当を食べるのが日課。



 その会話の中心はもっぱらお喋り好きなキッコちゃんで、今日もまた新しいニュースを仕入れたらしく、喚きに近い声を出しながら外階段を駆け上がってきた。



「何を聞いたの?」



 隣接して建ってる第二倉庫に丁度風を防がれ、冬のポカポカした日差しだけが射し込む外階段で、既にお弁当を食べ始めていた渡辺さんが聞き返す。



 お弁当が入ってるコンビニの袋を振り回しながらやって来たキッコちゃんは、階段付近の定位置に駆け上がってきた勢いのまま座り込むと、「営業の千石せんごくさん!」とひと際大きな声で答えた。



「千石さん?」


「そうそう! 千石さんです!」


「千石さんが何?」


「あたし、聞いちゃったんです!」


 一向に前に進まない二人の会話を聞きながら、持参したお弁当箱の蓋を開けると、当然お弁当の中身は朝見たままと同じ。



 高校生の頃はお母さんにお弁当を作ってもらってて、蓋を開ける時にあった「何が入ってるだろう」っていうワクワク感が、自分で作ってる今じゃもうない。



 お弁当だけに限らず、年々そういうワクワク感が減ってきてる気がする。



 それが歳を取っていくって事なのかと思うと、少し寂しい。



 なんて、たかがお弁当だけでそんな事まで考えてしまってたわたしに、



「千石さんが志乃さんの事を気に入ってるって話を小耳に挟んだんです!」


 飛んできたキッコちゃんの声は、わたしの思考とは全く真逆のテンションの高いものだった。



 へ?――と間抜けな声を出し、お弁当からキッコちゃんに視線を向けたわたしと、



「今更何言ってんの?」


 渡辺さんの呆れた声はほぼ同時で、キッコちゃんはわたしを見てから渡辺さんに目を向けると、「へ?」とわたし以上の間抜けな声を出す。



 キッコちゃんに目の動きに釣られて渡辺さんに視線を向けると、渡辺さんは声以上に呆れた表情をしていて、



「今更?」


「その噂、古すぎる」


 小首を傾げるキッコちゃんに物知り顔で返事をした。



 わたしはそのやりとりを聞き流す為にお弁当に視線を戻す。



 わたしがさっき間抜けな声を出した理由は渡辺さんが呆れた理由と同じで、今更そんな話題を振られるとは思ってなかったからだった。



「ど、ど、ど、どういう事ですか!?」



「どういう事も何も、そういう事」


「そ、そ、そ、そういう事って!?」


「だから、千石さんは志乃ちゃんが入社してきた時から、志乃ちゃんの事を気に入ってるんだってば」


「え!? それって志乃さんも知ってるんですか!?」


「知ってるよ。ねぇ?」


「うん。入社当初は随分と周りに揶揄からかわれたし」


 振られた質問に、お弁当を食べ始めてたわたしが箸も止めずにそう答えると、



「この会社じゃそんなの有名すぎて、もう噂すらされてないっての」


 渡辺さんが補足説明をしてくれる。



 キッコちゃんの目はみるみる丸くなっていき、



「あ、あたし、初めて聞いたのに!」


 最新ニュースを持ってきたつもりだったのに違った事に狼狽うろたえたのか、大きなジェスチャーで言葉を紡ぎ、膝からコンビニの袋を滑らせ踊り場に落とした。



「キッコが会社に来たの半年前だから、逆に知らなくてもおかしくはないよ」


「じゃ、じゃあ、もしかして志乃さんと千石さんは――」


「ないない。付き合ってない」


 黙々とお弁当を食べ続けるわたしを置いて、



「千石さんの片想いって事ですか!?」


「片想いでもないんじゃない?」


 わたしの話題が続く。



 話に参加しないのは、キッコちゃんには興味があるらしいその話題が、わたしにとってはどうでもいい話題だから。



「え? それってどういう――」


「片想いっていうほど、千石さんは志乃の事を好きな訳じゃないって事」


 本当に今更感が満載で、この件に関しては過去に飽きるくらいに散々話したから、もう言う事もない。



「へ?」


「この会社の中では一番気に入ってるってだけの事よ。そもそもそんな噂が出たのも、営業の人達が飲みに行った席で、会社の中で一番誰が可愛いかって話になった時、千石さんが志乃の名前上げただけの事。だから好きとかそういうんじゃないし、千石さんは志乃をどうにかしたいとも思ってない」


「そ、そうなんですか?」


「そうそう。だって志乃、食事に誘われた事もないよね?」


 渡辺さんの質問に、「うん」と答えたわたしを見つめるキッコちゃんは驚き顔で、



「話した事もあんまりないよ」


 そう付け加えると、更に驚いた顔をする。



 でもその驚き顔はわたしが思ってるのとは違う意味での表情らしく、キッコちゃんは「何でですか!? 勿体もったいない!」と倉庫に反響するくらいの大きな声を出した。



「勿体ない?」


「そうですよ! もっと仲良くなれば付き合えるかもしれないのに! 可愛いと思われてるんだから、付き合える可能性はかなりありますよ!」


「付き合いたいと思ってないし」


「えぇ!? 何で!?」


「何でって言われても……」


「千石さんって相当お買い得ですよ!? 見た目もいいし、仕事も出来るし、年上だし!」


「年上って関係あるの?」


「ありますよ! 年上だと甘やかせてくれるでしょ!? それって重要です!」


「甘やかせてくれるかどうかは、年じゃなくて性格の問題だと思うけど……」


「でも年上の方が、その確率は高いんです!」


「そう……なの?」


「あたしの統計ではそうなってます!」


 どうな方法で統計を取ったのか分からないけど、自信満々に言い切ったキッコちゃんは、



「今からでも遅くないはずです! 今から仲良くなるべきです!」


 なんて力説してくる。



 いよいよ面倒な事になってきた現状に、どう答えようか悩んでいると、



「志乃は無理よ」


 渡辺さんが助け船を出してくれたから、キッコちゃんの熱のこもった視線がわたしから逸らされた。



「無理ってどうしてですか?」


「志乃、彼氏いるから」


「えぇ!?」


「しかもその彼氏格好いいから」


「えぇぇ!?」


「付き合いも長いよ? 高校の時かららしいし」


「し、志乃さんに彼氏いるって初めて聞いたんですけど!」


「志乃に彼氏いるのか聞かないからじゃん」


「だ、だってそういうのって聞かなくても言ったりするもんじゃ……」


「ないない。志乃は聞かれるまで言わない。私だって聞くまで教えてもらえなかったもん」


 チラリと、痛い視線を送ってくる渡辺さんは、未だその事を根に持ってるらしい。



 わたしに彼氏がいる事を渡辺さんに言ったのは、仲良くなってから3ヶ月が過ぎた頃。



 それまでそういう話が出た事がなくて何も言わなかったわたしが、たまたまそんな話題になって彼氏がいる事を告白したら、渡辺さんは心底驚いた顔をしてた。



 彼氏がいるって事を隠すつもりはないけど、自ら話すつもりもない。



 いつ別れるか分からないから、話したところで意味はない。



 別れた時、なぐさめられたりするんだろうから余計に自分から言うものじゃないと思う。



 そういうのは求めてなくてもされるから、想像しただけで面倒臭い。



 だからって、それも含めて全部言うのもまた面倒臭い。



「渡辺さんは志乃さんの彼氏に会った事あるんですか!?」


「1回だけね。会ったっていうか、見ただけだけど」


「見たっていつ!? どうやって!?」


「偶然駅で会ったってだけ」


「えぇ!? あたし、電車通勤なのに会った事ないですよ!?」


「平日じゃなくて、休日。デートしてる二人を見掛けたってだけ」


「デート!?」


「そりゃするでしょ。付き合ってんだから」


「どんな感じでした!?」


「どんな感じって?」


「ラブラブな感じ!?」


「普通よ、普通」


「普通って!?」


「は?」


「普通ってどんな感じです!?」


「キッコ、何をそんなにムキになって聞いてくんの?」


「だって、志乃さんが彼氏といるとこって想像出来ないから!」


 喚きと共に向けられたキッコちゃんの顔を、きょとんと見つめ返すと、



「志乃さんって彼氏といる時どんな感じなんですか?」


 興味と心底不思議って感じが混じってる声で質問される。



「どんなって言われても……」


「ラブラブですか!? 甘い感じ!? それとも逆にクールな感じ!?」


 どう答えていいのか分からないその質問に、悩んだ挙句出した答えは、



「シリアス」


 一言で言えばそうだろうと思う言葉だった。



「は? シリアス?」


「うん。それが一番しっくりくるかな」


「あたし、シリアスの意味がいまいち分からないんですけど、それってカップルを表現する時に使うにはあんまりいい言葉じゃないですよね?」


「んー…、わたしもちゃんとは分かんないけど、言葉の雰囲気的にそれが一番合ってる感じ」


「でも志乃さんってシリアスなキャラじゃないですよね……?」


「まぁね」


「なのにシリアスなんですか?」


「うん。言葉にするならね」


「何か……」


「ん?」


「想像出来ない」


 納得出来ないって感じの声を出したキッコちゃんは、ポカンと口を開けて小首を傾げた。



 だとしてもやっぱりわたしには、それ以外のしっくりくる言葉が見つからない。

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