第4話 注射はイヤだよご主人さま

 それはある、おだやかな日の午後。

 ボクはいつものようにお家のリビングで、気持ちよくお昼寝をしていたんだ。

 そしたら。


「ハチミツ、おさんぽ行くよ」


 ご主人さまの元気な声で、ボクはパチッと目をさました。

 こんな時間に、めずしいなあ。

 おさんぽは朝と夕方に行くことが多いけど、今日はいったいどうしたんだろう?

 まあいいや、おさんぽ好きだもん。


 リードを付けてもらって、ご主人さまと二人して玄関から外に出る。

 外はぽかぽかで、とっても気持ちいい。よく晴れていて、絶好のおさんぽ日和だ。


 ルンルン気分で、ボクとご主人さまはいつものさんぽ道を、テクテクと歩いて行く。


 おっと、分かれ道だ。ここは右の道に行くのが正解なんだよね。

 ボクは意気揚々と一歩をふみ出したんだけど……。


「待ってハチミツ。そっちじゃないんだよ」


 グイッとリードを引っ張るご主人さま。

 どうして、いつもは右の道だよね?


「今日はちょっと行きたい所があるの。だからこっちだよ」


 そう言って左の道を行こうとするご主人さま。

 そういえば、ご主人さまが小学生のころ、こんな風にいつもとは別の道に行って、迷子になっちゃったことがあったっけ。


 だけどご主人さまも、もう高校生。

 あの時みたいになったりはしないよね。

 ボクは言われるまま、大人しく左の道を進むことにした。


「いい子ねハチミツ。後でおやつ買ってあげるからね」


 え、おやつ?

 ボクはケーキが食べたいなあ。犬でも食べれるケーキ。

 楽しいおさんぽに美味しいおやつ、今日はいい日だ。


「もうちょっと歩けばつくから。どこに行くかは、ついてからのお楽しみだよ」


 いったいどこにつれて行ってくれるんだろう? わくわくしながら尻尾をふって歩いていると……。


「ほら、ついたよー」


 足を止めた先にあったのは白いお家。

 中からは独特の匂いが漂っていて、お家の前にある看板に書いてあるのは……。


『動物病院』


 バッ!

 その名前を見た次の瞬間、ボクは全力で逃げ出した。

 だけどすぐに、リードを強く引っぱられる。


「こらハチミツ。逃げちゃダメだったら」


 リードを引っぱられてしまい、逃げるの失敗。

 ひどいよご主人さま。

 ここは注射をする所じゃないか。

 おさんぽやおやつのお話はしたけど、注射をするなんて聞いてないよ!


 チクッてする注射が、ボクは大キライ!

 絶対絶対ぜーったい、行かない!


「大丈夫、すぐすむから。大人しく中に入ろうね」


 無理にでも連れて行こうとするご主人さま。


 やだやだやだ、絶対やだ! 

 意地でも入らないぞ!

 ゴールデンレトリーバーは力持ちなんだ!

 いくらご主人さまがリードを引っばったって、絶対に逃げてやるー!




 ………………抵抗虚しく、病院の中に連れてこられてしまった。


 だってしょうがないじゃない。

 本気であばれて、もしもご主人さまがケガしちゃったらいけないし。

 だけど、やっぱり注射はイヤだよ。


 しずんだ気持ちで病院の中を見回すと、いたる所でボクと同じように、抵抗している動物たちがいる。


 例えば右を見ると、ご主人さまと同じ歳くらいの男の子が、あばれる犬くんに四苦八苦している。


「こらマカロン、あばれるなー!」


 例えば左を見ると、ご主人さまと同じ歳くらいの女の子が、棚の上に逃げた猫ちゃんを追いかけている。


「豆大福、言うことを聞いて。後で猫缶買ってあげるから」


 あわわわ、みんな必死になって逃げている。やっぱり、注射はキライだよね。

 だって痛いもの、当たり前だよ。

 だけどガタガタ震えているうちに、ついにボクの番がやって来てしまった。


「行こう、ハチミツ」


 やだ!

 ボクはふんばって最後の抵抗を見せる。絶対にここから動かないぞ。


 するとご主人さまはこまった顔をしながら、優しく語りかけてきた。


「ハチミツ、イヤがる気持ちはわかるけど、注射しないと病気になっちゃうんだよ。病気で苦しい思いするのはイヤでしょ」


 うっ、たしかにそれはやだ。


「ハチミツには長生きしてほいしの。注射して元気なままで、これからもずっといっしょに遊びたいんだよ。ハチミツは私といっしょにいたくないの?」

 

 それは……もちろんいっしょにいたいよ。もっともっと、ご主人さまといっしょに遊びたい。


「あ、大人しくなった。ハチミツはいい子だね。大丈夫だよ、最近の注射は痛くないようにできてるから」


 ほんと?


「だからちょっぴり、がんばってくれたらうれしいな」


 そこまで言うなら……。

 わかった。やっぱりちょっと怖いけど、痛くないならボク、がんばってみるよ。


「わかってくれたんだね。えらい、えらいよー」


 優しく頭をなでながら、リードをを優しく引きながら、ボクを連れ廊下を歩いて行くご主人さま。大丈夫、痛くないって言ってたし、きっとへっちゃらだよ。

 勇気を出して、ボクは診察室のドアをくぐって行った……。







 ご主人さまのウソつき──っ! 

 とっても痛かったよ──っ!




           ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




「ちゃんとがんばれたね。えらいよハチミツ」


 ツーン


「大好きなケーキ、買ってあげるからね」


 ツーン


「……ハチミツ、いいかげんキゲン直して」


 やだ! ウソツキなご主人さまなんてキライだ!


 病院を出た後、いつも遊んでいる公園に連れてきてもらったけど、ボクのキゲンは悪いまま。

 だって本当に、痛かったんだもの!


「ハチミツ~」


 こまった様子のご主人さま。そんな顔してもダメ。

 ボクはウソをつかれて、とっても傷ついたんだからね。

 そんなわけでしばらくそっぽを向いていると。


「あ、ハチミツだ」


 不意に聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 ふり返るとそこには、前にこの公園で会った小学生の男の子の姿が。

 男の子はケンカしているボクたちを、不思議そうにながめている。

 聞いて聞いて、ご主人さまったらひどいんだよ。


「こんにちは、今日はお買い物?」

「はい。ところでハチミツはどうしたんですか? 何だか、キゲン悪いみたいですけど」

「ええと、じつはね……」


 ボクが注射をした事を、男の子に話すご主人さま。すると話を聞き終えた男の子は、そっとボクの頭をなでてくれた。


「そうか、注射したのか。えらいねハチミツ」


 うん、ボクはえらい。

 どうやらこの子はちゃんと、ボクの気持ちを分かってくれているみたい……と、思ったのも束の間。


「でもあんまりワガママ言って、こまらせたらダメだよ」


 ええーっ! 君はボクの味方じゃないのー⁉

 クスンッ、クスンッ。

 もう知らない。ご主人さまもこの子も、大キライ!


「あ、またそっぽ向いちゃった。ハチミツ、ちゃんとこっちを向いて」

 

 男の子はそう言うけど、ボクはふり向かない。とってもとっても傷ついたんだからね。

 すると今度はご主人さまが、疲れたようにため息をついた。


「こんなに意固地になっちゃったのならしかたがないなあ。ねえ、もうハチミツのことなんて放っておいて、二人で遊ぼうか」


 えっ、いきなり何を言い出すのご主人さま?


「え、でも……あ、そういうことですか。そうですね。ワガママなハチミツはおいていっちゃいましょう」


 ええっ? 待って、おいて行かないで。


 だけどご主人さまも男の子もボクに背を向けて、スタスタと歩いて行っちゃう。

 ああ、行かないでご主人さま。


 いや待てよ。

 悪いのはウソついたご主人さまなんだ。ボクは追いかけたりしないぞ。

 おいていかれたからって、へっちゃらだもん。


「それじゃ、どこに行って遊ぶ?」


 ……へっちゃら……だもん。


「ハチミツもくればいいのに。けど、あれじゃあしかたがないか」


 平気……だよ……。


「バイバイ、ハチミツ。元気で生きるんだよ」



 ……ご主人さまがいなくたって大丈夫。

 大丈夫、なんだけど……。あああっ、やっぱりダメ! 

 おいていかないでご主人さま!


 ボクはかけ出して、ご主人さまの後を追った。

 もうワガママなんて言わないから、連れて行ってご主人さま!


 大急ぎで追い付くと、ご主人さまも男の子も足を止めてふり返る。


「ああ、やっと来てくれた。ごめんね、変なこと言っちゃって」


 ワシャワシャと頭をなでてくるご主人さま。ごめんなさい。

 やっぱりボク、ご主人さまのことをキライになんてなれないみたい。


「あ、しょんぼりしてて可愛い。ハチミツ、もうあまり迷惑かけちゃダメだよ」


 うん、もうワガママ言わない。ご主人と男の子に代わる代わるなでられながら、ボクは約束する。


 注射はキライ。

 ウソをつかれるのもヤダ。

 だけどご主人さまのことは、キライじゃないよ。

 だからボクはこれからもずっと、ご主人さまといっしょにいるね。


「それじゃあハチミツのキゲンも直ったところで、ケーキを買いに行こうか」


 歩き出した主人様と男の子の後を、ボクはテクテクと着いていく。

 こんな風に、ボクたちは時々ケンカをする。ワガママを言って、ご主人さまをこまらせることもある。

 だけど、最後はちゃんと仲なおりするよ。


 だってやっぱりボクは、ご主人さまのことが大好きだから。

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