【谷崎潤一郎】金色の死

 ※名作について好き勝手言っている文章です。

 ふわふわに適当なこと言ってます。

 不快になりそうな方はここで読むのをおやめくださいね。


 ※ネタバレも含みます。

 大半が岡村君萌えの、中身の薄い感想となっております。



 これまで読んだ谷崎潤一郎さんの作品の中でもかなり印象に残りました。

 読んだ日の夜はもちろん、次の日まで頭が「金色の死」でいっぱいになっていました。脳が焼かれたって奴です。


 一番好きかというと難しいです。「春琴抄」も大好きでしたし。(結構前に読んだので、今読むと感想が変わるかもしれませんが)


 作者ご本人的には「金色の死」は失敗作だったそうです。

 しかし江戸川乱歩さんや三島由紀夫さんは高く評価しておられ、江戸川さんに至ってはこの作品を元に長編小説を書き上げておられます。

 江戸川さんは「途上」を読んで短編を作ったりもしていて、谷崎さんを推していますね。


 小説を読んで影響を受けた小説を書くって、書き手同士だからこそできるコミュニケーションでいいなと思います。


 で、感想です。


 序盤は耽美も退廃もなく、女性キャラも登場しないので戸惑いましたが、ラストまで読むと「うおー! これこれ!」という世界観を楽しめました。



「金色の死」は旧友との昔話と、主人公の自慢話から始まります。

 序盤は何を楽しむ小説かわかりませんでした。


 男性二人の友情物?

 しかし、なーんかのっけからこの友情には陰りを感じちゃいます。

 主人公は自分を一番だと思っていて、友達の岡村君のことを内心馬鹿にしている様に見えるんですよね。

 岡村君がお金持ちなところは羨んでますが。


 作者さんから考えても、二人が仲良しこよしで終わるわけなさそうです。

 きっとこの二人の友情が壊れる様が描かれた小説なんだろう。そう思って読み進めて行きました。


 すると主人公が岡村君の容姿について褒め出したり、彼の半裸姿に「不思議に美しく妖艶に感じました」との感想を述べ始めました。

 しかも機械体操を繰り広げる岡村君の描写がいやに細かく厚い(さらに熱い)です。


 まさかこの小説は、BL作品だったのでしょうか……?

 谷崎さんもそういうのお書きになられたんですね。江戸川さんや三島さんは書いているようですが。


 なんて一瞬思いましたが全然違いました。

 ただ最後まで読んでも、主人公が岡村君に執着していたのは確かだと感じました。


 あくまで私の意見なんですが、この岡村君というキャラクターが非情に魅力的なんですよね。

 例え世界が全部汚れても、彼だけは変わらず美しくそこにいてくれそうな安心感があります。

 彼はいつも好きなことをしています。むしろ好きなこと以外しません。

 周りから反発されようと、何を言われようときっと彼は何の気にも留めず、己を貫いて行くのでしょう。


 超格好いいよ岡村君!!!


 小説を読み進める中で、私は岡村君がとても好きになりました。

 なので主人公が彼に執着する気持ちが理解できました。


 岡村君は内面も素敵ですが、見た目も大変美しいです。

 お洒落のためにあえて女物を着たり、薄化粧まで施します。

 令和の時代でもお洒落な男性はレディースを着たりメイクをするみたいですね。

 そう考えると岡村君って全然古いキャラじゃないなと思いました。


 この作品にはマゾヒズムも、ファム・ファタール的な女性も出て来ませんし、耽美や退廃、妖艶な雰囲気も他に読んだのと比べて薄いです。

 薄いんですが、耽美、退廃、妖艶といった要素が岡村君というキャラクターに凝縮されているんですよ。

 なんなら、ファム・ファタールでもあったかもしれません。



 中盤、芸術について少し難しい話が出てきます。

 難しい話は賢い人が理解をすればいいと思うので、私は二人の考え方の違いに注目し、それを楽しみました。

 二人が互いの考えを述べ合うシーンに男性同士の友達のリアリティを感じたのも面白かったです。これは偏見かもですが。


 二人の考え方については、極端だけどどっちもわかるなぁという感想です。

 主人公の言うように、知識がある方が芸術を楽しめますよね。

 小説にしても、書かれた時代の背景なんかを知っているとより面白くなったり。


 だけど「前提条件を知らないと楽しめない」のはしんどいなぁとも思います。

 娯楽なんですから難しいこと考えたり、お勉強なんか無しにパッと楽しみたいです。

 だから岡村君の「美は考えるものではない。一見して直に感ずる事の出来る、極めて簡単な手続きのものだ」という考えは清くて好きです。

 でも岡村君の意見も他の部分を踏まえると超極端なんですけどね……。


 水掛け論になりそうな二人です。

 一緒に美術館とかに行く際は別行動して、見終わった後もカフェなどで感想を言い合わない方が無難ですね……。

 いや、一緒に行かない方がいいですね。もう。


 段々と「書かないワナビ」みたいになって行く岡村君に対し、主人公の見る目は厳しいものとなります。(※ワナビとは、作家志望のことです。念のため。)

 対して主人公は作家デビューを果たし、人気を得て行きます。


 やはり最初に思った通り、この作品は友情が壊れる様が描かれた作品なのでしょうか。

 岡村君は何も成さないまま終わってしまうのでしょうか。


 作家として成功した主人公に対し、岡村君は別に羨んでもないみたいです。

 むしろ主人公が岡村君を気にしています。

「彼は生涯何事も為出来さずに終るかも知れない。しかしやっぱり彼は天才である。」

 そこまで思っています。


 何も成していない岡村君はさらにさらに美しくなって行き、コツコツ頑張っていた主人公は作家として人気が下火になってしまいます。そうして生活のために書きたくもない小説を書く日々。


「芸術家ぐらい非芸術的な、無意味な月日を送るものはないと云うような心細さに襲われました。」

 こんな風に思うまで追いつめられた主人公……。

 かつては岡村君と熱い討論を交わすほど芸術に拘っていた彼が、無残な現実に打ちのめされていてとっても可哀想です。


 心細くなった主人公が思い出すのは!!!


 いつ主人公が岡村君に愛想を尽かすのかと冷や冷やしましたが、全然そんなことないじゃないですか。


 主人公が久々に岡村君に会いに行くと、ついに彼は芸術作品を作って見せてくれると言うのです。


 ここからが恐らく「金色の死」の一番の見所です。

 岡村君が(金に物を言わせて)盆地に作った奇怪ワールド。

 ここは是非本編を読んで頂きたいです。


 私は読んだ時、なんて妖しげなレジャーランドなんだぁ! と思ったのですが、この時代にはレジャーランドがなかったんですね。

 作者さんは己の想像力で書いたわけですね。

 調べたら「アルンハイムの地所」という作品から影響を受けたみたいですが……。

 今普通にあるものがない時代に、それを書いちゃえるって物凄いことですね。


 岡村君ワールドを見た時に思い出したのは山●●さんの舞踏です。

 感覚的に似たものを感じました。

 人間の肉体を美しさに極振りしたような、肉体を芸術作品に落とし込んでいるような。見ていると心がざらつくのを感じます。


 岡村君の作った作品の中で「地獄の池」は特に薄気味悪くてゾッとします。

 気味が悪いはずなのに、奇怪空間にあるので変に空想的というか幻想的というか、美しい物に錯覚してしまいそうになります。

 その感覚も混ざってより一層、生理的に怖いような気さえします。


 この作品にはマゾ趣味はないなぁと思ってましたが、芸術作品の中にちゃんとありましたね。婦人が男性を寝台にする奴。

 なくてもいいかもしれませんが、あるとやっぱり安心しますね。


 このような具合で、散々大きな口を叩いてきた岡村君はついにやっちまいました。

 そんな彼がどうなるのかというと……タイトル回収です。

 打ち上げ花火みたいな彼の人生は嫌いじゃないけど、長生きして欲しかったなぁ。

 もっとこのおもしれー男を観察していたかった。


 岡村君がここで死なないために主人公がタイムリープする「RE:金色の死」とかありませんかね。二次創作で。

 そもそも金色の死の二次創作なんてあるんでしょうか。

 あったら読みたいです! 教えてください!


 岡村君の最期を見てから下のセリフを読み返すと、彼のキャラの完成度がさらに上がりますね。

「僕の考えでは、滑稽な人物は何処迄も滑稽で、奇怪な死に様をすればする程猶更面白い気がするじゃないか」

 作者が岡村君を意図して描いたのかはわかりませんが、私にはそう見えました。


 で、ラストの一文です。

「世間の人々は、彼のような生涯を送った人を、果して芸術家として評価してくれるでしょうか?」

 太宰治さんと川端康成さんの有名エピソードを思い出しますが、 SNSが普及し、作者の人となりが以前よりわかるようになった現代人への問いかけにも聞こえます。



 ところでこの小説は一体何だったのでしょう。

 芸術というものの掘り下げ?

 ユートピアを作ろうとした男の話?

 それともやっぱり男性二人の友情物だったのでしょうか。

 賢い人にはもっと別の物に見えている?


 私はあえて「これは主人公による岡村君布教小説」だった説を唱えたいと思います。


 ……絶対に違う?

 まぁ適当に聞き流してください。


 二人の関係は男友達なんですが、推しとファンみたいなところもあるんですよね。

 主人公は岡村君を軽蔑しながら天才だとも思っていて、惹きつけられて、妖艶だと思った瞬間さえもあります。

 ずっとずっと岡村君岡村君……って、物凄い執着しているんですよ。

 彼が死んだ後も「私は此のくらい美しい人間の死体を見た事がありませんでした。」とか思ってます。


「彼の仕事はやっぱり立派な芸術」「彼は偉大なる天才者」「偉大なる曠世の芸術家」

 ラストなんてこんな感じでベタベタに褒めまくっています。


 私には主人公が超いい笑顔を浮かべながら涙を流し、メンカラーのペンライト(金色)を握りしめている姿が幻影の如く現れて見えますよ。

 ただの幻覚なんですが。


 これが推しの子って奴ですね。


 金色の死。


 金色の……推し。


 つまりはそういうことですね!



【追記】


 逆に岡村君は主人公のことをどう思っていたんでしょうね。


 主人公の一人称小説なので、語り手の想いしか明確ではありません。

「二人の交情は期せずして親密になり」とか「(岡村君に)友達は愚か近づく人もないくらいで、唯私だけが親密にして居ました。」とか、あたかも主人公だけが岡村君のお友達みたいなこと言っちゃってますが、これで主人公の片思いだったら可哀想ですね……。


 小さい頃の岡村君は主人公と同じ学校に行きたがってますし、この時点では友達認定はされていそうです。

 その後も岡村君は主人公を器械体操に誘ってみたり(結局、主人公を放置して一人で遊んでましたが……)、芸術と体育との関係を滔々と論じて聞かせたり、普通に友達っぽいですね。


 久々に会った時も第一声が「暫く会わない間に君は大そう痩せたなあ。」と、主人公の身を案じてくれています。

 何より自分だけの物にしようとしていた芸術を、主人公にだけは見せてくれるんですよね。

 一番の友達とは思ってくれていそうです。


 ただ主人公みたいな執着は感じません。岡村君は自分自身のことが一番好きなんだろうなと思いました。

 主人公がいなくなっても気に病まないし、心細くなった時に思い出す存在でもなさそうです。そもそも岡村君は心細くなったりしないでしょうね。


 谷崎さんの小説って、奔放な女性に振り回される男性……って構図が描かれますが(痴人の愛とかそうでしたよね、確か)、主人公と岡村君の関係もこれに通ずるところがあると感じました。

 だからこそ、岡村君がファム・ファタールでもあったかも感じているわけです。


 この小説がBL作品だとは思っていません。(推しとファンっぽいとは感じましたが、恋愛感情には見えないです)

 自分も一応小説を書くので、好きな関係性って書きがちだよなぁ……みたいな、そういう感想を持ちました。


 色々書きましたがとってもいい作品なので、大変おススメです!



 ※ふざけて書いている様に思われるかもしれませんが、私はこの作品がめちゃくちゃ大好きです。

 だから5000字も感想書きました。正直もっと長文にしたかったです。その内追記するかもしれません。


 でも怒られたら上の文章は消しますね!

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