七.共同作業

翌日からカズのために働くことになった。紙の山、これの一斉除去。他の作業するにも邪魔過ぎるし、気も滅入るからな。カズに段ボールを用意してもらって、二人で片端から詰め込んでいく。にしても、だ。

「本当に要らないのか?」

「要らないね。」

バッサリ。そうかよ。全くこいつは、経営者としての責任感とかが欠如してるわ、本当によぉ。金貰えるから、大人しくしてやるけどなぁ!内心悪態をつきながら手だけ動かす。

段ボール三つに詰め終わったところで一日が終わった。もう深夜と言える時間。まずい。こんなつまらないことで時間かかり過ぎた。明日からはペースを上げないと。

「じゃあ、今日は帰る。」

いそいそとバッグを抱えて出ようとしたところ、

「待って待って、勤務時間、つけていって。」

あ?勤務時間、だと?カズは慌ててノートパソコンを立ち上げる。あぁそういやあったな、そんなのも。計算ソフトを開き、シート名が、

『勤務時間』

になっている。

「ここに出勤時間と、退勤時間書いていってよ。それで給料計算するから。」

めちゃくちゃ重要じゃねえか。なんで忘れてたんだろ。パソコンに飛びつく。今日来た時間と、今の時間を入力する。今日は約三時間、働いた。

「三千円、か。」

悪くない。高校生の小遣いにしては十分だ。

「オッケーだね。次からは勝手にパソコン立ち上げて、書いてくれればいいから。」

「ありがとう、分かったよ。」

今度こそ退勤、小屋を後にする。夜空は曇っているが、心は清々しい。乳酸が溜まった筋肉が夜風に触れ、絶妙な心地良さを演出する。これが労働の喜びってやつか。悪くない。新鮮な充実感を胸に、軽い足取りで帰宅した。

翌日、身体の節々が痛い。腕の筋肉痛がひどい。マジか。運動サボりがちだったけど、若いからいいやと思ってた。だけれど、痛みというのは、平等に訪れる、ものなんだな、くそっ、いってえ!

苦い顔をしながらヨタヨタと通学した。現実は厳しい。


ドッスン

最後の段ボールを詰めた。終わっ、た。つか、れた。計三日、平日放課後に稼働し、やっとこさ全てを段ボールに収めることに成功した。そこそこ大きめの段ボール十四個分、隅に固めて置いてある。捨てれば良かったかも。とにかくこの働きによって、何ということでしょう、足の置き場に困るほど散乱していた依頼書の山が消え去り、広々とした空間が現れました。今まで一つしか使っていなかった長机も、これからは五つも使えます。無駄だな。逆に広過ぎだなこれ。持て余すわ。

「いやぁ、こんなに広かったんだねぇ、ここ。見違えたよ。」

「お前が建てたんじゃねぇのかよ。こんなだだっ広く作って。」

「私の訳があるまいよ。ばば様なんだから、ばば様に聞いておくれ。」

「聞けるかよ。」

「そうだね。」

そうだねじゃないが。とにかく、机が空いたから一個使わせてもらおう。他は、また物置に戻るかもしれんな。

長机を引き寄せながらぶつくさ考える。どこに配置しようかな。カズの対面で良いかな。

「ここ、俺の机にして良いか?」

「いいよ。」

あの機械が置いてある机に相対するようにくっつけて配置する。お互い座ってみる。機械のスコープ越しにちょうど目が合う。青みがかった黒で塗り潰された瞳。本当に目だけは純粋だな。

「仕事場らしくはなったね。」

「だな。」

ごもっともだ。さて、次はどうしようか。スペース確保はできたが、このスペースをどう活かしたものか。

「なぁ、次の仕事とか、何か思いつかないか。」

「あるよ。」

ありますけど?みたいな表情をしやがって。じゃあ言えよ。恨めしそうな俺の視線をものともせず、パソコンを抱えて俺の机に置く。

「これだよ、これぇ。依頼が届くメールのフォルダなんだけど、ちょいと厄介でねぇ。」

画面をこっちに向けてくる。覗き込むと、メールフォルダがあり、未読でいーっぱい、ムカムカする。

「これじゃあ依頼、見にくくないかい。」

なになに、差出人はどれも、

『AKIRA』

お、これがアキラさんとやらか。それに、表題が、

『★』

『★』

『★★★』

『★』

『★★』

?変過ぎる。この人もかよ。類友ばっかか、俺の周り。

「アキラさんからの、メールが、見辛いと。確かにこりゃひでぇ。」

するとカズはムッとして、

「忙しいんだよ、彼も。仲介してくれるだけありがたいんと思わないとね。」

何だよ。急に苛立ちメーター上げんじゃねぇって。お前は旧知の仲かもだが、俺知らねぇよ。モヤるわぁ。何か黒いモヤモヤが胸の奥で小さく渦を巻いて硬くなっていくような、そんな感じ。もしかして、嫉妬?さすがに無いか。だってそうだとしたら、あまりにも幼稚過ぎか。我十七ぞ?良い加減にしやがれ。

「…この星は何なんだよ。」

喉から声を絞って問いかける。

「あぁこれね、アキラさん曰く、重要度みたいだよ。星で表してるんだって、可愛らしいよねぇ。」

ツッコミたくもない。

「とにかく、これらのメール、未読分だけで良いから、表計算ソフトなりを使って、まとめてくれないかな。私のスマホで見れるようにできれば、なお良いんだが。」

カズの顔を目の端で伺う。ちょっと眉をひそめて画面を睨んでいる。ガチ困り案件みたいだな。

「分かった分かった。まとめれは良いんだろ。何かしらはできるはずだ、やってやる。」

ぱっ

効果音が入りそうなほどの笑顔に変わってる。最初からその顔してれば良いのに。

「助かるよぉ、ありがとう。」

最初からそんだけ素直になれれば良いのに。

「まぁ、金もらうしな。」

「確かに。」

すん、と真顔に戻る。これこれぇ、この可愛げの無さがまことに腹立たしい。色んなところが、イライラしてしまう。けど、まとめる、か。どうすっかね。

「メール開いてみても良いか?」

「どうぞ。」

許可が降りた、さて。最新の未読メール、アキラさんからの星一メールを開いてみる。

「あ。」

声が漏れちゃう。そーだそーだ、紙もそうだったもんね。今もそうか。本文には、びっしりハングル文字。一部、見出しみたいなところには英語が使われている。日本語が一文字も見当たらない。

「世界中だったな、そう言えば。」

はぁ

俺の顔の横を溜め息が通過する。何だ?良い匂い?なわけあるかボケ。

「そうなんだよ、アキラさんから依頼人のメールが転送されてくるんだけど、和訳まではしてくれないんだ。でも、ここが困りどころでねぇ。夢の内容が外国語で書かれてるものだから、翻訳サイトを使いながらだと解釈に時間がかかってかかって…私は語学の才能はからきしらしい。」

その点イッセーなら、とでも言いたげな視線を送ってくる。いや俺でもきついって、厳しいって。

「俺に和訳しろと?」

「?ダメかい?」

困ったような不思議そうな顔を向けてくる。卑怯だぞ。確かに試験英語なら九割当たり前だが、試験に強いだけだって。その他ネイティブ言語まで網羅してるわけ、無いじゃないかぁ。でも仕事だし、期待されてるし、もう、何だかなぁ。

「やるやるやります、和訳までして共有しますから。」

そしたらにこー、と笑って、

「うんうん、お願いねぇ。あ、翻訳サイトはこのブックマークに入ってるから、必要なら使っておくれ。有料版だから、精度もそこそこだよ。」

「使うに決まってんだろ、分かった。」

思ったより面倒臭いかもな。ただしかし、賽は投げられた。やるしかない。やることを整理してみよう。目を閉じて、息を吐く。脳内で業務フローをブレークダウンしてみる。

最終目標、未読メールを抽出して内容を和訳し、カズがスマホで確認できるようにすること。そのために必要なことは、未読の抽出、重要項目のピックアップ、和訳、表計算ソフトへの転記、いや、共有するんなら、適当なクラウドサービスを使った方が良いかもだ。そこに転記して、カズは随時スマホで確認する…うん、これで、 

「良さそうだ。」

「ん、何?」

カズの方を見る。

「何となく作業の流れがイメージできた。」

「おぉ、さすが文系一位または二位。」

やかましい。

「それにあたり、カズに確認しておきたいことがある。」

「何だいイッセー。」

偉そうだな。いや偉いのか、社長だもんな。

「ええと、まず、表題の星、重要度とのことだが、星の上限はいくつだ?それと、重要度ってどうやって決まってる?基準は?」

カズはちょっと頭を掻きつつ答える。

「ええと、星は三つが上限だよ。それで基準は、主に量、納期、再現の難易度、だね。」

うん?

「量、量はダイヤの量?」

「そう、何夜分かまとめての依頼だと必然的に量が増えて高くなるね。」

「それは分かる。納期も分かる。再現の難易度、とは?」

「そこがねぇ、ちょっと曖昧なんだよねぇ。」

はい出たぁ。ここも社長失格ぅ。

「前はばば様が再現の難しさを見極めて優先順位を決定して、アキラさんに伝えてたんだけど、ちょっと私ではそこまで実力が無くて、どれがどれだけ難しい、これを優先すべきだっていうのが分からないんだ。だから今はアキラさんがばば様の基準を思い出しつつ、量や納期も考慮して重要度を決めてくれているんだよ。」

「へぇ。」

アキラさん、ばば様の頃からやり取りしてたのか。だったら今何歳?

「だから答えとしては、一応再現の難しさ、かな。後はそれに伴う価格の違いが多分影響してるね。」

価格、価格、か。カズ机にある、ダイヤが入ったケースを見やる。薄い黄色が目に入る。

「興味本位なんだが、そういやこのダイヤって、一番高くなるとどのくらいまで行くんだ。」

俺のアレは三十万円とからしいが、夢の果てとなると一体いくらになるんでっしゃろか。

「そうだねぇ、結構ピンキリなんだけど、私だったら、五夜分で四百万円くらいかな、高いので。」

「よんっ、ひゃっく、ね。」

若干目眩がする。月に一回彫るだけで年収もとい年商四千八百万円かぁ。良いなぁ、純粋に羨ましい。時給三千円とか言っときゃ良かったかもなぁ。

「あ、でも、ばば様だったらもっと凄かったよ、二千万円とかあったみたいだよ。」

「に、」

にっせん、にぃっすぅぇぇん、まぁん、かぁ、そうかぁ…そこまで行くと現実離れして逆に冷静になれる。年商二億四千万円かぁ。そんなに個人で稼いでたら、そりゃ血族まで浮世離れするわなぁ。

えー、まじか、うわー。夢みたい、まさしく夢じゃん、ドリーム。お前、ダイヤよぅ、不純物のくせに、そんな値つくのかよ。こないだの同情返せや、なぁ。ついつい自己嫌悪まで行ってしまい、項垂れる。

「このダイヤ自体にはそんなに価値が無いのに、そこまで値がつくってことは、やっぱり技術が違うんだねぇ、実感するよ。」

カズはダイヤを見ながら遠い目をしている。俺は気が遠くなってるというのに。やっぱカズってお嬢様なんじゃん。喋り方とか性格とかにも滲み出てんだよなあ、やっぱ。この小屋も無駄に広いし…

玉の輿?ひょっとして、いけるか?まぁそんな気お互いに無いだろうが、もしかしたら?カズに目をやってみる。ふと、目が合う。綺麗な瞳、猫みたいに丸い顔のパーツ、艶のある黒髪、何度見ても美少女の可能性がは否定できない。それに金持ちときた。超優良物件なの、では?

バツン

自分の右頬を殴る。グーで。痛い。内側が苦い。皮の下を血が這い集まって行くのを感じる。指もジンジンと鳴っている。

「どうしたんだい藪から棒に。イカレポンチになっちゃったのかい。」

「気にするな、元からだ。」

「それもそうか。」

否定しない。確実に今俺はイカれてた。頭のクリアリングをしっかりしろ…よし、しっかりした。

「価格については分かった。すまんな脱線して。」

「いや。」

カズからの視線が刺さるが、気にしない。今の俺はクリアだ。

「話を戻そう、ええと疑問点だが…そうだ、重要度についても和訳のやり方についても分かったから、一つ試しにメールをまとめてみる。無料のクラウドサービスを使うんだ。できたら見せるから、それで進めて良いか確認してくれ、良いか?」

完璧だ。脳内に浮かぶ方針を適切に伝えることができている。◎。カズはちょっと考え込む素振りを見せてから、

「勿論良いよ、じゃあ試しに、お願いできる?」

パソコンを手元に差し出される。

「おぅ。」

早速パソコンを引き寄せる。頬にはまだ違和感がある。まずクラウドサービスを立ち上げ、そこで表計算ソフトを立ち上げる。そこに、さっき試しに見たメールの受信日、重要度、夢の内容、量、納期、料金を、有料翻訳サイトを使って和訳しつつ転記していく。今回は中国人からの依頼で、死んだ母に会いたいという内容。そうか、エッティ依頼ばっかりのはずないか。こういう故人に会いたい思いだってあるはずだ。全く恥じ入りたい。その他母親の特徴や会いたいシチュエーションが指定されている。普通に実家で会って、一緒に食事したい、ベタだな。そりゃそうか。量は一夜分なので一個。納期は今日から約一ヶ月後。早いのか遅いのか分からん。料金は二万元、分からん。調べてみると大体四十万円。そんなもんか。感覚バグってきてる?とかくこれらをさっさと転記して、納品チェック欄もつけておく。備考欄も要るか。


ふぅ

こんなもんか。ぐっ、と背伸びする。腰に近いところの骨がパキパキ鳴る。そこそこ時間を使ってしまったが、なんとか終わった。やっぱり翻訳が肝だな。あそこが一番時間を喰う。早く慣れてしまいたい。あ、でも他の言語もあんのか。面倒臭。カズを探すと、自分の机で機械を操作しつつダイヤを弄くり倒している。相変わらず、何か彫ってるとは思えないほど、撫でるように繊細な動き。目を細めると、微かに白線が見えるかな、程度。集中モード入っちゃってるか。話しかけづらいな、何か。ちょっと待ってみるかな。


「カズ、悪い。」

「ん、ごめんごめん、何だい。」

機械から離れ、立ち上がってこちらに歩み寄ってくる。結局二、三分待ったところで居ても立ってもいられなくなったので、声をかけてしまった。せっかちでゴメンネ。

「一件作ってみた。以降このフォーマットで良いか、確認してほしい。」

画面をそっとカズに向ける。ふむ、と真剣な目で審判している。少し緊張する。そうだな、期末試験で、自信があって点数も予想できるやつが返却されるくらい。そんなことを考えて緊張を紛らわしつつ反応を伺う。すると次第に、カズの表情筋がにこやかに歪んでいく。あ、いけたわこれ。分かりやす。

「良いねぇ、さすがと言う他無い。必要な情報がシンプルにまとめられている。その頭脳が羨ましいよ。」

よせやい。直球で褒められると照れちゃうよ、ってな。まぁ転記するだけだから?そんなもんで十分だとは分かってたけどな。

「うん、これで良い。この調子で、他も頼めるかい?」

「問題無い。メイウェンティー。」


静寂。長くは無いが、自然な会話においては不自然な間が空いた。なぜか。その理由を考えるより先に、攻勢に打って出る。

「じゃあこんな調子で進めていくな。それとスマホでも確認できるように後でこのリンクを送っておくから。それも確認しておいてくれ。」

「うん、分かった。」

カズの応答はどこかぎこちない。なぜか。それは俺がスベったからだ。メイウェンティー、中国語で、

「問題無い。」

の意味。唯一知ってた。それを調子に乗って披露したらこのザマよ。間が空いた瞬間に察した、あぁもうダメだなって。こいつメイウェンティー知らないから反応できないなって。それでスベった空気を出さないために、急ハンドルで会話を戻し、あれは叩き潰して無かったことにした。俺がそんな感じだから、カズも察したんだろう。戸惑いながらも合わせてくれた。全く俺という人間は実に未熟だ。このバイトを通して成長したいもんだ。ホントホント。耳を真っ赤にしながらパソコンに向き直った。


ひとまず同じ要領で未読メールを全部転記していった。やってるうちに楽しくなってきて、家に帰った後や授業中にスマホでちょい作業したりしてた。サービス残業?知らんな。色塗りしたり表を組んだりして見やすさにもこだわった。シートを分けたり、数式も入れてみちゃったりして。機能美が仕上がってく様に達成感を抱く。ゾクゾクする。

これも三日くらいかかったかな。何ということでしょう。

「どうだ、見やすくなったろう。」

「うん、こればっかりはねぇ、本当にありがたいよ。見やすいことこの上ない。全くもう、良い採用をしたよ。」

カズがうっとりした目でスマホをつらつら眺めながら言を吐く。ここまで、平日放課後に働き始めてから一週間と少し。結局毎日通い詰め、依頼一覧表を完成させた。まぁ、暇だし、勉強もそんなに忙しくないから。それだったら金稼いだ方が良いと思った次第である。一緒の下校にも動揺することはなくなり、なんなら教室でもカズ、イッセー呼びになった。それに魔法、をいちいち疑わなくなった。慣れって怖い。コホン、とにかく完成した。メールフォルダに無造作に陳列されていた数十の未読メールはもう見る影も無く、クラウド上の表計算ソフトに綺麗に並べられている。重要度や納期、料金などで並べ替えができるようになっていて、もちろん内容は全て日本語。そして、納品欄にチェックが入ったものは別シートに移動される。ここは頑張った、それはもう。出来た時は感動して震えた。良い子良い子してほしいかも。また当然、スマホでも確認できる。良いじゃん、及第点ではなかろうか。欲を言えば未読メール、これね、俺が手動で移すんじゃなくて、自動で転記されるようにしたかったんだけど、難易度高過ぎて諦めた。しばらくは手作業でやるほかない。それで今は改めて、依頼一覧表を評価してもらってる。でもまぁ、この俺がきちんと取り組んだんだ。悪いわけが無い。鼻が高くなり、胸が膨らむ。俺の仕事が認められてるという、実感がある。

そうか、社会人って、仕事する度にこんな感覚得てんのかな。悪いもんでも、無いのかもなぁ。自分の将来が思いがけず明るくなりかけていることに驚きを隠せない。

「じゃあこんな感じで、引き続き更新していくから。何か要望があったら教えてくれ。」

カズの丸顔がこっちを向く。優しい目。それはまるで、幼い我が子が試験の点が良かったと報告しに来るのを見守る母親のようだった。やかましいわ。

「要望なんてこれ以上無いけれど、わかったよ。このままお願いね。」

優しい声。それはまるで、幼い我が子にお手伝いを頼むような声色だった。うっせえわ。

「それで、これからどうする?」

「ん、どうする、とは?」

「いや、俺の仕事だよ。今ある仕事は、メールの更新以外には掃除くらいしかない。これで良いのか?俺。」

自分を指差しながら問う。結局こうなってしまった。メインのダイヤ彫りは手伝えないから、どうしてもやることが限られてくる。掃除以外の意義を見出すのが難しくなる。本当に、採用の必要あったのかぁ?と今更思う羽目になってしまう。それは嫌だ。

「無くはないよ、イッセーの仕事。」

「あんのかよ。」

言えよじゃあ。この俺を待たせるんじゃない。

「つくづく、優秀な人間には仕事が集まってしまうものだねぇ。お願い事がここまで行ってしまうとは。」

カズは立ち上がり、デカ棚右端の引き出しをガコガコ開けていく。

「おいでおいで。」

ちょいちょい、と手招きしてくる。何だよもう。ずっかずっかと大股でデカ棚に近付き、そこで邪な考えが浮かんだ。よぅし。

さわっ

互いの腕が接するくらい、無駄に傍に寄る。セクハラ?知らんな。俺はこいつのドギマギ顔をまた拝んでやりたいのさ。さぁ、どうだぁ!

「イッセー、君にはダイヤの仕入と備品管理までやってもらいたい。ここにはダイヤの予備と、普段使いする備品が入ってる。」

スルー。つらい、心が。カズは何事も無いように真顔で説明を続ける。うん、それで良い。無視して。俺もそうするから。ごめんなさい。ばれないように、そっと半歩離れる。

「この棚の、右から二列くらいしか使ってないんだ。だからここから先は、結構前から手をつけてない。」

「ゑ、こんなにデカいのに?」

気持ちを切り替えて、デカ棚を見据える。近くでじっくり見直すと、本当にデカい。天井まで届くような高さと、俺の胴体以上ありそうな木の厚み、それに重厚なニスの艶めきが加わって、いっそう圧力を感じる。そして、掌ほどの大きさの引き出しが無数についている。その右二列しか使ってないというのだ、実に勿体無い。とりあえず、右二列の管理をすればいいわけか。それとダイヤの仕入も、か。片付けは一旦置いといて、

「仕入や管理って、具体的に何をどうするんだ?」

「そんなに難しくはないよ。減ってきたものをリストにして、月に二、三回くらいアキラさんに注文するだけさ。」

「ふーん。」

確かに難しくはないな。アキラさん、に注文するだけで良いのなら。アキラさん、ね。

「ちょっとそこの引き出し、見せてくれ。」

「もちろん、どんなものがあるかご覧あれ。」

カズが身を引いて引き出しの前にスペースを作る。俺はその隙間に身体をゆっくりと挿入する。二列目までの引き出しにはシールが貼ってあり、その上には、

『1』

『1.5』

などと書いてある。試しに『1』を開けてみよう。木の質感と内容物の摩擦を感じながら、慎重に引き出す。

「おぉ、なるほど。」

予想通り、ダイヤがごろごろ入っていた。引き出しの中は木枠で仕切られ、それぞれの中に雑多にダイヤが入っている。全部で四十個はあるかというところ。『1』は一センチの意味らしい。目測大きさがそのくらいだ。じゃあ『1.5』は、一センチ五ミリか。

ガコ

『1.5』も引き出す。ビンゴ。一回り大きいダイヤがゴロゴロ入ってる。あと、『1.5』の方が数が少ない。その他、

『2』

『2.5』

『3』

と続くが、段々大きくなり、数が少なくなっている。

「カズ、大きいダイヤは数が減っているが、補充のタイミングはいつなんだ?」

「それぞれ、大体今ある量の半分くらいになったら、かな。多いに越したことはないけれど、なくなるのが一番困るからね。それに注文からここに届くまでそこそこのタイムラグもある。できるだけストックには余裕をもっておきたいな。」

「ここから半分くらいね、了解。」

他にはどんは備品があるんだろうか。引き出しをガンガン引っ張り出す。ダイヤの他にも、

『針先0.1』

『針先0.07』

『針先0.05』

『針』

などがある。針はあの機械のアームに付けるやつだ。消耗品らしく、大量にある。それぞれ百個はあるかというところ。

『針』

これは手で持つ棒の部分。長さはどれも一緒で、数本予備として持ってる感じがある。他にも、

『その他』

と書いてある引き出しがいくつかある。中身はクリーニングクロスみたいな布やハケ、エアダスター等何でも入ってた。怪しいもの、変なものもいーっぱい。小瓶に入っている半透明の液体があったが、怖くて触らなかった。また、依頼書が何枚も折り畳んで入ってるのもあり、萎えた。これも入れなきゃだった。あと、何語か分からない文字で書いてある手紙?何かの書類?の束もある。これもしかして、魔法言葉?

「なぁ、これ、何て書いてあるんだ?」

紙束を手渡す。カズはじっと動かなくなり、目で文字を一つ一つ追う。焦れったいな。

「なぁってば。」

「ごめんごめん…どうも、懐かしくて。これ、ばば様が昔、私にこの仕事を教える時に書いてくれた、練習帳だよ。この文章を書きながら、これはこういう意味だって、教えてくれたねぇ。どこにやったか忘れてしまったけど、そうか、ここにあったんだ。」

カズの瞼が閉じかけ、ぼんやりとした目になる。やっぱりおばあちゃん子みたいだな。てかそんな感動するレベルのもん失くすなよ。

「ちゃんととっとけよ。」

「うん、ありがとう。元に戻しておいて。」

差し戻してくる。おいおい。

「だから失くしちゃうって。」

「失敬な。もう場所は覚えたから。そこの引き出しだろう?心配無い。」

「いや、それはそうなんだが、」

「大丈夫だって。」

本当かなぁ。受け取って元の場所に収める。バイバイ練習帳。もうお前が日の目を見ることは無いだろう。そっと引き出しを閉めた。

「さて、それらの注文なんだけど、依頼メールとは別のアカウントでアキラさんに連絡してるんだ。」

アカウント分かれてるの?めんどくさ。

「面倒臭いとか思わないでおくれよ。仕方無いんだ。」

はいスミマセンスミマセン。カズはパソコンを操作する。

「とにもかくにも、棚を覗いて半分くらい減ってそうなものを特定のフォーマットに記入してメール送付するだけ。イッセーには簡単だろう?」

「そりゃあな。俺でなくともだぜ。」

要するに足りない物をメールするだけだろ?欠伸が出ちまうぜ。パソコン画面を覗き見る。またアキラさんメールでいっぱいのフォルダ。ただ今回は表題が違う。

『Re:仕入の件』

『Re:備品補充の件』

この二つしかない。本文を見させてもらうと、全部日本語。良かった。胸を撫で下ろす。添付ファイルも開いてもらう。文書ソフトからPDF化したものらしい。

『ダイヤモンド発注依頼』

『備品発注依頼』

とあり、下にダイヤや備品のリストがあるから、そこに数、数量を記入するだけで良いみたい。備品リストには針先、針、特殊ツールスコープ?、スコープレンズA、スコープレンズB、その他にクリーニングクロスやハケ、樹脂などと続いている。

「特殊ツールスコープって、あれか?」

ずっとずっと気にしていたが名前が分からなくて顕微鏡って言い続けてた、ダイヤ彫りに使う、あれ。

「うん、そうだよ。」

「ツールスコープって言うんだ、知らなかった。」

「うん、まぁでも結局はあれ、特注だから。名前なんて無いようなものだよ。私が仕事を継ぐにあたって、ばば様が私専用にと買い与えてくれたんだ。多分、高いよ。」

でしょうな。見たこともない機構だもの。数十万円はしそうなものだ。

ん?価格の話をして、気付いた。

「この発注書、価格が載ってないぞ。」

備品名と数量記入欄はあるが、価格が無い。発注書として致命少しづつ

「あぁ、無いよ。」

…ツッコミに疲れた。ここはスルーさせてくれ。

「仕入や備品にかかる支払は、依頼の入金と相殺される。だから単価といったその辺も、アキラさんが握ってるかな。これはばば様時代からそうだよ。彼に放任していた。」

だからといって、なぁ。

「カズが蔑ろにして良いわけじゃないだろ。お前はおばあさんに比べて未熟なんだろ?だったらそういう細かいところも、自分で疑いをもって調べてみないと、いけない、かもしれんぞ。分からんけど。」

かなーり説教じみてしまった。だから最後の語気は濁してやった。でも、誰でもこう思うよ。カズは職人であっても、社長としては頼りないところがある、正直。偉そうにするつもりはないが、この面では俺が少しでも支えになってやりたいと思う。さて、本人の反応は?

「…そうかもね、分かってはいたんだ。私に経営者としての自覚がちょっと抜けてるのが。」

カズがしょげちゃった。ちょっとではないがな、という言葉はさすがにノンデリ過ぎるので呑み込む。

「片付けにしろ何にしろ、やった方が良いのは重々承知していたんだ。でも、ついつい後回しにしてしまっていた。」

「だろうな。」

まだしょげてる。珍しく立ち直りが遅い。罪悪感抱くなぁ、この野郎。

「いやまぁ、気にすんなってば、これからだろ。アキラさんに頼りながら、少しずつ学んでいけばいいだろ。」

「そうだねぇ、そうしようかねぇ。」

語尾がおばあちゃん過ぎる。

「それに、俺もいるしな。」

あら、歯の浮くような台詞だった。言ってて気付いた。でもお前を気遣ってのものだよ?カズの目線が上がって俺と合う。

そのまま、沈黙。

何を思ってるんだろう、こいつは。

おい、早く反応してくれ、俺の顔が赤くなる前に、なぁ!

ふふっ

笑い漏れが聞こえる。カズの顔が柔らかくなっていく。

「ふぅ、いやはや全くその通り。私は、一人じゃなかったね。」

「そうだぁ。」

恥ずかしさで語尾の力が抜けちゃった。カズの目線が俺と重なる。猫みたいな顔だな本当に。

「イッセーだったら、どうする?これらを、どう管理する?」

デカ棚を見やって問いかけてくる。期待してるな、こいつ。自分の至らない点を認め、その上で頼ろうとしてきてやがる。良い態度だ。社会人とはこうあるべきかもしれん。とにかく、俺だったらどうするかが求められている。期待にも応えねば。

「ちょっと時間くれ。一瞬で考える。」

「うん。」

刹那、脳内データベース展開。どうするか、メインは決まってる。ダイヤの仕入、備品の仕入。まずこれらルーティンワークをこなすこと。その上で、現状をどう改善するか。片付け、だろうな。これだけの引き出しが無下になっているのは宝の持ち腐れ案件だ。使える引き出しの確保。そうすればダイヤももっと補充できるだろうし、『その他』のやつらも綺麗に分類できるはずだ。ここまで無難な流れ、ひとまずこれで良いだろう。

十秒くらい待たせてしまった。取り急ぎ上記の流れを説明すると、

「本当にイッセーは素晴らしいね、私の想像を越えた働きをしてくれる。」

「まだ何もしてないが。それに、大したことを考えたわけでもない。至って普通のことだ。」

いやいや、と首を横に振るカズ。

「普通のことだとしても、すぐに思い付いて口で説明まで出来るのはよっぽどのことだよ。頭の出来が良くないとそうはいかない。」

そ、そう?そういうもんか。当たり前のことだと思ってた。褒められることなのか。

「常人はできないのか。」

「そう、変わり者にしかできないよ。」

ん?違和を感じる。嘘、この流れでコケにする?

「イッセー、君は変わり者だ。変なことにしか興味を示さないし、その上やたら行動力もあって、言動が読めない。」

嘘、マジでこの流れで俺をコケにする?

「しかし、だ。」

カズが俺に詰め寄る。制服の袖と袖がくっつくくらいに。今更距離感は疑問に思わない。

「そんな人間だからこそ、自分も周りも巻き込んで変化を促す。誰にでもできることじゃない。」

きゅっ

!?

びびび、びっっっつくらこいた、こいたぁ。こいつ、何やってんだぁ?!平静を装えないくらい動揺する。カズが、俺の右手を掴み、両の手で包み込んでる。これは、握手なのか?だとしたら、何だ、この一方的な包容力はぁ?!手の甲、掌、指先、手首まで、手全体で感じる温もりと居心地の良さに、脳が溶け出す。待て待てちょっと待て。まだ早い。こんなもんで主導権を握られてはならん。俺はそんな漢じゃない。咄嗟に青い海と白い砂浜を思い浮かべる。寄せる波、濡れ跡が残る砂、青と白のコントラストが、俺の心を平穏にしてくれる。

「聞いてるかい?」

「お?!お、おう、聞いてる、聞いてるとも。」

聞いてなかった。現実に引き戻される。俺の右手は包まれたままだ。

「私のことを思って行動してくれるイッセーを頼もしく思うし、格好良く思う。」

しっかり聞いちゃった。ゑ、ちょい、ちょいちょいちょい、これってもはや、そう、では?そう、だよねぇ?!勘違い、とかでもないよねぇ?!これで俺の勘違いとかだったら、訴えるからなあ!!あん?!

「とにかく、これからも私を助けてほしい。」

カズの力がちょっと強くなった。お、おあお、おおう。

「イッセー、君に出会えて心から良かったと思うよ。」

笑顔。お手本のようだ。冷やかしでもなんでもなく、透き通るような心の現れ。あぁ、こんな真っ直ぐな感情は、久々に浴びた。凄い。嬉しい。嬉しい、けど、

「ちょっと大袈裟、だろ。」

照れが止まらんわ。突然の抱擁と告白を受け止めきれず、記憶が飛びそうになる。ひとまず、苦笑いでそう返事する。

「大袈裟じゃない、大袈裟じゃないよ。本当に感謝の気持ちでいっぱいだ。」

素直な言葉。気のせいか口調も素直になってるような。あと手離してくれよ、手汗かいてきちゃってるし。想いも虚しく、カズの両の手は緩まない。

そうね、感謝、感謝ね。

「俺も、」

俺もそうだ、救われた。あの日あの時あの場所で、屋上での出会いがなかったら、こうはなっていなかった。誰かに感情をぶつけたりすることも、汗を垂れ流しながら段ボールに箱詰めすることも、パソコンスキルをもっと磨こうと思うこともなかった…エッティことに振り回されることもなかったが。

とにかく、楽しいよ。ここ最近は特に。

「お前に会えて本当に良かったと、思える。」

右手に力を込め、カズの顔を真っ直ぐ見つめて言葉を送る。もう顔は真っ赤だが、この発言に後悔は無い。真実だから。カズが顔を逸らした。ちんまりとした耳がこっちを向く。その耳は、煌々と赤く染まっていやがる。また俺の勝ちだな。どうだ見たか、俺のポーカーフェイス。こちとら生まれた時から無愛想よ。年季が違うわぁ。

暫しの沈黙。気まずくも熱い空気が漂う。言葉は発さない、発せない。次の言葉が見当たらない。相手の顔も見れやしない。前の握手もそうだけど、俺ら変人のくせにウブだな。異性経験が皆無だからテンパり過ぎる。いかんいかん、良い加減にクールダウンしないと、仕事にならない。だが右手が包まれたままだ。これでは冷静になんていられない。お前の気持ちは伝わったから、もう、いいだろ。

ゆっくり、ゆっくりと指を開きつつ、手首を捻って腕を引く。その様子が伝わったのか、カズの両手が抱擁を緩める。その隙に、そっと手を引き抜く。カズの指が、俺の手を撫でて離れていく。名残惜しい感じ。切なくなる。空気と身体の熱が少しづつ冷めていく。勿体無い気がしないでもなかったが、これで良い、良いのだ。カズは、どんなだ?どんな顔をしている?そろりそろりと顔をカズの方に向けてみる。俯いていて顔はよく見えない。だが黒神の隙間から見える耳と頬は、まだ熱を帯びてそうだ。全くだが、俺もこいつも人間だな。一丁前に羞恥心は持ち合わせてるらしい。他人を客観視することで、頭も冷えてきた。

「まぁとにかく、これからは仕入と備品管理も頑張る。よろしくお願いします。」

沈黙を破るのはやはり俺。空気感を損なわないよう丁寧な言葉を使い、深々と頭を下げる。カズもそろそろ動けるか?どうだ?

「あぁ、よろしく。分からないことがあったら、何でも聞いておくれ。」

お、良かった。戻ってるな。顔を上げる。赤味が薄くなり、いつも通りの顔をしている。


やがて、俺がパソコンを持って、自席につく。とりあえずやってみることにした。一区切りついたらチェックしてもらうつもりで。カズもデカ棚の引き出しから何やら取り出してから、自席につく。それぞれの作業音が響く。カズが使うツールスコープ?は操作が細かいのでほとんど音がしない。俺のタイピング音、クリック音だけだ。さっきの熱は忘れたかのように、作業に没頭する。

没頭できたら良かったがな。タイピングしつつ、頭の半分はさっきのこと、カズのことを考えている。俺は救われた。それは間違い無い。だったらもう、関係性は現状維持でいいのではないか。これ以上何も求めず求められずでいた方が幸せ、なんじゃないか。カズをチラ見する。おでこを丸出しにしてスコープを覗き込んでいる。針先は相変わらず、動いてるかどうか怪しいくらいの微細さ。俺だったら癇癪を起こして引っ掻き回すかもしれん。丁寧な仕事だ。こういう、仕事に関しては真っ直ぐで節操が無いところは、好感が持てる。

いかんいかん。視線を外す。カズを見てると、ついこういうことを考えてしまう。男子高校生だったら普通なのか?世間の男子はみんなこんな感じ?だったら世の中、猿山じゃねぇか。まぁ、色々あるけど、とにもかくにも、

「この時間と空間は、できるだけ長く続いてほしいとは思ってるよ。」

絶対にカズには聞こえない声で呟いた。引き続き、タイピング音とクリック音だけがこだまする。

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