六.君を何と呼ぶ

待ち焦がれた、放課後。スマホを見る。辻村からメッセージが来ている。

『もう待っているよ。』

さっと返信する。

『分かった、今行く。』

席から立ちあがり、バッグを掴んで教室を出る。放課後の過ごし方を聞いてくる友達もいない。校門まで行くと、昨日と全く同じポーズの辻村がいた。恥を知れ、もっと。

「待たせたな。」

辻村が顔を上げる。本当に似てるな、あの女性と。

「いや大丈夫。行こうか。」

二人揃ってゆっくりと歩き出す。沈黙。何となく話しづらい雰囲気が漂っている。昼やり過ぎたか?いやでもあれくらい、人間関係上よくあるだろう。いや、でも、なんだかなぁ。バイトするって言ったんだから、そっちから話振ってくれよ。あ、そっか、俺が聞きたいことがあるスタンスなのか。

はぁ

息をついてから、

「…まあ、何だ、昼は悪かった。」

ばつが悪そうに、まずは謝罪から入る。辻村はこっちを見上げ、不思議そうな顔をしながら、

「ん、何だろうか。」

何だヨ。気にしてないのかよ。俺が馬鹿みたいじゃん。やっぱり、こいつと話してると調子狂うな。俺のペースに持っていけない。

「あれだ、昼にお前の席で強く言ったの。」

「あぁ何だそんなことか。全く大丈夫、何も気にしてない。」

「それなら良いんだが。」

気にしてないと言いながら、何とはなしに雰囲気が和らいだ。この隙を見て続けて話しかける。

「魔法って本当だったんだな。」

「橘君にしては意外だね、一度の経験で信じてしまうなんて。」

「まぁまだ怪しいと言えば怪しいし、完全ではないが、少しは信じる。それくらい異常な夢だった。それに、前辻村が言った通り、魔法如何に関わらず、とりあえずバイトできればそれで良いかな、という気になってきたから。」

「そう、それは良いことだね、実に。」

なんだそら。もうちょっとくらい嬉しそうにしろよコラ。俺が信じてやるって言ってんだぞ。

「なんか反応薄くないか。」

「何だい、もっと嬉しがらないといけなかったのかい。」

注文が多いね、と呟きながら、

「えー、信じてくれるなんて嬉しーい。ホントにありがとーん。」

こめかみが疼く。さっきの謝罪を返してほしい。なんなら謝罪し返してほしい。こいつ根っからの煽り厨だわ。こいつも俺以外に友達と呼べる間柄のやついないだろ、こんなうざかったら。

「今度は黙るのかい、全く。」

やれやれ、といった感じで肩を揺らす。はったおすぞ。

「分かった分かった、ありがとう。」

「どういたしまして。」

最初会った時こそ不干渉、とか言ってたくせに、親しくなったらこれかよ。いちいち感情的になってたら、いくら面白いとはいえ何かしら保たない。適当に受けることも必要だと分かってきた。辻村でコミュ力を鍛えられるとは思わなかった。

「橘君。」

「んん、何だ。」

びっくりした。そういや辻村から話しかけられたことはあんまり無かった気がする。

「一応なんだけど、橘君が見た夢、その内容を詳しく教えてもらっても良いかな。」

そうか、そうだな。俺も聞きたいことが山程あらぁな。それから俺は、周囲に聞かれないようにボソボソ声で、掻い摘んで夢の内容を話した…出来るだけ客観的に、だ。俺がどう感じたかは濁して話した。おぉん♡すっごおぉい♡とか思ってたなんて言えるわけねぇだろ。結構長くなった。話し終える頃には辻村宅が見えていた。その間辻村は相槌を打ちつつも黙って聞いていた。

「…という感じで、明け方になったところで眠るように意識が落ちた。それで現実に戻って目を覚ました、というわけだ。」

ようやく終わった。ムラつく脳内の煩悩を消し去りつつ、自分の感情も悟られないようにしつつ話すのは神経を使った。女性の顔が辻村に似ていることは、話さなかった。何となく引っかかる所があって、一旦隠しておくことにした。どうだ、これで満足か、お?うん?

辻村の反応が無い。さっきから黙っていたが、口を開く気にもならんのか。それとも思ったより生々しい話に引いてたり?

「んっ、ふぅ。」

声が辻村から漏れた。小刻みに震えている。あん?

「くひっ、ひひひひ、あはっはっはあはあ!あはっ、あははははははあぁ!」

急に、笑われた。というより、嗤われた。かえってしんと黙った俺をよそに、嘲笑が田舎風景に響き渡る。

「いやぁ、ははぁ、つくづく君という人間は素晴らしいね、近くにいると退屈しないよ、本当に。」

息を整えながら俺に言い放つ。その目はうっすら光っている。涙が滲んでいるんだろう。そんなに笑うことかよ。なぁ。それに俺は関係無いぞ、ダイヤのせいだろうが。

「何がおかしいんだって、お前が見せた夢だろ。」

そう言って、まだ腹を抑えて笑いを堪える辻村に、使用済みダイヤが入った小袋を突き返す。

「それはそう、なんだけど、それだけじゃないから、ねぇ。」

だったら、

「だからどういうことなのか説明してくれって。そのダイヤには一文しか彫ってなかったんだろ?それには何て書いてあったのか。それで、それに書いてない部分の内容は、どうやって夢に見るのか。」

本題だ。ダイヤが見せる夢はどうやって決まるのか、そこを明らかにしたい。

「教える教える、勿論教えるとも。でもその前に、」

んだよ、まだ何かあんのかよ。

「中に入らないかい。それで、直接見せながら教えるよ。」

まぁ、それで良い…ん?直接見せるって何?

「あれを触ってみたいだろう、直接。良い機会だから、ね。」

あ、察しが、つく。あの顕微鏡もどきの機械のことだとすぐに分かった。正直触ってみたいと思ってた。好奇心が出てきて苛立ちが和らぐ。心にしばらくぶりの平穏が訪れた俺は、大人しく辻村の後に続いて小屋に入った。

相変わらずの空間。埃っぽくカビ臭く書類まみれ。一旦それらは無視して、真っ直ぐあの機械ににじり寄る。なぜか、近づいて行くほどに埃っぽさやカビ臭さが薄まっているようで、機械の周りは思ったよりも片付いていた。見れば見るほど不思議だ。遠目だと顕微鏡だが、ヘンテコなアームが両脇に付いている。台座は思ったよりも幅広で、重厚感がある。中心にはダイヤをはめる穴があって、怖い。スコープ部分もしっかりした作りだ。太く厚みがあり、目を乗せるのに信頼感バッチリだ。

「さて、使ってみようか、座ると良い。」

ハッとした。また見入ってたか。あせあせ。共に近くの椅子に腰掛ける。

「実際にこれにどんな文字が書いてあるのか、見てみよう。」

小袋を返され、取り出して、と囁かれる。ぞわぞわしながら小袋の口を開け、ゆっくりと指を挿し入れる。爪先に硬い感触。爪と皮膚の間でそれをしっかり挟み込み、そのまま引き抜く。黄色の欠片。直に対面すると、やっぱりちょっと緊張する。指がガタガタ震えてしまう。

「台座に乗せて。傷つけないように、ね。」

わ、分かった。そのまま腕ごとスライドさせ、台座の上に指を運ぶ。そこで、UFOキャッチャーのように指を開く。

カン

ダイヤが台座の穴に落ちる。ビクッとしてしまう。大丈夫だよな?辻村を見る。微笑んでる。大丈夫そう、良かったぁ。

「ちょっと向きがズレてるから直そう。平で広い面が上になるように、ちょちょいっと直して。」

向き、向き?慌てて台座の穴に目をやる。よく見ると確かに、穴にはまったダイヤは斜めに傾いていて、平らな面がちょっと沈んでしまっている。てかこのダイヤってこんな形してたんだな。ちゃんと、あの、絵とかでよく見る、ダイヤ!って感じの形に削り込まれてる。恐る恐る指を差し出し、その先で、つん、つん、とダイヤをつっつく。数回つっついてみたところで、ようやく向きが直ってすっぽり穴にはまった。気持ち良い。平らな面がスコープと相対する。

「うん、それで、横のつまみを時計回りに回して。」

つまみ、これか。右に出っ張った、歯車みたいな突起を掴み、慎重に時計回りに絞っていく。するとそれに連動して、穴の周りの、蓋?が同心円状に閉まっていき、やがてダイヤに接する。

「ちょっときついかもな、くらいのところで止めて。」

はい。より慎重に回していき、ほんのちょっと、抵抗を感じたところでパッと離した。ど、どう?辻村は、うん、うんと頷く。よっしゃ。

「次はスコープを覗いてピントを合わせよう。まあそんなに弄らなくても大体合ってるんだけど、一応ね。」

そう言って卓上ライトを引き寄せる。手元が澄んだ明かりで包まれる。スコープちょい下についてるつまみを指差して、

「覗きながら、今度はこっちのつまみを調節してごらん。」

急に先生っぽい口調になったがそれは置いておく。覗くか、覗くんだったな。唾を飲み込む。椅子に座り直す。姿勢を正して両手を機械に沿える、その前に両目を擦る。よし、準備バッチシ。顔をスコープまで持っていく。今から視界が変わるぞ。新たな世界は、どんな視え方をするだろうか。楽しみだ。眉骨をスコープに載せた。

何も見えない。暗いのか?いや、何かが視界に入ってはいる。でも何かは分からない。そもそも視界がぼやけていて、何の像も結んでいない。一回離れる。目がおかしくなった?目をしぱしぱさせる。

「つまみ、つまみを調節して。」

ああ、つまみね、分かってるよ。でも、

「思ったより何も見えなくて、びっくりした。」

「調節前だからね。そういうこともあるよ。」

今度はちゃんとやるよ。もう一度目をつける。相変わらず何も見えないが、手探りでつまみをつかみ、ぐっと力を入れる。あんれ、もっと視界がボケて暗くなった。逆かこれ。急遽逆に回す。すると、段々と明るくなり、ボケていた像も重なってきた。やがて、鈍らに光を反射させる黄色が明らかになった。

「おぉ…」

さすがに感動が漏れる。さっきまで指先でつまむしかなかった小さき物が、今は視界のほとんどを埋め尽くしている。視える。今まで気付かなかったものが。まず、あのダイヤは思ったより綺麗に、円に近い多角形になっていた。そして、思ったより光り方が綺麗だ。一面黄色というわけではなく、光の入り方か、透明に見えるところ、黄土色やもっと濃い色に見えるところなど、たくさんの色でモザイク構造を成している。そしてそして、それらを劈くように、小さな文字たちが、白い線で綴られている。ダイヤの縁に沿って並んでいて、途中で切れている。Cの文字みたい。何て書いてあるかは全く分からない。どこが単語の区切りかも分からない。ハングルともギリシャ文字とも似つかない、何かの記号と言われた方が納得できる、不思議な、文字。分からない、分からないけど、何だろう、心が落ち着く。あまりの意味の分からなさに神秘性でも感じているのか、とにかくその他の思考を捨て去って、ただずっとこれを見つめていたい、そんな気にさせる。本当に、本当に小さい文字なんだな。ただでさえ小さいダイヤに、さらに小さな文字で文章を作っていく。自分がやるところを想像するだけで気が遠くなる。しかもノーミスで、か。彫り間違えたら全部やり直しになる。辛いな、そうなったら。そこまで集中力を注いで、多数の山場を乗り越えて完成したダイヤは、なるほど芸術品と呼べるかもしれない。数十万円も頷ける。場合によっては魔法の力が宿るのかも。いやそれはないか、なかなか。

「おーい。」

?!びっっっつくりした、あぁ!仰け反るくらいびくっとする。その反動で機械をずらしてしまった。あ、しまった。ピントずれてないかな。

「随分と熱中してたみたいだね。どうだい、感想は。」

別世界からの呼びかけで引き戻された、戻されてしまった。せっかく子供みたいに楽しんでたところだったのに。ちょっと恨めしい。

「面白いなぁ、と思った。」

「それだけ?」

んなわけあるか。

「思ったより綺麗に多角形に削り込まれてた。それに、ところどころで光り方が違って色が変わって見えた。これが不純物の影響なのか、と思った。それと、小さな文字がきちんと円になって彫られてた。」

にこー

辻村の顔が満足げになる。ニッコリマークみたい。そんなに苛つかない。

「頭だけじゃなく目も良いんだねぇ。それで、文の意味は分かった?というより、想像ついた?」

「つくわけねぇだろ。」

自分でも驚くほど早い否定。さすが。ごめん、ごめん、と辻村。

「良い加減教えるよ。そこに書いてあるのはねぇ、」

やれやれ、やっとか。そう思いつつ心臓がちょっと跳ねる。次の言葉に耳を傾ける。

「夜に望む相手とエッチする、ということだけだよ。」


…あ?何言ってるか分からない、が、待て待てそれより、辻村がエッチ、って言ったか、言ったか今?!その衝撃でドキドキして聞き取れなかった。エッチの破壊力すごいな、セックスって言われるより、なんかこう、より秘め事感があって、なんか、やらしいね!

「な、なんて?」

思わずリピートを求めてしまう。決してセクハラではないが。

「ん、だから、夜に望む相手とエッチする、としか書いてないんだよ、そこには。」

おっほぉ。もっかい聞けた。ありがたや。いやいや。ぶんぶんと頭を振る。ヤダ。俺がこんなに、しかも辻村でピンク脳になるなんて認めたくない。しっかりしろ。

「そう、か。」

応答を絞り出しつつ、考える。想像以上に何も書かれてなかった。まあ、実際見た、あのCの字になる文量だけじゃ妥当、か。すると当然不可解なのは、そう、あまりにも夢の内容に対して不足過ぎる。ただその一文だけから、なぜあそこまでの情景が引き出されたのか?それか魔法文字が特殊過ぎて、少量で大量の意味を有していたり?

「あまりにも文が足りなくて不可解、って顔をしてるねぇ。」

エスパーかよ。たびたびこうだなこいつ。だったらこれも読み取ってみろよ。文で指定していないところは夢でどうなるのかをさっさと教えてくださいー。

「ダイヤに書いてないところは、夢を見る人の理想が適当に反映される。」

怖いって。

「り、理想ぅ?」

ゑ、てか理想?夢を見る人の?つまり、俺の?血液の温度が上がっていく。まずい。

「そう、理想。ダイヤに書いてないところは、勝手に想像で補われるの。できる限り夢を見る人の望む形で、ね。だから、」

辻村の顔がにっこり歪む、今度は意地悪に。もう、言わなくて良い。分かった。分かった、から。

「だから、西洋風の豪華な部屋で、その黒下着お姉さんに、なすがままに襲われる、というのは、まさに橘君が望む一夜の遂げ方なんだよねぇ。」

くくくっ、と笑みが漏れ出てる。もう良いよ。

「それっ、だからねぇ、橘君から聞かされたら、悪いけど、笑ってしまうよ。だって、もはや性癖大公開、なんだもの!」

ケタケタケタ

否定する気も起きない。だって間違ってないもの。友達から性癖を堂々と聞かされたら、そりゃ馬鹿にするわな。俺だって逆の立場だったらそうする。一生ネタにする。でも、ちょっと安心してるんだ。なぜって?そりゃ防衛本能が機能したことに、だよ。ほら、俺は、そのお姉さんが、辻村そっくりの顔だったことまでは言ってない。

言わなくて良かったよなぁ!あっぶね、あっぶねぇぇぇまじでがちで!このボケが、はよ言えよそんな仕様のことなんてぇ!俺が察し悪かったら、あなたに犯されたいですって最悪の告白するとこだったじゃねぇかぁっ!!そうだよな?!そうだよねぇ!あーあ、ほんっっっとに良かったぁ、俺が頭良くてぇ!

顔を伏せて内心騒ぎ立てる。絶望、憤怒、安堵が渦を巻いている。落ち着け、最悪の事態は回避できた。俺が黒下着お姉さんに責められるのが好きだってことはバレたが、それで辻村を想像したことまではバレてない。本当に良かった。だったらここは、性癖が全部バレちゃったよ感を出しつつ、この話を早々と切り上げ、そういや相手はどんな人だったの、と話を盛り返すことがないように誘導しよう。大丈夫?いける?いやいけるさ、俺なら、な。覚悟を決め、顔を上げる。辻村の顔にはにやにやとした笑みは消えずに残ってる。いくぞ。

「…俺の性癖を知り尽くして嬉しいか。」

首がこくんと傾き、ちょっと真顔になる。

「いや、そんなに嬉しくはないが。面白かったけどね。あえて知りたいものでもないだろう?」

俺に同意求めんなよ。いかんいかん、こいつの煽りを真に受けては。

「まぁ、知られたものは、もう良い。いや良くはないが、どうしようもない。」

「都合良く記憶喪失にもなってあげられないしね。むしろもう一度語ってほしいくらいだ。特にあの辺りとか、」

ええと、と考え込む姿勢を見せた。させるか。俺の頭の回転速度を舐めるんじゃねぇ!

「それより、ダイヤに書いてない分は想像で補うってことだったな。ということは、彫る文章なんて案外少なくて済むんじゃないのか。」

「ん、どういう意味だい?」

よっしゃあ、話逸らした。俺の勝ち。ただ、無理に難癖付けたわけじゃない。本心からの疑問だ。

「つまりさ、ダイヤに書いてないところも本人の希望通りに夢で実現されるんだろ。だったら、ダイヤに書くのは必要最低限の条件だけで、残りはもう依頼人各々の想像に任せればいいじゃないか。後は勝手に夢にしてもらえば。」

ふむ、と顎に手をやる。そして割と真剣な眼差しを向けてくる。

「やっぱり、そこに気付くんだ。」

そうだよねぇ。俺ってやっぱすげぇな。こんな質問をさっと思いついちゃうんだもの。

「私も最初そう思ってたんだ。ばば様からこの仕事のことを教えてもらった時にね。十歳くらいの時かな。」

がくっ

首が折れる。もう、やめてぇなぁ。俺の期待外れになるの。言わなくて良いじゃん、十歳の時なんて。ねぇ、辻村さんはいつでも真剣なのかもしれないけど、俺の知能が小学生止まりっていう煽りですよね?やっぱり。

「書いてないところも結局本人の希望が反映されるなら、ほとんどダイヤに書く必要は無いんじゃないかって、ばば様に聞いたんだ。だけど、違った。」

ゑ、違った?

「書く必要はあるんだよ。本人の希望が勝手に反映されるとは言っても、それが、『依頼の希望』と一致してるかは、別の話なんだ。」

んん?あ、ああ?そういうことか。何となく分かる。

「つまり、本人の希望はいくつもあって、その中で依頼と違う希望が夢に現れる可能性がある、ということか。」

「そうそう、そういうこと。例えば橘君も、黒下着お姉さんに襲われる夢を勝手に想像したけれど、橘君は白のドレスや年下、もしかしたら同性も好きかもしれない。そうしたら、白ドレスを着た年下の男性が相手として現れることもあり得た、というわけだ。」

聞いててゾッとする。その光景もそうだし、諸々犯罪臭がして背筋が凍る。そんな性癖は無いからやめてくれ。俺はお姉さん一筋だから。

「人は希望や理想というものを複数持っている。だから指定しないと、何が現れるか分からない不確定な夢を見ることになってしまう。それでは商売として成り立たない。だから、思ったよりしっかりと文章を彫って指定しないといけないんだよ、そういう理屈さ。」

なーるほーど、ねぇ。

「人間って面倒だな。」

「そうなんだよ、全く。でもそのおかげでこの商売も成り立ってる。皮肉だねぇ。」

人間のが望むものは一つに限定できない。でも限定したいという欲求は抑えられない。だからたった一夜の夢であっても魔法に縋る、のか。どうしようもねぇな。

「とにかく、魔法の全貌はこういうことなんだ。納得してもらえたかい?」

「まぁ、まぁ。」

「ならいい。」

どうせこれ以上考えても仕方無いしな。もう良いだろ。話題逸らしにも成功したしな。

「それで、バイトだけど、どうする?やるかい?」

そうだな、それにも答えを出そう。もはやここまで来て後に退けるはずもなく、とにかく突き進むのみよ。

「勿論、お願いします。」

頭を下げる。極道がおやっさんに礼をする感じで。

「こちらとしてもありがたい、よろしくね。」

手をひらひらさせる。可愛い。

「さて、そうしたら本格的に決めなきゃいけないことが、あるね。」

「労働条件な。」

そうそう、と辻村。曖昧なまま放置していたが、いい加減はっきりさせないといけない。

「そっちの希望はあるか?週にどのくらい来て欲しいか、何時間働いて欲しいか、土日はどうするか、とか。」

辻村はうーん、と唸って頭を掻く。本当に俺を雇うのって思いつきだったんだな。

「毎日来て欲しいってわけでもないから、君の都合で良いんだけど…そうだな、強いていうなら、週に三回くらい、平日の放課後にここに来て何か手伝いをしてくれれば十分かな。二、三時間とかそこらで。土日は来なくて大丈夫だよ。」

「そんなもんで良いのか。」

もっときついところまで想定していたから、肩透かしを喰らった。文字を彫ることはできないし、マジでお手伝いレベルで良いんだな。正直どこまで役に立てるか不安だが、それで時給は言い値だというから、割がいい。

「勿論学業優先で良いからね。急に来れなくなったとしても、当日放課後までに連絡さえしてくれればそれで良いから。私は毎日ここで作業するから、来る日は何曜日でも問題無いよ。」

おっと、さらに好条件がプラスされた。ドタキャンもありとか、こっちに有利過ぎるな。まあそれでも仕事は仕事だから、こっちもプライドを持ってやってやるよ。

「とりあえず、毎週平日放課後二時間以上が三日以上。行く日行かない日は当日までに連絡という感じか、分かった。それで文句無い。」

「おぉ、ありがとう。」

さて、シフトは大体想像ついた。他と言えば、だ。これも気になる。

「出勤方法は、昨日今日みたいにお前について行くことになるのか?」

「うん、そうだね。小屋の合鍵も無いし、私についてきてくれると助かるね。というか、現状それしか無いかな。」

ガチか。すると何だ、これからは週五のうち三以上、一緒に下校することになるのか。それは、ううん、今っさらではあるが、ちょい小っ恥ずかしいなぁ。

「嫌かい?」

「嫌では無い。」

バッサリ。仕方ないよなぁ?それしか無いなら、甘んじて受けるしか、ないよなぁ?!

「じゃあ出勤スタイルもそれで、ええと他には、」

「金だろ。」

「そうだそうだ、時給時給。結局、いくらが良い?」

「だからなぁ、俺が決めることじゃねぇって。」

「でも、橘君に不満を抱かせたまま働かせたくないんだ。それこそ使用者として失格だ。それに、」

チラリと俺を見てくる。何?

「橘君を信用してるから。きっと法外な時給を、吹っかけてきたりしないってね。」

バチッコン

ウィンクが星になって飛んでくる。何とか躱した。

はぁー。

堂々と溜息を吐いてしまう。こいつは、危ない。俺が思慮分別ある人間だったから良かったものの、貪欲な人間だったらどうしてたんだ?それどころか、いつか詐欺にでも遭いそうな無神経さだ。しょうがない、俺がせめてしっかりしてないと。

「千円。」

「ん?」

「まず一ヶ月はお試し期間として、時給千円で様子を見てくれ。それからの働き次第で百円か二百円、増額してくれれば良い。」

辻村、呆然。そこから、破顔。

「いやぁ、敵わないな。最初から希望の額を言わないのは、全く真面目なんだか馬鹿なんだか。」

あ?馬鹿って言った?俺の配慮のことを?それに千円って、別に安くねえから。

「分かった、それで行こう。」

「よろしく頼む。」

「これで時給も決まったね。じゃあ、他には、」

「業務内容。」

「え?」

「業務内容だ。具体的に決まってないとしても、差し当たってやれば良いこと、何か無いのか。」

「そうだね、そうだよね、今やって欲しいことか、何があるかな、」

うんうんと唸りながら辺りを見回している。いや、嘘だろ?あるだろ?当たり前過ぎて疑問にも思わないのか。

「例えば、掃除とか。」

「そ、掃除?」

主に書類まみれで本来の役目を果たしていない机たちを目で追う。

「この部屋だって、ちゃんと片付ければもっと広く使えるだろ。それに埃が溜まってたり、空気が澱んでたりする。仕事をする場として、もっとちゃんとした方が良いんじゃないか。」

ぱちん

辻村が指を鳴らしていいね!する。

「それ、採用で。」

カッコつけんな、ダセェよ。

「そうかぁ、掃除ね。確かにしなきゃいけなかったねぇ。」

「そうだろ。この書類たちも整理しないと、どこに何があるか分からないだろ。」

?と素っ頓狂辻村。いや何その顔。正しいだろ。

「ああ、言ってなかったね。この書類の山ね、全部いらないんだよ。」

ずっこん

椅子から崩れ落ちた。どうした、大丈夫かと声がかかる。大丈夫じゃねぇのはお前の頭だよ、と言いたくなる。これ、全部?部屋の床面積の七割方を埋め尽くしそうな、これらが、全部要らない?

「う、嘘だろ、だってだって、日本語で書かれてないし、それに、重要だから、今まで捨ててないんじゃなかったのかよ。俺はそう思ってたのに。」

「いやぁ、実はこれら、ばば様時代の依頼書なんだよ。」

ば、ばば様?

「つまり、全部昔の注文書って、こと?」

「そうそう。昔は郵便で依頼を受けてたらしいんだよ。だけど私が生まれるちょっと前くらいから、依頼は全部アキラさんを通したインターネット経由になったんだ。だからこれらはもう、数十年前くらいのものになるのかな。」

「で、でも、もしかしたら過去の依頼を見返す必要が、あることも、」

「無いんだよねぇ、それが。私は過去の依頼を見返したことは全く無いよ。それに、この依頼書なんてもう数十年前とかだから、今更私に言われても、というのが正直なところだ。だから結論、要らない。」

な、何でだ。不合理過ぎる。

「だったら何で、捨てずにこんなに積み上げてるんだ。」

「それがね、実は私はばば様譲りで、片付けが苦手らしくてねぇ。」

頬を赤らめて恥ずかしげに言う。遺伝なのかそれ。ばば様、恨むぞ。

「仕事場をこの小屋に移す時に纏めるなり捨てるなりすべきだったんだけど、私も幼かったし、何より面倒臭さがこの上なくて。だからとりあえず置いたままにして、それから数年経過して現在に至る、というわけだ。」

こっちが呆然としてしまう。あまりにもで。

「それに、このくらいのスペースがあれば仕事ができちゃうことに気づいたからね。決心がつかないまま放念してしまっていたんだ。」

辻村はハンドサインでこのくらい、と目の前の机一つ分を手で囲む。じゃあここ、ゴミ屋敷だったのかよ。書類で埋もれるくらい仕事忙しいのかと思ったのに。心配の意返せよ。

「…なら、俺の最初の仕事は、依頼書の整理で、良いか。」

「バッチリ。捨てるなり何なり、君に任せるよ。」

グーサインを突きつけてくる。何でこいつ自信たっぷりな姿勢崩さないの?俺に呆れられてんだよ?もうちょい申し訳無い雰囲気醸さないの?無敵なの?

はあああああ

長く息を吐いてから、立ち上がって書類、もとい依頼書の山を見据える。ひどいもんだ。机は機械があるこの長机と同じものが、他に五個、無造作に並べられているが、その全てが依頼書で覆われてしまっていて、置き場は何も無い。それに雪崩を起こして床に散乱している依頼書もとんでもなくある。これら全部か、頭が痛くなる。だが、捨ててしまえるのなら話はまだ早い。ただ資源ゴミとして運んでしまえば終わりだ。だけど、

「依頼書を見ても良いか。」

「どうぞ。」

近くから一枚手に取る。中国語だ。読めないが、雰囲気で分かるところもある。何となくだが、昔の想い人に会いたい的なことが書いてある。多分その想い人の特徴も。納品希望日も書いてある。二十年も前。どんな思いで依頼を出したんだろう。この人は会えたんだろうか。どんな形で再会したんだろうか。この紙一枚でその人の希望、生涯が現れてくる、感じがする。

「俺じゃあ、捨てられない。」

とても捨てる気が起きない。夢を見させる責務を果たした当事者なら良かったのかもしれないが、ただの部外者がおいそれと、その生涯を無下にして良いとは思えない。そんな権利も無い。

「そう、じゃあ、纏めてくれるのかい?」

「そうする。」

方針と決心を固めた。が、実際問題どうする、どこまでやる?納品日順に分類する?この量を?ダメだ無理だ、時間が掛かり過ぎる。せめて国ごと、とかか?ううむ。

一旦考え方を変えよう、何のために纏めるのか。それは、仕事場を広く使うため。だったら分類は必要?いやその優先度は低いな。だから一箇所に纏めて置けば良い、段ボールに詰めて。そのくらいならできそうだ。いける、いける。良し、と辻村に向き直る。ダイヤが入ったケースをいじいじしている。関心持てやこっちにもよぉ。

「おい辻村ぁ。」

「はい。」

ピコン、とこっちに身体を向けてくる。最初からそうしてろ。

「これら適当に段ボールに詰めて置いておこうと思う。それから空いた机を掃除する。ただ準備が要るから、明日やる。それで良いな。」

「良いよぉ。」

脚をぱたつかせて返事をしてくる。何だか上機嫌振ってる。

「機嫌が良いみたいだな。」

「そりゃあ、ねぇ、嬉しいもの。」

「嬉しいって?」

「ずっと一人でダイヤに文を彫るだけだったから、さ。だから、他人がここに来て真剣に仕事をしてくれようとしている。それだけで十分、嬉しく思うよ。」

にこっ、と優しい笑顔を向けてくる。そんな無垢な顔もできんだな。そうか、一人か。両親、いないんだもんな。それにばば様、おばあさんももういなさそうだし。それで仕事もこなして、か。なんでい、寂しかったんじゃん、へへっ。

「へぇ、良かったな。」

そう言う俺の耳が赤くなってないか心配。

「うん、良かった。これからもよろしく頼むよ、」

間を置いてから、

「イッセー。」

「へ?」

何か、言ったか?マジで分からんかった。

「何?」

聞き返す。辻村は伏し目がちだ。うむ?心なしか顔が赤くなっておらんか?

「だから、イッセー。斎聖だろう、下の名前。SNSでそう書いてある、だから。」

あぁ、そう言われればフルネームで表記してたかも。親類以外で下の名前で呼ばれたのはいつぶりだろう、小学生まで遡るんじゃないか。それにイッセー、か。ちょっと懐かしい。それこそ小学生の頃、いつせ、って何だか発音しにくいから、イッセー、って呼ばれたこともあった気がする。それを呼び起こされた。ただ、小学生だから良かったものの、今、それも異性にそう呼ばれるのは、ちとキツいよ。

「そう、呼ぶのか。」

「だって私たち雇用関係になったろう?だから呼び名もちょっとステップアップすべきかなって思ったんだ。それにその方が、仕事のコミュニケーションも上手く行きそうだし、ね、そうだろう?」

辻村にしては、若干早口。余裕が無いのはお前もか。無理すんなよ。

ただ、まぁ、お前がそうしたいなら俺は別に?嫌、ってわけではないし?拒否権も別に無いし?好きにしたら、いぃんじゃないかなぁ?!

「まぁ、好きに呼んでくれ。」

「分かった、イッセー。」

真顔で返事される。切り替え早っ。もうちょっと恥じらいとか楽しみたかったのに。

「下の名前、か。」

そう言えば、まだ知らなかったな。機会も無かったし。

「和沙。」

「え。」

「かずさ、だよ。」

か、かか、かずっさぁ?

「和平の和に、沙羅双樹の沙で、和沙。普通だろう?」

あ、和沙か。てか沙羅双樹て。名前の例でそんなん出すなよ。そこは普通じゃねぇって。

かずさ、カズサ、か。顔を上げる。だったら、

「カズって呼んでいいか。」

ぶふっ

失笑された。カズ、ってダメか?辻村っていちいち呼ぶの面倒なんだよ。男っぽいけど二文字で読みやすいし、直接下の名前呼ぶより心理的ハードルが低い。

「いぃっ、いいよ。本当に素晴らしい頭を持ってるねぇ、センスも人一倍だ。カズ、なんて初めてだよ。家族ですら和沙だったのに。」

「どうも、変人だからな。我慢してくれ。」

「あぁ、そうだったね。失敬。」

変人同士だ、関係性も変で良いだろう。

「じゃあ改めて、」

辻村も立ち上がって俺の傍に寄る。近ぇよ。まだ慣れてないんだから。くりくりの顔が俺の目下に留まる。

「カズが強く握らなかったせいで、甲斐性無しだと思われてしまった!ちくしょう!ニヤケ顔が目の前にある、こいつ俺を弄んでやがる。いや、まだ間に合う、負けてられん!

ぎゅぎゅっ

「?!」

こっちもグリップを強める。とは言っても痛くない程度に。辻村が目をまんまるにして頬を引き攣らせる。そして顔の赤さが一段階あがる。ほら見たことか。俺の漢らしさに成す術ないだろう、参ったか!だがその一方で、細さ、小ささ、柔らかさ、そして温かさが一層強く伝わってくる。それで、俺の顔も沸騰するくらい熱くなって、汗まで吹き出たのはナイショで、ここは一つ。

「ああ、了解した。イッセーは、カズのもとで働こう。」

あまりにもクサい台詞に、自分でも笑い出しそうだった。漢の気合でなんとか抑える。辻村、もといカズはというと、もう顔を背けてプルプル震えてしまっている。はい俺の勝ちぃ。

こうして熱い右手の契のもと、辻村和沙、カズと、橘斎聖、イッセーとの間で、ダイヤで互いを結ぶ雇用関係が始まったのであった。

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