コールドターキー・キョンシーズ

 泣けるぜ。乾いた火薬の破裂音と.22BB弾の涙の出るような非力さ。また近所の婆さんに旧正月の爆竹の余りを鳴らして遊んでいるのだと怒鳴られるこったろう。

 殭屍キョンシーどもの動きは鈍ったようだった。痛覚がないのか? 肌は腐ったようであり、骨が露出している。その目は虚ろであり、新しい傷跡に呻いている。出血もするようだ。

――感染アフェクション

 の二字熟語が頭によぎった。映画では吸血鬼と同じように噛まれた対象もまたゾンビと化していた……英語では愛情と疾病は同じ単語affectionで示される。スナブノーズ拳銃は中折れするとリムファイア式の.22BB弾こと6mmフロバートの空薬莢を排出し、まるで八つ穴のレンコンと同じになる。このような拳銃が乱痴気騒ぎと下らない喧嘩で使われる土曜の夜の病院は大忙しだという意味で、サタデーナイト・スペシャルという仇名は付けられた。.22BB弾の非力さを考えれば、十九世紀末の劣化コピー拳銃スーサイド・スペシャルと呼んだほうが適当かもしれないが。

「こっち」

僕と帽子屋は首根っこを掴まれる。女の声だ。そういや、デイジーと取り立て屋はどこに消えた? 連中は本当にゾンビやキョンシーなのか? 世界から死は克服されたのか? 仮にそうだとして、僕達に感染はするのか? 幾多のポワン・ダンテロガシオンが頭に浮かぶが、ジャラリと閉じられた重い扉の音に思考は一旦停止する。

 内側から多数の鎖と南京錠。外界からの接触を拒むための城砦。それはこの九龍城とコンセプトを同じくする。ここは竜胆リンドウ紫陽花アジサイがルームシェアしている一角だ。

「シャンプーとリンスは何を使ってるの?」

僕らを引っ張ってきた竜胆リンドウが問う。僕は「は?」とだけ答える。そういえば、こいつと会話するのは初めてだ。「だから、シャンプーとリンス。ヘアケアには何を使ってるのか訊いてるの」確かに僕の髪は自慢じゃないが美人だった姉に似て黒檀のようでビロードのように滑らかであることは認めざるを得ないが。僕の代わりに室の奥で優雅に入浴している紫陽花アジサイが答えた。

「酢だよ……薄めた酢とオリーブ・オイル! 石鹸でアルカリ性になった髪には、酸性の酢がいちばん良いのさ」

そう言って泡風呂から投げキッスでハートを飛ばすかのようにシャボン玉を吹いて飛ばした。紫陽花という花は土壌のpHペーハーによってその花弁の色を変える。酸性の土壌によってアルミニウムイオンが溶け出しアントシアニンと結合することで、青色を呈する……。

「あんたの艷やかな髪を見ていると、あんたのお姉さんを好きだった頃を思い出すよ。残念なことをしたけどね……あたしにとっちゃ、もう過去のことさ」

彩芽アヤメさんの事をそんな風に言うのはやめて!」

僕の居ないところで知らない痴話ドラマを繰り広げるのはしてくれるか? 移り気な紫陽花に貞淑な竜胆。帽子屋は部屋の中のマイコンを起動すると、ディスプレイに文字テキストベースのユーザー・インターフェースを表示させて、キーボードからカタカタとコマンドを打ち込む。

網路ネットでも噂が広まってるらしい……歩く屍体を見たとか、暗がりに幽霊やお化けが居たって」

「ほとんどは与太話だろ」

「書き込んでる人は真実だと思ってる」

「ね、あたしのマイコンに勝手に触らないでよ」

設置したのは僕なのに、と帽子屋は不服そうにしたが竜胆は取り合わなかった。しぶしぶ席を譲ると、竜胆はフンスーと鼻息を荒くしてコンピュータの前に陣取った。

「会話や電話と違って、テキストベースの電信の強みは記録が残ること……歩く屍体のウワサは前にどこかのスレッドで見かけた記憶がある」

「スレッド?」

「話題トピックごとに分けられたチャットのシステムだよ。僕が独自に構築した」

「ハードウェア業界からソフトウェア開発に転向か?」

「それを利用するのも結局は人間の脳味噌ウェット・ウェアだよ。人間のすることは石器時代から何にも変わっちゃいない……その効率や速度が変わっただけさ」

「あった……【なんでも実況:うわさ・怪情報なんでもござれ】……人面犬や口裂け女、食用ミミズに不治の病、頭に響く謎の声……行方不明者と深夜テレビの砂嵐!」

九龍城には暇人しか居ないのか。世界は本当に平和になった。


 >最近、光明街のほうで奇妙な物を見た……鴉片あへん中毒者とも違う感じ、肉が裂けて骨まで見えていた

 >ただの薬中だろ

 >それ、殭尸じゃない? 呪符がどこかに貼ってなかった?

 >自分も見た。映画の特殊メイクみたいだった

 >薬物取引のスレあるよ

 >嘘乙^^

 >ゾンビとかって物食べんの? 肉体は死んでるのに

 >動いてるなら生きてるだろJK


「待って、リアルタイムでスレに書き込んでいる人たちが居る」

竜胆は手慣れた手つきのブラインドタッチ(君たちは倫理的正しさから現代ではタッチタイピングと呼ぶ)でカタカタとキーボードを鳴らした。


 >私もさっきそれらしいのを見かけました。響いたのは爆竹じゃなくて銃声です。両手を突き出すように歩いていて、撃たれても死にませんでした。ゾンビやキョンシーだと思います。


「ずっと見てたんだな」

「だから助けてあげたじゃん」

すると竜胆の書き込みに反応して、九龍城内の暇人たちが次々とレスを飛ばしてきた。


 >ちゃんと頭撃った?

 >頭洗った?

 >写真とか撮ってないの? てかどこ住み? 会える?

 >本当にゾンビやキョンシーなのですか? ヘロインやコデインの禁断症状……自家製の密造デソモルヒネかもしれませんよ

 >弾洗った?

 >撃たれても死なないとか嘘草杉

 >草

 >洗った厨うざ

 >薬物スレどこ?


 竜胆はむっつりとブラウン管を眺め鼻息も荒くキーボードを激しく打ち鳴らした。


 >話ちゃんと聞いてますか? 薬で皮膚が腐って骨まで見えますか? 医学的な根拠というか、何かそういうデータがあるんですか? ないですよね? 私は見たんです。他にも二人目撃者が居ます。あれは確かにゾンビやキョンシーの類でした。上の人の書き込みと同じように、光明街の奥のほうで。他に同じようなのを見た人は居ないんでしょうか?


 >じゃあその二人も連れてこいよ^^ 無理だろうけど

 >少し真面目な話をすれば、そういう妄想や呪いの類を否定してきたのが科学の歴史なわけだが

 >こんな平日の真昼間から長文レスしてるとか無職か? これだから光明街の連中は……

 >草って何? スラング?

 >証拠がないのはそっちも同じだが? はい論破


 >無職じゃありません。ちゃんと働いてます。光明街差別やめてください。それに妄想なんかじゃありません。いま二人はここに居るから同じ端末を使って発言してもらっても意味ないだけです。噛まれたら感染するのかとか、他に詳しい情報を知ってる人がいないか知りたかっただけです。だいたい今レスしてる人たちだって暇人じゃないですか。無職のくせに、人を無職とか決めつけないでください。


 竜胆は鼻息も荒く自身の完璧な理論武装に誇らしくリターンキーを叩いた。それからややあって、再び書き込みがあった。


 >必死乙

 >ID真っ赤で草 半年ROMれ


「回線切って首吊って死ね!!!11!!1!!!」

竜胆はキーボードをばんばんと叩き付けるように破壊していき、そうして暴れまわっている内にコードが抜けてコンピュータの電源が落ちた。外れたキーがあちこちに散らばってレゴブロックを踏むみたいになった。

 暴れまわる竜胆を風呂上がりの紫陽花が優しくなだめて、後ろから抱き留めるとその頭を撫ぜながら囁いた。

「おー、よしよし。竜胆ちゃんなんにも悪くないもんねぇ。悪いのはネットの人たちだもんねぇ? ネットの人たちは馬鹿ばっかで、竜胆ちゃんの話なんか全然まじめに聞いてくれないもんね? ぜんぶあたしが聞いたげるからねぇ、いい子いい子、あんな人たちのことなんか忘れちゃおうねぇ、外れたキーも拾ってくっつけ直そっか……」


 そうこうしている間に有栖と帽子屋の二人は内側からの鍵を外してそそくさを室を後にしていた。

「あいつらってああいう感じか」

「道理でキーボードの修理が多いと思ったよ。けっこう高い機械なんだぜ、あれ。だから竜胆のモデルだけキーボードを別にしたんだよ……本体が壊れないようにね」

それから二人は本題に戻った。

「発信源は分かるのか?」

「うん。それぞれのマイコンにはアドレスがあって、チャット上ではそれが固有のID代わりになっているからね」

「薬物取引のスレッドに言及しているレスが気になった。常識的に考えて死体が蘇生するはずはない……キリストじゃあるまいし」

「あの返信レスか。あのアドレスは確か……オニユリの職場のマイコンだよ」

香港はその歴史からクリスチャンも多く存在している。教会精神に則って、老人ホームと幼稚園を兼ねた施設が上層には存在している……。娼婦の一人であるオニユリは昼の間そこで働いているのだ。

「オニユリがあの返信を?」

「さあね。同じ職場の誰かさんの仕業かも。でも、確かめてみる価値はあるんじゃないかな」

 通路には水道・ガス・電気そして情報ネットワークの下部構造インフラストラクチャのパイプが走っている……。その中を駆け巡っているのはまさに九龍城の血液そのものなのだ。この都市は一つの生物のようにひしめき合い、脈動し……蠢いている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

九龍ノワール ~有栖梦游幽幻迷宮~ 名無し @Doe774

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説