012 コーラに味の素っぽいな

「そうみたい」

「それって、おれにも使えるのかね」

「使えるんじゃない? 分かんないけど」


 ピクピク、と意識が遠のく不良女どものボスは、氷狩やイリーナにも聴こえないくらいの声でつぶやいた。


「あれが、柴田しばたしずくをダルマにした男……」


 *


 ようやく家へ帰ってきた。誰かがいるのに散歩なんてするものではないな、と思ってしまう。氷狩は神谷海凪が冷蔵庫に入っている飲み物に、なにか入れているところを目撃してしまったからだ。


「ひ、氷狩!? ち、違うのよ? これは、えーと、そう。味の素よ」

「コーラに味の素いれる馬鹿がどこにいる。もうオマエ帰れ」

「分かったわよ……。どうせ私が悪いんでしょ?」逆上して睨んでくる始末だが、「ところで、その子は何者かしら?」

「イリーナだ」

「イリーナ!?」声を荒げる。

「知り合いか?」

「……、知り合いもなにも、その子はヤクネタでしかないわよ」

「どういう意味だよ」イリーナとともに椅子へ腰掛ける。

「〝マッド・ドッグ〟を知らないの?」

「この前も言っただろ? おれはパラレルワールドに迷い込んで、ここにいるって」

「なら、最初から説明してあげるわよ。私たちの安全保障にも関わるしね」


 マッド・ドッグ。それは、かつて第三次世界大戦が世界を包みこんでいたとき、設立された能力研究所だ。否応問わず戦争に巻き込まれた日本は、ある国籍不明の人物を中心に人工の能力者開発に乗り出した。非人道的な実験も数多く行われ、戦争が終わった今でも悪名は高い。


 そして、イリーナはマッド・ドッグの中でも特別な存在であった。紛争・戦争区域という極限地帯で極稀に現れるダイヤモンド。それがイリーナという、ヒトの手が加えられていない天然の能力者なのだ。


 しかも、彼女はいわば転移者。どこの紛争・戦争地域で育ったのかまでは分かっていないが、その実績もあって余計に、マッド・ドッグは彼女を手放したくないだろう。


「とまあ、サラの情報と私の調べを合致させるとこうなるわ」

「中卒を舐めてるのか? さっぱり分からん」

「多分、中卒とか関係ないと思うよ。理解しようと思うかの問題でしょ」

「ああ、そうかよ。で? なぜイリーナが厄介事なんだ?」

「マッド・ドッグが、この子みたいな複雑かつ有用なモルモットを簡単に手放すと思う?」

「ああ、思わんな。その機関がなんなのか知らねェけど、さっきも女の不良集団どもに襲われたしさ」

「もう手を回してるのね……。困ったわ」

「だけど、あんな三下どもを回収班に回す理由がないだろ。能力者でもなさそうだったし」

「そりゃあ、いきなり能力者を派遣するなんて無理でしょ。きのう逃げ出したばかりだもん」

「きのうか。だったらむしろ、足の速さを褒めてやるべきだな」

「貴方たち、もう少し緊張感ってものを持ってほしいわ……」


 神谷が頭を抱えるあたり、よほどの大事件なのは間違いない。いくらここがあべこべ世界だからといって、神谷海凪という〝鉄の女〟がこれほど動揺するとは思えない。


「そんなに、〝マッド・ドッグ〟はヤベェのか?」

「やばいなんて次元じゃないわよ。日本の闇を凝縮させたような代物よ? すべての陰謀はあの組織に通ずる、なんて言われるくらいには」

「えげつねェなぁ」

「だから、そうね。そう、どうすれば……」


 神谷の顔から血の気が引けていく。指を口元に当て、その手は震えている。


「ひとまず、サラに連絡じゃね? アイツならワンチャンある」

「え、ええ」


 イリーナが勝手にソファーの上で寝息を立て始めた。呑気な少女だ。まあ、色々と極限状態だったのだろう。氷狩は彼女にタオルケットをかける。


「もしもし、サラ?」

『なんでしょうか?』

「マッド・ドッグから逃亡したイリーナって子、知ってるかしら?」

『ええ。知ってますよ。今しがた、大騒ぎになってる』

「その子の身柄を確保したと言ったら?」

『即刻返すべきでしょう。私たちみたいな半グレが触れて良いヤマじゃない』

「でしょうね……」


 そのとき、氷狩が口を挟む。


「なあ、サラ」

『なんでしょう?』

「後生だ、イリーナを見捨てないでくれ」

『……、貴方がそんなこと言うほどの子ですか。イリーナとは』

「ああ、そうだね。それほどの価値がある」

『分かりました……。ただし、貴方がすべての問題を背負うことになりますよ?』

「構わねェ」

『なら、まず……マッド・ドッグの幹部を拉致するところから始めなければならない』

「所在地は?」

『今から送ります。ただ、これ以上の援助はできません』

「ああ、悪いな」

『いいえ』


 電話が切られ、同時にスマートフォンへマッド・ドッグの幹部の住処が送られてきた。高級マンションの最上階に住んでおり、警備員と防犯カメラが至るところに配置されている。


「ここまで送ってくれたのか。いや、幹部をさらえば、株価にもなんらかの影響が出ると踏んだか……」


 サラは小賢しい。彼女は最小限のリスクで、最大限のリターンを得るべく行動するはずだ。となれば、今頃株価の動きを注視しているだろう。


「よし、行ってくる。早ェところ、終わらせるべきだしな」


 ハンドガンをベルトにはさみ、氷狩は指をゴキゴキ曲げる。


「え、本気で行くつもりなの?」

「当たり前だろ。すぐ戻って来るから、イリーナの面倒よろしく」

「だ、だって、監視カメラと警備員の数をしっかり見たの? まるで要塞みたいな場所に突っ込んで、勝てる見込みはあるの?」


 神谷は本気で心配しているようであった。しかし同時に、この会話に意味がないことも知っているのであろう。


「勝てる見込み? ンなモンねェよ」

「じゃ、じゃあ、こんな子見捨てて──」

「神谷、おれたちの正体はなんだと思う? 暴力と知略で物事を解決する半グレ? 時にはヤクザにも喧嘩を売る、イカレた集団? 違げェなぁ」


 氷狩は薄ら笑いを浮かべた。


「おれたちは、少数派だ。だから仲間を大切にする。そうしなければ、おれたちみてェな無用者はすぐに潰される。そうだろう?」

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