007 恋する乙女みたいらしい
そんな佐田希依は、恋する乙女のような態度だった。そして、勝手に氷狩の部屋に入り込んできやがる。
「……、一応訊いておこう。なーンの用だ?」
「なんの用でもないよ? ただ、既読になったのに返事してくれないから、心配になって来ただけ!」
「そうか。オマエ、自分の年齢知ってるか?」
「23歳だけど?」
「その通り。なんと、おれより年上だ。それなのに、乙女みてェな態度してるんじゃねェよ」
「えーっ! なんか文句あるの?」
「文句以外つけられないなぁ」
目をキラキラさせている女子相手に言うことでないかもしれないが、氷狩は前の世界での佐田希依の印象を拭えない。口開けば悪態ばかりついてきて、タバコをくわえた途端に消臭剤をかけてきた佐田への悪印象を。
「まあ良いや。氷狩くん、いつデートしてくれるの?」
「ほうほう。デートの約束なんて酔狂なモンしてたのか」
「メッセージ、ちゃんと見てよ!」はにかんでくる。
正直、気味が悪い。佐田希依という女は、もっとこう、露悪的だったからだ。氷狩のことが本気で嫌いだったはずだし、仕事のとき以外での業務連絡以外干渉し合う仲でもなかった。
それに、高校のとき、氷狩の喫煙を学校と警察に密告しやがって、学校をクビになった苦い過去もある。女を殺してやろうと思ったのは、あれが初めてだった。
なので、タバコの副流煙でもぶつけて追い出してやろうかと、氷狩は換気扇の下に立つ。
だが、
一点に集められた風が、ターボライターすらも貫通する勢いで吹いてきた。佐田がドヤ顔で人差し指を回している。この女、男集めて輪姦してやろうか?
「タバコなんてめっ! だよ! ほら、そんなになにかくわえたいなら私の乳首でも──」
(考えてることと言語がほとんど一致していやがる……。神谷みたく、本音と建前も使ってないんだな。よし、シックス・センスの真髄を試してみよう)
意思を〝受信〟し〝改ざん〟して〝送信〟する。正直言われても訳が分からないが、ならば実行して慣れていくしかない。
(んん……。これが意思? 数字や文字の羅列だな。まあ良いや。これから1文字抜いてみよう)
時間にして3秒。氷狩は半ば無理やり、佐田が使ってくる能力を引き剥がすことに成功した。風が飛んでこなくなったことを確認し、氷狩は今度こそタバコに火をつけるのだった。
「はー、うめェッ」
佐田を見下すように見下ろす氷狩だが、青年は勘違いしていた。恋する乙女モード、というか発情期に入った佐田は、侮蔑の目つきで見られても感じてしまうことを。
「ああ、良い。その目つき、ホントに良い……」
目がチーズのごとく溶けていた。氷狩は目を見開き、
「気持ち悪ッ! オマエ、悪いクスリでも食ったのか!?」
「氷狩くんの目、やっぱり良いよね……。冷徹でヒトの心がなさそうだしさぁ」
「馬鹿にしてるンかよ?」目を細め直した。
「ああ、ヘブンまでイッちゃいそう……」
氷狩は本気で迷った。彼女の溶け始めた目に、タバコを押し付けて追い出すか。
しかし、いくらここが男女比率の崩れた場所かつ、貞操観念すら変わっていそうなあべこべ世界であろうとも、そんなことをすれば氷狩もお縄だ。どんなに嫌な気分だろうとも、誰かの目にタバコの火をこすりつけてはならない。
「ともかく、オマエもう帰れ。なんか用があるならともかく、なにもねェならオマエと話したくない」
「え? ツンデレ?」
「ぶち殺すぞ、てめェ」
女の顔をぶん殴りたいと思うのも珍しい。マーガリンのように蕩けている佐田を見れば、余計に人間だからそう感じてしまう。
「あ、そうだ」
「あァ?」
「海凪から仕事の依頼来てたよ。半グレ絡みの仕事なんだけど、飛ぼうとしてる女を拘束してって」
「最初から言えよ」
氷狩は指をゴキゴキ鳴らす。不敵な笑みとともに。
きのうひとりの女を追い込んだばかりなのに、きょうも誰かを詰める。結構なハイペースだが、この世界にはこの世界特有の病気があるのであろう。
「わー、怖い顔~」相変わらず溶けているが、「でも、結構きつそうな相手だよ? 相手は、
「ちょっと待て。私〝たち〟?」
「うん。もちろん私も参戦いたすよ~!」
「うわッ」
「うわ、ってなにさ!」
佐田はまたもや、はにかむ。本当に氷狩へ恋しているかのように。前の世界の佐田を知っている身としては、もう勘弁してほしい。
「オマエ、頭おかしくなったんじゃねェか?」
氷狩は呆れながら言った。かつての冷徹で、しかし少しだけ人間らしい部分を持っていた佐田とはまるで別人のようだった。今目の前にいるのは、まるであらゆる常識が崩れ去ったような女だった。
「なんでそんなに嫌われたがるの? 私はただ、氷狩くんと一緒にいたいだけだよ?」彼女は目をキラキラさせながら、まるで困りごとでも抱える子犬のような表情をしていた。
「いっしょにいたい? なんでそんなこと言うんだか知らねェが、オマエにおれはもったいねェと思うよ。色んな意味でな」
この女、前の世界では一緒に仕事をすることさえままならなかった。所詮過去の恨み節になるが、高校をクビになる原因になった女とまともに仕事なんかできるわけない。
そんな彼女が今、自分に好意を持っているとしか思えない。気持ち悪さが先立った。
「それでも、今の私は氷狩くんを受け入れる準備ができてるの! そう思わない?」佐田は明るく言った。
「そんなのどうでもいい。オマエが仕事にくるのは構わないが、プライベートにはかかわるな。おれに付きまとうな」
「ええ、そんなに厳しいこと言わなくてもいいじゃん!」佐田は一瞬しょげたように見えたが、すぐに復活し、「それに、やっぱり一緒に仕事をするならパートナーとして、心を繋げていくのも大事だよ?」
「いらねェ、そういう関係。日々と仕事を全うするだけの存在で良い」
「なんでそう意地悪するの、氷狩くん!」と、佐田は声を上げ、抱きついてきた。それがまた氷狩の苛立ちを煽る。コイツといる時間は精神的に疲れるだけだ。
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