第16話 悪役令嬢にざまぁされたくないので、知りましょう②


 

「お坊ちゃま、お待たせ致しました」

 

 扉を開け、アンはレフィトを部屋へと招き入れた。だが、すぐにはレフィトが部屋に入って来なかった。

 もう一度呼ばれ、今度こそレフィトは静かに部屋へと入る。


 おかしくないだろうか。レフィトの期待を裏切らなかっただろうか……。

 感じたことのない不安に、レフィトを見ることができず、視線は爪先へと向かう。一度俯いてしまえば、顔を上げる勇気が持てない。

 言葉を発することのないレフィトの反応に、心臓が嫌な音を立てている。


「カミレ様。お顔を上げて、背筋を伸ばしてください」


 アンの言葉に、どうにか顔を上げる。だが、意気地なしの私は、まだレフィトが見れない。


「目も開けませんと、何も見えませんよ?」


 怖くて閉じてしまったまぶたを、そっと開けて様子を見る。駄目だと思ったら、すぐに閉じよう……。

 こんなにも臆病になってしまった自分が情けない。


 薄目で見たレフィトは、琥珀色の瞳はまん丸にしていた。私を見詰める彼の視線は、じわりじわりと熱くなっていく。


 あ、喜んでくれてる……。不安は安堵になり、不安での動悸が、視線の熱への動悸に変わる。

 痛い思いをしたかいがあったと思ってしまうのは、乙女心のなせる技だろう。

 何も言わないけれど、レフィトの瞳に籠もった熱がすべてを語ってくれている。

 

「着飾った婚約者に何も言わないなんて。そんな子に育てた覚えはありませんよ」

 

 アンの声に、レフィトはハッとした表情をした。

 

「カミレ、すごく似合ってるよぉ。あまりにもキレイだから、見惚れちゃった。すぐに言えなくて、ごめんねぇ」

 

 レフィトが用意してくれていたのは、私の瞳と同じ空色のドレスだ。清楚な品のあるデザインで、袖のレースや胸元のフリルが可愛い。チョーカーについた宝石は細工が美しく、レフィトの瞳を彷彿させる色合いだ。

 

「着てくれて、ありがとぉ」

「お礼を言うのは、私の方だよ。ありがとう、レフィト」

 

 へにゃりと嬉しそうにレフィトは笑う。

 

「アンも、皆さんも、本当にありがとうございます。まるで、魔法をかけてもらってるみたいでした」

 

 本当に夢のようだった。元々、手入れをしなくても髪はツヤツヤ、肌はスベスベというヒロインポテンシャルを持っていたけれど、アンたちのおかげで数段レベルアップしたのだ。

 本当に素敵な経験だった。二度したいかと聞かれれば、頷くことはできないけれど。

 だってね、コルセット締められるのはキツいし、マッサージは痛いし……。

 レフィトが喜んでくれるのは嬉しいけど、出かける前に疲れてしまった。世のご令嬢はすごい。日常的にこれをやっているとか、美意識が高過ぎる。私には、無理だ。

 

「カミレのドレス、まだまだたくさんあるから、また着て出かけようねぇ」

「カミレ様は元々可愛らしく、おキレイですが、磨けば更に美しくなりますから。ドンドン磨いていきましょうね」

「…………えっ?」

 

 私の戸惑いの声は、次を相談して盛り上がっているふたりには届かない。

 ドレス、まだたくさんある……の? 磨くって、大変なんじゃないかなぁ……。無理しなくても……。

 

「ずーーっと、カミレがドレスを着てくれるの、待ってたんだぁ。本当に可愛い。可愛過ぎて危険だから、絶対にオレの手を離さないでねぇ?」

「そこは、傍にいてじゃないの?」

「傍にいるだけじゃ足りないでしょ?」

 

 えっ? そうなの?

 

「くっついていた方が嬉しいからさぁ」

 

 そう言って、絡められた指。恋人繋ぎをすれば、レフィトは幸せそうに笑う。

 

「今日はずっと、こうやって手を繋いでいようねぇ」


 

 屋敷の皆さんに見送られ、私とレフィトの乗った馬車は走り出す。もちろん、手は繋いだまま。

 時間はあっという間に過ぎていて、もうすぐお昼の時間だ。


「食べたいものある?」

「軽いものがあるお店だと助かるかな。お腹は空いてるけど、コルセットをした状態でどれだけ食べられるか分からないから」

「そっかぁ。もし、途中で少しでも調子がおかしいと感じたら、教えてね? 体調が悪いって思う前にだよぉ?」

「あ、うん。分かった」


 頷いたのに、レフィトは不満げに唇を尖らす。

 ふたりきりの時は、笑う以外の表情を見せてくれることが増えた。そのことが嬉しくて、笑ってはいけない場面なのに、口元がゆるんでしまう。

 そんな私に、レフィトはにっこりと笑いかけた。


「本当に分かってる? どんなに楽しみにしていることがあったって、カミレが少しでも体調が悪くなる可能性があるなら、対処すべきなんだよぉ? 行かないにしろ、休憩するにしろ、とにかくカミレが最優先。カミレ以上に優先すべきことなんか、この世にないんだからさぁ」


 早口で、にこにこと笑いながら、まくし立てられる。雰囲気が怖い。


「ごめん。笑っちゃったの、そういうんじゃなくて、レフィトが色々な表情を見せてくれるのが嬉しくて……」

「えっ……」


 みるみるうちにレフィトの耳が赤くなる。

 あぁ、可愛い。最強に可愛い。私の趣味は本当にいつ変わったんだろう。レフィトは眼鏡じゃないのに……。

 あ、変装道具って言ってたよね。眼鏡をかけてもらうのは、どうだろうか。

 うぉっ!! 想像しただけで、心臓が暴れまわる。やばい。レフィトが眼鏡かけたら、鼻息を我慢できない予感がする。


 眼鏡好きも、いつか……というか直にバレるんだろうなぁ。

 でも、その前に──。


「レフィト、あのね……」


 真剣な私の雰囲気を感じ取ったのだろう。レフィトが少しだけ背筋を伸ばした。

 

「私が最優先って言ってくれるのは、ありがたいと思う。けどね、そんなことないんだよ?」


 そう言った瞬間、レフィトの瞳の中に拒絶を感じたのは気のせいだろうか……。



 

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